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ウィーンで研究留学!

以前はウィーンでの留学生活を綴っておりました。今後はクラッシック音楽を中心に細く長く続けていけたらと思っています。

アンデアウィーン劇場のドン・ジョバンニ

2006年09月04日 00時03分37秒 | 音楽(クラシック)
記事を書きかけでしばらく経ってしまいました。

7・8月になるとウィーンではほとんどまともな演奏会がありません。楽友協会のホールも観光客向けのオケしか使っていません。

しかし!今年はモーツァルトイヤー!(だからかどうか知らないのですが、)アンデアウィーン劇場では新演出のドンジョバンニをやっていました。ちなみに日本語ではアンデアウィーンと書くのですが、これは間抜けな表記でTheater an der Wienが正式表記。単にウィーン劇場の方がよっぽど分かりやすいと思うのですが、なぜかドイツ語読みそのままです。なにも知らなかった私はアンデアウィーンというのはウィーンのどのあたりを指すのだろう?と思っていました。

アンデアウィーン劇場は小さいオペラハウスで、予想していたよりもはるかにこじんまりとしていました。スケール的には東京文化会館の小ホールのような感じです。もちろんオペラハウスなので4階くらいまでありますし、内装はそれらしく華やかです。

オケはRadio-Symphonieorchester Wien。オーストリアの放送局、ORFのオーケストラです。指揮はこのオケの音楽監督のBertrand de Billyというひとでした。


さて、今回の目玉はなんと言ってもその演出。まず幕には「HOTEL UNIVERSUM」(微妙に違うかも)の文字が点灯しています。そんな名前のホテルあったっけ?と思っていましたが、幕が上がってみると舞台はホテルのフトント。カウンターに寝転んだレポレロが歌いだします。そして二つあるエレベーターからドン・ジョバンニとドンナ・アンナが飛び出してきます。その後もドンナ・アンナとドン・オッタービオが復習を誓う二重奏を熱唱しているうしろで警察が現場検証してるし、カタログの歌のところではフランスでは・・トルコでは・・イタリアでは・・とやっている後ろで次々とエレベーターが開閉しフランス風やトルコ風やイタリア風の服装をまとったマネキンが登場するし面白いことこの上なく飽きている暇が全くありませんでした。それでいて場面転換は軽妙で、決して音楽を妨げることがありません。1幕の最後ではパーティー会場がどんどん過激になって最後はバブル期のディスコかという煌びやかさになりますが、逆にそこで音楽が全く違和感なく、現代的に響いて聞こえたところに新鮮な驚きがありました。ドンジョバンニの音楽なんて何度も聞いているのに、あらためて劇的な部分に気づかされました。

もうこの公演は終わってしまったと思いますが、演出面では素晴らしく、これほど楽しませてくれる舞台はなかなかないと思いました。もしアンコールしてくれるのなら是非行きたいと思います。

ちなみに今回は歌い手、指揮者、オケについては全然触れませんでしたが、長くなったのでまた後日、書けたら書きます。それから注釈として、今回は自分の財布からではなかったのでとてもいい席だったことも付け加えておきます。

ウィーンフィル X ハイティンク X ブレンデル

2006年06月10日 23時00分00秒 | 音楽(クラシック)
久しぶりのコンサート。
今回は指揮がハイティンクでしかもソリストに私の一番好きなピアニストのプレンデル!

ということで期待大!でした。張り切って今回は開始45分前には到着。初めて立ち見の列に並びました。既に結構沢山いて15人目くらいでしたが、判断よく滑り込んで柱の横の一列目をゲット!自分の幸運に感謝しましたが、なかなかそうは行きませんでした。当然ながら立見席は満員で、演奏開始直前になって急に後ろのおばちゃんが迫ってきたと思ったら演奏中にしょっちゅう接触され、腰の辺りにバッグが触れたりする有様。本当に残念なことに演奏に集中できる状態ではありませんでした。これならもうちょっと見えなくても後ろの方がよっぽど聴けるというもの。難しいですね。

