無明長夜もかくばかり…

食のこと、家族のこと、ペットのことや日々の雑感… 
手探りをしながら、書き綴っていきたいと思います。

喰う男、喰わせる男

2006-07-30 | 料理


「サトちゃんはさぁ、ラーメン屋になれば?」

家族以外に自分の料理を振る舞ったりすると
大抵、こういう台詞を言われる。
別にオレの料理が旨いというわけじゃない。
「そんなに好きなら」であり、あるいは
オレのデザイナーとしての限界を、暗に示唆しているのかも知れない。
オレ自身、デザイナーという職業を生涯の仕事にできるのかどうか…
あらためて聞かれたり、自分に問うたりしても甚だ心許ない。
しかし、だからといってラーメン屋にだって
そんな簡単になれるものじゃないことは十分に承知している。

先週の土曜日に、家族と義母とで近所の中華屋で晩メシを喰った。
ごく普通の中華屋であるが、どのメニューも旨くて
オレ達家族は、この店の贔屓にしている。
この日は義母も一緒だったため、いつもより余計に色々な品をとった。
次々と並ぶ料理。
毎度見慣れた光景。

その晩、用意しておいた食材で、餃子の仕込みにかかった。
前日から、日曜日は餃子にしようと思っていたのである。
野菜を刻み、豚の挽肉と混ぜて下味を入れていく。
餡が完成すると、皮に包んで試しに焼いてみる。
生肉を使っているので、そのままでは味見ができないためだ。
特にオレの料理は、悪い意味での「男の料理」。
肉や野菜何グラムに対して、塩や醤油やその他の調味料がどれくらいなのか。
いちいち計って入れるなんて事はしない。
その都度その都度、こまめに味見をしながら
最終的に自分が「旨い」という味に仕上げていく。
こんなアバウトな人間に、プロの料理人が務まるわけがない。
途中で味を見て貰ったニョウボが言う。

「いつ行っても同じ味を出すって、凄いことだよね」

そうなのだ。

たまに料理を作る。
チャーシュー、豚の角煮、カツ丼、モツの煮込み…
家族、または知人・友人で喰う分、月に何度か。
この程度なら、そこそこ「旨い」ものは作れる。
しかし、あくまでも喰わせる相手は「身内」だ。
「ちょっとしょっぱいね」くらいは愛嬌のうち。
それで金を取るわけでもないから、当然甘えもある。
「美味しい」という言葉も、また同じだ。
「素人にしては美味しい」「普通に旨い」と同義語で
もしこの料理が店で出てきたら、特別に旨いと思うかどうかは甚だアヤシイ。
素人だから許されるが、金を払ってまで喰いたいかとなると、また別であろう。

一定レベルのものを、何十食分も
しかも毎日作らなければならないのがプロだ。
餃子といういわば当たり前の喰いものを、毎日こんな調子で作っていたら
たちまちのうちに体力は消耗し、店は潰れてしまうだろう。
もちろん、毎日作っていれば自然と己のレシピも出来るだろうし
当然の事ながら、手際もよくはなるだろうが
それでも普段何気なく喰っている中華屋の普通の餃子を作ることが
如何に凄いことなのかを実感させられる。

そんな苦労をしながら、土曜日の夜中まで仕込みを続ける。
日曜日の昼に、いくつか焼いて昼食にした。
で、さっきのニョウボのセリフだ。

「いつ行っても同じ味を出すって、凄いことだよね」

しょっぱかったらしい。



改めてキャベツを刻み込んで、味の調整をする。



晩メシは「羽根付き餃子」
ニョウボが言う。

「肉の味がしない」
「うるさいなぁ。コレは野菜餃子だよ!」
「あっそ。なら美味しい」

自分のテーシュなのに、いや自分のテーシュだからこそ
この人の批評はいつも厳しい。
ましてコレが赤の他人だったら…
そんなことを考えはじめたら、とてもじゃないが商売などしようとは思わない。
ヨレヨレになるまでデザイナーとして頑張って
プロの作る旨いものを喰って、たまに趣味で料理する程度でいいのかも知れない。

梅雨の明けた、ある日曜日のお話…




雑踏の街に吹いた美ら風

2006-07-29 | 雑感


昨年の7月に、新宿で開催されたエイサー祭り。
これはたまたま「週一の楽しみ」で新宿に行ったときに偶然見た。
てんもりさんのブログで、紹介されていた記事を読んではいたが
正直、「高円寺の阿波踊り」や「浅草サンバカーニバル」じゃないが
やはりこうした祭りは、本場で見るものだという意識があり
イマイチ盛り上がれなかったのは事実であった。

昨年の9月に沖縄に行った。
初日の夜のこと、国際通りにある喜納昌吉さんのお店「チャクラ」で
沖縄のエイサーを見て、その迫力に圧倒された。



ライブハウスという空間での、小規模であるが故の迫力だったかも知れないが
勇壮な踊り、重厚な太鼓の音は素晴らしく心に響くものであった。
その感動をもう一度ではないが、今年はネットで予め調べて出かけていった。

その前に、まずは腹ごしらえだ。
新宿と言うことで、せっかくだから今回はラーメンにせず
讃岐うどんを喰うことに決めた。



『東京麺通団』である。
場所は小滝橋通り。『麺屋武蔵』をはじめ、有名ラーメン店が軒を並べる激戦区。
『東京麺通団』は、ひとつ路地を入った場所にある。
ちょうど1時をちょっと回った時間ということもあるが、店内はほぼ満席。
注文したのは「ひやかけ」
それにセルフサービスでテンプラなどを乗せていく。



目移りするほどの品揃えから半熟玉子天、ちくわ天、それにおにぎりを二つ。
喉越しのいい、コシのある麺を冷たい出汁で啜りこむ。



腹もくちくなったところで、いざ新宿通のエイサー会場へ。
昨年はもっとゆっくりと、いい場所で見られたのだが
今年は、まさに立錐の余地もないほどの盛況で
いいカメラポジションが確保できない。
人と人とのすき間から、腕を伸ばして何枚か撮ってみた。





調べてみると、いろいろな地域に「エイサー」の団体がある。
考えてみれば、うちのニョウボだってニッポン人のクセにフラメンコをやってるし
最近では奥様連中の間でフラダンスが静かなブームだそうだ。
このエイサーは、なによりも衣装がカッコイイ。
もし近所に、エイサーの同好会でもあれば入りたいくらいだ。
一糸乱れぬ踊りは、とにかく素晴らしい。
身体を動かすので、健康にもいいだろうし
太鼓を思いっきり叩けば、ストレス発散にもなりそうだ。

てんもりさんのブログで拝見した本場のエイサーでは
夜店のハイカロリー屋台が並んでいて、オレとしてはこれも楽しい。
さすがに新宿ではそういうわけにもいかず
沖縄の名産品の屋台が何軒か出ていた。



仕事の都合もあり、1時間ほど見て
後ろ髪を引かれる思いで帰ってきたが
また来年も見たいものだ。

東京の讃岐うどん、エイサー、阿波踊り
ニッポン人のフラメンコにサンバカーニバル
ニッポン人が作るフランス料理に
アメリカ人が握る寿司…

地域を越え、国を越えていいものを見てみたい。
いいものを知りたい。真似してみたい。
すべては好奇心から始まる。
伝統的な行事を、伝え継がれた技を知り
そしてそこからまた新しいものが生まれ
すべてが育ってゆく。

