光画繚乱

映画と写真、どちらも「光」が関わるので、そしてそれが「錯綜し合う」ということから、ブログタイトルを光画繚乱としました。

原発稼動と喫煙習慣

2012-04-30 13:55:55 | 私見偏在
原発と喫煙習慣に共通項を見出した。どちらも「悪習」である。いつか訪れるかもしれない「クライシス」を「想定外」とうそぶくこともできる。運がよければ「クライシスは来ないかも知れない」からだ。やめたいが「やめられない」事情もこの二つにはある。
一時期とんでもない「疾病」にかかったとしても「死に至る状態」を運よく通過できれば、また元のままを「維持」しようとするだろう。
電力であれば「不自由」を、喫煙であれば「禁断症状」が耐えられないはずだからだ。かくして喉もと過ぎれば「元の木阿弥」状態が続くことになる。
原発稼動をとにもかくにも強引に推し進めようとする力学は、喫煙の「禁断症状」を国民の前に鮮烈に提示することによって形作られる。
喫煙習慣という個人的「瑣末な習慣」も原発稼動という一国の方針も、辿ると同じ「根っこ」に行き着く。

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砂の器  1974年 143分

2012-04-30 11:24:26 | 映画
名作とはこんな作品を言うのだろう。たしか上映当時は白黒作品ではなかったか。デジタルマスターとあるから後で着色したものだろうが、元の作品を損ねることはないようだ。『砂の器』は名作なるがゆえに続々とリメイク版が作られたが、ほとんどが駄作である。ハンセン病〔さくひんではらい病〕への無知からの偏見と差別。当時の社会状況をあえて避けて製作されたものが多いからである。軋轢やトラブルを避けて、ストーリーをなぞっても、所詮「塗り絵」であって「作品」とはなりえない。この作品は堂々と問題に向かい合っている。
それにしても、作品に登場する正義感の強いおせっかいやきの元巡査。警官を退職して家業を養子に任せたら、あとは「悠々自適の生活を楽しんでいればいいものを」と思わずにはいられない。何十年ぶりかの同級会に出席すると「恩師」が特定の元生徒の「いまさら」と思えるような「エピソード」をとくとくと披露する場面に遭遇することがある。「恩師」から見れば、現在結婚もしている元生徒も単なる「教え子」だろうが、延々と披露が続くと場が白けてくる。「悪意のないサービス」がこの作品のテーマであるような気がする。
主人公和賀ははかつて貧乏だったことさえ忘れたいのに、当時としては忌み嫌われる「病気」のことまで知っている人には、絶対会いたくはなかっただろう。そのままにさえしててもらえれば殺人を犯すこともなく、政界の大物議員令嬢と結婚をすることもできたのに。
「悪意のないサービスや善意」が「バタフライ・エフェクト」のように、とんでもない結末を迎えるとしたら「正義感」や「おせっかい」もほどほどにしなければならない。しかしそれが「大人」というものではないか。退職してからもかつての「原則」を振りかざすことへの「警鐘」か。

  評価  A

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デッドゾーン  1983年 103分

2012-04-30 10:49:17 | 映画
主演 クリストファー・ウオーケン

交通事故に会って五年間のこん睡状態から目覚めた教師の主人公。その間、教職も解雇、足には後遺症も残り、恋人は結婚し子供までもうけていた。絶望の淵に立たされたが彼には、手を握るとその人の未来が見えるようになっていた。
警察の依頼を受け連続女性殺人事件を解決に導く。
原作がスティーブン・キング。「ある能力に目覚めた主人公が、その能力ゆえの苦悩を辿る」というストーリーはキングが得意とするところだ。
「ヒトラーの若い頃に出会ったら、彼を殺害してしまうことは正義」なのだろうか。「歴史を改ざんすることは許される」のか。興味深いストーリー展開がテンポ良く進んでいく。
かつて恋人だった彼女の夫も推す大統領候補が当選後、核のボタンを押すシーンを見てしまい銃撃を決意するのだが……。
  評価  A

