水遊び場を求めて…バーベキュー鈴鹿峠・高間みずべ公園など

2024-08-09 15:56:02 | つれづれ思うまま
思えば、ずい分と古い話になってしまって💦
2024/6/22と7/15と8/3のミックス報告です。

夏休み前に「水遊び場スポット」探しという名目と
「バーベキュー鈴鹿峠」へ所用があったのでその下見と本番。
なんやらかんやらと他のことをしてる間に、もうすぐ「お盆」になっちゃいます。
でもまぁ、お子さんたちは夏休みだし、酷暑続きだし、
海に行くには伊賀からはちょっと遠いし…
じゃ近場の水遊び場などいかがですか?みたいなことです(笑)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その前に近況、昨晩知人から届いた「お城のライトアップ」写真!


我が家のニャンも身の置き所がなく💦
麦酒の箱を枕にするハナ、夕方やっと外を眺める気になったクロ
 
なんだか「出てい行ったらヤケドするからね」と声をかけたくなります…

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、ワタシ運転で、仲間を連れて「バーベキュー鈴鹿峠」へ行く用事ができました。
地図で調べれば場所はすぐにわかりましたが、ここへちょっと難所っぽく、
口コミなど読んでいると上下2車線ずつに分かれてるその上り線側から入るようで、
しかもなかなか分かり辛かった💦という声が多かったのです。
初めてのところなのでやっぱり不安が先に立つ。
これは下見は絶体欠かせないなと、安全に仲間を連れて行くには「下見」です。

どんなところだったかというと、
  
おっと、1回目、通り過ぎてしまいました💦
行き過ぎるという事はどういうことか、ご想像にお任せです。

なんとか駐車場に車を停めて施設内を見学。
 

 
なるほど、大きないけすがあって、
釣った鮎をその場で調理してもらって、その場で食べられるそんな感じですね。
ここまでは6/22の下見、帰りは「加太越え」ですね。
 
「加太駅」で街道図を見て、「神君加太越えなど」を思い出してました。

そして、本番の日、7/15三連休の最終日。
当然、家族連れが多く「いけすで釣り」、大いに楽しんでましたね🎣
  

屋内バーベキュー会場なので気にすることはなかったのですが、
丁度この日は東方面で発生した線状降水帯がこちらに迫ってきたようで、
  

 
楽しいバーベキューのひと時でしたが、一旦降り込んでこない真ん中まで待機。
「鮎」ちゃん、雷に驚いてジャンプしてましたよ
まっ、これも今となれば楽しい思い出。
釣りたての「鮎」料理、「塩焼き」「フライ」「から揚げ」「刺身」の鮎三昧。
もう一度食べに行きた~い
家族連れ、グループなどでぜひおススメの楽しい場所でしたよ。


今日の最後のご案内場所は、
甲賀市油日「高間みずべ公園」。
遠~~い昔、我が子を水遊びに連れて行った場所、
未だに健在で、幼子たちいっぱい来てたので嬉しかったです、
就学前までのお子さんたち大喜びだと思います。
  

遊歩道を歩いて「砂防ダム」堤体辺りから公園を見渡す、
「砂防ダム」は1995年に出来ているようです。
  

油日の森の遊歩道に夾竹桃か、研修棟もあります。
  

高間みずべ公園」情報です。

 
あぶらひの森造ってます。琵琶湖の源流域ですからね…

さて、ぼちぼち「古墳のおはなし」に行こうかな…
ではまた
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「家康危機一髪の『加太越え』?」、体験してきました。後編

2024-06-17 00:57:43 | つれづれ思うまま
2024/6/2、14:50、大杣湖到着。柘植地区市民センターを出発して約2時間。
やっと着いた大杣湖。
講師谷先生の実地検分した結果、この山の中に「古道」や「関所跡」ではないかという発見があり、
今からその「古道その2」を一緒に歩きましょう、と。
お世話係川村さんから山道のぼりの諸注意を受け、
三河からの参加者の「無事に三河まで帰るぞ!エイエイオー」の掛け声で出発。
 

では、順次「大杣湖畔」から写真でご報告です。
とても静かな湖面を眺めつつ、14:55発。
足元には「大杣湖の主と思われる鯉」さんお出迎え。
なんだか元気が出ますねぇ…
   

