光画繚乱

映画と写真、どちらも「光」が関わるので、そしてそれが「錯綜し合う」ということから、ブログタイトルを光画繚乱としました。

皇帝は何を考えているのか

2023-05-31 19:48:08 | 私見偏在

 
 週刊現代記事より
 独裁者・プーチンの心理を解説している記事に興味を持った。
 「現在の戦況は、完全にロシアがウクライナに負けている状態。そこで、プーチンはプリゴジンに失敗の責任を取らせようとしている。まさに『トカゲの尻尾切り』」
 権力を掌握し、恒久的に維持しようとする独裁者は、けっして自分の非を認めようとはしない。それどころか、「どうせ代わりの者などいくらでもいる」と、下の者に責任を被せて追放し追及から逃れるのが常だ。
 独裁者が、かつて盟友だった者に罪を被せ、粛清した事例は過去にも存在する。
 ナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーが、親友エルンスト・レームを粛清した「長いナイフの夜事件」。
 ヒトラーは、1934年、レーム率いる突撃隊関係者ら1000人以上を処刑。親友をも殺して、トカゲの尻尾切りを完遂したのである。
 軍事心理学が専門である同志社大学教授の余語真夫氏が解説する。
 「多くの独裁者に共通するのは、サイコパシー(精神病質)、マキャヴェリズム(権謀術数主義)、そしてナルシシズム(自己陶酔症)の3つの特性で構成される『ダーク・トライアド』というパーソナリティ特徴を持つ。この3つの特性はすべて、他者への無関心や冷淡さに向かう傾向があり、自分の行動で他人に不利益が生じようとも、罪悪感を持つことは一切ない」のだという。
 独裁者は一人では誕生しえない。国民が独裁者を歓迎し、その体制を維持させようとする。多くの政治に「無関心」な国民の存在が独裁者の「後ろ盾」となる。独裁者は我欲に走り、国の将来や国民のことを一顧だにしない。そして歴代の独裁者の共通項は「メンツはあるが恥知らず」ということか。

 

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THE LEGEND & BUTTERFLY をアマプラで

2023-05-24 19:35:58 | 私見偏在

 
 Amazon Prime Video(アマプラ)で独占配信スタート、ということで観てみた。
『レジェバタ』は、東映創立70周年記念作品として総製作費20億円をかけた割には満足のいく結果は残せていない、という。
 1月27日の全国公開から4カ月足らずで配信が開始されるという異例のスピードだが「低評価」が3割近くになっている、らしい。
 私はDVD作品の場合「イントロ20分勝負」を掲げている。イントロから20分以内にここで止めるか最後まで見るかを決める、という自分なりのルール。この作品はイントロから数分後、観る「価値」が見出せなかった。しかし「東映創立70周年記念作品・総製作費20億円」というフレーズがちらつき即断できかねるままに20分が過ぎた。感想は作品自体「学芸会レベル」。
 シナリオは作品の設計図。設計図が悪いと建物はぐらつく。無駄なセリフが多すぎる。間延びしたストーリーの展開。東映がかつて時代劇の黄金時代を作り上げたノウハウはどこへ行ったのだろう。安易で安っぽいタイトル・人気に頼った配役・無駄な喋りが多い脚本。どれもこれも本気度が感じられない。
 信長とか松本清張とくると、期待しすぎる面もあるが、これはまぎれもなく駄作でしかない。私にとっての信長は高橋幸治・明智光秀は佐藤慶がいまだ鮮明に残っている。「太閤記」では「信長を死なせないで」という投書がNHKに殺到したという。キムタクは信長にはなりえない。何をやってもキムタクだからだ。ほめる部分を探すと綾瀬はるかのアクションだけか。
 タイトルも「信長・青春GRAFFITY」にすれば何とか我慢ができる。GRAFFITYには「落書き」という意味もあるからだ。

 

 