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今日のつぶやき

2012-04-27 03:17:04 | 映画


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世界に通じるということ

2012-04-26 11:40:19 | 私見偏在
日本発の世界に通じるものは工業製品以外に、大リーガーやサッカーなどスポーツ選手、ミュージシャン、俳優、作家また文化面では建築、アニメなど多岐に及んでいる。しかしわが国の政治に目を移すと、世界に通じる政治家はまったくと言っていいほどいない。
元総理、民主党外交最高顧問の肩書きを持つ人がいる。一時期「トラストミー」の名言で有名になった人だ。「羽交い絞め」にしても「個人の外交を止めるべき」の声が上がってもイラン行きは強行された。しかし「意味を成さない」どころか同盟国への「背信」的結果を招くことになった。当人は「日本のカーター」を目指していたのだろうが。
鎖国が長く続いたせいなのか「外交音痴」や「平和ボケ」と揶揄されてもこの手の「ポカ」はしょっちゅう報道されている。
最近でも自称「人工衛星」の発射に対して対応に「万全を期す」と言ってのけた政府は、役に立たない「Jアラート」とかの運用の不手際に恥をかかされた。
政治家の「万全を期す」とか「不退転の決意」とか「天地神明に誓って」という言葉には誠意も重みも伝わってこない。
現職大臣が二人も同時に問責決議に問われる状態では、総理が言う「適材適所」の人選も、もうほころびどころか「ぼろをまとったかかし」程度にしか見られない。他の担当大臣の発言も昨日と今日とではぶれまくっている。今では、あまり高価ではないカメラにも「ぶれ防止」機能がついている。日本では政治家にはこの装置さえついていないようだ。
現政権には有名な「政治塾」出身者が多いと聞く。いままた「維新塾」やその他政治塾が誕生しようとしている。
政治塾出身者には「寄らば大樹の陰」的志向はないだろうか。政治塾出身者という「ブランド」で選挙民も投票し、立候補者もブランドに頼った結果が、付和雷同型の何とか「チルドレン」だったりすれば、何のための選挙か分からなくなる。選挙制度自体に問題があるのか、人材不足なのか、政治に向かない民族なのか。
どこかの将軍様のように世界を手玉に取る必要はないが、せめて「必要なパートナー」ぐらいの評価はほしいものだ。

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バベル  2006年 143分

2012-04-22 10:37:31 | 映画
主演 ブラッド・ピット

イントロ部分から怪しい雲行きだった。143分という数字が気になっていた。オムニバス形式の作りで、一つ一つのシーンが「丁寧」といえなくもないが、必要以上に「描きすぎ」だ。監督が編集部分に口を出しすぎたのではないか。
人間がバベルの塔の建設以来、神の怒りに触れ言語を異にされたことを悔いているのか、口から発する言葉がテーマのようだ。
聾唖者の日本女性を登場させたり、アラビア語ゆえの誤解と悲劇を描いたり……。
私は意味深なタイトルの作品にはいつもがっかりさせられてきた。ざっと考えても『カオス』『バタフライ・エフェクト』黒沢作品の『乱』
などがそうだ。
大物俳優出演と意味深タイトルには気をつけよう。昔のギリシャ映画もそうだったが、何を描きたかったのか何回見ても分からなかった。どの分野でもそうだと思うのだが、映画に合うモチーフとテーマは限られるはずだ。

  評価 B

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The bad  2008年 90分

2012-04-22 10:20:32 | 映画
主演 モーガン・フリーマン クリストファー・ウオーケン

これは犯罪映画というよりコメディだ。芸達者な三人の掛け合いが楽しい。笑いの中にハラハラ感あり人情劇ありで、美術品窃盗犯たちに観客は思わず応援してしまうのだ。
劇中のモーガン・フリーマンの存在感は揺るぎようもない。一方「歳月人を待たず」だ。クリストファー・ウオーケンはすっかり爺さんになってしまった。
美術館に勤務する三人が、警備する作品にそれぞれ尋常でなくほれ込んでしまう。若い美術館のオーナーが、旧作品と前衛作品の入れ替えを打ち出す。オーナーは警備員らがほれ込んだ作品を北欧に移すことを決めてしまった。このことが彼らに美術品の窃盗を決意させる。
コミックのヒロインに感情移入することは、オタクでなくともありえることだ。そして定年間際の「いい大人」がすったもんだの末、ハッピーエンドを迎えるのだ。

  評価  A

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今日のつぶやき

2012-04-19 03:17:04 | 映画


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ミサイル情報と原発再稼動

2012-04-18 12:47:29 | 私見偏在
北朝鮮の自称人工衛星打ち上げの際の確認行動の「もたつき」を、政府は念には念を入れた「ダブルチェック」の結果と称した。
これを分かりやすく言えば、受験の答案作成に念には念を入れていたら「時間切れで不合格」と同じことだろう。
賞味期限や借金弁済期日、契約履行の期日など全ての事象に時間がある。社会の円滑な営みには時間や期日を厳守しなければならない。
一方、原発再稼動には時間厳守を超越して早々と「政治判断」を下した。この問題こそ念には念を入れる必要があるのではないか。国民への情報伝達の不手際を「ダブルチェック」とか「情報の精査」と言ってごまかし、原発という科学の問題は「集団自殺」の恐怖で国民を煽る。この政権の「たちの悪さ」は計り知れない。
国民は何のために政権交代を歓迎したのか。民主党を支持した有権者は言い知れぬ怒りを豊穣させている。

