光画繚乱

映画と写真、どちらも「光」が関わるので、そしてそれが「錯綜し合う」ということから、ブログタイトルを光画繚乱としました。

引きこもりの根っこは甘え

2019-06-30 19:58:07 | 私見偏在

 「引きこもりの根っこは甘え」と言うと、マスコミや識者は「引きこもりは千差万別」という金科玉条を出してくる風潮がある。
 「千差万別」はその通りだろうが、そういうふうに言ってしまうと問題があいまいになって本質が見えてこない。「千差万別」と思えるものの中にも、共通項を探し出し類型化して対策を考えるのが大人というものだろう。「千差万別」といったん言い切ってしまうと、「処置なし」を意味することとなる。
 心理学者も教育評論家も臨床心理士も「処置なし」のことを「千差万別」と言い換えてそれがどうにもできないことへの「免罪符」に使っているとしか思えない。
 「ニートや引きこもりが事件を起こすのではない」などが独り歩きを始め、最もあってはならない状況の思考を避けることは間違っている。
 2010年4月愛知県で発生したニート、一家5人殺傷事件はこの種の状況が作り出した最悪の一件である。
 ニート・当時30歳による、父と姪2人を殺人、3人が重傷となった事件のこと。
 容疑者は「インターネットプロバイダーの契約を父親に勝手に解除されて腹がたった。家族を殺してやろうと思った」と供述している。容疑者は父親名義の銀行口座を無断で作ってネットオークションで200万円から300万円の借金をし、父親の給料を容疑者が自ら管理していた。そして家計を支配していた容疑者は毎月、父親に5万円、母親に4万円を渡し、残りを自分のものにしていた。ネットショッピングで購入した品は開封もされていなかったという。(続く)

 

 

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終戦のエンペラー 2011年 105分

2019-06-30 19:55:37 | 映画

 地味な内容だったが最後まで見てしまった。
劇的な見せ場や盛り上がりに問題が残った。
大河ドラマ的テンポのまったり感がラストまで続く。
 

  評価 B
 

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ザ・マーダー 2011年 93分

2019-06-30 19:53:34 | 映画

 主役のレイ・リオッタの存在感はすごい。
『セブン』を思い出してしまった。聖書を引き合いに出すと重厚さが増す場合と、うざい場合がある。この作品は前者。
 犯人は最初から登場するのだが、犯人捜しだけがいい作品だとは思わない。
 ラストの乳児の目が怖い。
 

  評価 A

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最終章・老親は去った

2019-06-26 20:36:51 | 私見偏在

 前回、行政は引きこもり人へのケアだけでなく、家や子を捨てた老親にも目を向けることが必要と書いた。家や子を捨てた老親たちを、一時的にでも駆け込める施設を作ったらどうだろう。
 とにかく親と子を引き離すことが「事件」を防ぐ最善の方法だと思うのだ。引きこもりの子にはまだまだ未来があるのだが、老親には限られた時間しかない。老親が悶々と限られた時間を無駄に過ごし、思い余って刃傷沙汰にでもなれば、何のための人生かわからない。当事者も一般の人も「事件事故を起こさない、会わない・殺人者、被害者にならない」ことこそが究極の目的。
 刑事裁判の場合、徴収不能の経費はすべて税金が使われる。それを避けるためにも「老親の駆け込み寺」は必要なのだ。老親はその施設で当分暮らせるようにし、行政は一定時間の経過を待って、引きこもり人の様子を観察するなどしたらどうだろう。引きこもり人が老親に会いたいと言ったら老親の許可を得て、行政側の立会人を伴い面会などしたらいい。その間に「いい方向」に進むかもしれない。とにかく事件・事故は避けられるのだ。
マスコミも識者も「引きこもり人が必ずしも事件を起こすとは限らない」などと言うが、「最悪を除く」ことが今必要なのだ。
 行政は家や子を捨てた老親たちが希望すれば優先的に、老人ホームへの世話をしたらいい。とにかく「家庭の問題」だと距離を置かず、老親の保護だけでも取り組んでほしい。
刑事事件にかかわる税金を減らす意味でも必要なのだ。

