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新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

アキレスは何故…?

2024-12-20 16:52:15 | …絶対矛盾…
アキレスは何故…?


ゼノンのアキレスは何故にカメに勝てないのか?
それは端的には、「アキレスの目的意識が間違っている」から~

そもそも、この「アキレスとカメの競争」の場合の勝利とは、先に「ゴール」する事。
従って、目指すは「ゴール」であり、ゴールへ一直線走行が正解…

なのに…ゼノンのアキレスは「カメに追い付く事を目標」にして必死に走っている…
そう~「追い越す」でも「追い抜く」でもなく「追い付く」である…
しかも…余りにも必死だった…のか?!
アキレスは自分の歩調・一歩の間・歩幅…の変化に気付けずに必死の走行~。



もっとも…仮に~
「アキレスはゴールを知らない」とか…
「アキレスは近視で、遠くのゴールが見えない!」とか…
「カメはゴールを知っている」とか…
「遠視のカメにはゴールが見える」とか…

そんな理由があるなら…また別の話になるが…
そのような場合ならば、アキレスは、カメを追い越す時に、
カメを抱きかかえ、道案内にして一緒にゴールを目指せばいい~

そして…ゴール寸前にカメを横の抱え、胸からゴールすれば…アキレスの勝利!



師範が御著書で説いている「絶対矛盾」とは~(時代の)哲学は完成とともに…未完になり得るという事。
その理由は、世界・哲学が自然・社会・精神…の変化運動の論理化・理論化・学問化であるから…
それらが、全体的に学問・哲学として完成した時点での、
現実の世界・自然・社会・精神は…もう新たな変化・運動が始まっている。


我々人類は、変化・運動している現実・世界の中で、その変化・運動性の法則化をしている。
それと、同時に人類は、その法則化した法則に基づいて現実・世界を改造・改革している…

それは、人類は人為的に現実・世界を変えながら、その法則性を法則化している。
現実・世界の法則を把握した時点の「現実・世界」と、
その法則化した法則駆使して現実・世界に働き掛けた後の「現実・世界」とでは…少々異なっている

その哲学完成前の過去の「現実・世界」に、更なる人為的(自然的とは)異質の変化・運動が生じている…のだろう。


従って…哲学の完成した時点では、
現実・世界では、既に新たな変化・運動の生々生成が始まっている…のだろう。


人類の哲学・学問は、どんなに頑張っても…現実・世界との一致は不可能!
しかし…そこで弁証法の技化がなされれば、
完成した哲学に弁証法を適用して、「新たな現実・世界の予想・推論」は可能!







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解決版「アキレスと亀の競争」の話

2024-12-10 16:23:47 | …絶対矛盾…

解決版「アキレスと亀の競争」の解答





アキレスの一歩が50㎝、亀の一歩が5㎝。
共に一歩つづの出して着地する間隔は同じ。
亀のスタートは、アキレスより100mゴール近く先から~


前回の考察結果~

アキレスと亀ともに「223歩」歩いた時点で、アキレスが亀を追い越した。



最終的な二人の走行距離の差は、
アキレスの走行距離は、0.5m(50㎝)×223歩=111.5m。
亀の走行距離は、0.05m(5㎝)×223歩=11.15m。
(アキレス)「111.5m」-「11.15m」(亀)=(その差)100.35m。

亀のスタートは、アキレスより100m手前なので…
アキレスは、223歩目で、亀を「35㎝」追い抜いた地点に着地。


しかし、求める回答は、アキレスは亀に「追いつけるか」?なので…

その解答は、アキレスは、222歩目を亀の真後ろから亀を狙って蹴り出す事。
そして「その足で前にいる亀を蹴飛ばした時=追いついた時」が正解であろう。

従って、アキレスの最後の一歩が~
亀に命中すれば「追いつけた」!
外れたら「追いつけずに追い越した」となろう。


まだ数学が未完の時代に、この問題を数学的に解くには無理があろう。
だから、上記のように算数的に解けばよい!



