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無明長夜もかくばかり…

食のこと、家族のこと、ペットのことや日々の雑感… 
手探りをしながら、書き綴っていきたいと思います。

ミュージシャンという生きかた

2010-07-23 | 音楽


おお!
一ヶ月もホーチしてるじゃないか!

というわけで

約一ヵ月ぶりの更新は、やはりライブということで。

以前、親交のあったJackさんから久しぶりに連絡があった。
自身の参加されているバンド「Sons Of Sons」のライブ情報だ。
耳をつんざくような大きな音は久しくご無沙汰だし
どうせ暑いなら熱いもの…これはラーメンも同じ。

ラーメンと一緒にされてはメーワクだろうが…

会場は、新中野にある「Live Cafe 弁天」

今までも何度もライブをされているが
実際に観に行くのは今回が初めてである。
久しぶりの感覚なので、ちょっと緊張気味ではある。

ロックの「音」というものは
会場に足を運ばれた人でなければわからない。
オレが最初に観た「ロック」のコンサート(当時はこう呼んだのよ)は
中学生の時のエアロスミスの初来日で、場所は武道館だった。
ライブが終わってからも、しばらくは耳がキーンと鳴っていたのを憶えている。
この感覚は、体験したものでなければわからない。
年の瀬の恒例行事となった「第九」などでは、音楽の内容云々でなく
はやり「音」の大きさの違いで、やや物足りなさが残った。
ま、クラシックと比べちゃいけませんが、ね。

まだまだ若いつもりなので、やはり体感のできる音が恋しい。
ミュージシャンを近くで見られる「ライブハウス」という大きさもちょうどいい。

「Sons Of Sons」のメンバーは
ギター、ヴォーカルでバンマスのBoogie-J氏
ドラムスはMasaya-100sg氏
ベースが、今回誘ってくれたJackさんこと、J-Soulfinger氏という
極めてシンプルな構成だ。

7時会場で8時開演の予定。
オレが着いたのが7時30分頃なのだが
まだバンドのメンバーはお客さんと談笑している。
ワンドリンクで生ビールを頼み、取りあえずグーッと空ける。
タバコの煙で渦巻く店内。
よかった。ライブ中は禁煙とか言われたどうしようと思ってたのよ。
禁煙だの分煙などクソ喰らえ!のどこ吹く風。
この不健康さこそがロックなのだ。

ところで一向にライブが始まる様子がありませんが?
予定の8時になっても、Boogie-J氏は相変わらず呑んで話してるし
オレなんか、生ビールを2杯と、バドワイザーを1本空けちゃって
しかも空きっ腹だったので、眠くなりそうになってきた…

予定を遅れること1時間近く。
9時近くにライブが始まった。



もうね

眠気も酔いも吹っ飛びますよ。



途中からBoogie-J氏のトレードマーク(と勝手にオレが思っている)
ギブソンの赤いファイアーバードに持ち替える。

そうそう。
このギターを持っている姿を見たかったのよねぇ。

演奏はパワフル!のひとこと。
曲間のダラダラとしたMCもなく
テンポ良く次々と演奏される。

J-Soulfinger氏とMasaya-100sg氏のリズムセクションが的確だから
Boogie-J氏のギタープレイも活きている。
同じ…と言っては失礼だが、ベースを弾く者として
J-Soulfinger氏のプレイは特に注目させていただいた。
Masaya-100sg氏の地鳴りのようなドラムと相まって
空きっ腹に重低音が響き渡る。

昔は“チョッパー”と呼ばれていた“スラップ”が凄い。
あんなプレイができたらなぁ…



演奏も佳境にはいると
Boogie-J氏はギターを弾きながら客席を練り歩く。
実際のプレイを観るのは初めてなのだが
自分の勝手なイメージとして
ステージの中央で、どっしりと演奏されている印象があった。
そう、まるでクリムゾンのロバート・フリップのようにね。
(ま、知らない人は調べてみてくださいな)
サービス精神が旺盛なのでしょうね。
それと、客も顔見知りが多く、リラックスしていることもあるのだろう。



お客さんの呑んでいたビール瓶を使ったボトルネックも披露。

結局ライブが終わったのが11時近く。
2時間近い演奏時間だ。
メンバー3人は、オレと同世代。
いわば「おっさん」の部類である。
パワフルで不健康な愛すべきおっさんに拍手。

中学時代の悪友、つまりロックに夢中になった
オレをロックの世界に引きずり込んだ同級生は
子どもも大きくなり、自分の時間が取れ
なおかつ経済的に余裕ができた最近
あらためてギター教室に入り、自分の息子みたいな連中と
一緒になってギターの練習に励んでいる。
あの頃、買いたくても買えなかった高級なギターを
それこそ何本も「大人買い」して、オレに見せびらかす。

「オイ、一緒にバンドやろうぜ」

何度も誘われたが、時間と地域的な問題で断ってきた。
しかし、それはイイワケに過ぎない。

そう。
要するに「逃げて」るんだ。

どんなにオッさんになったって、ちゃんとできる。
今、目の前にいる3人のオッさんは
あえて「プロ」という道を選ばず、別の仕事を持ちながら
忙しい合間を縫ってリハーサルに励み
自分たちの「楽しみ」「生き様」のために、こうして演奏している。
彼らが、まさにそれを証明しているじゃないか。

職業としてでなく
生き方としての「ミュージシャン」だ。

オイ、次も来いよ。
また楽しませてやるからな!

演奏後、汗だくになった3人の顔が
オレにそう言ってくれていた。

ありがとう。

弦を押さえる指先の皮同様に
魂までもがヤワになってしまったが、今夜は元気を貰った。

実際、バンドを組むかどうかはともかく
オッさん達のくれた元気で、明日も生きていけそうな気がしてきたよ。
たまにはベースを引っ張り出してみるかな…

で、ね。

ライブの興奮と心地よい耳鳴りを、現実が引き戻すのですよ。
終電の時間とか、犬の散歩とかね。

ま、しょうがない。
コレもオッさんの生き方…なのか?

駅に向かって歩いているうち
そういえば、酒のアテにナッツしか喰っていないことに気づいた。
腹が減って目が回りそうになった。



中野駅近くにあるラーメン屋『地雷源』

実は、この店に寄るのも楽しみだったりしてたわけで。
ま、このへんがオッさんたる所以だがね。



「我流旨味ソバ」味玉のせ

ビールも追加したかったけど
金四郎の散歩が…

なら、いっそ喰っちまえ!



