「サトちゃんはさぁ、ラーメン屋になれば?」
家族以外に自分の料理を振る舞ったりすると
大抵、こういう台詞を言われる。
別にオレの料理が旨いというわけじゃない。
「そんなに好きなら」であり、あるいは
オレのデザイナーとしての限界を、暗に示唆しているのかも知れない。
オレ自身、デザイナーという職業を生涯の仕事にできるのかどうか…
あらためて聞かれたり、自分に問うたりしても甚だ心許ない。
しかし、だからといってラーメン屋にだって
そんな簡単になれるものじゃないことは十分に承知している。
先週の土曜日に、家族と義母とで近所の中華屋で晩メシを喰った。
ごく普通の中華屋であるが、どのメニューも旨くて
オレ達家族は、この店の贔屓にしている。
この日は義母も一緒だったため、いつもより余計に色々な品をとった。
次々と並ぶ料理。
毎度見慣れた光景。
その晩、用意しておいた食材で、餃子の仕込みにかかった。
前日から、日曜日は餃子にしようと思っていたのである。
野菜を刻み、豚の挽肉と混ぜて下味を入れていく。
餡が完成すると、皮に包んで試しに焼いてみる。
生肉を使っているので、そのままでは味見ができないためだ。
特にオレの料理は、悪い意味での「男の料理」。
肉や野菜何グラムに対して、塩や醤油やその他の調味料がどれくらいなのか。
いちいち計って入れるなんて事はしない。
その都度その都度、こまめに味見をしながら
最終的に自分が「旨い」という味に仕上げていく。
こんなアバウトな人間に、プロの料理人が務まるわけがない。
途中で味を見て貰ったニョウボが言う。
「いつ行っても同じ味を出すって、凄いことだよね」
そうなのだ。
たまに料理を作る。
チャーシュー、豚の角煮、カツ丼、モツの煮込み…
家族、または知人・友人で喰う分、月に何度か。
この程度なら、そこそこ「旨い」ものは作れる。
しかし、あくまでも喰わせる相手は「身内」だ。
「ちょっとしょっぱいね」くらいは愛嬌のうち。
それで金を取るわけでもないから、当然甘えもある。
「美味しい」という言葉も、また同じだ。
「素人にしては美味しい」「普通に旨い」と同義語で
もしこの料理が店で出てきたら、特別に旨いと思うかどうかは甚だアヤシイ。
素人だから許されるが、金を払ってまで喰いたいかとなると、また別であろう。
一定レベルのものを、何十食分も
しかも毎日作らなければならないのがプロだ。
餃子といういわば当たり前の喰いものを、毎日こんな調子で作っていたら
たちまちのうちに体力は消耗し、店は潰れてしまうだろう。
もちろん、毎日作っていれば自然と己のレシピも出来るだろうし
当然の事ながら、手際もよくはなるだろうが
それでも普段何気なく喰っている中華屋の普通の餃子を作ることが
如何に凄いことなのかを実感させられる。
そんな苦労をしながら、土曜日の夜中まで仕込みを続ける。
日曜日の昼に、いくつか焼いて昼食にした。
で、さっきのニョウボのセリフだ。
「いつ行っても同じ味を出すって、凄いことだよね」
しょっぱかったらしい。
改めてキャベツを刻み込んで、味の調整をする。
晩メシは「羽根付き餃子」
ニョウボが言う。
「肉の味がしない」
「うるさいなぁ。コレは野菜餃子だよ!」
「あっそ。なら美味しい」
自分のテーシュなのに、いや自分のテーシュだからこそ
この人の批評はいつも厳しい。
ましてコレが赤の他人だったら…
そんなことを考えはじめたら、とてもじゃないが商売などしようとは思わない。
ヨレヨレになるまでデザイナーとして頑張って
プロの作る旨いものを喰って、たまに趣味で料理する程度でいいのかも知れない。
梅雨の明けた、ある日曜日のお話…