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三重県立上野高等学校「明治校舎」、美しく蘇る。前編(正門・玄関など)

2023-01-22 16:19:26 | 上野高校明治校舎改修工事編
工事にかかわられた皆さんの苦労がしのばれる、
卒業生としては、ここもあそこも在学中はじっくり見てなかったなぁ と。
今更ながら、いいところに居させてもらった青春時代だと。

第23回卒業生の同窓会の話は「入学後、半世紀」経ち、
「卒業して50年」になり、もうみんな「古希」になってしまう。
そんな再々延長に振り回されていますが、皆さんに会うまでにこの校舎は見事に蘇りました、
懐かしさと感謝の気持ちで見学させてもらってました。
その「たからもの」のご報告です…
nikkei.comから「明治の木造校舎、耐震化で後世へ」
≪三重県教育委員会は木造で県の有形文化財、県立上野高校(伊賀市)の明治校舎の耐震工事をこのほど完了した。
 1900年(明治33年)に旧制県第三中学校の校舎として完成、
 全国でも今も残る旧制中学の木造校舎は珍しく伝統建築を後世に残す。

 明治校舎は平屋建てで延べ床面積約969㎡、改修には約4億2千万円をかけた。
 和風建築の入り母屋屋根に、洋風の玄関や窓が取り入れられているのが特徴だ。
 三重県は1989年に県の有形文化財に指定している。
 博物館明治村(愛知県犬山市)に移築されている国の重要文化財、旧三重県庁舎
 手がけた清水義八が設計した。作家の横光利一、書家の榊莫山が青春期を過ごした。

 今後も校内活動に生かすとともに、市民の交流の場としても使う予定だ。≫

では、懐かしの【正門】から~
(左)2022/12/28撮影時は門扉全閉、
(右)2023/1/21には正門から入場可でした。
 
説明によると『門柱』は折れかけており、しかも基礎が1mくらいと長かったとか、
想定外のことだったらしく、元に戻すのにいろいろ工夫をされたとか、
おかげさまで見事修復され、正門復活劇場です。

(左)同窓生の皆さんは、この門から月ケ瀬マラソンに出発しましたねぇ…
昭和46年(1971)2月4日のこと、懐かしの出発風景です。
(右)卒業アルバム用では、4組だけこの「明治校舎正面」で撮りました。
 

10時から16時までの見学時間のうち、ワタシが参加したのは正午過ぎ、
お昼時にもかかわらず実に多くの見学者がいました。
おそらく卒業生の方々が多かったかもしれませんが、
三重県指定有形文化財でもあり、
県内では唯一残っている旧制中学校のひとつ。
残っていてくれてありがとう、と先ず思いました。

では【玄関】に迫ります~
 

一緒に見学していた「語り部」Mさんに教えられた情報では、
『玄関はビザンチン様式。入母屋造屋根。
 両脇に三本ずつ変形トスカーナ式のエンタシス(※)の円柱
※エンタシス=上部にかけて徐々に細くなる。

もう少し細かく『玄関の「円柱」や「天井」』など~
玄関の天井は『透かし菱目張り』というそうです。
 
三本の円柱、
アーチ状の柱間の装飾は、『唐草と若菜の彫刻で瓔珞(ヨウラク※)飾り
※瓔珞=仏壇飾りによく用いられる。

両端には『若葉の持ち送り(※)』
※持ち送り=壁や柱より外側に出た桁を支える板状部材。
 塗り替えられたもの
以前のものは、見るも悲しい姿でしたが…(リンクは写真)

もう一度外から全体を見上げてみると、
西洋風でありつつ、入母屋造りの屋根を持つ、
そこに象徴的な「鬼瓦」と「鬼瓦原寸図」。
 
今ここにあるのは「新調」されたもので、
元の鬼瓦は校舎東側下の地面に埋めてある、とのことでした。
「鬼瓦」は「三州瓦」だと以前の見学会で聞きました。
リンクは「解体された瓦の数々の写真」ですが、
決して捨てられるのではなく、利活用されているとのこと。
今度、修理修復されるかもしれない時、
「おっ、こんなものが出てきた!」って驚かれるのかもしれませんね。
ワタシたちが、今驚いているように…