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私の緊急避難体験

2023-05-17 19:54:28 | 私見偏在

 
 足掛け8年程タクシー運転手の経験がある。
  多くの一般人は、タクシー運転手にもごく普通の対応をするのだが、中にはそうでない者もいる。特に夜間の酔客の場合はその傾向がある。テレビで放映されるようなとんでもない客がいることも確かだ。客は自分の職業よりも運転手を下に見てのことだろう。露骨すぎるほど態度に出す客もいるのだが、やんわりと「運転手さん、昔あなた方を別の呼び方で呼んでいたよね」などと遠回しに迫ってくる客もいる。私は「雲助ですか?」と訊くと、客は「ええ、まあそんな……」と少しびっくりしたように口ごもる。私は「昔は雲助タクシーもいたらしいですが、今はいませんよ」と言ってから「強いて言えば私ぐらいかな雲助は」と答えると、とたんに客はものを言わなくなることもあった。
 ある時スナックからの客を乗せた。非常に「癖のある客」で運転手仲間からも敬遠されていた。初めは平穏だった。私の対応が気に入らなかったのか、突然訳の分からない奇声をあげ、後方から私の首を締め上げた。運転中のこと、道路も混んでいたのにである。
 左側の縁石に乗り上げることだけに注意して、左手で肘打ちをしたら偶然客の胸付近にあたった。首を絞めていた手がゆるんだので、縁石と縁石の切れ目から左に寄ることができた。車を止め右手のこぶしで三発ほどのどの下を突いた。ハザードを点けキーを抜いて社外に出て110番通報。15分ほどでパトカーが到着。客は外に出てタクシーを蹴ったり奇声をあげたりしていた。パトカーの後部座席で事情を説明。その際「顔を避けて、のどの下に三発ほど入れた」と言い、年配の警察官に「これって緊急避難ですよね?」と訊いたら、即座に「そうです」という返事をもらった。
 法律事務所のサイトでは難解な文章で、かつ意味不明。実際の場で現職の警察官に訊いた答えから、民間人は正当防衛を主張しないほうがいいと思った次第。
 

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最近の犯罪は狂暴化している

2023-05-10 20:11:13 | 私見偏在

 
 今月8日午後6時頃、東京都中央区銀座の腕時計店に3人組の男らが押し入り、男性店員に刃物を突きつけて脅した。男らは工具でショーケースを割り、高級ブランド「ロレックス」の腕時計などを奪って逃走した。逮捕された4人は高校生を含むいずれも16~19歳の少年だった。JIJI.COMより。
 世の中、慢性的な不景気・給料が上がらない・コロナの影響・円安・物価高等々、漠然とした不安が蔓延している。だからと言って、刹那的に凶悪犯罪を起こしてもいいわけではない。ただ「とてつもなく悪い奴」は、ふらふらと芯がなく暮らしている若者をリクルートしようとする。「ちょっとなら」とか「一回だけなら」と誰でも思いがち。しかし麻薬と同じ。甘美な芳香を漂わせながら、生涯苦しむ地獄が待っている。しかも今回の事案は少年達の犯罪。少年法で守られることになる。
またしても法は「被害者をなおざりにして加害者は守る」ことになりそうだ。
 「非行少年の将来」を心配するより、「被害者に寄り添う法」であってほしいものだ。
日本人のいつものパターン「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ことなく、少年の非行には法改正を含めた論議が必要だ。
 ニュースを見ていると、行われている犯行を現実ととらえていない目撃者が多い。もはや日本は「水と安全はタダ」の時代は過ぎたと考えなければならない。刃物を持った暴漢には、剣道をたしなんだ従業員が木刀で対処すれば勝てる。「被害者の反撃」を大幅に認めることが事件の再発を防ぐ手立てだと思うのだが……。

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空手有段者のタクシー運転手 どこまでが正当防衛か  

2023-05-03 20:02:42 | 私見偏在

  マネーポストWEBより
 酔った乗客が運転手に暴力をふるうケース、運転手の正当防衛はどこまで許されるのか。空手有段者のタクシー運転手から寄せられた相談を弁護士の竹下正己氏が回答する。
 急迫で違法な侵害をする者に対し、自己、又は他人の権利を防衛する意思で、やむを得ずにした行為は正当防衛として処罰されない。
これは違法な攻撃が間近に迫ったり、継続している緊急状況のもと、警察の保護が期待できないときに、侵害を排除するための私人による対抗行為を例外的に許容したもの。しかし、防衛の程度を超えた行為は原則処罰され、情状により、刑が減軽されたり、免除されることがあるだけ。この防衛の程度を超えた行為を過剰防衛といい、過剰防衛には量的過剰と質的過剰がある。
 量的過剰とは、相手の攻撃が終わったのに反撃する場合。質的過剰とは素手で殴られたのに刃物で反撃したり、反撃者が格闘技の有段者だったりした場合、防衛の程度を超えた行為となる。
 法は急迫で違法な攻撃に対し、逃げることを要求していない。加えて正当防衛が問題になれば警察や検察が、その不成立を立証する必要がある。そこで量的・質的過剰にならないよう冷静に反撃すればよい、ということになる。とはいえ、車載ビデオなどで明白な場合を別にして理解を得るためには時間と労力を要する。また、何事も命あっての物種、私は逃げることをお勧めする、とある。
 法は急迫で違法な攻撃に対し、逃げることを要求していない、と言いながら、相談を受けた現職の弁護士は、逃げることを勧めている。これはとりもなおさず「民間人の反撃は認めない」という意味。法を生業とする弁護士が「恥も外聞もなく」「その場から逃げる」
ことを勧める。加害者より速く走れる場合はいいが、その逆の場合は「泣き寝入りせよ」ということ。
 現職の弁護士が「法の建前と現実」を教えたということか……。虚しさが漂う。 
 
 

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