光画繚乱

映画と写真、どちらも「光」が関わるので、そしてそれが「錯綜し合う」ということから、ブログタイトルを光画繚乱としました。

日本人の2%は「ひきこもり状態」にある

2024-04-03 19:48:41 | 私見偏在

 
 内閣府『こども・若者の意識と生活に関する調査では「ひきこもり」は、生産年齢人口にあたる15歳~64歳で全人口の2%ほど、推計146万人にものぼるとした。ここでいう「ひきこもり」は「広義でのひきこもり」といって、趣味の用事の時だけ外出したり、自室からほとんど出ない状態が6ヵ月以上続いている人。ドラマや映画などで描かれる「ひきこもり」よりは、ライトなものも含む。
 年齢層別にみていくと、15歳~39歳は全人口の2.05%で、7年前調査の1.57%から上昇、40歳~64歳では全人口の2.02%と、4年前調査の1.45%からこちらも上昇した。
 若年層のひきこもりは不登校・退学、などがきっかけのことが多く、一方で中高年のひきこもりは、定年退職を機に社会との関係が希薄になったことが理由として挙げられることが多いようだ。
 また中高年のひきこもりを語る際に出てくるのが「就職氷河期」というワード。その名の通り、学卒者の就職が困難だった時期で、1993年~2005年に学校を卒業した現在40代から50代前半の人たちにあたる。なかでも2000年「超氷河期」といわれ、「大学を出ても職がない」という学卒無業者が22.5%にもなった。
 就職活動に失敗し、そのままひきこもりになる……そんな人が多くいた。また就職したからといって安心というわけではなく、圧倒的に雇う側が強く、ハラスメントへの意識も薄い時代。長時間労働は今よりもひどく、せっかく就職しても途中でドロップアウト。この辛い経験がきっかけでひきこもりになる、そんな人も大勢いた。
 心に傷をおった結果、いまも働ける状態にない……そういう人は、たとえば「親の年金」で暮らす、という選択肢しかない。
 15年近くも実家に引きこもったままだという50代の男性。80代の母の年金(父はすでに他界)、月14万円で暮らしているという。周囲からは男性に障害年金を申請したほうがいいとアドバイスがあったというが、そのためには病院で診察してもらう必要がある。男性は病院にいくこと、また診断がつくことがイヤだといい、実現には至っていない。
 ――いつまでも私の年金があるとは限らないので
  と心配を口にながら、「お金はないが、家だけは残してあげられる」というのが、子どもにしてあげられる最後のことと、男性の母は言う。
 万が一、母が亡くなったら、男性はどのように生きていけばいいのだろうか。頼みの綱だった親の年金はない。(親が亡くなったことを隠し、年金をもらい続けることはもちろん犯罪)。せめて雨風をしのぐことができる家があることが救いだろうか。しかし収入がゼロでは生きていくことはできない。生活保護の申請をすることが、ひとつの選択肢になる。
  生活保護は日本国憲法第25条の理念に基づき、「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する制度。「働きたくても働けない」「働いているが給与が最低生活費以下」「資産を活用しても最低生活費以下」「親戚等を頼ることもできない」などの要件を満たすことが申請の条件となる。
 たとえば東京都23区の場合、生活費となる「生活扶助額」は7万7,240円、家賃に相当する「住宅扶助額」が7万7,240円。合計13万0940円が生活保護費となる。
 ここで「持ち家でも、生活保護を受けられるのか?」と疑問。厚生労働省『2022年度被保護者調査』によると、生活保護世帯161万9,452世帯のうち、持ち家は4万6,791世帯。全体のおよそ3%にあたる。専門委員会説明資料によると、生活保護受給の際の「不動産保有の考え方」として、不動産は売却が原則ではあるものの、居住中の土地建物については保有してもよいとされている。男性の場合、持ち家なので、生活保護の申請をした場合、「生活扶助額」は7万7,240円は認められる可能性がある。
 しかし、持ち家でも絶対生活保護が受けられるかといえば、そうではなく、持ち家を売却しなければならないケースも。たとえば「相続を受けた家が空き家になったいる場合」。生活保護は資産の活用が原則ですから、生活保護を受給する前に、まずは売却して得た収入を活用するようにいわれる。また過去の判断では、居住していても「売却価格が2,000万円程度」になる場合は生活保護は認められず、売却で得た収入を活用するよう言われる、という記事内容。
 記事のタイトルは、もう、生きていけない…母死去で「生活費月14万円」を失う〈実家ひきこもりの50代男性〉、救済を求めた役所で言われた残酷なひと言、とある。
 この記事を読んで率直な感想は「甘えるのもいい加減にしろ」だ。「心に傷を持つ」だだと?。天使のような「無垢の心の50代」なんかこの世に存在するものなのか。人間50にもなれば、心が汚れ切ってぼろ雑巾のようなズタボロ状態が普通ではないのか。誹謗中傷受けても、カスハラ・パワハラ受けても「食うため」は会社に居続ける、そんな気持ちがなければ生きてはいけない。「やれるものならやってみろ」という「図太さ・鈍感力」を常に持っていないと、人生「負け戦」となってしまう。この記事を読んで、あまりにも「優しすぎる世の中」が「人材の無駄遣い」を作っているようでならない。

 

 

 

 

 


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