雑多な人たちの集まる新宿の街に
エイサーの掛け声と太鼓の音が響き渡る。
雑踏の街に“美ら風(ちゅらかじ)”が吹いた土曜日の午後の話


ファーストフード小宇宙

2006-07-26 | 


まだオレが小学生だったか、中学に上がりたてくらいの頃だったか
姉が当時流行の最先端だった、銀座の歩行者天国に連れていってくれた。
当時の人気番組「ヤングオー!オー!」では、まだ発売したてのカップヌードルを
ホコテンを歩きながら喰うCMが流れていた。
初めてそこで喰ったフレンチフライは、子供心に感動したものだ。
中学の頃、友達と連れだって千葉までカラテ映画を観に行った。
その時に初めて喰ったマクドナルドのハンバーガー。
同じく中学の時、友達の弁当箱にデッカイ鶏の唐揚げが入っていた。

「何?コレ」
「知らねぇの?ケンタッキーだよ。バカうめぇぞ」

この時期、まだまだ世間知らずの松戸のラーメン屋のセガレは
色々と新しい喰いものに出会った。
ファミリーレストラン、コンビニエンスストア、ファーストフード。
これらの台頭が、後に自分の家の商売を脅かす存在になるなどと思いもしなかった。
学校の部活の帰り、いつもハラペコだった若き胃袋を満たすものは
帰り道にあるパン屋だったり、駅にある立ち喰いそば、カレースタンド。
食欲はあっても金の無かったオレ達は、いつも安くて旨いものに飢えていた。
そして何より、新しいものに飢えていた。
友達や先輩と、駄菓子屋に毛の生えたようなパン屋の店先で
アンパンや、肉まんを頬張りながらワイワイと駄弁るのが好きだった。
家に帰ればオフクロの作ってくれる旨い飯があったのに、である。


「帰りにケンタッキー、買ってきて」

ニョウボから会社に電話があった。
中学の頃、初めて喰ったアメリカの鳥の唐揚げ。

あれから30余年…



晩メシの食卓にケンタッキーの包みが店を広げる。
チキンはもとよりツイスターだのポテトだの
ビスケット、コールスロー、コーンサラダ
ケンタッキーも随分メニューが増えた。
ビールをやりながら、手づかみでムシャムシャと喰う。
その下品さが、ファーストフードの醍醐味でもある。

例によって例の如く、ファーストフード画像の一気だし。

トザイ、トーザイ
親は代々狩人で、親の因果が子に報い…関係ないが…
とにかく寄ってらっしゃい見てらっしゃい



オレの一番のお気に入りは『モスバーガー』だ。
中でもヒット作品は「きんぴらライスバーガー」に「チリドッグ」
モスチキンとオニオンリングも是非添えたい。



定番の『マクドナルド』では、やっぱりテリヤキバーガーが最高。
テリヤキソースとマヨネーズで、手と口の廻りとベタベタにしながらかぶりつく。

意外に好きなのが『ウェンディズ』



カツカレーサンド



中でも最高に旨いのはホットチリだ。

最近てんもりさんのブログで度々紹介されている『ネイサンズ』は
2年ほど前に原宿に行ったときに初体験。



日本風にアレンジされた店が多い中、いかにもアメリカ!という
お下品でシンプル。ボリュームたっぷりの大雑把さが嬉しい。
デーンと飛び出したソーセージに、オニオンをタップリと乗せて。



『ミスタードーナツ』。
ここでドーナツ喰わないで「汁そば・肉まんセット」というのもどうかと思うが…



でもさぁ、でもなぁ…

やっぱり日本人に生まれてよかったと思うのだよ。
ジャパン・ファーストフードの立ち喰いそば。
中学生になって、一人で駅の蕎麦屋にはいることは、
大人の仲間入りをしたようで嬉しかったものだ。



『小諸そば』の月見そばには、イカのテンプラを添えて。



『富士そば』は同じく月見そばと半カレーのセット。

ファーストフードの小宇宙
嗚呼…無明長夜もかくばかり…


漫画の神様

2006-07-24 | 趣味


娘の誕生会での事。
将来は漫画家になりたいという娘に向かって
例によって義母や、いつもの印刷屋の社長らの
例によってお小言めいた説教に近い、アドバイスが始まった。

実は義母の姪、ニョウボには従兄弟に当たる女性の旦那さんが
漫画家だということを最近知った。
大変申し訳ない話だが、オレは全然知らなかったのだが
名前を挙げれば、結構有名な漫画家なのだという。
叔母がその著作を送ってくれたのだが、なるほど言われてみれば
マニア受けのしそうな作品だが、叔母の話によると
この作品で家を建てたというので、売れっ子であることは間違いないだろう。

オレも漫画家を夢みた時期があった。
年を重ねるにつけ、自分には漫画家になる才能がないという結論に達したが
それでも「絵を描く」ことを学ぶ学校に行き、そういう仕事にも就いた。
友人にも漫画家が居て、縁あって仕事を拝見したり
締切間近になって、仕事の手伝いをさせられたこともある。
漫画家の仕事というのは大変な作業である。
絵を描く才能はもちろんだが、話を作る才能も必要だし
何よりも机に何時間も向かってコツコツと描き続ける根気
そしてそれに耐えうる体力と、数え上げたらキリがない。

漫画家は漫画ばかり読んでいたってダメである。
漫画の世界だけ知っていればいいというワケじゃなく
上質の小説も映画も観なければならないし、何よりも「今」を知らないといけない。
もちろん漫画家に限ったことではないが。

「じゃあ、誕生日のプレゼントに『紙の砦』を買ってやる」

誕生会の席で、娘に約束してしまった。
『紙の砦』は、“漫画の神様”手塚治虫氏の自伝漫画だ。
第二次世界大戦時代、学生だった手塚少年を描いた作品は何編かあるが
その中でも『紙の砦』は大傑作だと思う。
漫画を描くという行為さえ「非国民」と言われた戦時中
大人達の目を盗んで漫画を描き続けた手塚少年の話は
漫画家になろうかという娘にとって、読んでおいて損のない作品だと思ったからだ。
同じく戦時中を生きた漫画家の自伝的作品に、
ちばてつや氏の「屋根うらの絵本かき」、「練馬のイタチ」も傑作だ。
ちばてつやさんと言えば「あしたのジョー」が有名だが
上記作品に加え「蛍三七子」「あるあしかの話」等、
短編に珠玉の名作が多い。それも併せて、娘に読ませたい。
オレは早速池袋にバイクを走らせた。
池袋最大の書店「ジュンク堂」に行ってみると、手塚治虫コーナーが設けてあり
お目当ての『紙の砦』を発見したまではよかったが
立ち読み防止対策から、ビニールでパックされており、
『紙の砦』以外の収録作品が分からない。
オレが実家に持っているものと違うため、暫く悩んだ。
『紙の砦』以外にも、やはり戦時中の話を描いた『すきっ腹のブルース』や
『ゴッドファーザーの息子』なんかも面白い。
こうなるともう制御が効かなくなってきて
アレも読ませたい、コレも読ませたいという思いになってくる。
とりあえず『紙の砦』を押さえておいて、『練馬のイタチ』を探すのだが
コレがなかなか見つからない。
プレゼント用にラッピングをして貰いたかったので、出来るならまとめて買いたい。
一旦ジュンク堂を出て、池袋界隈にある漫画専門店を探し歩くのだが
この漫画専門店というところ、手塚治虫作品やちばてつや作品の品揃えが薄い。
いわゆるマニア向けというか、オタク向けの品揃えなのだろうか。

漫画に限らず、小説であれ音楽であれ
まず基本を押さえておきたいというのが、オレの考え方で
この人ならこの作品、このミュージシャンならこのアルバム
もっと言えばジャズならこの人、ブルースならこの人という風に
基本中の基本を知りたいというのが、オレの正しい関わり方なのだが
しかしそれは結局、今のヒトタチにはドーでもいいことなのかも知れない。

漫画家になりたいヤツが手塚治虫を読まないでドーする!

