光画繚乱

映画と写真、どちらも「光」が関わるので、そしてそれが「錯綜し合う」ということから、ブログタイトルを光画繚乱としました。

児童虐待・最終編

2019-02-13 21:00:46 | 私見偏在

 もし母親が、自分の子供を守りたいと思うのであれば、子供を連れて実家にでも帰ればいいこと。それができなかったということは、母親は「女でいること」に固執したとしか言いようがない。
 酷なことだが、女性に子供がいるならば「母であること」に徹してほしいものだ。
 女性が子供を引き取って離婚しても、「母であること」を忘れ、「女でいること」を選ぶと、不幸がやってくる。
 子連れの母親に男が近づくと、やがて男は母親が連れている子供を「疎ましい」と思うようになり、虐待へとつながってくる。母親も近づいた男を放したくないので、男の機嫌を取るため子供の虐待に加担する。
 よって子供と一緒にいる女性は「母であること」に徹せず「女でいること」の片りんでも見せると、状況は事件性を帯びてくる。
 これが女性に子供がいたら「母であること」に徹しなければならない理由だ。生半可な考えは自分も子供も不幸にするだけ。
 子連れの女に近づいてくる男は、ほとんどその女性との結婚など考えてはいない。男にとっての子連れの女は、自分にとって「都合のいい女」でしかない。こういう「残酷な現実」に目を背けると大変なことになる。
 一方、野田市の児童虐待死事案。この父親はいったいどんな男なのだろう。仕事のように自分の子供を虐待し続ける。しかも、スマホで虐待の動画を数本撮影していたという。
後でビールでも飲みながら鑑賞するつもりか。それとも「その種のサイト」に投稿でもするつもりか。
 専門家が言うには「暴力・虐待は隷属」を意味しているらしい。だとすると最終的にこの父親は、わが子に性暴力を加えるつもりなのではないか。

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