昔はリゾート地というか別荘地だった、その名残の建物を横目に
   
お地蔵様絵があったり、可愛い花コアジサイ、楚々と咲く。
 
足元の木を見れば、苔が「ハート」に見えたり、
呑気なことを書くのもここまで。
本格的に道なき道の山登り風ですが、
この道を何度も歩いてこられた谷さん・川村さんたちのおかげで、
木製階段急ごしらえであったり、笹などを刈ってもらってあったりで、
至れり尽くせり?の「逃避行」体験道です。
   

  
急な道にはロープもあり、少し高い所で説明を受けます。
下を覗けば「ここを落ちるわけにはいかないな💦」と、気を引き締める。
  

予定では、ここで終了のようでしたが、もう少し先まで行くと「分水嶺」とのこと。
伊賀側の水は当然大阪湾へ、分水嶺を越えたらこの沢の水は伊勢湾へ流れます。
伊賀と加太(亀山市)の境を越えるところまで行きますか?と。
ここまで来たら全員が「行きま~す、行きた~い」との返事でもう少し進むことに。
   
この谷底にある「巨石」、昔の「関所跡」だったかもしれない、、、あくまでも推測ですが、とのこと。
その「沢」を渡り、また上る…
  

 
おそらくこの辺りが「分水嶺」かと。15:25くらい着。
見上げれば朴の木」(ホオノキ)の花が咲いていました、
珍しい花を見かけて、ご褒美を戴いた気分です。
みなさん、疲れも吹っ飛ぶ緑の癒しにどっぷり。

では、下山開始15:30過ぎ。

ひたすら同じ道の往復、急峻な山道の上り下りには変わりありません💦当たり前ですが。

   

帰り道、粛々と歩き、無事に全員が戻りました。15:53着。
気配り心配りと共に案内してくださった谷さん、川村さんに感謝です。
こんなワタシでも険しい山道の往復が無事にできたこと、
足を引っ張らずに済んだこと、ほんと良かったです。
ワクワクドキドキのおさまらない「神君と同じ気持ちで加太峠を逃避行」体験記でした。
次は、白子の浜まで行きましょうツアーがあるかもしれない…とか。
これはまだ未知数の話ですが。
16:00、ほぼ時間通りに大杣湖出発、
柘植地区市民センターに戻って解散。
神君命がけの逃避行、ちょっぴり味わえた気分、生きてて良かった家康さま。
天正伊賀の乱で殲滅された伊賀、見事復活できたのは、
家康公が無事に三河までたどり着いてくれたおかげです。
(ワタシは勝手にそう思っています、個人の見解ですあしからず)

 2024/6/5付毎日新聞

 2024/6/6付中日新聞

お付き合いありがとうございました。
ではまた。
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旧暦6/2に合わせて「家康危機一髪の『加太越え』?」、体験してきました。前編

2024-06-16 00:29:14 | つれづれ思うまま
2024/6/2(日)の午後、こんなイベントのお誘いを受けて、山中行軍してきました。
すでに遠い過去のようなお話です。新聞紙上にも掲載されたりしてたので
詳しくは省きますが、でもねそれがなかなか…
史実は誰も見ていないし、タイムトンネルもないので諸説いろいろあるのは承知のことですが、
西柘植地区主催で、講師に甲賀市の甲賀リアル忍者研究所の谷さんの案内で、
「多分、こうだったんじゃないか、きっとこの峠道を行軍したんじゃないか?」体験です。

雨の心配もあったこの日ですが、なんと集まった方々を見ていると雨雲も逃げそうな…気がしてきました(笑)。
愛知県は三河からお越しの方もおられ、家康さながら「エイエイオー」の掛け声もあり、
先達を務めてくださった谷さんのお話やお世話役の川村さんのリードで、
「古道」といわれるところをハラハラドキドキしながらも楽しく歩いてきました。
そんな道中記になります。

・2024/6/2 13時に柘植地区市民センター集合。
集合場所でメンバーを見渡すと、あの方この方大先輩に後輩に、
なんとも頼もしい仲間ばかりで、
しかし途中で根を上げるわけにはいかないなと覚悟を決めました。
  

   
徳永寺」にて、
ここまでは諸説ある「神君伊賀・甲賀越え」ではあるが、ここは確かに休憩された。
甲賀~伊賀の山道はどんなに困難な道であるかはここに住む我々も十分承知。
しかも車もないあの時代ですから、盗賊・山賊なんぞはゴロゴロいたはず。
どのルートであれ「神君は徳永寺」には絶対に来ています。
問題はココからどのようなルートで「白子の浜」へ行き、「三河」までたどり着いたのか。