などと鼻を膨らませてみたって、悲しいかなもう仕方のないことかも知れない。
漫画専門店での手塚治虫の扱われ方を見れば、それは一目瞭然だ。
むしろジュンク堂や、芳林堂といった老舗の方が大事に扱われている。
結局、ちばてつや作品は手に入らず、とうとう高田馬場の芳林堂まで来て
『紙の砦』『ゴッドファーザーの息子』の2冊を買って、ラッピングして貰った。

うちの娘は、この年代にしては好みが変わっていて
今時ちばあきおさんの『キャプテン』だとか、
魔夜峰央さんの『パタリロ』なんかを好んで読んでるくらいだから
イマドキのオタクの皆さんよりは、古いものにも理解はあるのだが
オレ自身にも言えることだが、薦めらるものは受け入れがたいと言うか
後回しにするというか、天の邪鬼なところがある。
やっぱり自分の目で見て、自分で選び、自分の判断で
自分の金で買った作品の方を優先してしまうものだ。

オレが結婚して、自宅から持ち込んだ手塚治虫さんの『火の鳥』や
『ブッダ』なんかは、見る影もなくらいボロボロにされてしまった。
見方を変えれば「擦り切れるほど」読んだわけで、それは本望ではあるが
綺麗に揃えたものを、雑に扱われるのは気持ちがよろしくないのも事実。
だから今も実家の書棚に眠る、古くて価値のある手塚治虫作品などは
絶対に持ち帰らないようにしている。
もう少し本というもの自体を大事に扱ってくれるようになったら
これらの作品も見せてやりたいと思っている。

漫画の神様の残してくれた、大事な遺産。
その輝きは時代を超えても色褪せることなく永遠である。


週一ラーメン放浪記-02

2006-07-22 | 
さてさて

またまた「週一の楽しみ」一気出しである。
デジカメを買い換えてから、画像のクォリティはだいぶ上がったものの
やはり心配で、2~3枚撮るのだが、やっぱり店内の照明の関係や
手ブレはだいぶ治まったものの、時折あるピンボケ。
しかし、新しいデジカメはやっぱりいい。
というわけで、あれから色々喰いました。
子供らが夏休みで、オレも弁当が無くなったので
最近は週2くらいになっちゃってますケド…

まだ梅雨は明けないが、かなり蒸し暑いこともあり
最近はつけ麺を喰うことが多くなった。




秋葉原にある『活力屋』
麺の器はステンレス、つけダレが陶器の器に入っている。
やや細い麺だが、コシがあってなかなか旨い。
何よりも素晴らしいのは、器が持てないほどつけダレが熱いこと。
つけ麺の宿命は、冷たい麺を入れることにより、つけダレが冷めることなのだが
ここのつけダレは、冷めにくく最後まで美味しくいただける。
もちろんスープ割で、熱いスープで〆。




神田の駅の近くにある『大斗(だいと)』
池袋にある『七福神』という店で修行された方が開いたという。
『七福神』は『大勝軒』で修行された方が開いた店だから
『大勝軒』の孫弟子にあたる。
『大勝軒』特有の甘酸っぱさは、やや押さえられている。

そう言えば『東池袋大勝軒』の落日も近い。
無くなってしまう前にもう一度行きたいところだ。




会社の近くにある『百麺(ぱいめん)』
大きく分けると、横浜の「家系」と呼ばれる味に近い。
店内には、強烈な豚骨の匂いが漂う。
会社の近いこともあり、今までも度々行っていたのだが、
このたびつけ麺がメニューに加わったということで、早速出張ってみた。
この店は細麺と太麺が選べるのだが、このつけ麺の麺はどちらとも違う
いわゆる「平打ち」という、きしめんのような麺である。
トロミを感じるほどの、濃厚な豚骨のつけダレに、固めの麺がよく合う。




道灌山下にある『TETSU(てつ)』
近所には、あの『神名備』がある。
しかに残念ながらあの「日本一美しいラーメン・神名備そば」
販売終了となってしまったため、行く楽しみが無くなってしまった。
同じく美しいラーメンだった秋葉原の『山彦』は閉店。
うまい塩ラーメンを喰わせてくれる名店だったのに…
(あ、『神名備』は現在も営業中デス)

まるで種類の違いラーメンであるから、
まさか「神名備そば」販売終了の影響ではないのだろうが
この『TETSU』は、最近行列が長くなってきた。
ここもつけ麺の弱点の克服を図る店である。
メニューには、麺を熱くした「あつもり」の他に「つけあつ」というのがあり
400gの麺を、通常のつめたい麺と、熱い麺に器を分けて出てくる。
しかも他店の「あつもり」と違い、出汁の張った器に麺が入っている。
釜揚げうどんのようなものか、これは新しい試みかも知れない。
そしてスープ割には、「焼け石」が一緒に出される。
網の上で熱した石をつけダレに入れると、ジュッと音がして
冷めたつけダレに熱が戻る。
麺は太い縮れ麺で、歯ごたえ、喉越しも充分満足。

もちろん暑いからってラーメンを喰わないワタシではない。




神保町の『麺者服部』
魚介の出汁が利いたスープの「盛り合わせらーめん」。
この時、店内で女性が喰っていた「ジュレジューシー」という夏限定のラーメンは
見た目が綺麗な逸品であった。夏のうちに喰っておきたい麺だ。




たまに喰いたい博多ラーメン。
本郷にある『由○(よしまる)』は、以前『福のれん』という店だった。
都内では何軒もあるチェーン店だが、喰ったのは今回初めて。
ランチには「明太子ごはん」「高菜ごはん」といった
そそられるセットメニューもあるが、今回は普通のラーメンに替え玉。
トッピングに「辛子高菜」。グッと辛くて深みも出てくる。




仕事場の近くの『四万十』はランチ時にプラス100円で日替わりの小どんぶりがつく。
この日はミニ麻婆丼。

さて、つけ麺の名店をはずすわけにはいかない。




目白の『丸長』
大勝軒系列の甘酸っぱさを抑えた、すっぱ辛い特有のつけダレは
クセになること間違いなし。
先日、てんもりさんがお見えになったときお勧めしたのだが

残念!

これだけを喰いに沖縄から来たって、決して損はしない絶品の「つけそば」
あえて説明は無し。
喰わずに死ねるか?!