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続々・老親は去った

2019-06-23 20:22:06 | 私見偏在

 物理的・精神的しがらみを一切考えることなく親が家を去り子を捨てると、子は何らかの生存のための方策を取らざるを得ない。親が去った家の中で、冷蔵庫の中の食物を食い尽くすと現金か金になりそうなものを探す。自分を捨てて去った親を一通り恨んだ後は、このまま死を待つか、生きる方法を探さなければならない。何とかして暮らしていても数か月後にはライフライン(電気・水道)が止まる。このあたりが残された子の生死の分水嶺となる。
 自分より親が先に死ぬことなど考えなかったことを悔やんだりしても何の解決にもならない。親が「自分と家を捨てる」ことなど、一顧だにしなかったことが現実となったショックは計り知れないものがあろう。その時になって初めて、自分のしてきたことを考えることができる。
 「老親が家を捨てて出る」ことは、子に対する「究極の愛」となろう。行政も引きこもり人に対する施策ばかりでなく、老親に対するケアも考えたほうがいい。
 例えば老親の「駆け込み寺」的施設も一方法ではないか。引きこもり人は「一様」ではないそうだが、老親たちは総じて常識的に「一様」なはずだ。つまり働けるのに働かないことへの恥の概念や、親に暴力をふるったり逆風ともいえない単なるプレッシャーにくじけたりすることには「一様」に嫌悪感を感じている。
 引きこもり人の共通項を探すとすれば、プレッシャーに弱い・卑怯や汚いという観念が極端に薄い・義務の伴わない権利の主張はする等々、そこに「一様」由来の兆候が見られる。(続く)
 

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Jukai 2016年 94分

2019-06-23 20:20:08 | 映画

 あまりにも進展が遅い。描くものがあまりない時に、こういう現象が起きるようだ。
 樹海の中で腐乱した自殺死体を木から降ろすシーン。死体を肩にかけて降ろしたが、充分無理があるように思える。
 

  評価 B

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カルテル・ランド 2015年 100分

2019-06-23 20:16:57 | 映画

 アメリカ・メキシコ国境付近の麻薬戦争ドキュメンタリー。
 ドラマと違い終わりのない構成は疲れる。
 

  評価 B

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続・老親は去った

2019-06-19 20:48:46 | 私見偏在

 引きこもりの状態で本人が親と一緒にいると、親子の関係はどこまでも続くことになる。親は子の将来を思い、子は現在の自分の年齢を顧みることなく親に甘えようとする。しかしこの状態は長くは続かない。親が心配すればするほど、子に対する意見や提案が厳しくなり。深く干渉を繰り返すと、やがて事件へと発展していく。いったん子が親に暴力をふるうと、暴力はとめどもなくエスカレートする。
 一見従順そうに見える飼い犬でも「遠吠え」に呼応する犬は、野生が抜けきれずに飼い主に牙を向ける傾向にある。人間の子もたとえ切羽詰まっても・パニックになっても・一時的にも親に暴力をふるった者は「ルビコン川を渡った」と思ったほうがいい。
 決して元には戻れない。親は狼狽し子は暴力の魅力にはまる。いくら体格が親に勝っているからといって、親に暴力をふるうことはあってはならないこと。これこそ歴史の浅い法律や道義性の入る隙間のない・説明の必要のない「タブー・禁忌」の一種だ。
 古来から法の前に掟があり、掟の前に「タブー・禁忌」があった。「タブー・禁忌」こそが人間本来の「原始の声」。「人間皆平等」など「タブー・禁忌」から見れば「最近の流行り」に過ぎない。
 話を前に戻すと、両親がすべてを棄てて「引きこもり人」から逃げることは、平和的で理にかなう行動だ。「引きこもり人」が中年ならば、親は「悪意の遺棄」に問われることはない。当たり前のような「親との生活」は、当たり前でなかったことに子は気づくことになる。これこそが親が子に施す「身を挺した」教育なのだ。(続く)
 

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老親は去った

2019-06-16 19:44:42 | 私見偏在

 「引きこもり18年、去った老親」というタイトルで2019/6/13 、西日本新聞に記事が掲載された。「残暑も終わり、涼しくなり始めた朝。目覚めると、家にいるはずの両親が見当たらなかった。寝具や食器は持ち出され、車もない。居間のテーブルには、わずか2行の書き置きが残されていた。
 後のことは市役所に相談してください」。男性は当時49歳、両親は70代だった。「今後どう生きればいいのか」。男性は途方に暮れた。大きなプロジェクトの重圧に耐えられず、結婚を考えた女性とも破局。身も心も疲れ切って、31歳で故郷に戻った。
 それからは定職に就かず、自宅で過ごす日々。知人の勧めで病院に行くと「不安神経症」と診断され、向精神薬を服用するようになった。経済的に余裕のあった両親に金銭を無心し、酒場に行く夜もあったが、ほとんど自宅にいた。母に「働いてほしい」と言われた時には、いらいらして冷蔵庫を殴ったこともある。
 両親がいなくなった後、男性は次第に「自分ではい上がるしかない」と思うようになった。思い切って市役所に相談に行き、生活保護の受給手続きをした。向精神薬の服用を断ち、仕事探しも始めた。現在は生活保護を受けず、派遣社員として働きながら生活しているという。
 私は以前このブログで、引きこもりへの対処の一つとして、両親はすべてを捨てて「家から去る」ことを提案したことがある。引きこもりの背後には漫然とした「甘え」があると思ったからだ。しかしこの記事にであって、
私の考えは「間違いではなかった」と確信した。(続く)


