「引きこもりの根っこは甘え」と言うと、マスコミや識者は「引きこもりは千差万別」という金科玉条を出してくる風潮がある。
「千差万別」はその通りだろうが、そういうふうに言ってしまうと問題があいまいになって本質が見えてこない。「千差万別」と思えるものの中にも、共通項を探し出し類型化して対策を考えるのが大人というものだろう。「千差万別」といったん言い切ってしまうと、「処置なし」を意味することとなる。
心理学者も教育評論家も臨床心理士も「処置なし」のことを「千差万別」と言い換えてそれがどうにもできないことへの「免罪符」に使っているとしか思えない。
「ニートや引きこもりが事件を起こすのではない」などが独り歩きを始め、最もあってはならない状況の思考を避けることは間違っている。
2010年4月愛知県で発生したニート、一家5人殺傷事件はこの種の状況が作り出した最悪の一件である。
ニート・当時30歳による、父と姪2人を殺人、3人が重傷となった事件のこと。
容疑者は「インターネットプロバイダーの契約を父親に勝手に解除されて腹がたった。家族を殺してやろうと思った」と供述している。容疑者は父親名義の銀行口座を無断で作ってネットオークションで200万円から300万円の借金をし、父親の給料を容疑者が自ら管理していた。そして家計を支配していた容疑者は毎月、父親に5万円、母親に4万円を渡し、残りを自分のものにしていた。ネットショッピングで購入した品は開封もされていなかったという。(続く)