ここで…問題は、A地点からB地点かの「間隔・距離」は目測可能。
しかし、そのA地点からB地点の移動時の間「時間」は測定は当時では至難。

だから「一歩の蹴り上げて⇒着地の間隔」を同じor関係を仮定して始める。

アキレスの一歩に対して亀が二歩(三歩、四歩…)でもOK。


それは、哲学上の「空間と時間」という大問題であろう。


空間とは、物質・物体の存在が確認できて、初めて現象するモノ。

物質・物体のない空間は、人間には認識不能。
何故なら、人間の存在が「空間を認識している」。
逆に書くなら、人間の存在しない空間を問う事は無意味。


「時間」とは、あるモノの変化・運動を基準にして決めるモノ。
例えば、小学生の国語の教科書に載っている「ゾウとアリの時間」のように…


人類だけが、人類共通の「時・時間」を創出している事に…
果たして、何人の者が、感覚・自覚しているのだろうか…

また、当然に、人類共通?(一つとは言い難いが…)の「距離」の創出も…



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「アキレスと亀の競争」の話

2024-12-10 10:36:53 | …絶対矛盾…
「アキレスと亀の競争」の話



アキレスと亀のパラドックス②数学的な解決法と、哲学的問題としての本質 | TANTANの雑学と哲学の小部屋、からの引用。


上記では、「数学的解決法」として以下のような事が書かれている。

パラドックスを解消するための答えとして、
この問題を、
アキレスが亀に実際に何秒後に追いつくのか?
それとも追いつかないのか?
という問題として捉え、それに対して数学的な答えを出すのは
至極簡単な議論となります。
例えば、
アキレスは俊足とされているので、
カール・ルイス並に、100mを10秒で走り続けていくとして、
鈍足の亀にも頑張ってその10分の1の速度で走ってもらうとし、
両者のスタート時点での距離の差を100mとすると、
アキレスが秒速10mで、
亀が秒速1m、
両者のスタート時の差は100mとなるので、
アキレスが亀に追いつくのをx秒後とすると、
アキレスが何秒後に亀に追いつくことになるのか?
ということを表す計算式は、
10(m/s) × x(s) = 100(m) + 1(m/s) × x(s)
(アキレスの秒速)(x秒後)(スタート時)(亀の秒速)(x秒後)
の距離の差
となり、この式を解くと、以下のようになります。
10(m/s)×x(s) =100(m)+1(m/s)×x(s)
10x(m) =100(m)+x(m)
10x =100+x
9x =100
x =11.11111…
よって、アキレスは亀に11.11111…秒後に追いつくことになり、
少なくても、11.2秒後には優に亀を追い越している
という結論となります。

「追い越す」事は可能でも「追いつく・追いついた」(という認識・自覚)は不能では?
それは、アキレスが、亀に「追いついた瞬間をと認識できず」に「亀の横・上を乗り越え」追い越しているだろうから…
「追いつく・追い付く・追い着く」 1.先に出た人に、後から出た人が並ぶこと。
「追い越す」 1.後ろから行って、先行するものを抜いてその前に出る。追い抜く。


なので、この解答は、「追い越す」認識は可能でも「追いつく」認識は不可能。


では~その思惟過程を書いてみよう。




上記の問題の説き方・仮定は~

アキレスが秒速10mで、
亀が秒速1m、
両者のスタート時の差は100mとなるので…
このような「秒速」で思考するのは不適当。
そもそも…当時のギリシャに秒速という概念はなかっただろう。




私の記憶だと、問題は「アキレスは亀の十倍速い」


なので思惟(事実的な思考)で、前提を以下のよう変えよう~
二人が「同じ間の一歩」であり、
「亀一歩が5cm」で、「アキレス一歩が50㎝」⇒十倍速い。



亀もアキレスも足で走る歩く、
それらの用いた場所の移動は、ほぼ安定した「一歩の間(時間)と一歩の間隔(距離)」。


なので以下のよう仮定~
両者の一歩の間(時間)を同じ。
亀の一歩は、5㎝(0.05m)、
キアキレスの一歩は、50㎝(0.5m)、と仮定。

亀のスタート地点は、アキレスの100m前、として~

アキレスの二歩が1m、亀の二歩が10㎝。

初めに、アキレスが、100m先の亀のスタート場所に「200歩で到着」。
その時、亀も200歩進んで、「5㎝×200=1000㎝=」10m、アキレスの先にいる。

次に、アキレスは、その亀いた10m先の地点に、「20歩で到着」。
その時、亀の20歩は、5㎝×20=100㎝=1m、アキレスの先にいる。

更に、アキレスは、1m先の亀の地点いた地点に「2歩で到着」。
その時の亀は、5㎝×2歩=10㎝、アキレスの先にいる。

そして、アキレスの次の50㎝「一歩が、亀の頭上を越えて」、
亀のスタート地点から、111m50㎝の地点に着地。


結果は、アキレスは~
「200+20+2+1」=223歩で亀を追い越した。


ここで、好む問題の問いは、「追いつく?or追いつかない?」
解答は、「追い越す事は可能」でも「追いつく瞬間は認識不能」
そもそも…この問い自体が問題だ!