もう一度市民センターに戻り、今度は柘植から関までの間の「加太峠」辺りを目指そうと。
獣道とはいうもののこの峠道は「古道」として昔の人が通っていたであろう道を見つけた、と谷先生はおっしゃいます。
ここからは数台の車に参加した21人は分乗して、JR関西線の加太トンネル北側に位置する「大杣湖」のほとりに移動することに。
 大杣湖はあの辺り…
その道中「岡鼻の勧請縄」を通過、その先の「大神宮と石燈籠」見学。
  
この山の中にも「古道」が確認されたという場所を紹介していただきますが、
どの道をどう通って行ったのか??ですが、風景は撮りました。
  
谷さんの指す方向の杉林の中を歩きますが、石垣があったり、確かに砦でも?
この先の「古道」らしき道を早く歩きたいばかりに先生の話が飛んでますが、
戦国時代以前、古代より作られた古道があり、
そこは兵士や馬も通れたのではないか、などなど
神君も決して走って逃げていたわけではなく馬も使い護衛の者たちも100人はいたのでは…と。
どんな道があるのでしょうか、行軍開始。
   

確かに上る道が見え、古道その1、記者さんモデルに高低差がわかるでしょうか?
  
下って、
 
澤筋には立派な石垣跡も見えます。
こんな山の中に?と驚きの景色です。

次に、二番目の「古道」目指して大杣湖に向かいます。
おそらくこんな行程だったのでは?というおぼろげな記憶です。
 
大杣湖到着、この時点で14:50。出発して約2時間。
まだ大して疲れてはいませんが、これから進むであろう道は一体・・・
だんだん「神君家康公の気分になってきた」のは事実。
谷さんの説明を聞いているうちに、ともかく無事に三河に帰ることが大命題。
さて、どんな古道を進むことになるのか…

参考:当日(2024/6/2)いただいた資料と募集チラシ。
   

では、もう少し続きます。
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上天気だったので、SINDO YARDS テラス席に行ってみた。

2023-12-09 10:13:18 | つれづれ思うまま
 
青空にクッキリ浮いたような「ナンキンハゼ」や木造の建物外観を眺めてご満悦。

駐車場(まだ工事途中ですが)に車を止め、図書館へ行くまでのその道中
  

新堂駅ホームを下から見ていたら、
 
あの空のムコウ必ずと言っていいほど、 やカラスが視野に入ります。

ブレンドコーヒーを求め、
ぽかぽか陽気だったので外の南側テラス席、「霊山」を眺め一人で悠々自適。
あの山の遠く遥かには「お伊勢さん」、元伊勢伝説」も残るよなぁ…
 

東側のテラス席ですが、
 
そのお隣の駐車場整備は着々と進む。
加太の山々を見て「神君の伊賀・加太越え」や「義経の加太越え」に思いを馳せてたり…
 

歴史の奥深さを垣間見るにはいいところだなぁと。(撮影:2023/12/6)
原稿を書いている今日(12/9)もいい天気のよう、ぜひまったり過ごしてみてください。

ところで、12/9・10は「NHKのど自慢」予選・本選だそうですね。
伊賀市文化会館界隈は大にぎわいでしょうか(笑)。
ではまた
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秋の柘植地区へ、爽やかにウォーキング。(目指せ!JR関西本線活性化)

2023-11-25 16:05:00 | 関西本線木津亀山間活性化
気候の良いこの時期、柘植地区だけで5つものイベントが重なり、
悩ましくも結局慣れ親しんだ「徳川家康伊賀越えの地を訪ねる 紅葉の秋を巡る歴史街道ウォーキング」のコースに申し込みました。
これを決めてから「ミツマタ植樹/霊山麓」があることを知り、
直前までどっちにしようと心は揺れましたが、キャンセルするのも申し訳なく、
初心を貫くことに…

・・・・・・・・・・
ミツマタ植樹」のことは知人のFBご覧いただければと思います。
・・・・・・・・・・

ウォーキング日、2023年11月19日(日)、上天気
出発は伊賀鉄道、この路線も(気まぐれで申し訳ないけど)応援しないと…
この路線、ICOKAカードは使えず現金で、伊賀上野駅まで片道260円也。
 

伊賀上野着、亀山行きと加茂行きどちらも「お茶の京都トレイン」 初乗車です。
ワタシが利用するのは土曜or日曜、乗るときはいつもほぼ満員です。
利用活性化に関しては土・日はバッチリかと…
 
