光画繚乱

映画と写真、どちらも「光」が関わるので、そしてそれが「錯綜し合う」ということから、ブログタイトルを光画繚乱としました。

今日のつぶやき

2012-10-29 03:23:33 | 映画


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続・捏造と早合点

2012-10-28 11:52:00 | 私見偏在
先週に続き「捏造と早合点」というキーワードで考えてみると、まだまだあった。
1983年、当時の社会党・爆弾男の異名を持っていたN議員が国会で問題視した「自衛隊クーデター計画」がそれだ。後にこれが捏造と判明する。情報提供者は詐欺で指名手配されていた。この事件でN議員は辞職している。全くの「ガセネタ」をつかませられての早合点であった。常に「爆弾」と共に生きねばならないN議員の宿命だったのか。
1996年、衆院選に担ぎ上げられた有名プロ野球監督夫人が学歴を詐称した事件。この件は捏造ではないが、本人が「日本のオルブライト」と言われ舞い上がったのと、担ぎ上げた政党に」調査能力が欠如した結果であった。
2005年、韓国でES細胞論文捏造事件。今年日本でも発生したips細胞臨床捏造事件と同様のものだった。目立ちたがりの仕業と言うより「功を焦った」結果と見られる。韓国では「日本がips細胞でノーベル賞を取れたのも、この事件があったからだ」などと訳のわからないことを言っているそうだが。
2006年、野党時代の民主党・偽メール事件がある。「ホリエモン事件」を国会で追及したN議員は「ガセネタ」つかませられたことが判明し、議員辞職、結果その後自殺している。出所はかなり怪しい人物からであったらしく、若さゆえの「オウンゴール」となってしまった。民主党はいまだに「若気の至り」から脱してはいない。
これらを見てくると「スクープ」と「ガセネタ」は表裏一体などという生易しさを超えている。むしろ「闇鍋」の中で混濁してあわ立つ汁から掬い上げる「具」の一つなのだろう。ベテランか若年者かの違いは問題ではなく、動物的「嗅覚」とでも言おうか、隠された「ウソ」を見抜く「術」が必要となる。注目を集める立場の者は、一瞬の「つまずき」が命取りにもなりかねないからだ。

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ランブルフィッシュ  1983年 94分

2012-10-28 11:19:28 | 映画
不良グループのリーダーだった兄にあこがれる弟のドラマ。コッポラ作品でミッキー・ローク、デニス・ホッパー、ニコラス・ケイジ、ダイアン・レイン出演という超豪華作品なのだが全くだめモード。
彼らを出演させる以前に、物語になのか脚本になのか致命的な欠陥がある。弟がこよなく慕う兄が以前やっていたように、喧嘩に明け暮れるのだが、何を求めるでもなく暴力に哲学がない。脳みそが動物並みの弟が「若さと腕力に任せて暴れまくる」ただそれだけなのだ。これだと観客の共感・思い入れは得られない。兄もトラブルを卒業して「悟り」の境地を開いたかのように振舞う。
しかし、ペットショップに入り込み鳥や動物を「開放」して自らも警官に撃たれてしまう。
「荒ぶる青春の痛々しさ」というと聞こえはいいが「コッポラの徒労」作品の感は否めない。白黒作品なのだが熱帯魚だけは着色されていた。

  評価  B

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続・地獄の天使  1967年 85分

2012-10-28 11:02:54 | 映画
主演 デニス・ホッパー

徒党を組んで集団走行するバイク乗りの青春映画。しかし、いかにも雑。「この映画のテーマは何?」なんて質問は一切無意味。
この映画の前だったと思うが当時『地獄の天使』という映画を見た記憶がある。すごく足の長いお姉さんが、青いタンクのヤマハ350ccにまたがっていたポスター姿がいまだに目に焼きついている。倒れたバイクを片手で軽々起こしたマッチョのお兄さんのすごさや、ベトナム還りの主人公が彼女を救うため、一人でライフル銃を持ち、バイク乗りの不良集団に立ち向かうシーンなどは迫力は充分にあった。しかしこの作品は「ゴミ箱」へ直行、その後「ゴミ箱を空にする」をクリックしたほうがいい。
もう少ないかもしれない人生の残り時間を85分無駄にしてしまった。

