しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

横浜の中華街は年々大きくなるようです

2020年02月06日 | バイク&キャンカー&鉄道&船旅
・                       【横浜の中華街には沢山の門で囲まれています】

中華街には沢山の門があります、写真に撮っただけでなく横浜スタジアム側にも石川町駅側にもあります


・                 【それぞれに門の名前がついていました】

門には名前がついていまして、外側に門があって内側にもある2重になっている所もあります

(中華街とは山下公園、元町運河、石川町運河、横浜スタジアムに囲まれた約1km四方を言います)

ここから離れても中国人コックが営む中華の名店が散らばっています


・                 【関帝廟にもたくさんの人が集まってます】

中国のお寺さんで太くて長い線香の煙がいつも漂っています

「 横浜に關帝廟が開かれて、まもなく150年。それは幕末から現在へと連なる、横浜華僑華人の歩みと重なります。
 横濵關帝廟の創建
 日本が開国して横浜の港が開かれたのは、幕末の1859年。多くの中国人が商人や職人として横浜を訪れ
 外国人居留地(現山下町)で暮らすようになります。
 それからわずか数年後の1862年、一人の中国人が關羽の木像を抱いて、現在の地にささやかな祠を開いたと
 いわれます。これが横浜の關帝廟の始まりです。故郷を離れての暮らしには不安が募ります。
 關羽の祠は日々の暮らしの安寧や商売繁盛を願う華僑の心の拠りどころとなっていきます。
 1871年、華僑たちの募金によって、本格的な關帝廟が建立されました。 」ネットより


・              【中華街を貫くメイン道路があります】

昔からメイン道路と元町側に関帝廟通りがあって中華料理のお店がひしめき合ってました、二つの通りを結ぶ何本もの小路にも
お店は密集していまして中華街は増殖中です


・            【バイクは通れますが車での走行は人に囲まれます】

昼までは一方通行の車両通行ができますが、満員の盛況ですから通るとしたら強硬突破の僕や業務用の軽トラック位です

(小さなバイクや自転車でも通れますが、人混みの中では危険でし、午後は歩行者天国になります)


・            【僕が結婚披露宴を挙げた華正樓がありました】

48年前に結婚披露宴を挙げた華正樓でした、会社の忘年会でも利用しました、信者でもないのに大岡川のカトリック教会で
結婚式を挙げて流しのタクシー使って中華街に集合して頂きました、あの時の岩永神父さんはもういません

(神父さんは長崎へ行かれましたが、すでに亡くなっていると思います、結婚式の費用を渡すのに教会で司会役から
 幾ら渡せばいいの?司会役から目配せされて3万円のつもりで指を3本立てたら、彼は3千を渡したそうです
 と後から聞きました、あの時みんな貧しかったのです、一言も文句を言わずに会場を提供してくれて
 聖歌隊も出て歌ってくれました、今でも申し訳ない気持ちです)


・            【この門をくぐると山下公園に出ます】

今回食事はしませんでした、久しぶりに見る中華街ですが、よく通った関帝廟通りにあった一番安いランチのお店は
無くなっていました、評判が良かったのでメイン通りに引っ越したと思います、変わらないようでも中華街は変わって
いるのでした

(昔は料理や土産のお店だけで易や占いのお店は無かったように思います)



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