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2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
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3212)房総ワンデイハイク 私的成田街道(23景目 江原バス停~八幡神社)

2020年02月10日 | 千葉彷徨
 田んぼアートと聞けば夏の風物詩としてすっかりおなじみですが、青森県田舎館村では冬の観光の目玉として「冬の田んぼアート」を5年前から行なっています。恥ずかしながら昨日、仙台の地元紙を読むまで知りませんでした。夏のアートは計算しながら違う品種を植えるのでしょうが、こちらはコンパスを片手に歩いて作るようです。作るまでも大変だと察しますが、その後降雪や降雨があれば埋もれてしまいますから、作るタイミングも考えねばならないのでしょう。見るのも運でしょうか?



 私的成田街道の続きです。江原バス停を後にすると、国道296号線はそれまでの直線が終わり高台から降りるカーブになります。その途中に上る石段がありました。八千代市の時宗神社も同じように下り坂の途中に石段がありましたね(コチラ)。入口には八幡神社とあります。今回の私的成田街道では八千代市大和田新田以来の八幡神社です。


(神社らしい石段が待つ八万神社 -佐倉市角来 2019/12/28-)

 石段を上ると2列の石畳がまっすぐに伸び、その先に拝殿がありました。祭神は応神天皇(品陀和気命)で、元禄年間(1668~1708)年に建立されたそうです。これまでもう出てきた神社の多くと同様、境内に人はいませんでした。


(整然と並ぶ石畳 -同上-)

 拝殿で手を合わせたのち、境内の東側へ向かいます。境内一帯は子供の遊び場にもなっているのでしょう。リスとパンダが居ました。遊び場ならもう数頭いてもいいのでは・・?2頭がかえって寂しさを醸し出しているように思いました。


(このチョイスはどういう経緯かし? -同上-)

 動物の脇を抜けると、石碑が幾つも建っていました。多いのは出羽三山への供養碑で、一番手前は2001(平成13)年に建てられたものでした。八千代市大和田新田で見た2014(平成26)年にはかないませんが、それでも平成の御世のものです。碑の下部には参拝者らしい方々の名が刻まれていましたが、現世ですから新幹線とバスですかね?ちなみに一番古いのは「安永4年角来村」とありました。


(奥に御嶽神社があります -同上-)

 その石碑群の脇からはこれから向かう鹿島川が見えました。同川に沿って開けた一帯が低地で、そこを過ぎれば再び高台という地形になっているのですね。  


(キラキラ鹿島川 -同上-)

 その鹿島川方面へ向かおうと境内を戻ろうとすると、拝殿の裏側に建つ本殿が見えましたが、トタンで覆われていました。いわば覆堂ですが、神様を守るにはちょっと・・・。でも風雪を避ける効果はあるのでしょう。


(一瞬トタン小屋かと・・・-同上-)

 本日は冬らしい姿ですが、とある方のブログでは新緑の季節の様子が載っており、石段前のツツジや緑に覆われた境内は別の神社のようでした。



 歩みはまだまだ続きますが、今週はひと休み。この時期のお約束をご覧いただく予定です。

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