  評価  B

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今日のつぶやき

2012-10-22 03:25:07 | 映画


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捏造と早合点

2012-10-21 11:41:33 | 私見偏在
「ips細胞の研究者がノーベル賞受賞」のニュースと重なるように「ips細胞の臨床実験」の一報が日本中を驚かした。難病に苦しんでいる患者には、何にも増しての「朗報」と捉えられたことだろう。しかしこれは大新聞が犯した誤報であった。
最初大新聞が発表し、次々とほかのマスメディアが追随した。医師資格さえ持たない研究者が勝手に成果を捏造し、それを真に受けた大新聞の記者が、署名入りで書いたものらしい。その記者の上司もチェックしたであろうが結果見逃し、責任も曖昧に記事を訂正した。
「真偽よりスクープ優先」の体質は、少なからずマスコミに存在する。更に「新聞購読層の減少」が追い討ちをかけていると見ることもできる。しかし「スクープはとにかく発表し、こけたら訂正記事を載せればいい」という安易な気持ちが関係者に皆無であったとは言い難い。
2000年「ゴッドハンド」と賞賛されていた研究者が起こした「旧石器捏造事件」があった。彼が掘れば必ず「新発見」に繋がることで「神の手」と呼ばれていた男である。「神業」に疑問を感じたM新聞が現場に張り込んで、件の研究者がポケットから取り出した石器を、埋め戻している様子を捉えた写真が発表された。
このようにジャーナリズムとは「常に疑問を持ち、常に検証する」ものなのではないだろうか。
2010年、海上保安庁巡視船に故意に衝突させた中国漁船の映像は、既存のマスメディアにではなく動画投稿サイトに先ず提供された。これこそマスメディアに対する不信を、顕著に語る好例ではないか。
メディアが瓦版とさほど変わらない信憑性ならばジャーナリズムはいらない。
テレビのニュースで「総理、おはようございます」と威勢のいい掛け声を、あたかも新人社員の度胸試しのように、連日見せられる視聴者はたまったものではない。真に「頼れる報道」に徹してほしいものだ。

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ホテル・ニューハンプシャー  1984年 109分

2012-10-21 11:03:16 | 映画
主演 ジョディ・フォスター

憧れのホテル経営を始めたウインとその家族。様々な悲劇を乗り越えていく一家の物語。とこう書くと、一般的な花登筐作品のように感じるかもしれない。しかしこの作品の展開は非常に珍しい。ふりかかる不幸というより悲劇が、重い内容にもかかわらずサラリと、あたかも素通りするするかのように描かれているのだ。まるで運命をそのまま受け入れるように。
不幸な運命を受け入れる際に、人には深いあきらめの感情が伴うはずだ。しかしこの作品に登場するウイン家の人にはそれが見受けられないのだ。信ずる宗教がそうさせるのか、特別な人々なのか。
演出にも力んだ箇所がなく、忘れられない作品になるだろう。若きジョディ・フォスターがムチムチした体だけではない並々ならぬオーラを発している。

  評価  A

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トゥルー・ロマンス  1993年 124分

2012-10-21 10:47:29 | 映画
ビデオショップで働くクラレンス。店長が誕生日プレゼントにコールガール・アラバマをさしむける。クラレンスはすっかりアラバマを気に入り結婚することに。アラバマの荷物を取りにいったクラレンスは、彼女のひもを射殺してしまう。衣装の入っているバッグは実は純度の高い麻薬だった。
始めは単なるラブロマンスかと思っていたら、シュールな殺し場面に移り、展開の予測できない場面の連続からスローモーションを駆使した銃撃戦へ。二時間を越える作品にしてかつ、タランティーノ脚本によるせりふ部分が多くあるが、橋田作品とは比べ物にならないほどのエンターテインメントに徹している。ちょい役で大物俳優が多数出ている点でも話題性はある。
なによりコールガール・アラバマのかわいさが際立つ。世の男性観客は「この娘のためなら麻薬組織とも戦ってやる」と一瞬でも思うかもしれないからだ。

  評価  A

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今日のつぶやき

2012-10-15 03:24:33 | 映画


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たかる官僚とまがい司法試験受験浪人

2012-10-14 14:58:10 | 私見偏在
復興予算の使い道に、とんでもない項目を紛れ込ませる官僚のテクニックのおぞましさは、連日テレビで報道されている。
「活力ある日本再生」という一文を加えることで、なし崩し的に復興予算を食い物にできる術。やはりエリート官僚ならではの「負の錬金術」だ。
こういった「屁理屈まかり通る」は、司法試験受験にかこつけて複数年浪人生活に甘んじている受験生に似ている。未来の検事・弁護士になるための受験であるから、世間はその人物を無職ともニートとも称するはずはなく、高邁な目標に向かう姿に賞賛の目が注がれる。しかし、連日、気を張り詰めた受験勉強に、何らかの「息抜き」が必要だと考えるようになる。映画鑑賞や読書などは許容範囲。次第に「息抜き」はエスカレートし、パチンコや飲酒・ギャンブルさえも加わり、やがて高潔だった目標は色あせていく。
しかし「錦の御旗」を降ろす事は人生の「負け犬」を意味し、模糊としたプライドだけは健在とくれば事は深刻になる。
このように「錦の御旗」は色あせるどころか、存在する意味も疑わしくなりながら「息抜き」だけは「生き抜き」と化す。
磨り減って悪臭さえ放つ古靴に足を入れ、止めどもなく街を徘徊する老人に似て「あわれ」というより、むしろその姿はまがまがしく「凄惨」と呼ぶにふさわしい。国民がこのように官僚を見ている実態を、自身知らないはずがない。
「選挙」というより「人気投票」で選出されたアイドルグループのような「先生たち」より、組織力と年季に長けている官僚が「面従腹背」状態になるのは無理からぬことなのか。世界的な会議に出席しても議題の数値が0.2か2.0かよくわからない「先生」もいることだろうからだ。
明治以来「伏魔殿」に潜む官僚たちを白日の下に引きずり出し「誰が本当の主人なのか」を「しつけ・調教」し直す骨太の政治家の登場が待たれる。

