「人間は認識的実在である」が真理なら、
「人間は本能的実在でない」も真理。
「動物は本能的実在である」が真理なら、
「動物は認識的実在でない」も真理。
人間の観念内での真理は一つであっても、
それを言語表現するなら「真理は二つ」となり得る(のだろう)。
人間が観念内で認識する「運動」は一つ でも、
それを言語表現するなら以下のようになり得る。
「運動とは、そのモノが、そこにあると同時にそこにない」
「変化とは、そのモノが、そのモノであると同時にそのモノでない」
「真理とは、あるモノコトの真の姿を認識したモノ」と概念規定するなら、
人間の観念内でのあるモノコトの真の姿「認識・真理は一つ」でも、
それを言語表現するなら「言語・真理は二つ」(になり得る)。
その理由は、言語表現には肯定⇔否定の両側面があり得るから…
「好きとは嫌いの否定」、「風が吹くとは無風の否定」…
そもそも…あるモノの表現・言葉は、
そのモノが他のモノと違う事を知らせる為に生まれた、のだから…