では、内部潜入いたしますが、そこは後編で~~
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「伊賀上野語り部の会養成講座②」伊賀流忍者編

2023-01-22 00:15:30 | 「伊賀上野語り部の会」で勉強中
小雪ちらつく中、いつもの所からいつもの風景。
今日は北の山々さえ見えません…
この風景が見られること、その幸せも感じていただければ…
当たり前のようにある「お城」や「赤い屋根の駅舎」、そして伊賀鉄道の線路等々。
これらも先人たちのお陰でこの風景がある、と思うと、
感謝しつつ、伝えることは数限りなくあるような気がします。


2回目の「語り部養成講座」では、
『伊賀流忍者~その歴史と役割、現代に使える忍びの術~」と題して、
伊賀流忍者博物館学芸員の幸田知春さんの講演です。
 
座学ですが、興味深いお話だったので70分間はあっという間。
伊賀ってどんなとこ? 山に囲まれ、山麓は深い谷。
(プロジェクター画像ですが、ボヤっとしか見えない図(左)と、
あとで、忍者伝承館へ行った時に見つけた絵図(右))
 

②昔の都に近い(京都まで約70km、奈良まで約40km)=新しい情報を得やすい
③早くから民衆による自治組織がつくられる⇒伊賀惣国一揆等々

「忍者流忍者」の歴史は?
長くなりそうなのでリンク先などご参考に~~

「座学」終了後は実際に「伊賀流忍者博物館」へ移動。
  

見学の際の注意事項デス。

『ここから先は忍者屋敷、内部にかくされた「からくり」を探し出し体験してね。
忍者屋敷からくり体験の心得
一、からくりは危険な物である。必ず大人と体験すること。
二、決して乱暴に扱わないこと。
三、順番を守り、他の人と譲り合うこと。
四、からくりに触れる前に手を消毒すること。
五、屋敷で走ったり、刀を振り回さないこと。
六、混雑時は時間を守り、誘導に従うこと。
七、触ってはいけない物を触らないこと。
心得を守り忍者屋敷を楽しむべし。』

さて、実際に現場で説明を受け、先輩たちは静かに見守る。
時折、聞き逃している話に耳を傾けつつ…
裏庭の植物にも目をやりつつ、これは「アオキ」だそうな。
 

ここは「忍術体験館」、意外と知らない話が多いモノです、
学芸員幸田さんによる施設内説明。さすがとても勉強家でいらっしゃいます。
惹きこむお話と「語り部としてこういう話をされるといいですね」って、
ヒントまで頂けました。
 

最後に「忍者伝承館」、ここは藤堂藩永倉(元米蔵)を移築した建物。


外に出れば立派な「蔦紋」付きの門。
豊臣時代に焼失した伏見城の「門」だそうで、家康の命を受け我が高虎殿が修理修復し、
「桐紋」を「蔦紋」に変え、ここ伊賀の地に移設された「門」だとか。

どこにあるかぜひ見つけてくださいな。

この門のそばにもうひとつ、珍しいもの発見。

伊賀笹(イガザサ)」と言います。「クマザサ」ではないのです。
≪昭和6年に上野中学の黒川喬雄氏が発見。
 植物学者の牧野富太郎博士の鑑定で「新種と認定」される。
 葉の裏側がツルツルなのが特徴です。≫
見つけたら触ってみてください、ほんとにスベスベ、こんなお肌になりたい…
あちこち探してみると意外なところに生えていたりします、
上野公園のある丘陵地帯ってタカラモノがいっぱいかも。
※参考文献「伊賀の郷土史」より、黒川喬雄氏のこと掲載

そして「忍者博物館」の周りには「多羅葉(タラヨウ)」の木もいっぱいあります。
「国の史跡」なので植物など採ってはいけません!
但し、落ちているものはこれにあらず、ですが…
季節によってはなかなか葉は落ちてませんが、
時折落ちてることもあります、その時はチャンスです、運を祈ります。
またまた話が逸れてしまいましたが、
こうやって歩いているといろんなものが見えてくるもの、
教えてもらって初めての発見はとても大事だと思います。

では本日のお勉強会はここまで。
後半戦は「上野高校明治校舎耐震改修工事完了後の一般公開」へ。
コメント (7)
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