と、撒き餌をカマしておこう。


18歳の思い出

2006-07-21 | 雑感


娘が18歳になった。
保育園かと思ったら、小学校に
小学校かと思ったら、中学から高校へ。
まさに10数年がアッと言う間に過ぎてしまった。
年をとるごとに1年1年が早く感じる。
18年分の1年と、46年分の1年。
同じ1年でもまるで違う。
ふと、自分が18歳の頃のことを思い出した。

高校を中退したオレは、そのままデザイン専門学校に入り、
18歳の頃にはすでに就職して、アニメーターになっていた。
18歳の誕生日のことは、実は凄く印象的に憶えている。
従兄弟のお兄ちゃんと、その友達と何人かで浅草に遊びに行った。
姉が当時働いていた会社で、ドリフターズのショーの招待券を貰って
それを見に浅草に行ったのである。
一部が映画で「クーパーとゲーブル」という、愛川欽也さんと
タモリさんの共演する喜劇映画。
2部がドリフターズのショーという構成。
そのあと、みんなで初めて回転寿司を初めて喰った。
しかし、オレは18歳になった曉に、どうしてもしたいことがあった。
ポルノ映画を観に行きたかったのである。
お笑いめさるな。
まだアダルトビデオも、インターネットもない時代の話である。
しかも当然のように彼女も無し。
なにか悶々とした気持ちと、18歳になった高揚感。
晴れて成人映画が観られる年になったのだ。
若き、熱き気持ちの高ぶりを考えれば至極当然の事なのである。
つくづく男は馬鹿なものだと思うが、むしろそれが健康なことなのだ。
(言い訳に聞こえるでしょうな…)

自分の18歳の頃から比べると、うちの娘なんぞ可愛いものである。
早く彼氏でも作って、デートの一つもして欲しいものだが
コヤツ、そういった色っぽいことはまるで無縁で
どこに行くのも弟と一緒。それにつき合う弟もどうかと思うが…

そんなわけで、いつもの恒例行事で
義母、義兄とその彼女らと、誕生会を行った。
娘が大好きな鰻、土用の丑の日も近いこともあり、
池袋はサンシャインにある「伊豆榮」に集まった。



前菜には「うざく」という鰻の酢の物。
ワサビを効かして喰うと、サッパリとして旨い。



肝の串焼きは、肝特有の苦みがあって、酒の肴には抜群だ。



刺身の盛り合わせをとり、ビールから日本酒に切り替える。
やはり和食には日本酒がいい。



鴨茄子の田楽



柳川鍋



鰻の白焼きは、わさび醤油でいただく。



メインはやっぱり鰻重。

「18歳になった豊富は?」

義母が聞く。

「う~~~ん、精神的に大人になりたい」

結構結構。まだまだ普通の18歳に比べれば子どもっぽい娘だが
実感よりも自覚。
誰が何と言っても、18歳ともなれば立派な大人だ。
まだ酒やタバコはいけないが、車の免許も取れるし
同じ年代で、既にお母さんになる子だっている。
まさか女の子だからポルノ映画ってわけにはいかないが
つまり、そう言うことも許される年になったのだということだ。

いつか年をとったときに、自分の18歳の思い出を語る日も来るだろう。
やがて出来るであろう、我が子にその時の思い出を語れるよう
もっともっと楽しめ!


読んでから観るか 観てから読むか

2006-07-17 | 映画


遅ればせながら、ようやく「ダ・ヴィンチ・コード」を観てきた。
ニョウボは映画化の決まる以前に原作を読んでおり、
オレは映画化が決まってから、公開前に合わせて読んだ。
なにしろ全世界で6000万部という大ベストセラーである。
映画化に際しては、アカデミー賞俳優のトム・ハンクス、ジャン・レノといった
人気俳優が主演するというので、弥が上にも前評判は高まり
テレビでも特番を組むという、まさに大騒ぎである。
キリスト教というものに無知なオレなど、
正直言って「だからなんなの?」という結末なのだが、謎解きという要素も面白く
ミステリー作品として楽しめたから、この映画は楽しみにしていた。
しかし、なんだかんだと延ばし延ばしにしているうちに、
あまりよくない評判を耳にするようになった。

曰く「分かり難い」「詰め込みすぎ」

つまり原作を読んでいない人には解りづらく、原作を読んでいる人には物足りない。
ましてキリスト教というものが根付いていない日本では、尚更のこと。
以降、ややネタバレもあるので、まだ観て(読んで)なくて
これから観よう(読もう)という方は、ちょっとご注意を。

ダ・ヴィンチの残した暗号は、極簡単に言ってしまうと
「キリストには妻があり、子供がいた」ということ。
これは、敬虔なクリスチャンにとっては「あり得ない」ことらしいのだが
オレをはじめとして、大抵の日本人にとっては
「へぇ~、で、それの何がおかしいの?」くらいにしか感じない。
この秘密が明るみに出ると、キリスト教の根本が崩れると言われても
イマイチところか、まるでピンとこないのである。
その「重大な秘密」のために殺人事件が起こるわけだが
殺されたジャック・ソニエールが、その秘密を暗号にして
孫娘のソフィー・ヌブーに託すわけである。

小説にして上・下巻に別れた長編を、2時間30分の映画に詰め込むわけだから
正直、ストーリーの説明をするのに精一杯という感じは否めなかった。
ちょうどこの日は、家族4人で観に行ったのだが
オレとニョウボが「ダ・ヴィンチ・コード」を観て、
子供らは、人気漫画の「デス・ノート」という二手に分かれての鑑賞。
同じくベストセラーで、長編の「デス・ノート」でさえ
前・後編という二部に分けての映画化なのだから、
「ダヴィンチコード」も二部作にしてはどうだったかという感じがした。
映画を観終わったときに、ニョウボと話したことが
「この映画、原作読んでない人は解るのか?」という事だった。
二部作とまでいかないまでも、せめてあと30分の上映時間があれば
少なくとも、もうすこし解りやすかったのではないだろうか。

原作を読んだ側からの意見で言うと、まず本作のキモでもある「暗号」。
トム・ハンクス演ずるラングドンが、あっけなくスラスラと解いてしまうので、
ソニエールが命と引換えにしてまで隠した「秘密」にやや重みが欠けてしまった。
また、オプスデイの司教・アリンガローサと
その弟子であり、殺人事件の実行犯であるシラスの師弟関係を
もう少し濃密に描いて欲しかったと思う。
映画だけ観ると、アリンガローサは自己中心的な小悪党で
シラスに至っては、ただの殺人鬼のように描かれてしまっているのが残念だ。
信仰深き故のアリンガローサの苦悩も、シラスの哀しみも
やや薄っぺらに感じてしまった。
特にシラスを演じたポール・ベタニーが好演だったので、
もう少し掘り下げてくれれば、映画もグッと深みが増したのではないだろうか。
その他にも「マグダラのマリア」「フィボナッチの数列」等々…
説明不足で、ある程度の予備知識がないと解らない事も多い。
ある映画のレビューで見たが、この映画をして「小説の挿し絵」という評は、
手厳しいが的を射ているかも知れない。
やっぱりルーブル美術館は美しい。

もちろん贅沢を言えばキリがない。
この長編小説を、原作のイメージを崩さずに2時間半の映画の枠に収めた
ロン・ハワード監督の手腕は「こう撮るしかなかった」のかも知れないが
なかなかのものであったと思う。
同監督の「ビューティフル・マインド」「シンデレラマン」ともに名作である。

映画は観る人によって、それぞれの感じ方があるはずだから
その人それぞれの「名作」「駄作」があっていいと思う。
今回の「ダ・ヴィンチ・コード」に関して言うと
オレとしては、原作を知らずに観て、それから原作を読んで、
更にDVDでじっくり観直すという方法がベストであったかと思う。
あと半年もすれば、DVDが出るであろうから
もう一度じっくりと観直したいと思っている。

