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日々日々日記

過去の事 現在の事織り交ぜて
淡々と綴ります。

梅雨入り近い

2025-05-25 20:29:00 | 自叙伝

お久しぶりです。

 

書きたいことはたくさんあると思うし

あるんですけどね~

いざとなったら 何を・・・

思い出せなくて

まったく情けない事です

 

お米のことで毎日テレビが賑やかですね

お米騒動のことで覚えているというのが

中学生になってる自分のこと

何年経っても 貧乏神に虜の家族の生活で

私は多分栄養失調で 自分でもわかるほど痩せていた

毎日の食事がどんなものだったのか全く思い出せない中で

一度だけですが登校途中に こそっと持ち出した生の米を

噛みながら空腹を充たしたことがありました

 

一体どんな生活していたのかな・・・

 

今は天国にいるような…

本当の天国には遠くはないという気持ちもあったり

毎日毎日を過ごしています。

 

 


認知症と言われて

2025-03-19 20:28:28 | 自叙伝

認知症の人とは・・・

身近な知人の名前がすぐに出てこない

言いたい言葉がすぐ出てこない

趣味に対する興味が薄れてきた

頭の回転が遅くなってきた

買い物のお釣りなど簡単な計算が面倒になってきた

新しい家電製品を使いこなせない

 

これはまさしく自分のことだわ

パソを前にすると言いたいこと書きたいことが浮かんでこない

今がこれなら一年後・・・

どうしよう~

 

少しでもやったらよいのは。。。

2日日記・・・2日前にどこに行ったか何を買い物したか思い出す

 何かしながら何かする…複数の用事をする… テレビを見ながら食器を洗うとか

 

相変わらず新しいパソ覚えきれない

やばい・・・やばい・・・やばいよ~

 


羽毛布団の幸せ

2025-02-06 17:09:17 | 自叙伝

小学生のころ 山のてっぺんにあった「掘っ立て小屋」に住んでいた。

屋根も壁も床も 板一枚

夏は釘穴から星が見えた。

冬は雨漏りが気になった。

薄い掛布団に ぺったんこな敷布団一枚。

母が気遣って 産まれて間もない赤子に

掛けたいからと 敷布団を半分に折り

半分をくれた。

霙降る夜の寒い事

何故にこんな目に合わなけりゃいけないのか

早く眠らないとと思い 必死になっていたのを思い出す。

母のことは好きだったし 三人の父親違いの妹弟も可愛かった。

朝起きたら それはそれで楽しいこともあり

のほほんとしている私の性格が 大人の人に受けてたようにも思う。

 

あー極楽極楽~

こんな幸せなことはない。

 

みかんの皮

畑の肥料にするんだって・・・

 

 

 


残念ながら

2025-02-02 19:53:58 | 自叙伝

白内障の手術日は 4月に入れて貰えることになりました。

日帰りコースになります。

保険を使えば 片目18,000円ですって。

 

まだ軽いほうだと思うけど

最近 階段を上がるのに膝が痛い。

下りは全然平気なんだけど

一度は 整形外科に行ってみようかなと思っている。

 

目に 膝痛に 認知症・・・その他 背中が丸まる

 

私の これからの人生 どうなっちゃうのだろう。

 

 


白内障の検査

2025-01-21 19:20:30 | 自叙伝

今月末

眼科を予約している。

最近 ボーとしていると物が二重に見えてくる。

三か月前の診察の時 

ぼちぼちでしょう。

次の診察を受けてもらって

それで何時になるか決めましょう。

と、言われている。

今 三か月待ちらしい。

 

確かに手術となれば 要らぬ心配心が湧き上がってくる。

私は子供の時から丈夫で、胃腸は弱かったけど

お産以外入院したり 病気になったことがない。

家族で唯一インフルに罹ったことも ない。

どのコースにするかな。

日帰りで保険が効いて 一番安いのにするかな。

それがなんぼかも知らないけど・・・

 

本心はやりたくないのだけどね。

メガネがないとものすごく不自由なの。

 

 

 