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今日のつぶやき

2012-04-18 03:16:34 | 映画


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集団自殺

2012-04-17 14:25:18 | 私見偏在
四月十六日、民主党政調会長代行の「集団自殺」発言は聞き捨てならない。このまま原発の稼動をしないままにしていると「日本は集団自殺をしなければならない」そうだ。この人はよっぽど注目を集めたいのか、時々この手の発言を繰り返す。
以前にも、ほとんどの人が知らない「暴力装置」という言葉を使って世間のひんしゅくを買った。
今度は「集団自殺」発言である。ここまで来ると彼は「不用意」を通り越して「確信犯」だ。原発に頼ることは必要かもしれないが、去年の事故の原因究明もしないまま「稼動を続けなければ死ぬぞ」といった「脅し」には、民主党輿石幹事長の「受けて立つ」発言を国民も表明しなければならないだろう。
かつて「集団自決」を強いられた人々への思いも感じられない発言には強い憤りを感じる。民主党こそ「集団自殺」をしてもらいたい。今の体たらくでは壮大なる「政治空白」でしかないからだ。

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マザーズディ  2010年 112分

2012-04-15 13:56:27 | 映画
若い夫婦が転居祝いを友人たちと楽しんでいるところに、前の住人一家が突然現れる。彼ら一家は銀行強盗で追われていた。
とんでもないカリスマママと絶対服従する子供たち……。
新しい住人とその友人たちは彼らのやりたい放題の餌食になる。よくあるストーリーだが、観客の暗澹たる気持ちは最後に至るまで晴れることはない。恐怖が家中を支配する中で、夫婦も恋人たちも友情も崩壊していく。
見た後、後味の悪さが残る作品には共通項がある。画面に「救い」が全くないのだ。以前紹介した『ファニーゲームUSA』や『テキサスチェーソー・ライジング』もそうだ。主人公がやられっぱなしなのだ。これはストーリー作りには絶対避けなければならない手法だ。やられっぱなしだから、我々の周辺には現実の事件が起こる。しかしこれらはエンターテインメントなのだ。読者も観客もはらはらしながら主人公には最後に勝利してほしいのだ。

  評価  B

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ドライブ・アングリー  2010年 101分

2012-04-15 13:39:39 | 映画
主演 ニコラス・ケイジ

この作品にはあきれてしまった。ストーリー自体も全くのでたらめ。語るほどのこともない。見ていて最初は『キルビル』を思い出した。あれもでたらめ臭いが「タランティーノの強烈な個性」で済ましたのとは大違い。
『キルビル』を見た後は『キルビル2』の存在を気にしていたからだ。『ドライブ・アングリー』はきっと『観客アングリー』になることうけあいだ。B級アクションコメディーとでも分類されるのか。ニコラス・ケイジは高名な役者なのだから、金のためだけでなく出演する作品も選んだほうがいい。ネットでは彼の意外性や新分野と称する意見もあるが、私はそうは思わない。テレビでベテラン芸能人がバラエティ番組で、お笑い芸人にコケにされて笑いものになっている番組は、決して気持ちのいいものではないからだ。

  評価  B

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今日のつぶやき

2012-04-13 03:16:07 | 映画


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政治判断と科学

2012-04-12 12:54:11 | 『縁側日記』
野田首相は大飯原発再稼動を政治判断で決定するようだ。3.11の大惨事の原因究明も責任の所在も原子力発電の未来図も描けないまま再稼動は早々と決定する。しかも政治判断で。
そもそも科学に政治判断は馴染むものなのか。以前、教育的判断かどうか円周率を3.14から3に変更した時があった。それも数年で3.14に戻した経緯がある。そういうどうでもいいものと今回の政治判断は全然違う。科学物理に政治判断は無用だ。
「再稼動ありき」のため「つじつまあわせ」をしているようで、世界から「危険でこっけい」な民族と見られはしないか。
「自前で開発した技術」と豪語したあげく、事故を起こした車両を土の中に埋めて、幼稚な隠蔽工作をしたどこかの国に似てはいないだろうか。
自分ではしたり顔で「粛々と政治判断」をしても、回りからは「裸の王様」としか映らなければ悲しすぎる。

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