柘植駅着、向かいのホームは「草津線」。

柘植駅集合。出発は10時の予定。
  
今回のウォーキング前半は、ワタシ的には復習なので過去ログでご案内①
(煉瓦塀、積殖(ツミエ)の山口、道の駅いが、福地氏城跡・万寿寺(過去ログ②)

  
(左)積殖(ツミエ)の山口辺りで『旗山』を望む、
(右)道の駅いがでNINJAづくし。

(左)「福地氏城跡(芭蕉公園でもある)」の土塁、その上から。
(右)「野面積み石垣」が残る福地氏城跡。
  
この城跡の傍で、「ミツマタ植樹」が終わったメンバーがふるまいで休憩中に遭遇。
知人にも会い、ミツマタ植樹の感謝を伝えました

   
↑「万寿寺」

↓「徳永寺」
道中で「葉牡丹」、正月の準備でしょうか
  
ご住職からお話を伺い、やはり家康さま立ち寄り先に間違いなく、
ここから先の「加太越え」をどうして越えて行ったのか、
今後の研究課題であるとおっしゃってました。益々興味が湧いてきます。

「都美恵神社」
  
若い神主さんから歴史を伺う。

関係者の皆様、柘植の語り部の方々、お世話になりました。
訪れるたび、知らなかったことの発見やら、柘植の歴史は面白いと再確認するやら、
そして新しく巡り合う方やら、楽しいウォーキングでした。

終了後、知人を連れ新堂駅前の「SINDO YARDS」へ行き見学。
いい場所ができたねぇ、また来たいねと。

新堂駅に立ち寄ったこともあり、
「昔、新堂駅から行列ができるほどの有名な病院があった」とのことで、
案内をしてもらいました。「橋本病」発見者…ですと。
 
(右)病院跡地のようです。
詳しくは↓
橋本策(ハカル)生誕の地碑。(伊賀市HP/伊賀ぶらりより)

他にも凄い人はいるのです、

石板を読んでいると、伊賀國阿拝群新堂村の偉人伝です。

知らなかったのか?と言われそうですが、まだまだひよっこだなぁと(笑)。

では、次のウォーキングは「島ヶ原」かなぁ…
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【(大和街道)奈良道の三地蔵】①「見とどけ地蔵」(長田三軒家)

2022-08-15 17:22:23 | 神社仏閣など
google mapで何気なく「宮崎農園」を探していたら、
裏手に(この風景の左手辺りになりますか)
 (再掲)
見とどけ地蔵」という名前を地図上に見つけました。
手持の冊子など調べていると、長田には名前のつく「お地蔵様」が多く、
しかも伊賀市の文化財になっていたりします。
過去、長田地区では「橋本地蔵」(blog投稿失念していたので後日改めて …)や
お紋地蔵」(傍には「勧請縄」もある)を訪ねています。
これは「ぶどう購入」の折には訪問しなければ、、、と思い、
今回、良い機会に恵まれたので早速お伺いしたわけです。
孫たちのために「ぶどう」を買ったので、自動車はここの駐車場をお借りしてテクテクと。
土手を上り、北へ進めばきっとあるはず…

田んぼの中を少し進むと「赤い鳥居」、
鳥居の奥には小さな祠、お参りしてわかりました「お稲荷さん」でした。
  

見とどけ地蔵(長田三軒家)
 
左側「お地蔵さま」、右に「三体地蔵」様。
やさしい顔をされていますが、説明文を読むと「天正の伊賀の乱」の折、
火の玉(心霊)を見たとか見ないとか…
   
では説明文より
≪三軒家の集落の西に射手神社旧社地があります。
 旧社地のある旧街道(加太越え奈良道)沿いに、花崗岩を舟形に彫り、
 三体の地蔵立像が表現された南北朝期の石仏がありました。
 右手に錫(シャク)、左手に宝珠(ホウジュ)をもった地蔵(像高64cm) を中央に、
 その左に宝珠をもった地蔵、右には合掌(与願印)する地蔵(像高32㎝)が
 それぞれ蓮華座上に配置されています。
 天正の伊賀乱に射手神社が焼かれたとき心霊が火だるまとなって
 東の仏性寺の方向へ飛んでいった
のをこの地蔵が見とどけた
 という伝説があります。
 旧街道を旅する人々の心を休める信仰の対象であったことでしょう。
 見とどけ地蔵と呼ばれ、現在は稲荷社の前でまつられています。
 なお、国道163号線の南にある川の対岸の山裾には、
 東へ1300m進んだところに笠地蔵
 さらに800m先にはおもん地蔵がまつられていて、
 三つの地蔵は奈良道の三地蔵として市の有形文化財(彫刻)に指定されています。≫

参考①「大和街道/島ヶ原・1(三軒家)」㊟三軒家(サンゲンヤ)は伊賀市長田地区

三重県発行の街道図ですが、このページでは
「見とどけ地蔵」は左側のお地蔵様!の写真になっています、さて?