辛肉ミソごはん

身も心もマンゾクです。

後は家に帰って
食器洗って犬の散歩行って…

あ、明後日はニョウボのフラメンコの発表会でした。

ロック的生き方は、まだまだ遠い…

が、

まだまだ間に合うかも知れんね。



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寡黙なオトコがハジけた夜

2010-06-28 | 音楽


ニョウボのお気に入りカンタオール(フラメンコのヴォーカリスト)
大渕博光さんのライブに行くことになった。
たまに行くタブラオでのフラメンコ・ショーや
ニョウボのフラメンコ発表会などでもお目にかかっていたが
このたび「大渕博光 with Triangulo」のユニットでアルバムを発表。
今までは、ダンサーのバックで歌っておられたが
今夜は大渕さんが主役だ。

「ダンサーのバック」と言ったものの
フラメンコにおけるカンテ(歌)は、とても重要で
様々なショーを見てきたが、カンテの拙いショーは感動も薄い。
それほど大事な役割といえる。

ユニットとしてのデビューアルバムは
フラメンコ的なテイストは残しているものの
全て大渕さんのオリジナルばかりで
新しいJ-POPといえる。

さて、ライブは赤坂にある『グラフィティ』
開場は7時、開演は7時半だ。

ライブが始まったら、メシは喰えないので
まずは腹ごしらえでさぁね。
観覧のメンツはニョウボにオレ、うちのデザイナーN君に
義母の会社の営業マン、T君の4人。
ドイツもコイツも酒呑みばかりなので
ファストフードというわけにはいかない。



会場のすぐそばにあった『銀だこハイボール酒場』へと飛び込む。



3人はビール、オレはもちろんハイボールね。
アテはたこ焼きが一舟に、タコのガリシア風



近隣のサラリーマン氏で賑わっておりますね。
気軽な立ち呑みスタイルで、取りあえず喉を潤すにはもってこい。
こんな酒場が、会社のそばにあったらなぁ…
って、神保町にも、いくらもあるんだけどね。

ハイボールを2杯空けた頃、開演時間が近づいてきた。



演者の表情もよくわかる適度な大きさのスペース。



ワンドリンクにビールを頼み
トルティーヤチップスをつまみに、ライブ開始を待つ。



始まりました。



時にはギターを弾きながら。



過去に何度か話をさせていただいたことがあったが
この大渕さんという人、普段は寡黙な人という印象だし
フラメンコのショーでは、ダンサーの陰に隠れてしまっていたが
曲間のトークなどは、なかなか軽妙で
「へぇ、こういう一面もあるんだ」と感心してみたり。

もちろん実力は折り紙付き。
大渕博光個人でのデビューアルバム
『ESTE AMOR(エステ・アモール)』は
TV東京系「美の巨人たち」エンディング・テーマにも使われたほど。

曲間のMCで知ったのだが、大のサッカーファンとのこと。
日本代表が決勝に進出したこともあって
寡黙なオトコがハジけた夜でもあったのかも知れない。


ご苦労様でした。
いいライブでした。ありがとう。



さ、まだちょいと帰るには早いでっせ。

というわけで、やはり近くにあったバー『モダンタイムス』へ。



ウイスキーなんぞをヤリつつ、ライブの興奮をクールダウン。

いい夜でありました。


ちなみに、大渕さんのCDは、下記にて試聴出来ます。
興味のある方は是非!

『KENO KENO KENO』
http://www.myspace.com/ootri

CDの購入はコチラ




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残酷な時の流れ

2008-09-17 | 音楽


朝、起きて携帯を見ると
中学時代の悪友・Uからメールが届いていた。

俺達の夢だったフロイドの再結成は実現しない。
15日、ガンの為自宅で死去 リチャード・ライト65歳
アス・アンド・ゼンのあの優しい歌声はもう聴けない
今日は ライブ8を観ながら追悼しよう!
あ~そして合掌!とても哀しい!


え?リックが死んだ?

リチャード・ライト、通称リック

誰?

こう思われる方が殆どであろう。
英国のバンド、ピンク・フロイドのキーボードプレイヤーだ。

中学2年の終わり、修学旅行先の京都で
先の友人・Uがカセットで聴かせてくれたアルバム『狂気』
原題を『The Dark Side Of The Moon』

衝撃だった。

歌謡曲やフォークしか知らなかったガキだ。
以来、オレはピンク・フロイドにのめり込む。

『狂気』はアメリカのビルボードチャート200位以内に15年、
またビルボードのカタログチャートでは
28年以上に渡ってランクインするという
ロングセラーのギネス記録を打ち立てた
歴史的なアルバムである。

ピンク・フロイドは1968年にデビューしているから
既に40年の歴史あるバンドだが、現在は活動休止状態。

1985年に、バンドの中心メンバーである
ロジャー・ウォーターズが脱退し
事実上解散したが、残ったメンバーによって活動を続けるが
それがウォーターズの怒りを買うこととなる。
それが為、裁判にまで発展し、オレを絶望させた。
もう二度と、ピンク・フロイドを見ることは出来ないと思っていた。
日本への来日は、1971年と72年の2回。
オレがまだフロイドを知る以前のこと。

ところが1988年。
ロジャー・ウォーターズを除く3人編成で来日。
もちろん、なけなしの金をはたいて観に行った。
メンバーの中で一番好きだったロジャー・ウォーターズ抜きのフロイドだが
今思えば、今回亡くなったリックを生で観られたことは幸運だった。
2002年にロジャーは自分のバンドを率いて来日した。


フロイドの歴史、逸話を語りだすとキリがない。

深夜

2005年に行われたアフリカ貧困撲滅チャリティー・イベント
「LIVE 8」のDVDを引っ張り出してきた。
このイベントで一夜限りの再結成を果たしたのである。
特典映像としてリハーサル風景が収録されている。
リックとロジャー・ウォーターズが談笑する姿。
インタビューで「ロジャーと演奏できて楽しかった」と語る
リックの姿に涙が出た。

というのも、この2人には確執があったのである。
1979年に発表された『ザ・ウォール』のリハーサル中
アルバムの曲調に合わないという理由で
ロジャーはリックを解雇したのである。
これがピンク・フロイド崩壊のきっかけのようなものだった。

そもそも彼等は、もともと学生時代からの友人である。
人生の大半を一緒に過ごした仲間だ。
久しぶりに会えば、その共有した時間が蘇るはずだ。
ちょうどオレが母校を訪れたときのように。
顔を見、話をすれば、きっと元通りになると信じていた。

その矢先の訃報。

もう二度とピック・フロイドは蘇らない。
年を取るということは残酷なものだ。

ジョン・レノンとジョージ・ハリスンのいない
ビートルズなど在り得ないように
リック・ライトのいないピンク・フロイドも同様だ。

明日は一日中、ピンク・フロイドを聴こう…

リック、ありがとう。
お疲れさまでした。

安らかにお眠りください。





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見つめていたい

2008-02-14 | 音楽


東京ドームにてポリスのコンサート…
そういえば「コンサート」というのも、今や死語になるのだろうか。
最近では「ライヴ」というのが正しいらしい。
それでも我々おっさん世代は、やはりコンサートというのがしっくり来る。

そんなわけでポリスである。
1986年に活動停止して以来、21年振りの再結成。
ポリスとしては27年振りの来日公演となる。



そりゃアンタ、おっさんですって。
客の年齢層も高めだし
こうなると客を見てるだけで面白い。
会社ではそこそこ地位のある感じの、スーツ姿の人もいるし
ロック少年がそのまま大人になっちゃったような人もいる。

実を言うと、オレはポリスの現役時代を知らない。
知らないというのは、ファンじゃなかったということで
もちろん名前くらいは知っていたし、大ヒット曲でもある
「見つめていたい」も知っていた。
むしろオレはスティングのファンで、ソロとしての来日公演は
独身時代に1回、同じくスティングファンのニョウボと2回観に来ている。
オレがスティングファンになったのは、1985年のライブエイド。
このイベントで、スティングはギター1本の弾き語りで2曲歌っている。
同じくそのイベントで、ピアノの弾き語りをした
フィル・コリンズと共に、大ファンになってしまった。
当時、ビデオに録画して、この二人の演奏は何度観たかわからない。
共にギター1本、ピアノ1台というシンプルな構成だったが
オレにとっての衝撃度は、同イベントで再結成された
レッド・ツェッペリン以上であった。

ソロ・アルバム「ナッシング・ライク・ザ・サン」は
今でも大好きなアルバムだ。

で、ライブの方は…

やっぱり東京ドームの音響はヒドイ。
もちろん本来は野球場であり、音楽のために作られた場所ではないので
仕方のないことなのだろうが。
大物が来日した時には、この大きさが必要なのであろう。
東京ドームクラスの収容が出来る、音楽専門のホールを作って欲しいものだ。

内容的には、ベストアルバムを聴いた程度で
ポリスをあまり知らないオレでも充分に楽しめた。
やはり年を重ねたメンバーが、音楽を楽しんでいるという感じが良かったし、
中年の客層が、不慣れに身体でリズムを刻みつつ
これもまた、若かりし日の思い出に浸っている様子が伝わってくる。
やはりライブはいい。
近々、WOWOWにて放送されるということなので
興味のある方は是非!

ちなみに後で分かったことだが、この日の前座で出ていた
フィクション・プレインのボーカル・ジョー・サムナーは
スティングの息子なのだそう。
言われてみると、顔が似ている。



ライブ中はもちろん撮影禁止。
ライブ終了後のステージの様子。

アリーナのほぼ正面で、いい席だったのだが
前の人に立たれると、ステージが全く見えなくなってしまう。
おかげで2時間立ちっぱなしだった。
こりゃおっさんにはキツイ…

外国人アーティストが来ると、いつも取り沙汰されるのが日本人の大人しさだ。
ロックというのは、立ち上がってミュージシャンと一緒に楽しむというのが
外国人の考え方なのだろうが、少なくともオレは違う。
大好きで憧れのミュージシャンの姿は、一挙手一投足も見逃したくないし
音だって聞き逃したくないと思う。
最近は、逆に「ちゃんと聴いてくれる」ということで
ミュージシャンの間では、日本人客を評価する声もある。
多分に社交辞令もあるだろうが、音楽をする人にとって
あながち嘘ではないはずだ。

とにかく疲れたが、楽しいライブだった。

さて、晩メシは東京ドームシティ内で済ますことにした。



『ベースボール・カフェ』にて。

今観たライブの話をしながら、赤ワインを傾ける。



和風シュリンプサラダ



ムール貝のペッパー風味



チキンソフトタコス

ヘルシーでようがす。


ごちそうさま&ありがとう!




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iPOD怖い

2006-10-06 | 音楽


何をいまさらと言われるかも知れないが、MPプレイヤーを手に入れた。
といっても自分が望んで買ったわけじゃない。
オレの家では、いまMPプレイヤーブームなのだ。
発端はニョウボである。
この人は何年か前に「iPOD」を買っていたのだが
先日フラメンコのレッスン用に、再生速度の調節が可能で
安価なMPプレイヤーを買ったのである。
フラメンコのCDを、コンピュータと格闘しながら
保存している作業を見ていた息子が喰いついた。
コヤツ、この年代の男の子にしては、流行歌というものに興味を持たず
相変わらずパソコンのゲームばかりをしていたのだが
回転数を変えると変な感じに聞こえて面白いという
子供じみた興味で、ニョウボにねだったのがきっかけで
レンタルで聞き覚えのあるCDを借りてきては、自分で入力して
今では殆ど家にいる時間、イヤホンをして音楽を聴き入っている。
どんなきっかけであれ、音楽に興味を持つのはいいことではある。
で、今度は娘もそれを欲しいと言いだした。
娘は漫画オタクのアニメオタクだから、アニメの主題歌なんぞを楽しんでいる。

毎晩のように、何枚ものCDからダウンロードしていたが
ネットでもっと性能のいいプレイヤーを見つけ
そちらに買い換えたいなどと言い出した。

「今まで使ってたのはどうすんだよ」
「アナタにあげる」

と、まぁことの顛末はこういうことだ。

「だったら『iPOD』をくれよ」
「ダメ!あれも使うから」

絶対に嘘だ。使うわけがない。

そんなことで、図らずもMPプレイヤーがオレのものになったわけだが
オレの場合、特に電車通勤をしなくなった今、
ヘッドホンやイヤホンで音楽を聴くということが少ない。
しかもジッとしてられない質なので、家でじっくりと聴くということも殆ど無く
聴くとしたら仕事中か、車の中である。
音楽は大きな音量で聴きたいから、当然ボリュームを上げる。
イヤホンをしているとしても、仕事中にそんなことをしていたら、
仕事に差し支えるし、何よりも周りにも迷惑をかける。
したがって誰もいない深夜の残業時や、土曜日や日曜日の休日出勤時に
遠慮することなく、プラグを抜いて一緒に口ずさんだり、
体を動かしながら聴いている。
つまり、本来オレにはMPプレイヤーは不要なのだ。

いわゆる携帯用ミュージックプレイヤーは、
初期のカセットテープのウォークマンに始まり、CD、MDへと変遷してきた。
しかしこれらにはメディアというものが必要であり
聴きたい曲は、常にそれを持ち歩いていなければならないし
違う曲が聴きたくなったら、メディアを入れ替えなければならず
移動中などの作業は結構面倒くさい。
このMPプレイヤーは1GBだから、曲の長さによっても違うだろうが
最大で240曲保存することが出来る。

何と申しますか、便利な世の中になったものです。

ピンク・フロイドの「狂気」も「エコーズ」も「原子心母」も「ザ・ウォール」も
イエスの「危機」も、EL&Pの「タルカス」も「悪の教典」も
全部いっぺんに持ち歩けちゃうなんて、超すご~い!

と、何をいまさらですが、オジサンは喜んでいるのです。
ついでに志ん生の「富久」も「黄金餅」も、志ん朝の「居残り佐平次」も
枝雀の「饅頭怖い」も入れたろかしら、と楽しみは膨らむばかりなのです。

で、早速借りてきましたよ、CDをね。
昨日の70年代繋がりじゃないが、やっぱりセーシュン時代に聴き込んだ
馴染みのバンドの、馴染みの曲がいい。
写真は左上からエアロスミス、アメリカ、キッス
2段目左からドゥービーブラザース、ドナルド・フェイゲン、BTO
一番下がピーター・フランプトンの「カムズ・アライブ」
この中から好きな曲だけをピックアップして、マイ・ベストを作っていく。
久しぶりに聴いたが、やっぱり自然と口ずさんで、身体が動いてしまう。

DVDが出てからビデオのかったるさが嫌になってしまったが
これからは、CDさえも面倒になってしまうんだろうな。
それはそれで寂しいが、いい環境でストレス無く
いい音楽が聴けるというのはありがたい。

おそらく「iPOD」の80GBとか欲しくなりそうでコワイ…

嗚呼…無明長夜もかくばかり…


民族音楽の夕べ Another side

2005-12-23 | 音楽


それはサウンドチェック中に起こった。
会場側から派遣された音響技術者がみえ、
しきりにマイクやスピーカーのチェックを行っていたのだが
どうもパンチャさんが納得のいかない様子であった。
技術者とパンチャさんをはじめとする、こちらのスタッフが
ミキサーを前に話をしていると、やがて音響の責任者らしき人が現れた。
そばで詳しく聞いていたわけではないのだが
どうやらイコライザーの設定を変える変えないの話をしている様子で
責任者は、イコライザーは専門の技術者が
何時間もかけて入念に設定したものであり、
それを勝手にいじられては困るということらしかった。
彼の言うには、この設定をいじると改めて専門家を呼び
設定をし直さなければならないということらしい。
そしてその設定にはかなりの時間がかかるということだ。
このときの音響技術者はイコライザーの専門家ではないらしく

「最初からその旨を申し立ててくれれば
こちらもはじめから専門家を派遣していた。今更それを言われても困る」

これがあちらの言い分だ。
押し問答のようなやり取りがあった後、突然パンチャさんが声を荒げた。
あちらの責任者がお金のことを言ったらしかった。
つまり、専門家を呼ぶには金がかかるということだろう。

「今、お金のことを言ったでしょう?お金の問題なんですか?」
「そうじゃありません。イコライザーをいじるのは結構だが
元の通り戻してくれるんですか?」
「だったら最初にそう聞けばいいでしょう?『元に戻せるのか』と!」
「だからそう聞いているでしょう?」
「いや、あなたはお金のことを先に言った!」

パンチャさんの母国であるネパールという国は
ご存知の方も多いだろうが、経済的に貧しい国である。
パンチャさんの生まれた村には、学校すらなかったと聞いた。
それを悲しく思ったパンチャさんは、自分のCDの売り上げや
精力的に行った日本でのチャリティコンサートの収益金を元に
母国に学校を作っている。
お金のありがたさ、怖さはイヤと言うほど知っているはずだ。
だから「金で済む」という主旨のことを言ったことに、
猛然と腹を立てたのであろう。

「私はこの世界で20年やっている。
ミキシングの調整をやれと言うなら出来る。
それなのにあなたはお金のことを言った」

向こうの責任者は「そういう意味で言ったんじゃない」というが
このままでは泥仕合のようになってしまう。

「私はお客さんにいい音で聞いて貰いたいだけだ」

パンチャさんの仰ることはもっともである。
しかし、あちらの言うことも無理のない話だ。
もちろん経費を渋ったわけではないだろうが、
最初から専門家を頼めばいいと言われればその通りである。

言ってしまえば所詮機械だ。機械には限界がある。
しかしアーティスト(人間)の力は無限と言っていいだろう。
機械は機械の持つだけの力しか出せないが、
人は時として奇跡に近い能力を発揮することがある。
芸術家と技術者の話は平行線である。
お互いに歩み寄って、出来うるベストを尽くすよりしようがない。

このもめ事が長引いてきたため、オレ達のリハーサル時間に食い込んできて
気の早い忘年会の客の何人かは、会場に顔を出し始めた。



仕方なく、オレ達のバンドは人気のない非常口の片隅にいき、
そこで音合わせをするハメになった。
なに、そんなことはどうでもいいのである。
オレが一番心配だったのは、このゴタゴタで
パンチャさんが「帰る」と言い出してしまうのではないかということだった。
そこまでいかなくとも、彼のテンションを下げることになりはしないか。

オレ達の簡単な音合わせは終わり会場に戻ると、どうやら話はついた様子である。
オレはパンチャさんのところに行き、彼に声をかけた。
パンチャさんは笑顔でオレに言った。

「ゴメンナサイ。もう大丈夫。興奮してすみません」

アーティストの心はデリケートだ。
精神的な問題が、演奏にまで影響を与えてしまいかねない。
しかし宴がはじまってからの、パンチャさんの演奏は
オレの心配など吹き飛ばすかのような素晴らしいものであった。



「一昨年呼んで頂いて、とても楽しかったので
また呼んで欲しいと言っていたんです。楽しい夜でした。
また来年も呼んで欲しいです」

演奏終了後、機材の片づけをしているとき
パンチャさんが我々のところにやってきて、握手を求めてくれた。
「素晴らしい演奏でした」
もちろんお世辞であろうが、その気持ちが嬉しかった。

自分の仕事にプライドを持つ誇り高き男は、
裏を返せば、かくも優しく謙虚で
ひたすらに音楽が大好きなネパールの気のいいお兄ちゃんだ。

来年のはじめには、母国で何万人級の大コンサートを行うという。
コンサートの成功を心より祈ってやまない。

民族音楽の夕べ

2005-12-22 | 音楽


とうとうこの日が来てしまった。
会社で仕事をしていても、手につかないほどの不安。
今さらジタバタとしたってはじまらない。
忘年会は6時からだが、バンドメンバーは4時に会場に集合し、
最終のリハーサルを行うことになっている。

定刻にちょっと遅れて会場に着くと、
今夜のメインであるパンチャさんがサウンドチェックを行っていた。
パンチャさんはネパール出身の「バンスリ」と呼ばれる竹製の横笛奏者である。
実弟で「タブラ」という打楽器を操るサラバンさんも一緒だ。
一昨年の忘年会でも、お二人揃って来てくれた。

ところがサウンドチェックが長引いてしまい、
気の早い参加者も三々五々集まってきてしまった。
即席バンドの我々は、ザッとリハを流さざるをえなかった。

え~い!こうなったら酒を煽って勢いをつけるしかない。

定刻どおり、社長の挨拶があり、乾杯の音頭
宴のスタートである。
半ば自棄気味に、しかも空きっ腹にビールを煽ってしまい
リハ不足の不安と相まってか、頭痛がしてきやがった。
しばし歓談の後、いよいよ出番である。
メインはパンチャさんだから我々は当然、前座である。

今回の選曲は沖縄音楽。
今年の夏に、社員旅行で行った沖縄にちなんだ選曲だ。
1曲目は「涙そうそう」。先日ライブを行った彼のギターをバックに
うちの会社の女の子のヴォーカル。



2曲目は、BEGINの「島人ぬ宝(しまんちゅぬたから)」
ここからがオレの出番だ。



空きっ腹ビールの酔いなどすっかり吹っ飛んでしまった。
緊張の極で、客席を見ることすら出来ない。



それほど大きなミスもなく、なんとか無事に終わった。

3曲目は「島唄」
ラスト近く、テンポが上がって盛り上がるところだ。
オレのベースの基本は、ピック弾きなので
ここで傍らのスピーカーの上に置いておいたピックに持ち替えようとしたが
慌てたのか、指を滑らせてピックを飛ばしてしまった。

え~いままよ! ラストだ。このまま指で行こう…

テンションが上がっていることもあって痛みは感じない。

はぁ…無事に終わりました。
ハイ、ミスもありました。
でも無事に終わりました。
思い残すことはありません。

席に戻ってビールを煽る手が、まだ震えている。
ミスもあったが、満足感はそれを上回っている。
この「恍惚感」こそがライブの醍醐味だ。
また来年もやりたいと思う。

一息つくと、この日の朝、急遽母である大社長の命で
うちのニョウボがフラメンコを踊ることに決まったという。
「嫌だ」と言っていたが、しっかり自宅に戻って
衣装とCDを用意して、けっこう満更でもない顔をしている。
やはりなんだかんだ言っても、人前で踊ることが楽しいらしい。
真っ赤なスポットライトに浮かび上がるニョウボ。



視線をはずすことなく、堂々たる姿である。
まだ始めたばかりの頃は、照れもあったのだろう
やや笑い顔であった、その表情はすっかり踊りの中に入り込んでいる。
さすがに5年経って、毎年舞台に立って踊っているだけあって
実に堂に入っている舞台度胸はさすがだ。

ソロによるタンゴの後は、一時ニョウボにそそのかされて
フラメンコを習っていたギタリストの彼と一緒に
基本的ダンスである「セビジャーナス」での競演だ。
笑顔にも余裕がある。



身内による出し物が終わり、いよいよメインのパンチャさん登場。



サポートメンバーは義兄のベースに、友人のギタリストが参加。



澄み切ったネパールを思わせる、バンスリの音色が素晴らしい。



サラバンさんとのタブラの競演も圧巻である。



ありがとう、パンチャさん、サラバンさん。
また来年も来て下さい。

ラストは全員で「花」を合唱して宴は終わった。



奇しくも沖縄、スペイン、ネパールという
民族音楽に彩られた夕べ。
ミスもあったし、課題も多かったけれど
この「恍惚」と「不安」はやめられない。

また来年もやりたいと思う。


選ばれしものの恍惚と不安

2005-12-21 | 音楽


渋谷という街が嫌いだ。
人が多くてうるさくて、なにか急いでいる用事があっても
まっすぐに歩くことさえ出来ない人混み。
特別な理由がなければ、絶対に行きたくない街…
考えてみると、ここは特別な用事のない人が好む街なのかも知れない。

オレは都会の喧噪が好きだ。
東京生まれではないが、人の多い商店街で生まれ育ったためか
夜でも明るいようなところが好きなのである。
10年以上前、まだ気ままな独身時代、毎年5月の連休になると
電車を乗り継ぎ、半日かけて姉の住む函館に行くのが楽しみであった。

自然の景色より、人の気配がする風景…

電車の車窓から外の景色を眺め、知らない街の人々の生活に思いを馳せる。
そんなボ~ッとした旅がしたくて、いつもあえて電車の旅を選んでいた。
ところがある年、時間の都合で夜の旅行になってしまった。
とにかく真っ暗で灯り一つついていないような漆黒の闇。
目的地の繁華街のネオンが見えたときはホッとしたのを憶えている。
そんなオレが、何度来てもこの渋谷の街に馴染めない。

親会社の友人が、そんな渋谷の小さなライブハウスでライブを行うという。
生ギター1本で、フォークやらブルースなどの弾き語りをするという。
今までも毎回「見に来てくれ」と誘われながら
仕事との折り合いがつかずにいたのだが、毎回キャンセルでは悪いと思い
今回はニョウボや会社の同僚と連れだって出かけた。
クリスマス間近の渋谷は、いつにない人出である。
嫌いな街とはいえ、やはり煌びやかなネオンは心が躍る。
田舎の静かな街では3日と我慢が出来ない、悲しい性。

ライブ会場は30人も入れば満員になりそうな小さな場所だ。



友人の他、3組のミュージシャンが出演し、一人あたりの持ち時間は30分程。
こんなところにも、明日のスターを夢見て頑張る人がいる。

実を言うと、この友人を含めた会社の有志で22日の忘年会にバンド演奏をする。
身内だけの、いわばお座興であるが、今まで2回ほどリハーサルをしてきた。
演奏する曲数は3曲、仲間内だけでの気楽なライブ。
オレの担当はベースだが、なにしろここのところ楽器に触っていない。
練習不足に身体は正直だ。
課題曲をMDに録音して必至に曲を憶え、脳内でシュミレーションをする。
しかしいざ楽器を持ってみると、指は動かないし柔らかくなって指先が痛い。
貸しスタジオで1回、昨日は会場でのリハーサルだったが
根本的な技術不足は自己嫌悪に陥るばかりだ。



深夜、誰もいなくなった仕事場での個人練習を何度も繰り返すが
それでも時間が足りない。

以前、ある有名なバンドのドキュメントを見たことがある。
既にベテランの域に達した、長いツアーなども何度も経験しているバンドだ。
本番前の会場でのリハーサルは、2時間弱の本番さながらの
通しのリハが行われるのを見て「へぇ!本番の前に本番をやるんだ」などと
気楽に見ていたものだが、いざ自分が、たとえ3曲15分程度の演奏とはいえ
その立場に立ってみると、それが痛いほどに分かる。
とにかく不安で不安で仕方がない。出来ることなら本番などやらず
一生リハーサルを続けたいと思うくらいだ。
それを思うと、やはり「プロって凄ぇ!」と改めて感じるのである。

渋谷のライブ、ラストに出たミュージシャンの演奏は素晴らしく
充分プロでもやっていけるんじゃないかと思うほどだが
こうしてこんな小さな会場で、コツコツとチャンスを伺っている。

音楽の素晴らしさ、音楽の難しさ、音楽の怖さ…

手の届かないようなところにいるスターを見る分には、
こちらもオーディエンスとして、ただただ憧れ、楽しむことが出来るが
こうした、いわば「身近」な存在として、改めて見ると
それを「仕事」とする事のいかに凄いことかを痛感する。

ライブ終了後、友人と酒を飲んで別れたが
ニョウボに「仕事が残ってる」と嘘をついて仕事場に戻り
明日など来なけりゃいいのにと思いながら、また一人で練習を繰り返した。

選ばれしものの恍惚と不安

2年前、やはり同じ会社の忘年会で演奏をした。
一段高いステージに立ち、客席を見ることもままならない不安と緊張感。
ボロボロとなった精神状態のまま、決して「上出来」とは言い難い演奏を終えた後の
例えようがない高揚感と恍惚。

皆、この「恍惚」を味わいたくて「不安」と闘っているのであろう。

さぁ、泣いても笑っても明日だ。


そして明日から

2005-10-28 | 音楽


どんなに再生機器が発達してもライブには適わない。
映画、音楽、舞台…
その空間に身を置き、体中で映像や音を受け止める。
それこそがライブの醍醐味だ。
とくに音楽や芝居は、自分の目の前で演者が
演奏したり、歌ったり、演じたりする。
これはその場に行かないと味わえない。
初めてロックのコンサートに行ったのは、オレが中2の時だった。
友人に誘われて行った、エアロスミスの初来日の日本武道館公演。
会場のドアを開けた途端、経験したこともない大音量の洗礼を受けた。
もちろん「音」だけの問題ではないが、
どんな小さな会場であれ、あの独特の雰囲気は
どんなに音のいい再生機器を持ってしても代え難いものだ。

去年の今頃、ニョウボが吉田拓郎さんのコンサートに行った。
その時は娘と二人だったのだが、今年は家族でということになった。
ニョウボが大ファンである影響からか、娘もそうだが
最近は息子も興味を持ちだした。
オレの音楽歴は、ちょうど天地真理、小柳ルミ子、南沙織
男性では郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎といったアイドル全盛の歌謡曲にはじまり
近所に住んでいた4つ年上の従兄弟の影響でフォークを聴くようになり
中学校で友人の影響でロックに至っていく。
吉田拓郎さんのファン層は、実をいうとオレよりちょっと上の世代。
音楽に関しては、同級生に比べるとませていた。
6歳上の姉の影響で、タイガースやテンプターズといったGSも聴いていたし
フォークも上記の従兄弟の影響が強い。
その点では恵まれた音楽環境だったかも知れない。

場所は日比谷にある東京国際フォーラム。
客層を見ると、やはり平均年齢は高めだ。
オレくらいの年齢の人間は少ない。

コンサートは「春だったね」「唇をかみしめて」「家へ帰ろう」
「落陽」「全部だきしめて」など新旧取り混ぜたセットリスト。
ホーンセクションやストリングスも入り、音の厚みも凄い。
こういうコンサートを初めて見る長男は
やはりオレと同様に、大音量に圧倒されたようだ。
なかでオレの一番好きな曲「今日までそして明日から」では
急に涙が出て、曲の間中泣けて泣けて仕方なかった。

わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと

ともすれば力みがちになる歌詞だが
不思議と淡々としていいながら、ポジティブ。
今の自分の年齢で改めて聴くと、心に染み込んでくる。

わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかをあざ笑って
時にはだれかにおびやかされて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと

わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかにうらぎられて
時にはだれかと手をとりあって
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと

わたしにはわたしの生き方がある
それはおそらく自分というものを
知るところから始まるものでしょう

けれど それにしたって
どこで どう変ってしまうか
そうです わからないまま生きてゆく
明日からの そんなわたしです


客層は年齢的にいうと50歳前後の方が多いようだ。
おそらく会社では部長や取締役クラスであろう
スーツを着た、やや頭頂部の薄くなりかけたおじさんや
子どもも独り立ちし、家庭内の心配事も一段落したであろう中年の奥様。
開演前、携帯で「ヨンさま」の画像を見せ合っていたおばさん。
人生も折り返し地点を過ぎ、年齢的にも体力的にも息切れし始める頃
若かりし時代を一緒に生き、勇気や元気を貰ったであろう
名曲の数々に、戸惑いがちに身体をリズムに合わせて楽しんでいる。
「全部だきしめて」では振り付けに合わせ、
いい年をしたおじさんおばさんが、楽しそうに踊って合唱をする。
性別も、年齢も、国籍さえも音楽の前に垣根はない。

拓郎さんは、来年還暦を迎えるそうだ。
追加公演で、今日が最後というリラックス感もあったのか
曲間のトークでは、実に楽しく笑わせてくれた。

「“還暦”と“ガン”という言葉を、自分の辞書から消し去りたい」
3年ほど前であったか、肺がんに冒され
それでも見事に復活した拓郎さん。
来年は、伝説の「つま恋コンサート」をされるそうだ。

ニョウボは密かに静岡まで行く計画を企んでいる様子だ…




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アナログなんて嫌いだ!

2005-06-28 | 音楽
レコードからCDに変わって、もう20年近くなろうか。
とにかくオレはアナログレコードというのが大嫌いだった。
それはオレの変なところは妙に神経質のクセに、
ガサツでイイカゲンでだらしない性格にある。
必ずと言っていいほどレコードに傷を付けてしまうのである。
レコードを廻しっぱなしのまま、寝てしまって
寝返りを打った途端に針を飛ばしてしまったり、
お気に入りのレコードに限って、かならず傷を付けてしまう。
働いて自分で金を稼げるようになって、ようやく良いカセットデッキを買ってからは
必ず最初にカセットに録音しておくようにした。

傷が付いて音飛びしたままの状態で聴き慣れてしまったアルバムを
後にCDで買い直して聴いたときには、妙な違和感を感じたりした。

今でもアナログのレコードを愛聴されている方がいる。
音だけを聴いたら、クリアなCDの方が絶対に綺麗だとは思うが、
よ~く耳を澄ますと聞こえる「プツップツッ」というノイズや
レコード針の針を上げ下ろしの音は
妙にノスタルジックな気がして、悪い気分ではない。
アーティストの方でも、あえてCDと同時にアナログ盤を出される方もいる。

先日、「Musical Baton」というのを書いた。
暫く聴いていなかった大空はるみさんの『はるみのムーンライトセレナーデ』を
改めて聴き直してみた。



このアルバムはCD化されていない。
このアルバムを買ったのは、オレが19か20歳の頃だったと思うが、
その年の暮れ、テープに録音して通勤電車の中や仕事中、
ずっと繰り返し繰り返し聴いた思い出のアルバムだ。
さすがに20数年も経つと、テープも伸びてしまい、とても聴ける状態ではない。
何年か前、無性に聴きたくなってネットでアナログからCD化してくれるサービスを探し、
CDにしてもらったオレの大事な宝物である。
このアルバムの後、もう1枚アルバムを出されていて
そちらはカセットで買ったのだが、どうやら母親が亡くなったとき
姉が家の中のものを、大量に処分した際に一緒に捨てられてしまったらしい。
この大空はるみさんという人のその後をネットで検索すると
すでに亡くなっていることを知った。
おそらくまだお若いだろうと思うのだが、ショックであった。

今回、思い出してオークションサイトで検索すると
そのセカンドアルバム「VIVA」が出品されていたので、
もう1枚、これも同じくCD化されていない「日暮し」というグループの
シングル盤「いにしえ」も一緒に勢いで落札してしまった。
これも繰り返し聴いた曲だ。
アナログプレイヤーも持っていないのに、どうしようか…
しかも前回、CDにしてもらったところは、URLが変わったのか
会社自体が無くなってしまったのか、「NOT FOUND」…

なんとか同じ様なサービスをしているところを探し出し
今日、宅配便でレコードを送った。

商業レベルに乗らないほどマイナーだけど、自分にとって思い出のあるアルバム。
まだまだたくさんある。
思い出すたびに聴きたくて聴きたくて仕方がない。
一つ一つ見つけて、一枚一枚CDにしていかなくてはならないのだろうか…

アナログレコードなんて大っ嫌いだ…

贅沢なひとときをどうぞ

2005-04-19 | 音楽
よく遊びに来てくれる「横須賀みお」さんこと
三尾真貴子さんのライブのお知らせ。
場所は「松戸市民劇場」
ここはオレの生まれた実家のすぐそばなのだ。

コンセプトは…

ジャズは大人のためお酒の音楽じゃない♪        
お昼からはじまるコンサートだから
お子様も主婦の方も誰でも聴ける!
『気軽に楽しく聴いて欲しい、無料でね!』

ジャズというと敷居が高いイメージがあり、ちょっと構えてしまいがちだ。
あるいは酒の席でのBGMという印象がある。
実を言うと、オレもそうだった。
ひょんな御縁で、ネット上だけであるがお付き合いをさせていただくようになり
その気さくなお人柄のファンになってしまった。



もちろんCDも買わせていただいたのだが
そのおかげで「ジャズ」という音楽の魅力の一端を見せていただいた。

プロのミュージシャンの演奏が無料で聴ける事は滅多にない。
ご興味のある方、お近くの方
この機会に、その魅力的な音楽とお人柄に触れてみてはいかが?

★日時:2005年5月4日(水)
    午後2:00開演
★場所:千葉県・松戸市民劇場
★入場料:無料(予約・チケット無し)


詳細はこちら
http://www5d.biglobe.ne.jp/~makico/matudolive.htm

三尾さんの楽しいHPにもどうぞ。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~makico/

時間がとれたなら、オレも是非「生みお」体験したいと思う。

元気の出る歌

2005-04-11 | 音楽
何かで落ち込んだときや疲れているとき
必ず聴く歌がある。
そしていつでも元気をもらい、
また「頑張ろう」という気持ちになれる。

山下達郎氏の『アトムの子』だ。

仕事場、深夜誰もいなくなったとき、
大音量でかけて、一緒に歌う。
途中、涙で声が詰まりそうになりながら。


どんなに 大人になっても
僕等は アトムの子供さ
どんなに 大きくなっても
心は 夢見る子供さ

いつでも 百万馬力で
みるみる 力がみなぎる
だからね さみしくないんだ
僕等は アトムの子供さ



古い友達、新しい友達。
音沙汰の無くなってしまった友達や
フラれちゃったけど大好きだった女の子。
みんな元気でやっているだろうか。

大人ってヤツは、どうしてみんな素直になれないんだろ。
うちの子供ら…といっても高校生に中学生だが
思春期の子供らとしては珍しいくらいに仲がいい。
もちろんケンカだってするが、アッと言う間に仲直りをしている。
この柔軟さ、素直さは見習うべき事だ。
「軽い」と言えばそれまでだが
この切替の早さに、オレは随分助けられている。

まだ保育園の頃、
ウチの子が、いつも遊びに来る友人の子とケンカをした。
理由は他愛のないことで、聞いてみると友人の子に非があったようだ。
友人が自分の子に「謝りなさい!」というが、どちらも納得のいかない様子。
それでも悔しさを押さえながら意を決し、

「ごめんね!」

と、突き放すように言った。
うちの子もまた突き放すように

「いいよ!」

そばで見ている大人たちは、笑いを堪えている。
とても謝っている言い方ではないし、許している態度でもない。
おそらくは保育園で教えられたのだろう。
例え子どもとはいえ、お互いの主張は曲げられないし
謝ることは悔しいのだろう。
しかし、儀式的とはいえ「ごめんね」「いいよ」と言うことで
ケンカはお終い!さぁ仲直り。
あとは元通りのなかよしに戻って、遊んでいる。

生まれて40余年…
色々な人に迷惑をかけ、色々な人に助けてもらった。
色々な人がいて、色々なことがあったけど
オレは最後の最後まで、人間を信じたい。
ブログを始めてよかったと思う。
おかげでオレはこれからも生きていける。


Oh Boy
どんな時でも 君の事だけを
Oh Boy
考えていたっけ

意地悪 する子がいたって
最後は 仲良くなれたよ
あの子は どうしているだろ
今でも 大事な友達

みんなで 力を合わせて
素敵な 未来にしようよ
どんなに 大人になっても
僕等は アトムの子供さ



読んでくださっている貴方。
いつもありがとうございます。
旨いもの、喰ってますか?
笑っていますか?
お互い明日も頑張りましょう!

さて、ラーメンでも喰いに行こっと!

TIME AND TIDE

2005-03-30 | 音楽
とにかく色々とイベントの重なる週である。
日曜日の「ケルティック・ミュージックフェスティバル」に始まり
明日、木曜は義兄の誕生会で食事。

日曜日はお花見…
というか、いつも行く散歩道の桜がまだ殆ど咲いていない状況で
お花見など出来るのだろうか。
週間予報では、天候も悪そうである。
まだまだ寒いだろうなぁ…

今日は中でも、一番楽しみにしていたコンサートである。
東京国際フォーラムで行われる
「マット・ビアンコ フィーチャリング バーシア ジャパンツアー2005」



オレが初めてバーシアと出会ったのは1987年。
CDというものが、まだ完全に普及していない時代だった。
当時、CDデッキを買ったばかりだったオレは
仕事で出かけたついでに寄ったCDショップ(まだレコード屋)で
偶然、デビューアルバム「TIME AND TIDE」を見かける。

マット・ビアンコに在籍して、ヒット曲もあり
まるっきりの新人ではなかったのだが、それは後で知ったこと。
当時のオレは無知でマット・ビアンコの存在すら知らなかった。

憂いのある表情で写っているジャケットと
「ポーランド出身」というプロフィールに興味を惹かれたオレは
何の予備知識もなく、まさに衝動買いであった。
元々、サンバやボサノバを歌う
ヨーロッパ系の女性ヴォーカリストが好きなこともあった。

ところが聴いてみると、寂しげに写っているジャケットとは違い
要素としては、ラテン系のダンスミュージックの要素が強い明るい音楽で驚いた。
またオレの好きなボサノバの香りもするし、ジャズっぽいテイストもある。
聴き込むうちに、どんどん好きになっていった。



その翌年あたりだったのだろうか、
渋谷の「クラブ・クアトロ」のこけら落としに
ライブを行うという情報を得、さっそくチケットを手に入れた。
今では「クラブ」というのだろうが、当時はまだディスコと言った気がする。
とにかくドリンクチャージがあり、全席立ち見。
まさに手が届きそうなくらい近くでバーシアの初来日ステージを観る。

セカンドアルバム「ロンドン・ワルシャワ・ニューヨーク」
サードアルバム「スウィーテスト・イリュージョン」と
発表するたびにワールドツアーを行い、オレも来日のたびにライブに出かけた。
二度目は舞浜のNKホール、三度目は日本武道館。

そして今回久しぶりの来日。
20年振りにマット・ビアンコに復帰し、来日公演を行うという情報を得たのは
わずか一週間ほど前であった。

バーシアの繋がりでマット・ビアンコも今では大好きだ。
ご存知無い方でも日産ティアナのCMでドゥービー・ブラザースの名曲
「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」のカバーはお聴きになったことがあるだろう。

それにしても、この時期にまだチケットが残っているのか…

不安になりながら出かけたのだが、心配は無用だった。
やや小さめのホールであったが、満員であり、
タップリと2時間、最後は立ち見となって盛り上がった。

ここ数日の嫌なことも忘れて、タップリと堪能。

終演後、目の回るほど腹が減ったので
帰り道の水道橋にある「つけ麺屋 やすべえ」にて
「味噌つけ麺」を堪能。折しも開店記念サービスと言うことで
全品390円という嬉しいオマケ付き。



さて、明日から気分をリセットして行こう。


リタ金ギャラリー
B級グルメアルバム、更新。
無明長夜BBSにもどうぞ。





ケルトミュージックの夕べ

2005-03-27 | 音楽
民族音楽に傾倒している義兄が
ボランティアスタッフとして参加している関係もあり、
昨年に引き続いて今年も「Celtic Music Festival」
ニョウボ、義母と3人で赴いた。
会場は東京すみだトリフォニーホール

ボブ・ディラン「欲望」「ハードレイン」のレコーディング、
伝説のコンサートといわれた「ローリングサンダーレヴュー」にも参加し、
デューク・エリントンオーケストラのソリストという輝かしい経歴を持つ
伝説のバイオリニスト、スカーレット・リベラさんをメインに
イギリスの伝統楽器ハイランドパイプ(バグパイプ)奏者で
映画「タイタニック」のテーマでお馴染みのエリック・リグラーさん
日本からはジャズバイオリニストの太田恵資さん
日本のゴスペルシンガー第一人者亀渕友香&VOJAというラインナップだ。

ケルト音楽というと、ENYAが日本ではお馴染みである。
ゆったりとした川の流れのような、なんとも幻想的な音楽である。

まず最初に登場したのが太田恵資さん。
「一人でやれと言われて驚いている」と、とぼけたトークで笑わせながら
それでもエフェクターを使い、迫力ある演奏を披露してくれた。
また独特の味のあるヴォーカルも素晴らしかった。

続いては亀渕友香&VOJA
ゴスペルを日本語に訳して歌っておられたのだが
やはりキリスト教の「神」という概念が日本には薄いためか
オレにはちょっと違和感があり、原語で歌われたほうが良かったような気がする。
しかし最初に歌われた日本の「さくら」「花」といった叙情歌は素晴らしかった。
「日本のゴスペル」というなら、こちらの方が馴染み深い気がする。
しかし、その圧倒的な声量のヴォーカルはさすが!である。

休憩を挟んで、いよいよスカーレットさん、エリックさんの登場。
幻想的なバグパイプの音色に、
優しく、ときに迫力を持って絡んでくるバイオリン。
お二人の競演するCD『Celtic Spirit』、ご興味があれば。

終演後、ホールロビーにてCDのサイン即売会が行われ、
ニョウボと1枚ずつ買って、サインと握手をしていただいた。





お二人ともとても気さくに対応していただけて感謝。



イケてる外人さんに弱いニョウボなどは
嬉々としてエリックさんと写真に収まっていた。

タップリ楽しんだケルトミュージックの夕べ

また来年も開催されることを願いたい。