 

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サスペクツ・ダイアリー 2015年 87分

2019-06-16 19:43:05 | 映画

イントロから意味不明感が漂う。「なんとか見てみよう」とは思わなかった。
  

  評価 B

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ヘルナイト 1981年 102分 

2019-06-16 19:41:00 | 映画

 テンポがトロイし無駄なセリフが多い。ただ救われたのは『エキソシスト』のリンダブレアが見られたことぐらいか。
 

  評価 B

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川崎市殺傷事件・私見偏在的考察

2019-06-12 20:33:01 | 私見偏在

 川崎市殺傷事件もそうだが、この種の事件の背景には「引きこもり」という下地がある。引きこもっている人間にも現在の状態は満足のいくものではないだろう。何らかの形で「表に出たい」と思っているはずだ。自分でそのきっかけを看過したり、今じゃないと思ったりしながら、時間だけが経過していったのだろう。
 前述のノンフィクションライター・窪田順生氏は「引きこもりの人は一般の人よりも自尊心が高い」という。しかし「本当にそうなのか」と思ってしまう。本人にプライドも自尊心もあるならば、年老いた親に貢がせてなんとも思わないのだろうか。氏の提唱する「安心して引きこもれる仕組みづくり」の前に、日本人が古来から持っている「恥と卑怯」について、小さい時から教える必要があるのではないか。
 何かを教えるのに何も学校ばかりではない。「恥と卑怯」を教えるには、家庭での教育のほうが向いている。何をしたら恥ずかしいのか、何をしなければ恥ずかしいのか。何が卑怯で何が正々堂々なのかについて、ことあるごとに教育しなければならない。
 この教育によって、一人を多人数でいじめることの正当性は失われる。
 また、「心が折れた」とか「適応障害」とかで転職したり、家に引きこもることが「恥」
だということもわかるはずだ。
 児童や女性を切りつけて、逮捕後「誰でもよかった」とうそぶいてみても魂胆は明々白々。「誰でもよかった」が真実ならば、なぜ相撲部屋の稽古場や極真空手の道場、また習志野空てい団がある習志野駐屯地で「事」を起こさなかったのか。刃物を持って「弱者」にしか向かえない「卑怯」な魂胆を、この期に及んでも取り繕おうとする下品な考え。そこには自尊心のかけらも見いだせない。

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続々・川崎市殺傷事件

2019-06-09 20:31:15 | 私見偏在

 ノンフィクションライターの窪田順生氏が ダイヤモンドオンラインに掲載した「安心して引きこもれる」仕組みづくりこそ、8050問題の解決策だ、という記事を読んだ。
 自立支援施策は、引きこもり=撲滅すべき悪いこと、という大前提に立っている。そういう考えでは事態を悪化させる可能性が高い、と述べ、役所に行かずとも生活保護の申請などの面倒な手続きができるような制度の整備、親が遺した不動産や資産を活用して、安心して引きこもり生活が送れるようなアドバイス、そして誰とも顔を合わせずにできる在宅ワークの斡旋などなど、「引きこもり生活の支援」が大事である、とした。
 引きこもりの人というのは、一般の人よりも「自尊心」が高いという傾向があるという。
プライドが高い人に対して「引きこもり自立支援」というのは、「上から目線」で喧嘩を売っているようなものなのだと断じた。
 「弱者を守れ」的な政治運動に利用するのではなく、引きこもりという人たちのありのままを受け入れればいい。そして、彼らの生き方を持続できるシステムを整備するだけでいいのだ。
 そうすれば、高齢の親に寄生することなく、1人で引きこもることができる。多くの悲劇が家族間で起きているという現実に鑑みれば、我々が目指すべきは、「引きこもりのいない社会」ではなく、「家族と離れても引きこもりができる社会」ではないのか、と結んでいた。
 この記事を読んで不思議な気分になった。
世の中が「こんな風に変わったんだ」という思いに暗澹たる気持ちになった。
 もしかしてこの作家は確信的な「炎上商法」をしているのか、何らかのカルト的イデオロギーのもとに記事を載せているのか。何が正しいのかわからなくなった。(続く)

 

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パスト&フューチャー 2018年 93分

2019-06-09 20:29:04 | 映画

この作品も進展がいまいち。イントロの二人の会話のシーン。後ろから映すので観客は「後方の席にも誰かいる」と思ってしまう。
 

  評価 B

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cop car 2015年 88分

2019-06-09 20:26:25 | 映画

 カメラワークはいいがワンシーンの進展が詳しすぎる。そこまでは必要ではない。速く「次へ行けよ」と何回も思ってしまった。
 結局、途中下車。
 

  評価 B

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