その問いを、観念体である秒速を用いてで解こうするのも問題。
ある運動中の「ある一瞬」を認識するのは、人類の想像・認識の停止。認識・観念内的なモノ・
それを、言葉・頭脳像的に可能でも、現実的に瞬間的に再現は不能。


それは、言うなれば、人間が、今のこの瞬間の自己の気持ち・気分・感情…を「瞬間的に認識して言語表現する」事。
しかし、ある気分は、感じた瞬間に、別物に変化している。
認識・表現できた、今の気分・気持ち・感情…は、ある程度の長さで続いていたモノ。



そもそも…この問題を事実的に思惟するなら、
「秒速は人類の創出した概念・観念的なモノ」。
この問題ほ観念的な秒速で思考計算した結果をギリシャ時代の一般人には、思考も理解不能。


ゼノンの絶対矛盾とは、私的には、私の今この瞬間の感情・気分・気持ち…を、今この瞬間に表現しようという取り組み・矛盾。
この矛盾とは、「今この瞬間」は「今・この瞬間だと」・「感覚・認識した瞬間」に、「少し前の瞬間に変化(運動)」している。

そもそも…今この瞬間を「感覚して表現する」という、二つの事を今この主観に同時には、出来ない!


なので、アキレスは亀に、「追いついたと認識した瞬間」、既に「追い越している」
言うなれば、もう「少しで追いつく」と認識して、最後の一歩を出した瞬間にもう追い越している。

それは、「踏切の赤ランプの点滅」の滅を確認しようしようとする取り組み。
または、電車の開扉を、開閉ランプの見詰めながら「点灯」の瞬間を認識しよて押そうとする取り組み。

何度トライしても、私には、電車の開ランプ点灯の瞬間を同時に確認はできない…
結局は、一瞬後の確認・ボタン押し…である。


認識・頭脳可能な事でも、そのまま現実に押し付ける事は、絶対的な矛盾に陥る事がある。

それは、秒速・分速とは、実体の機能に過ぎないモノ。
飛行機・自動車…の人工的物体の機能としてなら有効でも…
生命体の機能にそのまま…押し付けるなら、そこ矛盾が生じる。

昨日までの私は、全力ではしれた!
今日の自分は、全力で走れない!

何故??どうした??
とうすればいいの?!
















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矛盾とは、自己の中にあり…

2023-04-13 05:26:31 | …絶対矛盾…


矛盾とは、自己の中にあり…


今日、夢を記憶いた…
いつも、忘却の夢を~


事の詳細は思い出せない・不明だが…
ネット掲示板or電話で、話し合っている相手の矛盾を、次々に指摘している私の姿を見た。
そして、最後に判明した(夢中の)事実とは?
その姿がみえない・分からない相手と、何と!私自身であったと言う驚愕の事実である。




人間の「絶対矛盾」とは、「ココロとアタマ」の矛盾であろうか…
ココロは、体内の感覚情報の認識であり、
アタマは、外界・感覚可能な範囲の五感情報からの認識である。

動物なら、外界からの肉体的な「快・不快」刺激=内界の本能的な「快感・不快感」であるが…

しかし…人間は、肉体的な「不快」である筈の刺激を、心の快感と認識してしまう可能性がある。

それは、所謂、愛する者からの「愛の鞭」と言われているモノであろう…

鬼のようなシゴキでも、自己の目的達成の為なら、心地よい仏の導き…であろうか?


しかし…問題がある!

鬼が鬼でいる為の、鬼のようなシゴキなのか?
仏が鬼に変身した、人間への成長の為の鬼のようなシゴキなのか?

また、シゴキを受ける人間も、
自分の為の、仏・鬼のようなシゴキと受け取るのか?
鬼の人間イジメの為の鬼・鬼のようなシゴキと考えるのか?

自然の矛盾も、種から芽へ、芽から葉っぱへ…

ある花を見た時、花は花であり、種でも茎でも葉っぱでもない…
でも、その人間が、その花を育てた者なら、
記憶・体感…している「種から花まで」の想起が可能である。

そこには、種・茎・葉っぱ・花…は連続し記憶情報があろう~
しかし、そのような記憶・知識…を持ち得ない者にとっては、
「花は花」、決して種でも茎でもない存在であろう。







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アキレスが亀を追い越せない理由?

