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新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

「崩れる」と「崩す」~

2022-04-28 17:09:49 | 悟得びと技術論
「崩れる」と「崩す」~

崩れる(動詞)⇒崩れ(名詞)
崩す(動詞) ⇒崩し(名詞)

崩れて欲しくないのに、「崩れてしまう・崩れる」。
形を変えたいから「崩す」。


空手の試合で、
技を対手に当てる為に、基本技の型を当てられる形へ崩して(変化させて)使う(変化技・崩し技)。

(ア)上記の結果、必ずその技が決まる―基本技が技化した状態。
(イ)上記の結果、当たる時も当たらない時もある―技化の未完・未熟・過程。

基本技を当てられる形へと崩そう(変化させよう)としても、
相手の揺さぶりで、意図する形へと崩せず、当てられない形に崩れてしまう。


技の変化(変化技)とは、基本技の型を自分の思い・意図通りに崩せて使える。
技の崩れ(崩れ技)とは、基本技を思い通りに崩せない・使えない・当てられない(技の使い方の質の崩れ)。
また、思い通り崩せて(変化できて)いる・当てられているのに、相手を倒す威力が発揮できない(技型の威力・質の低下)。


「技の崩れ」も「技の崩し」も現象としては、技の変化である。
違いは、その使用している者の認識であり、意図・思い通りに変化させられているか・否か?


思い通りに、技を崩せる・変化させられているのに、
相手に当たらない、または当たっても相手を倒せない時、

(ア)初めから、そのようであるなら、技の未完・未熟。
(イ)過去に当てられていた・倒せてしいたのに、今はダメなら、それは技の質の崩れ・劣化・変化。




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「技の崩れ」の二重性~

2022-04-26 16:37:26 | 悟得びと技術論
「技の崩れ」の二重性~

一つ、技の型が崩れる。
一つ、技の質が崩れる。


試合で、基本技の型のまま、相手に当てようとすると、
その型が勝手に変化してしまうなら、これは崩れ技。

試合で、相手に当てる為に、
基本技の型を意識的に変えられたなら、それは変化技。

ここで、「崩れ技」・「変化技」のどちらを使っても、
相手に当てられないなら、それは「基本技の質」の問題。

この場合に、
当てられるか否かを問題とするなら、基本技の「使い方の質」の問題。
当てたのに相手を倒せない場合は、基本技の「創り方・破壊力」の問題。


相手の「揺さぶり」で技が使えないのは、「使い方の質」の問題。

過去に同じレベルの相手に揺さぶられても技が使えたのに、使えなくなったなら、「技の質の劣化・崩れ」。
初めから何度のも、そのレベルの相手の「揺さぶり」で技が使えないなら、「技の使い方の質」がそのレベル。


相手の「揺さぶり」で使えないのは、当てられるタイミング・形で(変化)技が出せない。(技の未熟・未完)
当てられると思って出しても当たらないのは、技の質のレベルの問題。

過去に強かった者が、弱くなった(実力低下)なら、技の崩れ。
基本技の威力・型ではなく、加齢による実力の低下なら、
それは、身体・実体の変化・劣化による「技の使い方の崩れ」と言えよう。

技が使えないのには、

自己の認識が崩されて、相手の動きに対応して技を使える形へと変化できない(未熟・未完)。
認識は確りしているのに、相手の動きに対応できない(未熟・未完)。

以前は、認識が確りしているなら決まった技が、
今は決まらない(技の質の劣化・崩れ)




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「わざ」とは?

2022-04-20 15:57:34 | 悟得びと技術論
「わざ」とは?

「わざ」[技・業]とは、
スポーツや武道、工芸など、それぞれの方面で、うまくやりこなすため為に身につけなければならないやり方のこつ。
「例解新国語辞典[第二版]」


「わざ」[業・技]とは、
(1)行い。[業](ア)行為。しわざ。(イ)仕事。こと。ありさま。
(2)方法・技術。武道・相撲…等で、相手を負かそうとして仕掛ける、一定の型の動作。
「岩波国語辞典[第八版]」

以上から人間にとっての技とは
何か目標を達成するための優れた方法・行為…そのモノも技なら、
その方法・行為が確りと体得して自由自在に使える事も技と言えよう。


技と技でないモノの区別と連関~

書写が考えるなら、
手本の文字を見ながら一つ一つ丁寧に書く練習・訓練の結果、手本を見ないでほぼ同形の文字を書けるようになれたなら、「文字の型」技の体得。
そして、どんなに急いでいても、何回でも手本とほぼ同形の文字を書けたなら、「文字の使い方」技の体得。


手本の文字の型とは違った形を意識的・意図的に書いたら、それは「変化」。

また長年、手本を見ないで、文字を書き続けた結果、少しずつ文字が変形して、ある時から、手本と同形の文字が書けなくなったなら、それも「変化」。


その「変化」した文字でも、手本を見てほぼ同形の文字が書けたなら「変化」どまり。
手本を見て同形文字が書けなくても、誰にでも分かる・読める文字なら、まだギリギリ「変化」。
それが、読める人にしか読めない文字に変化したなら、それは「崩れ」となろうか…


人間以外の本能で生きている動物には、技はないし、技は不要である。
何故なら、動物は本能によって、生きるのに必要な事は全て先天的に体得しているから~

人間だけが、先天的に無限学習能力をもって誕生してくる、のだろう。
人間にとって必要な事は、その「学習能力の技化」であろう。

学習能力の技化とは、出来ない事・嫌な事・やりたくない事…
「何でも頑張ってやろう・やってみよう!」とする感情の技化と言えよう。

個々の物事にたいする優れたやり方・考え方の技もあれば、
そんな個々の優れた技を求めようとする心・感情の技化もありえる。


人間にとっての基本技の型とは、
優れた物事のやり方・考え方を可能な限り体得・技化しようと求める心・感情の形なのだろう。


また、人間にとっての「技の崩れ」とは、
「やりたくないからやれない!」、
「嫌なモノだから食べない!」、
「初めてだから嫌だ・やらない!」…


人間にとっての先天的(本能的)な学習能力は、まだ技でない。
生誕後、周囲から諸々の物事を教え込まれる過程で、
その学習能力の技化への道が拓ける事になろうか…。







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技の崩れと変化~

2022-04-17 09:24:01 | 悟得びと技術論
技の崩れと変化~

技とは~
人間が、初めは無かった・出来なかった、ある行為・行動・思考・認識…が、
意識的に練習・訓練した結果、
ある形式として自然に特に意識しなくても、出来るようになった状態~。


「技の変化」とは、技として体得した形式を、
状況に即して意図的・意識的に変化させる事。


「技の崩れ」とは、技を変化させて多用した結果、元の技・形式・に戻れなくなった状態。


ある人の行為・行動をみて、
それが技の崩れなのか?技の変化なのか?を判断するには~

その人の技の形式・原型を知る必要がある。
何故なら、変化した技も崩れた技も、元の形式・技とは、違って現象している事に変わりないのだから…


例えば、書道で
楷書体で体得した人が、草書体を覚えて、草書体で書き続けた結果、初めのような楷書体で書けなくなった、ならそれは「技の崩れ」。

初めに「草書体」で文字を体得した人が、楷書で書いていた文字が変わっても、それを「技の崩れ」とは言わない。


特定の行為・行動の形式が、体得(技化)されていない場合、そこに「技の変化も崩れ」も存在しない。
そもそも…技と技でないモノを見分けられない者に、「技の変化・崩れ」の判定は無理であろう。
コメント (2)
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