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デビルズ・ダブル  2011年 109分

2012-10-14 10:53:46 | 映画
フセインの息子ウダイの「影武者」を強要させられた男の葛藤を描く。
恐怖政治がもたらす民衆への強制・強圧の嵐。フセインの間違いは先ず息子の育て方にあった。法にも罰せられることなく、莫大な金も使い放題。拒絶するものは拷問と死罪が待っている現実。「法の下の平等」などとは無縁の世界が繰り広げられる。
しかし、この作品を見終わって「何がテーマなのか」「何を訴えたかったのか」の疑問が残った。ウダイのやりたい放題を延々と記録していくとするならば、ドキュメンタリーの方法があったのに、そうでもない。中途半端の消化不良感で胃もたれのする作品で終わってしまった。大田胃散を飲まなくちゃ。

  評価  B

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ハンター  2011年 100分

2012-10-14 10:41:34 | 映画
主演 ウィレム・デフォー

バイオ企業の生体サンプル採取の依頼を受けた孤高のハンターの物語。助手を連れず一人、タスマニア・タイガーを求めて山岳森林地帯に足を踏み入れたハンターが見たものは……。
この作品はハンターと下宿先の家族、ハンターとタスマニア・タイガー、バイオ企業と絶滅寸前の動物とのかかわりが、一巻の布を織る過程のように同時進行的に描かれている。下宿先家族のそれぞれの人となりが、短い時間内に丁寧に描かれていて、監督の力量の高さが充分うかがえる。
ラスト、自然死を選ばせることなく、自らの銃弾で絶滅という引導を渡すハンター。絶滅危惧種を保護するだけが正論ではないことを観客に知らしめる。

  評価  B

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ジョン・カーター  2012年 133分

2012-10-14 10:28:35 | 映画
はっきり言って全然面白くない。主役に華がない。美男美女だらけにすればいいわけでもないが、主演・助演が全てしょぼいのだ。
存在感のない役者のオンパレードだ。ストーリー展開もぐだぐだと足踏み状態。それが133分という上映時間を物語っている。
音楽も特に印象には残らない。画面もCGで驚く人はもういないのではないか。映画全編全てにおいて駄作感に満ち溢れている。
若い人には絶対進められない。青春の貴重な時間が133分無駄になるからだ。
値段の割りに大盛りのラーメンを食べたら、てんでうまくなかった思いで作りにはいいかもしれない一本だ。

  評価  B

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今日のつぶやき

2012-10-08 03:24:04 | 映画


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プロにも広がる言葉の乱れ

2012-10-07 11:06:51 | 私見偏在
普通の家庭をアポなしで訪問し、芸能人との「普通ではないひと時」を映し出すNHKの番組がある。最近の放送で、訪問時にはいなかった家族の兄を後日スタジオで紹介する時、司会者が「生まれつき目の見えない……」と述べたことに違和感を持った。
不在だった兄の紹介を「治療院を開いているお兄さん……」だけで留まらず目の不自由なことを「生まれつき」なのか「途中から」なのかまで述べることが、司会者として求められる要素なのだろうか。
「生まれつき」という表現は少なくとも他人が言うべき言葉ではないはずだ。「生まれつき」に続く言葉のニュアンスは、ほとんどの場合「否定語」である。どうしても言わなければならないなら「生まれついての」とか「天性の」とすべきで、その場合は「正直者」とか「才能」といった肯定的な言葉が連なる。見た目にはその通りであっても本人にとっては、他人からは言われたくない言葉がある。
映画・座頭市でも「目明きは不自由だねえ。こっちはハナっから真っ暗だ」と自身に言わせている。
普段はバカ丁寧すぎる言葉を使う傾向にあるテレビ媒体が、視聴者を不快にしたり傷つけたりする不用意な「一言」は言葉のプロとしては慎むべきだ。
「巧言令色すくなし仁」を地で行く場面に遭遇して、鼻白む思いがした。編集段階でもスルーしたのだから、ディレクターなり責任者にも、その「一言」のマイナスの響きは、感じられなかったのだろう。
差別や蔑視・侮蔑に関する「禁止用語」集に見当たらなければ、その「一言」がかもしだすニュアンスまでは考慮の必要がないということか。もしそうであればいかにもNHKの体質は、生真面目を通り越して「官僚的」と言わざるを得ない。

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