子供らが観た「デスノート」は漫画の映画化である。
漫画は絵であるから、映像化されたときにイメージがしやすい。
小説は具体的なイメージがない分、読む人それぞれの頭の中に描いている。

「読んでから観るか 観てから読むか」

角川映画が「人間の証明」の映画化で作ったコピーだが
これは大きなモンダイである。
オレは海外の小説は滅多に読まないのだが
今までの経験から言うと、原作を読んでから映画を観ると
大抵ガッカリすることが多い。
オレの場合、「観てから読む」ほうが合ってるのかも知れない。



未知との遭遇

2006-07-16 | 


子供らのパスポートが出来上がったので、
サンシャインにあるパスポートセンターに出かけた。
買い物や晩メシも今日はサンシャインで済ませてしまおうという事にした。
履き古して、底のゴムが剥がれてしまった靴を買い換えた。
オレのお気に入りは、アディダスのカントリー
今履いているのはホワイト×蛍光オレンジのレアカラーで、
もう10年以上も前に買ったものだ。もちろん10年履き続けたわけじゃないが、
その間色々な靴を履いてみて、やっぱりオレはこのタイプの靴が、
デザイン的にも機能的にも好きだ。
靴屋で物色していたのだが、オレの好きなグリーン×ホワイトが無い。
仕方なく色々と見ていると「モーブス」というブランドの靴を見つけた。
「モー娘」ではない。
オレは基本的に底が薄めで地が白いスニーカーが好きだ。
デザイン的にもカントリーに似ているし、色使いもオレ好み。
店員さんに聞くと、「モーブス」はドイツのブランドで
ここ2~3年人気が上がってきたのだという。
一番気に入ったカラーは、残念ながらサイズの在庫がなかったのだが
クリームの地にボルドー(赤)のラインのものにした。



この他、この夏の旅行に備えてTシャツを何枚か買った。

さて晩メシは何にしようかとなったが、マクドナルドでコーヒーを飲んでいたら
ちょうど店のすぐ前に気になる看板を見つけた。
「釜揚げ讃岐うどん 丸亀製麺」とある。
ここのところ、てんもりさんのブログで見せつけられている讃岐うどん。
東京・新宿にもある『麺通団』にも行ってみたいと思っていたところだ。
頼んだのは「ぶっかけ」の冷、大。
乗せものには、一番気になっていた半熟玉子天が
数量限定で売り切れだったので、定番のちくわ天と温泉玉子した。



どうやらこの「丸亀製麺」はチェーン店で、各地にあるらしいのだが
まさか四国にまで行くわけにはいかない。
悔しいが、コレで我慢だ…
などと思いながら、ズルッと麺を啜る。

うお! なんだこのコシは。

前歯でかみ切れないほどの弾力は、口の中でもまるで麺が踊るようだ。
東京で喰う、安物のヤワヤワの腰砕けなうどんとはまるで別の喰いもの。
これが本物の讃岐うどんというヤツか。
都内のチェーン店でさえ、未知のコシをもつ讃岐うどんオソルベシ!
ラーメンよりもむしろうどん好きのニョウボは大層お気に召したらしく
そばを食えない娘も同様だ。

でも…
サンシャインでの晩メシは「青葉」に定着しつつある昨今。
「丸亀製麺」に取って代わるとなるとちょっと寂しいオレなのだった。

取りあえずは『新宿麺通団』にも行くしかないだろう。



にわとり頭にカンパイ!

2006-07-13 | 家族


頭の中の消しゴム繋がりじゃないが、「にわとり頭」という言葉がある。
「3歩歩けばすぐ忘れる」という事らしい。
うちの子供ら、とくに長女は笑っちゃうくらいの「にわとり頭」だ。
もっともコイツは、多分に意図してやってるとしか思えない節があるが。

例えば…
オレが帰宅すると、ほぼ毎日のように娘に言うこと。
● 弁当箱を出しなさい。
● 麦茶を飲んだら、晩メシ時にみんなで飲めるように作り足しなさい。
● 一日に何度も風呂にはいるのは勝手だが、そのたびに新しいバスタオルを使うな
● 飲み終えたペットボトルは洗って渇かしておきなさい
エトセトラエトセトラ…

とにかく何でもかんでも、やりっぱなしの出しっぱなし。
来年は大学に行こうという年齢になりながら、
こんなことでは恐らく一人暮らしすら出来ないだろう。
アッと言う間にゴミ屋敷になって、大家に叩き出されるに違いない。

ただし、長男にも言えることだが、コイツらは絵に描いたような内弁慶だ。
家の中では無法の限りを尽くすコヤツらだが、一旦外に出ると常識人に一変する。
横断歩道を渡りなさいとか、赤信号で渡っちゃいけないとか
もちろん言ってることは正しいには違いないが、
見渡しても車の陰すら見えない、生活道路の横断歩道では
自己責任というか、大人の常識や判断で無視してしまう事はある。
家の中では、オレやニョウボに怒られることなど屁とも思わないクセに
家の外で他人様に怒られることは、絶対にしない。
その姿勢を家の中でも貫いて欲しいものである。

しかしながら可愛い我が子。
一応、ちょこっとだけここで褒めといてやる。
その「にわとり頭」でもいいことがある。
この二人のいいところは、その「にわとり頭」ゆえか、
後々まで物事を引きずらない、ドライな性格にある。
そして何よりもプラス志向。
このプラス志向に関しては、言い換えればただ単に呑気なだけな気もするが
コップに半分の水を見て「まだ半分ある」か「あと半分しかない」かという
考え方の違いみたいなもので、うちの子供らはもちろん前者。
オレ自身は多いに結構だと思っている。
何よりもオレはコイツらの、そういう性格*に助けられているのだ。


先日オムライスを喰いに行ったとき、娘の将来の話になった。
オレもニョウボも「甘やかしすぎ」と言われかねないほど
子供らのやりたいことに関しては寛容だ。
この時代に「漫画家になりたい」という希望は、いわば博打みたいなものだ。
「東大に入る」事以上に「売れっ子漫画家になる」事は難しい。
しかしそれでも、彼らの希望は叶えてやりたいと思うし
出来るだけ応援も支援もしてやりたい。
親としては当然のことだ。
で、その話の時に、義母がやや厳しいことを言った。
現実的なことを考えれば当然の意見ではあるが、娘の考えとしては
「解ってはいるけどままならないこと」で、いろいろジレンマもあったのだろう。
突然泣き出してしまった。
その場は義母が「おばあちゃん」としてなだめたが、やや場が白けてしまった。
ところが、そのあとグラタンが出来上がってきたら
まるで泣いたことなどなかったかのように、普通に長男と馬鹿話をしている。
3歩どころか座ったまま、3分前のことすら忘れて
グラタンを喰ってゲラゲラ笑っている。

学校は試験が終わって、今試験休み中だ。
朝から晩まで家に居て、一日中パソコンをいじっている。
小さい頃ならともかく、身体はすっかり大人どころか
オレやニョウボよりデカイ図体の二人が、家の中でゴロゴロしていて
鬱陶しいっちゃありゃしないのである。
今年1年生の長男はともかく、娘は毎年補習授業の常習者で
例年この試験休み中は、学校に行って補習を受けていたのだが
今年の試験は、いつもよりちょっとだけ成績が上がったらしい。