しもやけ

2025-01-16 20:01:22 | 自叙伝

両方の手がしもやけで真っ赤だ。

痒いしね

とくに腫れた指は

皮膚がめくれて痛い

子供の時から悩みの種だった。

今年は特にひどい症状だと思う

こんな指 人に見せられない

老婆のような手

恥ずかしい

私の母は言った

赤ちゃんを産めば 

ならなくなるよ

 

小学生の私にだ

 

うそばっかり

悲しい思い出

 

私の娘は 今風の細くて長い指

色黒の私に似たけど きれいな手

それだけでもうれしい

 

 


宝くじマニア

2024-12-09 21:04:12 | 自叙伝

懸ける金額こそ少ないが

自分では 宝くじマニアだと思っている。

毎週 千円だけ買う。

でもココ何年も当ったことない(--〆)

過去当った2本は 妹にアパート代の足しにしなさいと・・・

昔は当選金額も少なかったので

当る人も多かったのかな?

 

バス旅行で 福岡の宝当神社には2回行ったが

十万円ずつ懸けた。

結局・・・・・大商いはやめた(^.^)

テレビで大都会の福岡駅周辺を見ると

子供を連れて、アチコチ歩いた日々が懐かしくなる。

若い頃はホント!良く出かけたものだ。

 

2人の息子たちは 子供を軸に忙しそうで

親の私達と同じ暮らし。

出かけると言う事を聞いては「気をつけてね」しか・・・

 

 


認知症患者

2024-11-09 21:04:24 | 自叙伝

最近 思ったことがすぐ会話に繋がらなくなってきた

電話をうけてもちゃんと反復できない

若い頃に仕事で 和文タイプをあてがってもらっていた

難しい漢字もそこそこ読めたり書けたりしてたと思うけど

今は 簡単な字なのに あれ!?・・・

なんでこんな事に?

終いには電話を取らなくなった

書類を書くのも 綺麗な字を書く人に任せた

私の仕事 煩雑なお金の計算くらいか!

現場に出てコンビニで買った飲料の領収書をだしたら

お金をあげる

毎日毎日朝に昼にとコンビニ通いが頻繁なのは仕方ない

 今はよほど田舎でないかぎり コンビニがあり

トイレも使わしてもらえる

お礼も込めてジュースの1本や2本・・・

 

段々と敵が向かってきてるのかな。

 

ノコンギク 日陰の多い庭なので 綺麗には撮れません

 

 


命を繋ぐもの

2024-09-05 20:03:38 | 自叙伝

2か月に一回 クリニックに行く

脳神経科と

消化器内科

今回は待ち時間が少なくて2時間ですんだ

薬の種類・・・覚えるのに1年かかった

①朝食前 2粒

②朝食後 3粒1種

③昼食後 1粒

④朝夕 1粒2種

⑤夕食後 1粒

⑥夕朝 2種

 

時々飲むのを忘れていたと分かると

ドキドキしたものだ

今は少し慣れた

 

脳神経科では

転んだりしないように強く言われて

内科では

便秘しないようにと・・・

 

2つのクリニックと薬局が隣接しているので

車を運転出来ないようになっても

不便さは感じないで済む

今や運転手つきの社長夫人やからね~(笑)

(本当はこれが不便なんやけど)

2年前までは 自分の健康さが由一自慢やった

なのに レビー小体認知症という

訳のわからない病気になったらしくて

今はビクビクして過ごしてる(;一_一)

情けないことに自分の生きて行く先が見えない

 

今夜のナナちゃん

座布団大好き


高校の友達

2024-05-07 21:05:54 | 自叙伝

歌手 「橋 幸夫」が歌手の道に入り

現在まで どういう風に活躍しているのかと

読売新聞で

「時代の証言者」という欄にて

 詳しく解説(?)

同い年では無かったと思うが同世代に違いない

 

私が中学校を卒業後

働きながら学ぶ 定時制高校に通っていた時

地方から就職してきて

男子寮に居る男性さん

まるで  顔も髪型も「橋 幸夫」そっくりで

歌もすごく上手で

寮の窓辺に腰掛けて

今流行りの歌を歌っていた姿を思い出す。

近くには女子寮もあったので

自分を知ってほしくてのことでしょうかね。

 

勤務している電機会社では

定時制に通う社員及び学生さんは

終業時間を少し早めにしていただいていて

それでも学校へは走って通っていた。

会社と学校を同じくする友達がいっぱいできて

特に仲良くなった友達が

この「橋 幸夫」さんと友達になりたい

どうしたらいい?