その②「伊賀市の文化財」冊子より

伊賀市発行の冊子では「三体地蔵」さまです、さて?
これ以上突っ込むのはやめておきます
 
さぁ気になるその②『笠地蔵』会いに行きたい…
けどね、ちょっと多難でした

余談、帰り道少し遠回りをして「やぶっちゃ」から「西山棚田」へ抜けました。
 

その先の山裾で「白い花!」、立ち止まり撮る。
 
とても良い香りに惹かれましたが、後で調べると「葉っぱ」はちぎると
カメムシのような匂いらしい、
でも花の匂いは百合のように香しかったのです、でも名前は「臭木(クサギ)」(クマツヅラ科)です。
なんだか損な名前だなぁと、、、

では、また
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義仲追討途中、義経が駆け抜けた「伊賀の道」。

2022-04-25 16:29:50 | 神社仏閣など
「大河ドラマ」では絶対に出てこないシーン、
でも、昔の地図が一瞬映り「伊賀・大和」は確かに出てました…
4/24、夜放映のNHK大河「鎌倉殿の13人」を食い入るように見ていて、
「義仲追討の加太越えの道」の場面は出てこなかったけど、
きっと義経が「伊賀の山を越えた証の地図」だと勝手に合点
一人ニヤニヤ笑っていたのです…ここまでは昨夜の話。

では、時間を戻しまして、
伊賀の事を知るための研修を受けており、昨日は柘植地区へ。
柘植倉部(クラベ)地区に風の森社跡があることを知りました。
柘植の歴史などを知るために訪れたわけです。
義経が伊賀を通っていた」という「逸話」か「伝説」なりが
伊賀の三カ所に残っているということに驚きました。

では、そのお話の一つ…「柘植の場合」
源義経が木曽義仲追討の途中、戦勝祈願したと「源平盛衰記」に記されているそうです。
 源平争乱時代の寿永3年(元暦元年) 1184 年、伊勢平氏平定のため伊勢にいた義経は
 木曾義仲討伐の勅命をうけほとんど平定を終えていた伊勢から加太峠を越えました。≫
 (※参考登山ガイド図:余野公園・油日岳・ゾロゾロ峠・旗山

その加太越えの道の案内が「奥余野公園にありますので、
今日(4/25)訪問してきました。
 
余野公園」に🚙を駐車して、健康管理のため徒歩で
  

途中、「壬申の乱古戦場」があります。(詳しくは過去ログで
  下の河原辺りかと…
ここはあっさりと進みます。
余野公園を出発して約25分くらい、正面の視界が広がります。

少し先にトイレがあり、その前に
  
『源義経平氏討伐の道 1184年』(東海自然歩道にもなっていますが)と。
少しだけ覗いてみた山道、こんなもんではないはずですが、
ワタシは登れません、あしからず。


険しい「現・鈴鹿国定公園」の山の中、
加太から「ゾロゾロ峠」を経て柘植へ下りてきたと思われます。
山を下りてきた義経さんを癒したかもしれない風景です
  ウワミズザクラ

余野公園に戻って
 ツツジ咲き出しています…

そして、倉部川支流の「風の森橋」の辺りにある森で休んだと言われます。

それが風の森社跡(カゼノモリヤシロアト/柘植倉部)
民家の間を入らせていただきます(静かに~~)
  

 
遠い昔は「竹藪」ではなかったようです、
石碑には「風森神社」とありますので「社」があったはず。
この石碑のあるところに、実は立派な巨樹があったそうです。
言い伝えとして
「その昔、ここにあった大木を、お城の材にすると切り出そうとした役人に、
 鎮守の森の木を切ると祟りがあると年寄りが言ったそう。
 しかし、木は切られお城は建てられた。
 ところが、完成間近に台風(暴風雨)で倒壊したというお話がある」、、、とか。