「やれば出来る子」という言葉は中学の三者面談で毎度言われたことである。
担任としては「やれば出来る」のに「やらない」というお小言なのだが
どうやら娘は「やれば出来る」を褒め言葉と受け取っているらしい。
実際、ちょっと前に子供が親を殺す事件があった。
成績優秀で、ちょっと成績が下がったことを咎められた事が
犯行のきっかけになったらしい。
子供の能力以上に、過度の期待をかけたが故の悲劇だが
恐らくうちの子供らに限っては心配はなさそうだ。
試験前だというのに、机に向かって勉強してる姿なんぞ見たこともないし
はなっからそんなものに期待なんぞしちゃいない。
勉強しなくても、落第しない程度に点数を取れるのだから
それで充分だと思っている。
何よりもコヤツらのおかげで家庭円満。



にわとり頭にカンパイ!である。


* あまり何度も書くと嫌味にもとられかねないので
ご興味のおありの方は「家族」のカテゴリで過去ログを検索してください。





頭の中の消しゴム

2006-07-12 | 雑感


メールソフトのアウトルックが壊れてしまった。
アドレス帳のデータはもとより、仕事関係で行ったメールや、
知人・友人からのメール、落ち込んでいるときに元気を貰ったメール
すべてが消失してしまった。
ソフト自体を何度インストールし直しても全然機能しない。
アドレスは活きているので、社内のネット環境を管理している会社に連絡し
フリーメールの方に自動的に転送して貰うようにしたため
取りあえずは仕事に差し支えの無いようにはなったものの、
大事に保存してたまに読み返していた、沢山の嬉しいメールが
いとも簡単に無くなってしまったことが悲しい。

コンピュータが仕事から切り離せなくなった今、
仕事の膨大なデータは、すべてハードディスクの中にある。
本来、終わった仕事は、MOやCD、DVDに保存しておくのだが、
進行中の仕事を抱えながら、データのバックアップをすることは
実は結構面倒で、後回しになってしまいがちだ。
今回のメールソフトのクラッシュは、まだ被害自体は少ないが
それでも個人的に大事なデータばかりだったので、少々落ち込んだりしている。
オレの精神的なことより、とにかくなによりも不便である。

しかし考えてみると怖いものだ。
今、携帯電話はとてつもなく便利になった。
アドレス帳、スケジュール管理、メモ帳…
極端に言うと個人情報がすべて入れられる。
外出した際に携帯を忘れたり、携帯を紛失してしまったら
身動きできなくなってしまう人も多いだろう。

ちょっと前に、ネット環境にない知人から手紙をいただいた。
それに対する返信で、久しぶりに手紙を書いた。
そもそも長い文章を書くこと自体、久しぶりだったので、
ワープロソフトで下書きをして、プリントアウトし、添削して
改めて便せんに手書きをするという、いわば時代を後戻りするような
昔なら、普通にやっていた「手紙を書く」という行為が
こんなにも新鮮で、かつ難しいものだと再認識してしまった。


人間はなぜ、あんなモニュメントを建てたがるかわかるかい?
忘れてしまうからだよ。
記憶がどんどん薄れる前に、ああいうものを建てて
忘れないようにする…
ところが俺達はどうだ…
メモリーを消去しない限り、記憶はいつまでも残る…


浦沢直樹さんの人気漫画『プルートゥ』の中の一節である。
世界最高峰のロボットで、ギリシャの英雄・ヘラクレスのセリフだ。
確かに人間の記憶は、時間とともに薄れていくし
生きてきて、すべてのことを憶えているわけではない。
まったく記憶の片隅にすらない事も多い。
しかし、ふと何かの拍子に記憶が蘇ることもある。
“メモリーを消去しない限り、記憶はいつまでも残る”ロボットは、
逆に言うと「メモリーを消去」すれば記憶はなくなる。
人間はそうはいかない。いつまでも憶えておきたいことは
薄れていくと同時に、「いい思い出」として美化されていく。
「いやな思い出」は忘れてしまいたくとも忘れられない。
もし、人間もロボットやコンピュータのように
メモリーを消去できたとしたらどうだろうか。

もう30年近くも前の話だが、死んでしまいたいほどの失恋をした。
相手は小学校の同級生で、オレの初恋の人である。
小学校を卒業後、違う中学校に行ってしまい離ればなれになってしまった。
当然「メール」など無い時代で、その後のやり取りは手紙である。
17歳の秋、別れの手紙を貰った。
「忘れたい」「忘れなきゃ」と自分に言い聞かせ
それまでやりとりしていた手紙を処分した。

しかし今、30年という年月が流れ、
オレもおじさんになったが、彼女もおばさんになった。
もし今、どこかで会えて話が出来たら、きっとあの頃の思い出
オレが彼女を如何に好きだったか、失恋して如何に悲しかったかを
笑いながら「思い出」として話せるだろうと思う。
若さと感情にまかせて、「忘れよう」として手紙というデータは消去したが
今でも彼女の笑顔も、声も憶えている。
初めて告白した日の事や、彼女もオレを好きと言ってくれた事、
初めてのデートでのときめきも憶えている。
年をとって、それなりに刻み込まれた顔の皺だって
キザに言えば、きっと美しいに違いない。

先日、ある仕事関係の飲み会にて、こんな話を聞いた。
うちの会社の株主でもあり、義母のゴルフや呑み仲間、
オレ達夫婦の共通の大恩人でもある、印刷会社の社長の話だ。
齢はまもなく70歳になろうとする、この社長が
何十年振りかで中学校の同窓会に行かれ、当時の初恋の人に再会する。
告白すら出来ずに離れてしまったが、
大好きで大好きで、堪らなかった人だったそうだ。
社長はその同窓会で、当時成し得なかった告白をした。
もちろん社長も既にお孫さんがいるし、おそらくはあちらの女性だってそうだろう。
いまさら「老いらくの恋」などというわけではなく、
あの当時告白できなかった思いを「昔、あなたのことが好きでした」という
想い出話として、話されたのであろう。

「もうおばあちゃんになっちゃったけどね、今でも綺麗だったよ」

誰にでも忘れてしまいたいことがある。
まるでデータをデスクトップのゴミ箱に移動して「ゴミ箱を空にする」ように、
簡単に忘れられたら、どんなに楽だろうと思うことがある。
しかしこれから何年かが過ぎ、何かの拍子に誤解が解けたとき
相手の顔も何もかも忘れてしまったとしたら
あの時、手紙と一緒にすべてを消去してしまったとしたら
「綺麗なお婆ちゃん」になった彼女の顔を思い出せなかったとしたら
それはそれで悲しいことだろう。

アウトルックのクラッシュで、データを無くしてしまった事は悲しいが
あの時貰った気持ちと元気は、いまでも心の中に生きている。

パンパン、ここジャパン

2006-07-11 | 


小学生の頃、給食で出るコッペパンが嫌いで嫌いで仕方なかった。
オレの頃の給食では、米の飯が出ることはなかったから
たまに砂糖をまぶした揚げパンが出ることはあったが
基本的に毎日、皮の固いパサパサのコッペパンで
それにマーガリンやイチゴジャムを付けて喰うのが主食だった。
先生に見つからないよう、喰ったフリをして机の中に隠す。
それでもオレは、毎日家に持ち帰ったのだが、
机の中は毎日残したパンだらけで、その残ったパンが
真っ青にかびが生えて眠っているなんてツワモノもいた。
あの当時のパンは、なんであんなに不味かったのだろう。
今、あんなパンを探せといったって見つかるものじゃない。