かなり好きになったらしく

同じラジオ部で仕事している私に彼の所へ行って

私に紹介して!

私 いやだよ~自分でお友達になって!って

言うべきでしょ…

彼が持っていた洋服店の紙袋が欲しい

袋を貰うには買物をしなくちゃね…

一緒に付いてきて!

お店に入るの恥ずかしいから買ってきて!

まぁ、無理難題ばかり言われて 

付き合いきれないと思う事もあり

紙袋はゲットしてあげたけどネ

ちょっと間を空けていたら

高校を卒業してしまった。

 

それから何カ月か経ったある日

なんと!!!

友達

「橋 幸夫」そっくりさんと

仲良く歩いているのを駅で発見!

すれ違いざま

友達特有の変顔ー(あかんべ~)

その後何か言った!

人ごみで言葉は聞き取れなかったけど

ゲットしたよ~~~!

って言ったのかな?

私も彼氏連れだったので

小さく手を振ってニコリとしてあげた。

「橋 幸夫」=可愛かった友達 思い出す

 

今も幸せかな!

逢いたいね~

 

 

 

 

 


友達

2024-02-08 16:46:13 | 自叙伝

小学校時代からの友達から電話をもらった。

もう何年前だったかな~

同窓会で出会ったきり

コロナの前だからもう随分経つ

まぁ、お久しぶり~と(^-^)私

元気だった?!

の後に

花ちゃん、えらい病気になったんてな~

それで今はどうなん?!

ちゃんと歩ける?

矢継ぎ早に聞いてくる

私も なんで知ったん!

たまたまバスに乗り合わせた仲良しさんから聞いたと言う。

その方のご亭主が 同じ病気で

今は杖がいるらしいとか…

そうだった~もう一人の友達には 年賀状に病名を書いたんだった。

電話をくれた友達は

子供の時から朗らかなら性格で

自分の病気のことなんか

笑いの渦に呼びこんで

小さい頃の思い出とかで20分くらい喋ってしまった。

楽しかった!!

私の事を良く覚えてくれていてホンマ嬉しかった。

 

もう一人の友達にも電話した。

 

 


父親とはどんな人

2024-01-23 21:08:21 | 自叙伝

私は物心ついた時から 母一人子一人で育った。

父は 私が5歳くらいの時

「結核」で亡くなったとか・・・

写真は2枚持っている。

その2枚の顔は全く似ていない。

父親に抱かれたり ごはんを食べたりした記憶もないので

どちらがどちらなのか見当もつかないが

この人だろうと思える1枚はある

もう1枚は 私と全く似てないんだから。

抱いている赤ちゃんも 私とは思えない。

他人様のが混じっただけなのか。

痩せて色黒そうな1枚の人が 父なのかも…

住んでいたところも名前も知らないで

父が恋しくて・・・なんてことも無かった。

小学生低学年の頃

祖母が 名前くらい知りたいやろ?教えてやろうか?

好きでも無い祖母に 押しつけがましく言われてもね。

知らなくてもええ・・・!

言い放った私を覚えている。

 

でもね、大阪で工場を持っていたらしいのよ。

 

母との貧乏暮しの中 ふとしたことで

どんな人だったのか 母とはどんな関係だったのか

名前を聞いておかなかったことに悔みが残った。

祖母も私が可愛くも無いらしく

それきりこれきりで会うことも無かったしね。

同級生で服屋の子に 「貧乏人」と指差されたこともあったけど

私の周りは貧乏人ばかりで!どおってことも無く(笑)

 

今も時々思う

父がお金持ちだったならば

私の人生どんなだったんだろう、ネ

 

 

 


三か月

2023-04-06 21:20:39 | 自叙伝

京都亀岡の施設にいたのは

お正月を挟んだ 三か月だけ

母親が面会に来た時

泣きながら訴えたと思う。

暖かい大阪に帰りたいと・・・

こちらは本当に寒かった。

秋の終り頃になると 畑や田んぼ一面霜が立った。

見たこともない長さで 踏みつけるとバリバリと音がした。

ほとんどの女子は 冬用の暖かそうなズックを履いてるのに

薄いビニールの靴(普通)では 足の保温が出来なかった。

暖かい靴下も手袋も持たないで 足も手も霜焼けだらけ

毎朝学校へ行くのが辛かった。

 

学校は楽しかったか!?

