無明長夜もかくばかり…

食のこと、家族のこと、ペットのことや日々の雑感… 
手探りをしながら、書き綴っていきたいと思います。

頭の中の消しゴム

2006-07-12 | 雑感


メールソフトのアウトルックが壊れてしまった。
アドレス帳のデータはもとより、仕事関係で行ったメールや、
知人・友人からのメール、落ち込んでいるときに元気を貰ったメール
すべてが消失してしまった。
ソフト自体を何度インストールし直しても全然機能しない。
アドレスは活きているので、社内のネット環境を管理している会社に連絡し
フリーメールの方に自動的に転送して貰うようにしたため
取りあえずは仕事に差し支えの無いようにはなったものの、
大事に保存してたまに読み返していた、沢山の嬉しいメールが
いとも簡単に無くなってしまったことが悲しい。

コンピュータが仕事から切り離せなくなった今、
仕事の膨大なデータは、すべてハードディスクの中にある。
本来、終わった仕事は、MOやCD、DVDに保存しておくのだが、
進行中の仕事を抱えながら、データのバックアップをすることは
実は結構面倒で、後回しになってしまいがちだ。
今回のメールソフトのクラッシュは、まだ被害自体は少ないが
それでも個人的に大事なデータばかりだったので、少々落ち込んだりしている。
オレの精神的なことより、とにかくなによりも不便である。

しかし考えてみると怖いものだ。
今、携帯電話はとてつもなく便利になった。
アドレス帳、スケジュール管理、メモ帳…
極端に言うと個人情報がすべて入れられる。
外出した際に携帯を忘れたり、携帯を紛失してしまったら
身動きできなくなってしまう人も多いだろう。

ちょっと前に、ネット環境にない知人から手紙をいただいた。
それに対する返信で、久しぶりに手紙を書いた。
そもそも長い文章を書くこと自体、久しぶりだったので、
ワープロソフトで下書きをして、プリントアウトし、添削して
改めて便せんに手書きをするという、いわば時代を後戻りするような
昔なら、普通にやっていた「手紙を書く」という行為が
こんなにも新鮮で、かつ難しいものだと再認識してしまった。


人間はなぜ、あんなモニュメントを建てたがるかわかるかい?
忘れてしまうからだよ。
記憶がどんどん薄れる前に、ああいうものを建てて
忘れないようにする…
ところが俺達はどうだ…
メモリーを消去しない限り、記憶はいつまでも残る…


浦沢直樹さんの人気漫画『プルートゥ』の中の一節である。
世界最高峰のロボットで、ギリシャの英雄・ヘラクレスのセリフだ。
確かに人間の記憶は、時間とともに薄れていくし
生きてきて、すべてのことを憶えているわけではない。
まったく記憶の片隅にすらない事も多い。
しかし、ふと何かの拍子に記憶が蘇ることもある。
“メモリーを消去しない限り、記憶はいつまでも残る”ロボットは、
逆に言うと「メモリーを消去」すれば記憶はなくなる。
人間はそうはいかない。いつまでも憶えておきたいことは
薄れていくと同時に、「いい思い出」として美化されていく。
「いやな思い出」は忘れてしまいたくとも忘れられない。
もし、人間もロボットやコンピュータのように
メモリーを消去できたとしたらどうだろうか。

もう30年近くも前の話だが、死んでしまいたいほどの失恋をした。
相手は小学校の同級生で、オレの初恋の人である。
小学校を卒業後、違う中学校に行ってしまい離ればなれになってしまった。
当然「メール」など無い時代で、その後のやり取りは手紙である。
17歳の秋、別れの手紙を貰った。
「忘れたい」「忘れなきゃ」と自分に言い聞かせ
それまでやりとりしていた手紙を処分した。

しかし今、30年という年月が流れ、
オレもおじさんになったが、彼女もおばさんになった。
もし今、どこかで会えて話が出来たら、きっとあの頃の思い出
オレが彼女を如何に好きだったか、失恋して如何に悲しかったかを
笑いながら「思い出」として話せるだろうと思う。
若さと感情にまかせて、「忘れよう」として手紙というデータは消去したが
今でも彼女の笑顔も、声も憶えている。
初めて告白した日の事や、彼女もオレを好きと言ってくれた事、
初めてのデートでのときめきも憶えている。
年をとって、それなりに刻み込まれた顔の皺だって
キザに言えば、きっと美しいに違いない。

先日、ある仕事関係の飲み会にて、こんな話を聞いた。
うちの会社の株主でもあり、義母のゴルフや呑み仲間、
オレ達夫婦の共通の大恩人でもある、印刷会社の社長の話だ。
齢はまもなく70歳になろうとする、この社長が
何十年振りかで中学校の同窓会に行かれ、当時の初恋の人に再会する。
告白すら出来ずに離れてしまったが、
大好きで大好きで、堪らなかった人だったそうだ。
社長はその同窓会で、当時成し得なかった告白をした。
もちろん社長も既にお孫さんがいるし、おそらくはあちらの女性だってそうだろう。
いまさら「老いらくの恋」などというわけではなく、
あの当時告白できなかった思いを「昔、あなたのことが好きでした」という
想い出話として、話されたのであろう。

「もうおばあちゃんになっちゃったけどね、今でも綺麗だったよ」

誰にでも忘れてしまいたいことがある。
まるでデータをデスクトップのゴミ箱に移動して「ゴミ箱を空にする」ように、
簡単に忘れられたら、どんなに楽だろうと思うことがある。
しかしこれから何年かが過ぎ、何かの拍子に誤解が解けたとき
相手の顔も何もかも忘れてしまったとしたら
あの時、手紙と一緒にすべてを消去してしまったとしたら
「綺麗なお婆ちゃん」になった彼女の顔を思い出せなかったとしたら
それはそれで悲しいことだろう。

アウトルックのクラッシュで、データを無くしてしまった事は悲しいが
あの時貰った気持ちと元気は、いまでも心の中に生きている。