留学が成就した時点で終わってしまったと思われそうですが、久しぶりの更新です。
そもそも留学と言ってもわれわれ研究者の留学は博士をとってから来る場合は立派に働いているわけですから表現自体がおかしいのですが、特にこちらに来てからは完全に一人の科学者として扱われるのでその感が強くなります。
ここで研究環境について書くべきなのですが、そういうことを書くには時間が掛かってしまうので、今回は逃避して音楽ネタに走ります。
こちらに来て3週間経ったわけですが、その間既に二回ウィーンフィルを聴きに行ってしまいました。一回目はアーノンクール、そして二回目は今日ゲルギエフです。アーノンクールはたまたまインタビューに来たときも聴いたのでウィーンで聞いたコンサートのはじめの二回は共にアーノンクールだったことになります。プログラムはモーツァルトの39-40-41。間に二回休憩を挟んでじっくり聴かせていただきました。率直な感想は、そこまでやっていいの?というところで、そして更に驚いたのは聴衆がとても喜んで、惜しみない拍手を送っていたことでした。最後は会場全体でのスタンディングオベーション!(といっても1階の人々はは帰るついでに立ち上がってそのまま拍手していると言う感じで、演奏が終わってすぐ立ち上がっていたのは二階の人々でした。)私はとにかくクラシック音楽マニアだった10数年前の記憶からものを考えるのですが、当時はアーノンクールと言えば鬼才。古楽器演奏から得たノウハウを現代楽器のオーケストラでも実践し、場合によっては受け入れられず80年代のコンセントヘボウとのモーツァルト交響曲全集は途中で破局。とにかく異端児という印象が強かった。その彼がウィーンフィルを振るようになり、ザルツブルグ音楽祭でも主役の活躍をしていると言うのは読んで知っていたものの、ウィーンフィルを相手にモーツァルトでここまでやるのかと。本当に驚きました。専門的なことは分からないので細かいことはかけないですが、私も一モーツァルトファンとして三大交響曲は沢山の録音を聞いていますが、そもそも39番の冒頭から早すぎるし、今まで聴いた事のないところでアクセントをつけてテンポを落とすし。それが個々人にとって受け入れやすいものかどうかはそれぞれですが、これがすべてについてとても音楽的に感じられました。ウィーンフィルがこれにしっかり付いていっていたかと言うと不徹底に感じられるところもありましたが、それもまた新しいことをしている感じを与えていたかもしれません。私にとってはとにかく楽しく、刺激的で、そしてクラシック音楽としてはとんでもない不毛の地から世界で一番良いところに来てしまったということを実感し、聴きながらさまざまな思いが駆け巡りました。頭の中の何か凝り固まったものが次々と溶けていくような感覚を覚えました。
ウィーンフィルについてはまた書きたいのですが、この世界最高といわれるオケが上手いのか実は下手なのか(そう断言する人が世の中には結構いるのです)、私は正直良く分かりません。ただし音色が特別なのは誰が聞いても分かることでこれは有名なことですが、彼らは一部の管楽器で扱いにくい古い構造の楽器を使い続けています。今回感じたことは、これもよく言われていることですが、オケの一体感で、特に曲の表情が変わったり、微妙にテンポが速くなっていったりするときの動きの軽さは私には未体験のものでドキッとすることが何度もありました。
そして今日のゲルギエフ。曲はショスタコービッチのヴァイオリン協奏曲1番、モーツアルトのピアノ協奏曲20番(ニ短調)、最後にショスタコービッチの交響曲9番。一曲目のソリストはレーピンでした。彼はものすごく上手いし音も良く響くのですが、私の好みでは無く、なにか音がぶよぶよしている感じで精神的なものを感じませんでした。なぜなのかは分かりません。会場はブラヴォーの声も上がっていましたし拍手喝采でしたが、オケとも合っていた感じがしませんでした。モーツァルトは私の大好きな曲ですしソリストもなかなかよかったですが、好きな曲だけにカデンツァ(オーケストラがすべて休んでソリストだけが演奏する部分。この曲では1楽章と3楽章にあり、使うものによりますが、2分弱くらいでしょうか?)が許せませんでした。モーツァルトが自作のものを書いて残してくれなかったの常に残念に思われます。余計なことを更に書けば私はクララ・ハスキルのものが短いのですが、好きです。ベートーベン作曲のものは一番メジャーですが、モーツァルトの繊細な世界に、ベートーベンの猛々しい和音が入り込んでしまったようではっきり嫌いです。本題から逸れました。今日の演奏はそれに加えて最後にソリストの緊張感がきれていたのか細かいミスが目立ちました。
最後にショスタコービッチの9番ですが、私はこの曲を知っているつもりでしたが勘違いをしていたようで始めて聴いたのか、記憶に残っていないのか。やや評価不能です。9番がこんなに上品な曲だったのでしょうか?はじめは明るいようなテーマがだんだんおかしくなって最後はグロテスクに盛り上がるのがショスタコービッチだと思っていましたが、盛り上がる前に終わってしまうような曲でした。この曲の背景を勉強しなければいけません。ゲルギエフのショスタコービッチはベルリンフィルデビューの時の映像の印象が強く、また私はゲルギエフの多分初来日のキーロフとのストラビンスキー春の祭典・火の鳥を生で聴いて圧倒されてから彼のファンだったのですが、当時のエネルギーがまったく感じられずちょっと残念でした。すっかりトップの指揮者になって忙しすぎるのでしょうか?またウィーンに来たときに聴きに行きたいと思いますが、ウィーンフィルとの相性も?な気がします。
数日前にあったサンクトペテルスブルグ・テルミカーノフの革命は物凄かったそうでそっちに行きたかったですが、せっかくウィーンにいるのでウィーンのオケを先ず聞こうと思います。日本でN響を聴きに行っていた感覚で行けるのですから。ちなみに席はアーノンクールのときは二階、今日は立ち見でした。立ち見は慣れるまでやや辛い感じですが、音は意外に良く聞こえました。基本的に響きすぎるくらいのホールですから、一階の奥の屋根があるところでも音量はまったく問題ありません。サントリーホールがあれだけすばらしい音響なのに一回の屋根がある部分に入るととたんに聞こえないのとは対照的です。とにかくこれが5ユーロで聴けるのですから文句はありません。
時間が掛かるからといって逃避した割には物凄く沢山書いてしまいました。これからは一回ごとに書くようにします。