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日々の記録

金沢城

2017-06-07 21:04:49 | 旅行
昔の金沢城とは違う、今の金沢城を伝えたくて、改めて。

風薫る5月、金沢城に出向きました。15年以上前暮らしていたこともあり、何度か訪れてはいたもの桜の季節、石川門界隈の風景が印象的だったくらい。



⏩ 金沢城は、天文15(1546)年、本願寺による金沢御堂 の創建に始まり、天正11(1583)年に前田利家が入城して から本格的な城作りが始まりました。明治2(1869)年まで 加賀藩前田家14代の居城でしたが、明治以後、終戦までは 陸軍の拠点として、その後、平成7(1995)年までは金沢大学のキャンパスに利用されてきた 。(ネット上よりコピペ)

今回は、大手門前にあるKKRホテルを利用したのでチェックイン後夕刻の金沢城と、翌朝の金沢城を堪能できた。
五十間長屋から天守跡まで登ってそこから三十間長屋まで散策するととても気持ちの良い散策コース。明治以降に建てられた木造城郭建築物としては全国最大規模である金沢城。 復元にあたっては、石川県内の熟練した宮大工たちが日本古来の工法で建設されて釘を一切使っていない伝統的な木造軸組工法。職人たちの卓越した土塀などの素晴らしい木造建築には目を見張った。









更に、森の中を歩くと玉泉院丸庭園が見える。






玉泉院丸庭園は、加賀藩三代藩主「前田利常」による寛永11年(1634)の作庭を始まりとし、その後五代「綱紀」や十三代「斉泰」などの歴代の藩主により手を加えられながら、廃藩時まで金沢城内玉泉院丸に存在していた庭園。
一人、見晴台で庭園を眺めていると、ボランティアガイドさんが声をかけてくださり、写真を写しましょう。と声をかけて下さった。画像は未だカメラの中。投稿写真はスマホ写しです。
続けて、色々ガイドして下さった。

饗応の場として活用された「兼六園」に比べ、藩主の内庭としての性格が強い庭園だったようです。庭園は、城内に引かれた辰巳用水を水源とする池泉回遊式の大名庭園で、池底からの周囲の石垣最上段までの高低差が22mもある立体的な造形でした。滝と一体となった色紙短冊積石垣などの、意匠性の高い石垣群を庭の構成要素とする、他に類を見ない独創的な庭園であったと教えて下さった。石垣は職人繋がりで京都から態々取り寄せたとのこと。

玉泉院を抜けると、イモリ池から21世紀美術館方面に抜ける。

金沢観光と言えば兼六園は外せないと思うけど、静かに散策出来る金沢場内がオススメと、感じた次第(^^;;
敷地、兼六園の3倍はあるそうです。高低差もありウォーキングにも最適。