一昨年、パリからスペインに旅行に行ったとき
特にフランスで喰ったパンの旨さは格別なものがあった。
朝食で喰うトーストやホットサンド。
昼に喰う、近所にあるパン屋のパンが最近は旨くて仕方がない。

会社のそば、表通りから1本中に入った裏通りの商店街に
旨いパン屋があって、そこがオレの贔屓。
中で最近のヒット商品は「ジューシー超ロング」。



カリッと焼かれたパンの中に、長いソーセージが入っている。
側に置いたタバコと比較していただければお分かりだろうが
その長さは40cmを越える長さだ。
少食な方なら1本で充分に満足してしまえそうな長さ。
もちろんボリュームだけでなく、パンの焼き具合とソーセージとのバランスも絶妙。
ソーセージがチョリソーになっているものもあり、そちらも秀逸だ。
コッペパン一つでも、ピーナッツバターやイチゴジャムといった定番から
小倉餡とマーガリンという、ジャパンならではのもの。



もちろん皮も生地もしっとりとして、抜群に旨い。



新作のブルスケッタはカリッと歯触りのいいバゲットの上に
チーズ、ベーコン、トマトがのっている。

やっぱり極めつけはカレーパンだ。
昼時に行くと、まだ温かさと揚げたての歯触りが残っている。
先日、午後1時をちょっと過ぎた時間に行き、
いつものようにカレーパンをトレーに乗せてレジに行くと

「あ、今揚げたてがありますよ」

と、アツアツのカレーパンに替えてくれた。



コレが最高に旨い。
ザクッとかじりつくと、中のカレーは火傷するほどの熱さ。

本場のシンプルなパンもいいけれど
やっぱりここ、ジャパンに生まれてよかったと思うのだった。



メシ屋でオレは考えた…4

2006-07-10 | 生活


とあるメシ屋で「麻婆豆腐定食」を注文し、
出来上がってくるまでの間、デジカメのチェックをしたり、
テーブルや壁にかかっているメニューを見たりしていた。
狭い店内は8割ほど客が入り、それぞれに自分の飯を黙々と喰っていた。
まだ若い、年の頃なら二十歳ソコソコの大学生風の男の子が
飯の丼を持って厨房の見えるカウンターに行く。
何やら揉めている様子だ。
この店はメニューが豊富で、とにかく安くて旨い。
「ご飯おかわり自由」とメニューに謳う、人気の店だ。
中年のご夫婦が二人で切り盛りしている。

「いや、『おかわり自由』だけど、食べられないなら食べなくていいよ」

話を聞いていると、どうやら少食と思われるこの学生君
事もあろうに「おかわり自由」のサービスに、なにか不満があるらしい。
少食であることを、学生仲間にでもバカにされたのか
それをして「おかわり自由」のサービスを自分に対する嫌味にでもとったらしい。
人の良さそうな奥さんは「じゃ食べなきゃいいんじゃない?」と
笑いながら言っているが、決して目は笑っていない。
旦那さんも同様だ。
学生の手に金を渡している。返金をして帰って貰おうとしたらしい。

ん?

ここで目が覚めた。
午前中の仕事場。
昨夜の夜更かしが祟ったのか、居眠りをしたらしい。
時間にして10分程度。
腹が減っていたとはいえ、妙にリアルな夢を見たものだ。

先週の土曜日、ニョウボが出かけていたので子供らを連れて「松屋」に行った。
半分ほど埋まった席で、やはり学生風の若いカップルが二組。
オレ達のすぐ横に座ったカップルは、焼き肉定食と豚めしのチケットを買い
店員の女の子にそれを渡しながら尋ねる。

「普通のご飯が欲しいんですけど…」

まだ若いバイトの店員は、メニューにない品を頼まれて
ややオロオロした様子で、先輩の店員に聞きに行く。
無事に「ご飯だけ」の注文は通ったらしく、カップルの前に料理が運ばれてきた。
男の子の方は「豚めし」にテーブル備え付けの「焼き肉のタレ」と
紅生姜をタップリと乗せて、女の子の方は「ご飯」に
サイドメニューの生玉子をかけ「玉子かけご飯」にしている。
やや遅れて運ばれてきた焼き肉定食のおかずを二人でつまみ
男の子の方は定食のご飯にも、ときどき箸を運んでいる。

オレの斜め前方の、やはり同じくらいの年代のカップルは
男の子の方が、既に定食を喰い終え、食券機でカレーライスを追加している。
まだ接客に慣れない、若い女の子の店員は
その旺盛な食欲に、一瞬戸惑ったように見えた。
カップルの女の子は、「よく食べるわね」というような
ちょっと呆れたような、周囲の目を気にしたような複雑な顔で笑っている。
男の子の方も同様に照れくさそうな顔だ。

エバって喰え! 羨ましい食欲じゃないか。

これくらいの年齢は、きっと一番楽しい頃なのだろう。
たとえ牛丼屋での食事だって、二人なら楽しくて仕方ないらしい。

先日、会社の近くで食事をしていると、やはり大学生のカップルがいた。
何やら楽しそうに会話をしながら、食事をしていたが
途中から、なんと「しりとり」が始まった。
狭い店内で、回りに丸聞こえの大きな声で
男の子の方は、やや周囲に遠慮がちではあったが、女の子はお構いなしだ。
そうかと思うと、今日は男の子同士の二人組。
大学でバンドを組んで、近々ライブがあるらしい。

「アソコのさ、ラララ~ってオレが歌うとこあんじゃん?
そこでハモってくんね?」

などとでかい声で話している。
日にちの迫ったライブが楽しみで仕方がないといった感じだ。

メシ屋でオレは考えた。

メシ屋というのは人生の縮図だ。
どんなに偉い人であろうが、ここではみんな平等である。
いくら喰っても、喰うそばから腹が減って仕方の無かったあの頃。
大好きな人と一緒にいるだけで、周囲の目など感じなかったあの頃。
熱中するものに、時間を忘れて語り合ったあの頃。

人生は長いようで短い。
年齢を重ねるごとにその思いは強くなる。

子供の感じる一日と、大人の感じる一日は同じ一日でも驚くほど違う。
やりたいことが多すぎて、一日が48時間あったらと何度も思った。
単調な仕事の連続で、はやく一日が終わらないかと何度も思った。
恋人と過ごす、最高の夜は永遠に続いて欲しかった。
回りの人は、自分が主役の恋愛映画の脇役に見えた。
ドラマのタイトルじゃないが、世界の中心で愛を叫びたかった。
この人のためなら死んでもいいと思った。

もたもたしてると、アッと言う間に年をとってしまうぞ。

上り詰めた苦しさから解放されて、勢いよく坂を下る爽快感は
坂を上っているときの、苦しくも充実した気持ちがあるものにこそ与えられる。
しかし小賢しい「大人」の意見や小言なんざぁクソ喰らえだ。
年齢とともに培った経験値は貴重なものだが、
それを理屈でまとめたところで、経験してない事が解るわけがない。

