一昨日大宮に出向いたのですが、上野へ向かう列車が動き出すと車窓に一本桜が目に入りました。調べたところここは大宮操車場で、この桜には「大宮操の桜」という名が付いているそうです。この区間、10年以上前に毎日通っていたのですが、この日まで存在に全然気づかなかったです。例年2月下旬から3月上旬が見ごろのようですので、やはり今年は早いのでしょうね。
私的成田街道、5日目(通算27景目)は正月早々に歩きました。前回歩き終えた佐倉市美術館前まで向かうため、京成佐倉駅前に降り立ちましたが、同駅から佐倉市美術館のある城下町商店街までは標高差が20メートル以上あります。駅前から坂道を上っていくのですが、上りと下りが一方通行になっています。上ったのは車にとっては下りの一方通行路です。
(左:急坂を降りるバス-佐倉市栄町・右:坂上の二番町バス停-同市鏑木町-)
約1週間ぶりに佐倉市美術館前から再開です。城下町商店街には昔からの建物もいくつか残っており、最初に目に留まったのは「今井家住宅」です。説明板によると1889(明治22)~1892(明治25)年に建てられたと推定されています。駿河屋の屋号で呉服商を営んでいたそうです。お手入れが大変でしょうね。
(1世紀以上風雪に耐えてきた今井家住宅 -佐倉市新町 2020/01/05-)
今井家住宅の先に交差点があり、京成佐倉駅方向への下り坂があります。下り坂と申しましたが、京成佐倉駅から城下町商店街への上り坂で、駅側からの一方通行となっています。本日上ってきた道は沿道に店舗がありましたが、こちらの道は住宅が多かったように記憶しています。
(上り切った場所に立つ新町バス停 -佐倉市新町 2020/01/05-)
交差点に戻れば「おはやし館」という施設があり、その敷地内に「復元高札場」がありました。高札場とは「法令や禁令などを墨書きした高札を掲示した場所」で、人通りが多く目につきやすい場所に設けられました。ここにあるのは復元ですが、前回ご覧いただいた「佐倉町道路元標」の場所にあったそうです。
(左が高札、右は佐倉市民憲章 -同上-)
(慶應四年の高札 -同上-)
その先に進めば、道は見事なクランクとなっています。佐倉城跡方面から伸びているこの道は城下町への道ですから、戦となった場合に敵の侵入を難しくする造りとしたのでしょう。
(車も速度を落として曲がることでしょう ー同上-)
数百メートルしか進んでいませんが、本日はここまででございます。
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過去の2月20日・・・コチラ
私的成田街道、5日目(通算27景目)は正月早々に歩きました。前回歩き終えた佐倉市美術館前まで向かうため、京成佐倉駅前に降り立ちましたが、同駅から佐倉市美術館のある城下町商店街までは標高差が20メートル以上あります。駅前から坂道を上っていくのですが、上りと下りが一方通行になっています。上ったのは車にとっては下りの一方通行路です。
(左:急坂を降りるバス-佐倉市栄町・右:坂上の二番町バス停-同市鏑木町-)
約1週間ぶりに佐倉市美術館前から再開です。城下町商店街には昔からの建物もいくつか残っており、最初に目に留まったのは「今井家住宅」です。説明板によると1889(明治22)~1892(明治25)年に建てられたと推定されています。駿河屋の屋号で呉服商を営んでいたそうです。お手入れが大変でしょうね。
(1世紀以上風雪に耐えてきた今井家住宅 -佐倉市新町 2020/01/05-)
今井家住宅の先に交差点があり、京成佐倉駅方向への下り坂があります。下り坂と申しましたが、京成佐倉駅から城下町商店街への上り坂で、駅側からの一方通行となっています。本日上ってきた道は沿道に店舗がありましたが、こちらの道は住宅が多かったように記憶しています。
(上り切った場所に立つ新町バス停 -佐倉市新町 2020/01/05-)
交差点に戻れば「おはやし館」という施設があり、その敷地内に「復元高札場」がありました。高札場とは「法令や禁令などを墨書きした高札を掲示した場所」で、人通りが多く目につきやすい場所に設けられました。ここにあるのは復元ですが、前回ご覧いただいた「佐倉町道路元標」の場所にあったそうです。
(左が高札、右は佐倉市民憲章 -同上-)
(慶應四年の高札 -同上-)
その先に進めば、道は見事なクランクとなっています。佐倉城跡方面から伸びているこの道は城下町への道ですから、戦となった場合に敵の侵入を難しくする造りとしたのでしょう。
(車も速度を落として曲がることでしょう ー同上-)
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