「風の森社跡」を出て、北側に行ってみました。
 
「社」の後ろ側です、向こうを見れば高い山々はここからは見えません。
琵琶湖辺りから吹く風が大きな山に邪魔されることなく、
この地域を通るので、冬場は特に「伊賀の北海道」と言われる由縁かと。
「風の森」とは地形からきたのか、素敵な名前だと思いました。

さて、その先義経は、、、「新居の場合」
 ≪この地から南宮山を拝し新居まで来た時、 里の人に京へ向かう道を聞くと
 「首落滝」※から御斎峠を越えるのが一番近いと聞いたが、
 これから戦いに行くのに名前が縁起が悪いとして他の 道を聞くと、
 長田の射手神社の前から笠置に向かう道があると聞き、
 それは縁起が良い名前だ として射手神社に戦勝祈願をして笠置に向かったといわれる。
 伊賀平氏はこの時ほとんど源平合戦に参加せず、
 平氏一丸となった義仲追討軍十万の大軍の北陸の合戦にも参加せず、
 義経が加太越えて通過した時も傍観した。≫ 

(参考※「首落滝」のお話は過去ログをご参考に)       

そして、「長田の場合」、【射手神社】で
 ≪木曾義仲を討つため、宇治へ向かっていた源義経の一行が、
 戦いに勝つようにとお祈りをし、かぶら矢を奉納しています。≫(「観光三重」より
 

お勉強会だった4/24は雨でした、よって翌日再訪問してきましたので、
綺麗な明るい空気の中で写真が撮れました、ツツジも綺麗でした。
余野公園はまた改めて~~

ではまた
(間違いなどありましたら即、修正いたします)

2022/4/26追記
【ゆっくり解説】『源平盛衰記』より源義経と伊賀


情報をいただきました、分かり易くまとめられておりました…
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「和銅の道」④ 丁石巡り、「補陀落の滝」そして、「五八寸(ツチノコ)伝承地」?

2022-01-23 14:55:15 | 和銅の道補陀洛寺跡丁石巡り
炭窯跡」の横には、「高倉高区配水池
  (再掲)
この施設の前を通って、このまま「旧道」を歩きます。
左は「伊賀コリドールロード」、車は結構高速で降りてきます、
ワタシもここを走る時、気を付けようと思いました、
「大杉谷と大杉谷橋」の説明版を読みたくて、ワタシの様な
歩行者が渡る可能性がある…要注意です。

この「旧道」には、「六丁石」がなくて(水害で流されたかな)、
 渓流側の木に立派な「サルノコシカケ」

 
山側は石垣で保護され、光も適度に入った山林。

順に【五丁石
 

四丁石
 

ここに「滝?」、という場所に案内板です、
補陀落の滝】(フダラクノタキ)
 「補陀落の滝と那智川」説明版 

≪「和銅の道」の歴史は古く、740年に聖武天皇が行幸し、
 源義経が1184年に「加太越え」で、「落首の滝」(=補陀落の滝)を避けて
 長田から笠置方面へ木曾義仲討伐のため京に向かったと伝えられている≫そう、
≪「源平盛衰記」には、水勢が首を落とす程の勢いがあるとか
 補陀洛寺の破戒坊主の首を落としたとかの伝承がある≫らしい。
(「大河」に出てくるだろうか、このシーン、まさかね

では、「義経も(滝の名前を)忌み嫌って避けた滝」、伊賀コリドールロード「不動橋」を上に見て、川へ下ります。

※参考
 コリドールから「不動橋」を見る

  
「三段の流れ」になっています、昔のことはわかりませんが、
今は水量は随分少なくなっている、気はしました。
上野地区では他に見ることのない唯一の「滝」かもしれないので、
是非見に来てください。
また、※熊野信仰という言葉を覚えておいてください、次回に…

補陀落の滝」(滝pediaより)



さぁ一旦、コリドールロードに出ます、ここを通る時が一番危険!
その道中に、【三丁石
 

ゴルフ帰りの車など多し、もちろん一般車も、
スピードが出る上に、カーブもあります。
丁度、ここですね、タラオカントリー方面への曲がり道!

この曲がり道の対面に、「うっそぉー居たの?ここに?」と思わず叫んだワタシ(笑)。
「出たそうやげな…」
  【五八寸(ツチノコ)伝承地

今日はげなげな話で終わります、
ではまだもう少し続く
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