2023-03-23 11:21:06 | …絶対矛盾…

アキレスが亀を追い越せない理由?

アキレスは、何故に、カメの到達点を目標に、亀の後を追いかけるのか?
アキレスは、何故に、自分の歩幅を変えてまで、亀を追い抜かないのか?
考えられる、「その理由」とは~

人間的なアキレスには~
ゴールを知らない。
ゴールが分からない。
ゴールが見えない。
ゴールへの道が分からない。
ゴールへの道が見えない。

本能的な亀には~
ゴールを知っている。
ゴールが分かる。
ゴールが見える。
ゴールへの道が分かる。
ゴールへの道が見える。

だから亀の残像・地点を目指している、
ゼノンの「アキレスと亀の競争」では、
アキレスは永遠にカメに到達出来ず、
追い越す事も出来ない。


では、どうすればいいのか?

アキレスは、亀の到達点の残像地点を目指しつつ、
亀の真上を通過すると時に、亀の横に着地して、亀の歩みと共に歩を進める。
亀の横で、亀の歩に合わせて進む事で、ゴールへの到達は可能になる。
対立物の相互浸透の進行・過程…と言えよう。

ここでアキレスが、亀の動きから、ゴールへの道を知り得たなら、
アキレスは本来のスピードで、亀に頼らずゴール可能になる。

しかし、人間的なアキレスに、本能的な亀の歩みの先を予想不可能であった場合、自分の予想で亀より先へ進む事には、ゴールに到達不能の可能性があり得るだろう。

ならば、アキレスは、亀を肩にのせ・背負って進むべきゴールへの道を教えてもらいながら進む。
この時、アキレスは自分とは異なる存在である亀と共に歩む事になる。
アキレスの歩み・速さと亀の本能・実力が一体化して、最強の選手の誕生である。

矛盾とは、
「A」というモノ・コトが、
Aとは異質な「B」というモノ・コトを背負って存在している場合である。


アキレスは、自分とは異なる亀を背負っているだけなら、、
別々の存在が、別々の空間に存在している…だけである。

しかし、アキレスが亀の教え・「道」に従って走る時、
アキレスが自分の意志で、自己の認識ではない、
他者の「亀の認識」に従って、行動している事になる。


アキレスにとって、肩にのせただけ亀は、他者であり、
対立物ではあっても、「対立物の統一」には至っていない。

弁証法の一つの法則である「対立物の統一」とは、
一つ一つの独立的な存在している、ある物事と別の物事、
それらではなく、
人間が自己の頭脳内で、それら二つを一つに統一・まとめ上げる事。

ここでは、アキレスが、亀の認識・ゴールへの道程を、
自分自身の意志で、自己の認識・ゴールへの道程と信じ切った時、
それが「対立物の統一」となり得る。

絶対矛盾とは、
アキレスと亀の一緒でのゴールへの道程は、
「亀のゴールへの本能・認識」と「アキレスの行動・走り」…絶対に相互浸透しない。

人間は、動物の真似は可能でも、どんなに努力・頑張っても、動物本能的な行動はできない。
動物も、表面的な人間の真似は多少できても、本質的に人間にはなり得ない。

従って…アキレスと亀の競争じたい、動物と人間の「対立物の統一
」⇒両者の同時移動は可能でも、
それら二つは常に矛盾し続けるモノ⇒「絶対矛盾」なのだろう。

二つの統一⇒一つになるモノ「対立物の統一」⇒二つが異質な一つへの止揚…であろう。
これが、「非敵対矛盾」⇒二つの変化・運動性が一つの変化運動性へ…

二つの統一⇒二つの運動の統一⇒二つの変化・運動性の総体⇒異質な二つ運動性の総体…
これが、「敵対的矛盾」⇒一つの物事の中に二つの変化・運動性が対立的に存在している。


非敵対的矛盾とは、そのモノの中に、二つの変化運動・矛盾の存在はない。
二つの矛盾・変化運動の統一の結果を一つに統一・止揚な可能な矛盾。

敵対矛盾とは、一つに止揚できない、常に二つの矛盾の同時進行が一つ。
これこそが、変化・運動の真っ最中であり⇒変化・運動性⇒「弁証法性」そのものであろう。

異質なモノ・コトが、一つの中で、互いに刺激しあっているから、
変化があり、運動が起こり得る…これが弁証法性なのだろう



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