思い切り遊べ。思い切り恋をして思い切り自由をむさぼれ。
たとえ年をとって、後悔しまくりの人生だって楽しんだ方が得に決まってる。


オレは「イカリングフライ定食」を喰いながら
耳障りながらも、楽しそうな会話を羨ましく思っていた。


カレーにすりゃよかったかな…



Always…正調下町洋食

2006-07-05 | 


昨日、家族でカレーを喰っていた時の話。
板橋は旨い店が多いと、ニョウボが言う。
確かにそれには同意するものの、オレと違ってこのヒトタチは
喰いものに対する拘りが少ない。
とにかく、わざわざ出かけていって喰うとか、並んでまで喰うという感覚がないから
「旨い店」の必須条件はまず「近所であること」と「並ばずに済むこと」である。
しかし、これは重要なファクターではある。

仕事場の近所に、洋食屋がある。
弁当じゃないとき、ここで昼食を摂る事も多い。
旨くてボリュームがあるから、近所にある大学生の客も多い。
とくにここの「ナポリタン」は抜群に旨いのである。
もちろん本格イタリアンのパスタに比べると、麺なんざヤワヤワなのだが
こと「ナポリタン」でいえば、これが許される。
洋食屋や、喫茶店で喰うナポリタンとミートソースは、もはや日本食と言っていい。
当然の事ながら、ライスを添えて喰うのも有りだ(自宅限定だが)。

カレーを喰いながら、ニョウボが娘に言う。

「お母さんの会社のそばに美味しいナポリタンがあるのよ」

洋食繋がりで思い出したのか、娘が言う。

「明日、中野のオムライスが食べたい」
「中野?」

よく聞くと、中野区の中野ではない。
義母や、その友人の社長連中の溜まり場のようになっている
「ニューナカノ」という洋食屋のことである。
たまにニョウボも呼ばれ、その際には必ずと言っていいほど
お土産にオムライスを買ってくるのだ。
このオムライスが、まさに「洋食屋さんのオムライス」で
とびきり旨いというわけではないが、安心して喰える旨さで
子供らはこの「おみやのオムライス」のファンなのだ。
持ち帰りで冷めたものより、作りたての方が旨いに決まっている。
というわけで、義母も誘って「ニューナカノ」に出かけた。
場所は東西線・下板橋駅のそばで、昼はランチ、夜は酒呑みが集まる。
寡黙だが笑顔のいいマスターと、威勢のいいママさんのコントラストが面白く
何よりも安くて旨いので、義母をはじめとする
社長連中のファンが毎晩のように集まっている。

奥の座敷に陣取ると、ママさんが常連の義母にいろいろと肴を出してくれる。
それらをつまみにして、大人3人はビールを呑む。
子供らはオムライスだ。

酒の肴に、定食のおかずのみをとる。



自家製ドミグラスソースのタップリかかったロースとんかつ

ここはオムライスの他に、エビグラタンが絶品だ。



上野の松坂屋の大食堂で、初めて喰ったグラタンの思い出。
世の中にこんな旨いものがあったのかと、子供心に感動した
あのグラタンの味、そのものだ。
カリッと焦げた表面の膜を崩すと、トロリと濃厚なベシャメルソース
懐かしく幸せな味…

ひとしきり呑んで、さてオレも飯を喰いたいとメニューを眺める。
洋食屋の定番メニューは眺めているだけでもウキウキとしてくる。
焼き肉ランチに豚の生姜焼き、カレーやスパゲティにミックスフライ。
どれを喰っていいのか迷うが、やっぱりオレもオムライスにした。



う~~~ん、マスターめ。
さっき頼んだ子供らの分は、綺麗に卵でくるんであったのに
閉店間際で手を抜きやがったな。
しかしながら、もちろん味にモンダイは無し。
洋食という名の立派な日本食だ。

正しき懐かしき東京の味。
Always…下町の正しい、懐かしい洋食


黒いカレー

2006-07-04 | 伽哩


子供の頃、好きだった漫画に「庖丁人味平」があった。
オレの年代の方なら、夢中になって読まれた方も多いだろう。
その中にエピソードに「カレー戦争」がある。
主人公・味平に対する、宿敵は6000ものスパイスを嗅ぎ分ける鼻を持つ
名前もズバリ!“カレー将軍”鼻田香作(素晴らしきネーミングこそが漫画の醍醐味だ)が
最終兵器として作りあげた、究極のカレー「ブラックカレー」。
子供ながらにワクワクしながら読んだものだ。
この「庖丁人味平」では、各エピソードに荒唐無稽ともいえる料理や調理法がある。
チャーハンの究極のスパイスが、鍋を煽る料理人の「汗」による塩気などという
客観的に考えると「ウエッ」となりそうなものであったりしたが
ガキの頃は「あ~なるほど」などと妙に納得していたものだ。
で、この究極のカレー「ブラックカレー」には中毒性があり、
それもそのはず、実は麻薬が入っていたというトンでもない落ちであった。

仕事が終わり、晩メシの時間が近くなった頃、
携帯にニョウボから電話が入った。
近所の駅前にある「カレーハウス CoCo壱番屋」(通称ココイチ)に行こうという。
ちょうどこの日は、昼からカレーが喰いたくてしょうがなかったので
では、というので店の前にて待ち合わせだ。
やや早めに着いて、店の前でメニューを眺めていると
まさにその「ブラックカレー」のポスターが目に付いた。
夏季限定メニューの「特選黒カレー」とある。
イカスミを中心とした8種類の素材をブレンドした特選ソースということらしい。
もともとイカスミ料理は大好物で、パスタやリゾット、パエリアなどに目がない。





しかしカレーソースに使うというのは面白い。
ニョウボ・子供らが気味悪がるのを尻目に、迷わず「黒カレー」をオーダーした。
チェーン店であるが、この「ココイチ」のカレーはなかなか旨い。
辛さの選択や、飯の量、トッピングなども様々あって実に楽しい。
オレは辛さを「1辛」、飯は400g(通常300g)にし、半熟卵をトッピング。
ビールを飲みながら、待っているとモンダイの「黒カレー」がやってきた。



目の当たりにすると、なかなかの迫力だ。
デジカメを出し、撮影しようとすると
待ちきれなかったニョウボが手を出す。

「ちょっと頂戴!」

撮影前のカレーに無造作にスプーンを突っ込むという暴挙。
大体この人はいつだってこうなのだ。
家族で飯を喰いに行くと、必ず人の皿に手を出す。
いや、それ自体は全然問題ないのだが、言い方が癪に障るんである。
こちらの了承を得ぬ内に「ちょっとモ~ライ!」とか
「ちょっと食べてあげるね」という上から目線。
それに加えて最近は、オレが喰う前に必ずと言っていいほどデジカメで撮影するので
被写体の前で手や箸をブラブラさせて邪魔をするのだ。

半熟卵(というより温泉玉子に近い)をデロンと乗せ、スプーンで崩すと
黄味がトロリと流れだし、これまた一際ラブリーなお姿になる。



期待と不安にワクワクしながら、口に入れる。

コレは旨い!

カレーの味をちゃんとキープしつつ、ちゃんとイカスミも活きている。
「ブラックカレー」じゃないが、中毒とはいかないまでも
クセになりそうな旨さである。
なんか宣伝っぽいが販売期間は9月末日までらしいので、是非また来たい。

ただし毎度の事ながら、翌日のトイレが心配ではある…