施設の子が沢山いて、クラブ活動を進めてくれた。

施設の子供の一番人気は 放送部

お昼休みに流す音楽を自分の好きなのをかけて良い。。。

自分の声で <お昼休みは終わりです教室に入りましょう>

3日ほどで 声が甲高いとクレームがあって放送部は止めた。

 

学校の近くに採石場みたいなのがあって

変わった石を探しに行くクラブがあった。

楽しかった。

男先生が優しかった。

 

母親の気持としては 私をつれて戻りたいが

この施設にいる理由が理由なので 話は簡単じゃなく

必ず迎えに来るからねと言って帰った。

施設の中での思い出は 一ページも無い。

あの三ヶ月間の私は別の世界に居たんだね。

 

そして三か月後 母が迎えに来た。

 

 

 


保津川下り

2023-03-29 20:19:38 | 自叙伝

ずーとーずーと 幼い時の記憶だが

保津川下りの船に乗った記憶がある。

母の会社の慰安旅行で

母と二人暮らしで

痩せた色黒の可愛くもない私に

 とても親切にしてくれた

お爺ちゃん社員に 会いたいなと

今日のニュースで 突然思い出した。

私が5歳の頃の話

会うべくもない・・・よね

 

亀岡市にも

いやおうなく

思い出すことがある

 

小学校の5年生の時かな

母の連れあいと上手くいかない私

亀岡市の奥の奥の施設に入れられた

子供ばかりウヨウヨおったな

みんな何か事情がある子なんだなと

何となく覚悟した。

施設で初めての夕食は

カレーライスだった。

ご飯は麦ごはん

ご飯の上にカレーをまぶして

スプーンで混ぜくって食べているのを

見た隣の席の子が カレー皿を指差し

「下品な食べ方」やね

恥ずかしないの?

可愛い女の子だった。

私はどんな反応したろうか?

記憶にない

ただそれ以来 

カレーの食べ方が変わった

「上品」な食べ方を覚えた(^.^)

 

亀岡の

山と田んぼに囲まれた施設には

三か月ほど居た。

 

 

 


四つの願い

2022-09-28 22:10:26 | 自叙伝

ムクゲ花 今 きれいに咲いている。

小学生のころから好きだった。

大人になって自分の家が持てるようになったら

必ず庭の主になってもらおうと 希望を心の隅に置いていた。

実際 婚家には庭に何本も植えてあって

それはとてもうれしい事だったけど

ちょっとガッカリしてしまったと思う。

夫の祖父が 庭師だったということで

庭には沢山の木があり、花好きの義母の花壇に

小さな畑まであり

私の手出しするところはなかった。

その分 外でしっかり働いた。

結婚して何年か経って 庭を造りかえる時

畑を潰して 芝生の庭にした。

大人になってやりたかったことは

 

・ムクゲを植えること

・2階建の家を建て 庭は芝生にすること

・真っ白な犬を飼うこと

・真っ赤なスポーツカーを乗り回す私であること

 

子供の時から何か足りなかった 自分自身の人生の

行きつく先の贈り物として いつも胸に秘めていた思い

もう72歳になって もう何もいらないと思うこの先。

 

息子が言う、4つの願い事の4つ目は?

最後に悔いのないようにしなきゃ!

赤くないとダメ

普通のじゃダメ

運転もぼちぼちダメ

結局スポーツカーは

まだ若いもう少し考えよう!?

 

ダラダラ書きましたが

スポーツカーを買う予定はないです。

買えません(笑)