・ 【標津には立派な「さけの博物館」がありました】
【サケの水族館】
「標津サーモン科学館は、”サケ”の水族館です。
世界に生息しているサケの仲間18種30種類以上を展示しており、
サケ科魚類展示数は国内で一番多い施設です。」
建物も堂々たる物でした
・ 【階段椅子のようになってますから団体さんが記念撮影するコーナーだと思います】
これだけ立派だと入場しないわけには参りません、朝早くて閉門中です、2,3台のライダーさんが恨めしそうです
水族館の標識があっても「サーモン科学館」になっていますから、アカデミックな展示も行われているはずです
広い駐車場には車が1台も停まっていません
(小雨振る中、こんな所には長居は無用です!)
ひよっとすると「サケの水族館」と「サーモン科学館」は両方あるかもしれません
・ 【サケは遡上すると1m以上の大きさになります】
生き物大好き人間ですから興味が沸きますが、閉まっている以上どうすることもできません
170万人も来た博物館ならなお更見たいと思います、川の途中に位置していて遡上するサケを間近に見えるはずです
(北海道へ上ってくるサケは一般には白ざけという種類で、河口の定置網で水揚げされて
塩漬けに過去してお正月用の新巻に加工されます)
車が一台もない広大な駐車場です
・ 【「サケの水族館」は多分川に面して立っているはずです】
立派な塔も立っています、あの上に上れば標津町の町並みや川の流れも見れるはずでした
訪問は次回の楽しみと致しましょう
北海道はどこを見ても広いのです
・ 【水族館の隣には広大な広場までありました】
緑の草原はキャンプ禁止の立て看板もありません、海沿いのキャンプ場はお安いはずですが
こちらに来ると無料でキャンプができると思います、一人では余りにも寂し過ぎますが友達と一緒ならばここでも良いと思います
(北海道でも指定場所以外でキャンプすると怒らる可能性はあります)
記憶が薄くなっていまして、このSLの場所がどこか定かでなくなっております
・ 【SLの遺物展示は様々ありますが、ちょいと痛みが激しいね】
一度は塗り固められてはいます、長年の風雪にさらされると無残に移ります、保存するならせめて屋根をかけて下しさい
できなければスクラップにしても良いと思います、遅かれ早かれSLは効率が悪く手間も人手も掛かる物なのです
ノスタルジー的な思い出だけで残しておきたくないです
このまま朽ち果てるのは可愛そうです!
・ 【標津町にも昔SLが走っていたのです】
北海道は大きく星の形をしてまして、大きく外側を回るよう鉄路が走ってました、稚内から樺太まで連絡線も
通っていました、襟裳岬は人が住んでいませんから鉄路は浦河、様似あたりまで、帯広から大樹あたりまで延びていました
廃線がない限りどこまでも伸びて言ったのです、炭鉱の閉山、モータリゼイションや道路網の普及により
JR北海道としての採算性によって急速に鉄路の廃線が実施されました
(時代の流れに違いありません、老兵は去り行くのみなのです!)
【サケの水族館】
「標津サーモン科学館は、”サケ”の水族館です。
世界に生息しているサケの仲間18種30種類以上を展示しており、
サケ科魚類展示数は国内で一番多い施設です。」
建物も堂々たる物でした
・ 【階段椅子のようになってますから団体さんが記念撮影するコーナーだと思います】
これだけ立派だと入場しないわけには参りません、朝早くて閉門中です、2,3台のライダーさんが恨めしそうです
水族館の標識があっても「サーモン科学館」になっていますから、アカデミックな展示も行われているはずです
広い駐車場には車が1台も停まっていません
(小雨振る中、こんな所には長居は無用です!)
ひよっとすると「サケの水族館」と「サーモン科学館」は両方あるかもしれません
・ 【サケは遡上すると1m以上の大きさになります】
生き物大好き人間ですから興味が沸きますが、閉まっている以上どうすることもできません
170万人も来た博物館ならなお更見たいと思います、川の途中に位置していて遡上するサケを間近に見えるはずです
(北海道へ上ってくるサケは一般には白ざけという種類で、河口の定置網で水揚げされて
塩漬けに過去してお正月用の新巻に加工されます)
車が一台もない広大な駐車場です
・ 【「サケの水族館」は多分川に面して立っているはずです】
立派な塔も立っています、あの上に上れば標津町の町並みや川の流れも見れるはずでした
訪問は次回の楽しみと致しましょう
北海道はどこを見ても広いのです
・ 【水族館の隣には広大な広場までありました】
緑の草原はキャンプ禁止の立て看板もありません、海沿いのキャンプ場はお安いはずですが
こちらに来ると無料でキャンプができると思います、一人では余りにも寂し過ぎますが友達と一緒ならばここでも良いと思います
(北海道でも指定場所以外でキャンプすると怒らる可能性はあります)
記憶が薄くなっていまして、このSLの場所がどこか定かでなくなっております
・ 【SLの遺物展示は様々ありますが、ちょいと痛みが激しいね】
一度は塗り固められてはいます、長年の風雪にさらされると無残に移ります、保存するならせめて屋根をかけて下しさい
できなければスクラップにしても良いと思います、遅かれ早かれSLは効率が悪く手間も人手も掛かる物なのです
ノスタルジー的な思い出だけで残しておきたくないです
このまま朽ち果てるのは可愛そうです!
・ 【標津町にも昔SLが走っていたのです】
北海道は大きく星の形をしてまして、大きく外側を回るよう鉄路が走ってました、稚内から樺太まで連絡線も
通っていました、襟裳岬は人が住んでいませんから鉄路は浦河、様似あたりまで、帯広から大樹あたりまで延びていました
廃線がない限りどこまでも伸びて言ったのです、炭鉱の閉山、モータリゼイションや道路網の普及により
JR北海道としての採算性によって急速に鉄路の廃線が実施されました
(時代の流れに違いありません、老兵は去り行くのみなのです!)
これが本当の「冷えとり」の手引書 | |
PHP研究所 |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます