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新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

集中から夢中へ

2019-11-28 15:24:15 | 弁証法


「集中する」と「夢中になる」。

集中は、「する」モノ。
夢中は、「なる」モノ。

大好きな事なら夢中になれる。
好きでないモノなら夢中になれなくても集中はできる。

夢を見るには、眠る事。
直ぐに眠りたいなら、眠れる環境をつくり、
眠ろうとする事に集中すればよい。


夢中になれない事、
好きでなかったり、
やりたくなかったりする事に、
夢中になるには…

好きになればよい!
それには、まず集中する努力をする。

嫌で嫌いでやりたくない事に集中する努力をする。
一生懸命に、その事に集中する努力をする事。


そして、
そんな嫌で嫌いで、やりたくない事に、
集中しようと頑張っている自分に快感・好感を感じ、
そんな自分を好きになる事。

嫌いな事をする不快感が、
嫌な事に取り組む不快感が、
やりたくない事をやり続ける不快感が、

そんな嫌いで嫌で、やりたくない事に
集中できている自分に対する好感・快感となり~

結果的に、
その連続が己の認識状態を集中から夢中へと変えていく。



弁証法と目的意識

2019-06-26 14:25:48 | 弁証法

弁証法は弁証法性を法則的に捉え、
それに則って対象を変化・運動させる事。

図工の授業終了時の後片付けの時~
4人一班で、早く片付け終わった順に解散。

私の担当児童のいた班では、
周囲の床、工作机の上、所持品の片付け…
全てを一番に終わらせて先生の確認を待っていた。

その時、隣の机の児童が、机の上の消しゴムのカスを指摘した。
すると指摘された場所に座っていた児童が、
自分の図工バックを消しカスの上に乗せた。
結局、先生は、その消しカスに気付かずに解散となった。


解散の条件は、ゴミを片付けて、綺麗にする事。
ゴミが残っていたら、ゴミを片付けるのが正解である。

なのに…早く解散したいという願望・目的達成の為、
時間の掛かるゴミの片付けではなく、
すぐ簡単にできるゴミをバックの下に隠す方法を選んだ。


「ゴミを片付ける」とは、
その場しのぎでの「ゴミを見えなくする事」ではなく、
その「ゴミを永遠に目の前から消し去る事」である。
その「ゴミを永遠に消し去る」とは、「ゴミ箱へ捨てゴミ収集に出す事」。


なのに、早く解散する為に、
眼前から永遠に消し去るのではなく、
その場しのぎの他のモノで隠す事をした。


弁証法性を正しき把握し得て、
弁証法を正しく駆使していても、
その目的意識の相違で結果が違ってくる。


何でもいいから、早く解散したいのか?
後片付けを確りした上での早く…なのか?


動物なら目的意識は不要、その全てが本能に従ってであろう。
人間は弁証法を修得しても、その人の目的意識が結果を左右する。


また、その弁証法性の体得・修得も、
その人の目的意識がその弁証法性のレベル・内実を左右する。











言葉の弁証法性

2019-06-23 11:23:45 | 弁証法

弁証法性と書くなら、
それはモノ自体の変幻自在の変化・運動性。

弁証法と書くなら、
それは、モノ自体の弁証法性の法則化したモノ。

弁証法性も弁証法も、ただ一つ。


でも、モノ自体が変化してモノ化して、
弁証法性も変幻自在からただの変化・運動性へと変化したなら。


それは、
○○の弁証法性であり、
○○の弁証法と言える。


モノ自体の弁証法性が、
自然の弁証法性へ、
社会の弁証法性へ、
精神の弁証法性へ…


自然の弁証法性から自然の弁証法、
社会の弁証法性から社会の弁証法、
精神の弁証法性から精神の弁証法…



モノ自体は、有っても無いモノ。
その理由は、モノ自体が変化・運動していて、
モノ自体をモノ自体として捉えられないから…


弁証法性は、有っても無いモノ。
それは、
変化・運動性だから、
実体の変化・運動だから、
実体の機能だから…


機能は有っても無いが如く感覚不能。
実体の変化・運動が機能だから、

実体は五感で感覚可能。
機能は五感で感覚不能…。


実態は五感で感覚可能。
実体は五感で感覚不能。

モノ自体の弁証法性は?
自然の弁証法性と
社会の弁証法性と
精神の弁証法性を 通して、
やっとモノ自体の弁証法性へ~


事実から事実の性質へ、
事実の性質から事実の論理性へ、
事実の論理性から個々の弁証法性へ、
個々の弁証法から弁証法の論理性へ、
弁証法の論理性からモノ自体の弁証法性へ、
そこから学問・唯物論的弁証法へ~


言葉遊びが、言葉遊びで、終わらずに、
言葉の労働へと変化・運動できたら…
そこから弁証法が~~~~~~~











続・偽りなき…

2019-05-12 12:41:44 | 弁証法



例えば、誰からプレゼントを頂いた時、

頂いた物が気に入った時、「嬉しい」と言った。
これは、偽りなき自分の気持ち?

頂いた物が気に入らなかったのに「嬉しい」と言った。
これは、偽りの自分なのだろうか?


「頂いた物は嬉しく」ても
自分が、その相手から物をもらえない立場なら、
「物を頂く事は嬉しくない」となり得る。

また、その頂き物は「気に入らなく」ても、
その相手の気持ちが「嬉しい」場合もある。


相手の気持ちが迷惑で、
その贈り物も気に入らない、のに~
「嬉しい」と言った場合。

自分の気持ちを相手に偽って表現した事になるが…
それでも、自分で偽らない自分を見つめているのも事実。

迷惑なのに「嬉しい」と自分を誤魔化したり、
気に入らない物なのに、「嬉しい」と自分を誤魔化したり、
そんな時は、自分で自分を偽って捉えている事になり得る。


迷惑な事は、「嬉しい」コトではない。
気に入らない物は、「嬉しい」モノではない。


それでも、
気に入って・好きな人からの迷惑は「嬉しい」。
気に入って・好きな人のその気持ちは「嬉しい」。


贈り物は、「贈る気持ち」と「贈くられた物」の二重性がある。
それら二つをゴチャゴチャにする事無く、
分けて捉える事は、
一つの事を二つにして考える弁証法であろう。


コテハンをコロコロと変えて、
一つ一つが、さも別人の如く、
コメントを寄越すなら、
それは、偽りの者とも言えるだろう…

もっもと…
ネット界のコテハンを現実界の氏名と
同様に認識するなら…であるが




それでも、
その本質・人格が、偽れないなら、
それは、偽りのない自分なのだろう。




名前・コテハンを偽る事が可能でも、
その本質・人格を偽る事は至難だろう。

本質・人格が偽れるなら、それは二重人格だろうが…
それでも、その二重人格という本質は偽れない事になる。






日常会話の弁証法性

2019-03-22 10:44:04 | 弁証法


日常会話の中での弁証法性



日頃~私は家内から、よくクドイと言われている。
でも…私には何回も同じ事を言っているようには思えていない。

そんな中、
私は今朝の私と家内の以下のような会話から気付いた。

私~「テレビを視ながら消さずに眠るのは止めて…」
私~「電気代も先月は今までで一番高かったんだよ!」

家内~「テレビの電気代なんて安いよ!」

私~「塵も積もれば高くなる、と言うでしょう~」
私~「テレビの電気代の高い・安いのが問題ではない!」
私~「それは論点が違うでしよう!」


私の言葉は、これで終わらず…
まだ、まだ…続いたが…
具体的に何を言ったかは記憶していない。


それでも…
私が最終的に思い気付けたのは以下のよう事である。


家内は、数々の私の言葉を、
頭の中で家内的にまとめながら聞いている。

それに対して私は、
感じたままに事実的に話している。
私は、事実的に話しながら、
相手の私への反論・言葉と重ねて、
相手と私言葉の裏の想いを思い考え、
それを言まとめて言葉にし、
それに対する相手の言葉と私の言葉について…

だから、
私は自分の言葉を発した後、
更に言いたい言葉が生じる。

しかし、
家内にとっての私の言葉、
その更なる私の言葉は、
初めの言葉と同じ内容に思えてしまう。

上記の場合、
初めから以下のように言えば、
私の思いを正確に表現できていた、のだろう。


先月の電気代は過去最高記録を更新した。
何と一万六千円である。
そこで、節電を心がけて欲しい。

必要な電気代・費用等は仕方ないが…
消費しなくて済む無駄なモノは止めて欲しい。

そもそも…テレビを視ながら、
ここ(居間)の床の上で眠るのは、
体には良くない、
二階の畳部屋に敷いた布団で寝て欲しい。

更に良くないのは、
テレビを眠った後も一晩中付けっぱなしの事。
その視ていない間の電気代は無駄そのモノ。
そんな無駄な電気の消費は止めて欲しい。




ここでの私の問題は、
事実を整理する事無く、
事実的に話した事。

でも、
初めから整理して話したなら、
それは日常会話にはなり得ない、
だろう。

日常会話の中で、
整理された長い言葉を、
相手は最後まで辛抱強く、
真面目に聞き続けるとは思えない、
から…