以下はそういう状況を踏まえての感想と思ってください。
一曲目はモーツァルトの交響曲32番。これは交響曲と言ってもとても短く一楽章しかありません。私はガーディナーのCDで聴いたことがあっただけですが、いい演奏でした。ハイティンクの指揮は堅実でお堅い感じですが、今日はウィーンフィルがまじめに指揮の従って弾いている印象。
二曲目はブレンデルのソロでモーツァルトのピアノ協奏曲27番。ブレンデルの演奏は私の愛聴している全集とはかなり異なり(20年以上たってるのですからあたりまえですが)、タッチはやや柔らかで、そしてすこしおっとりした運びでした。残念ながらそれがハイティンクの指揮とは合っていなかったように思います。ずれているわけではないのですが、メッセージが違うと言う感じでしょうか。
そして休憩後はショスタコービッチの交響曲10番。ハイティンクですからこれは期待大でしたが、うーん。(ちなみに後半は厄介なおばちゃんは姿を消し大分いい状況でした。)
これを書いているのはコンサートから1週間後で実はコンセントヘボウ・ヤンソンスでショスタコービッチの7番をきいたばかりです。これはまた後で書きますが、これを聴いて私の中では結論が出ました。
こんなことを書くのはとても勇気が要りますが、ウィーンフィルのショスタコはショスタコと思って聴いてはいけない!ということです。理由はとても簡単です。金管が弱すぎます。木管もピーピー鳴りません。これは使っている楽器の問題だと思いますが、私のショスタコに期待するものとはやはり違うのです。
それにしてもモーツァルトは多くて当然ですが、ショスタコもよく演奏されますね。そんなに行ってないのに、既に6,7,10と聴いてしまいました。(やっぱりサンクトペテルスブルグの5番を聞きに行くべきだった!重ねて後悔。。)

ウィーン交響楽団 x ブロムシュテット

2006年05月07日 16時58分42秒 | 音楽(クラシック)
今回はSymphonikerの方です。
大好きなブロムシュテットがブルックナー7番ということで
とても楽しみにしていました。

Wiener Symphoniker
Herbert Blomstedt, Dirigent
Leonidas Kavakos, Violine

Wolfgang Amadeus Mozart:
Violinkonzert G-Dur, KV 216
Anton Bruckner:
Symphonie Nr. 7 E-Dur

金曜日に行ったのですが、立見エリアに入ってびっくり、15分前なのに一列しか人がいません。ということで悠々と良く見れる二列目に並んで見ることが出来ました。さすがゴールデンウィークということで、日本人の観光客らしきかたがたが沢山いました。しかし曲を知らずに来たのか、ブルックナーでは座り込んでたり、辛そうにしていたり、やや気の毒でした。

先ずモーツァルトです。
ソリストは知らない人だったのですが、私にとってはとても好ましいモーツァルトでした。モーツァルトの楽しみ方をよく知っている演奏と言う感じです。日本で常々不思議に思っていたことは、どうして日本のオケで聴くとモーツァルトがこうもつまらなく聞こえるんだろうということでした。なにか違うのか私には分からないのですが、心躍らないモーツァルトなのです。私の経験上の唯一の例外はネヴィル・マリナー卿が都響を振っていたコンサートで、このときは、あれ?というくらい躍動感のある気持ちのいい音楽が流れていました。あの時彼がどんな練習をしたのか知りたいものです。まあやっぱり10年以上前の話ですが。で、今回の演奏はひねくれた表現ですが、そんな日本のオケには無いものがすべて詰ったモーツァルトでした。ただしそれは技術的に上手いと言うことではなくて、奏法も含めて音楽の捉え方なのでしょう。弦のボーイングとか、素人の私が見ていてもウィーン風です。2楽章あたりではソリストとオケの音程が明らかに合っていないところがあって、やっぱりウィーンのオケは音程が高くてソロと会わないのだろうか?と思いましたが、このソリストは結構人気な様で、かなり拍手を受けていました。立見席も広範になったら更にすいてしまったので、前半のモーツァルトだけを目当てに来ていた人も多かったようです(というか、ブルックナーは立ち見には辛いと言う面もあるとは思いますが)。

後半になって舞台を見てみるとオケがぎっしり!古典配置でチェロが左奥側に位置するのですが、スペース的に辛いのか一列目の一人はやや指揮者に背を向けるような配置になってしまっていたのが気になりました。そして右壇上にはホルン4人の奥にワーグナーホルン4人!この曲は何度も生で聴いたことがあるはずなのですが、今回初めてワーグナーホルンが表に出てくる箇所を認識しました。ブロムシュテットが大げさに右を向いて指揮するからなのですが。それから木管の音は交響楽団もウィーンの音ですね。(当たり前なのかもしれないですが。)オーボエはやっぱり安心感を覚えます。ホルンもやっぱりウィーンのホルンなのでしょうか?私の視力では良く確認できないし、耳でも分かりません。ただしワーグナーホルンとの調和はとても綺麗に聞こえました。
さて演奏は、私は冒頭の低弦の旋律から震えが来ていたくらいで曲も大好きですしすばらしかったのですが、テンポが遅めで先を急ぐことの無い演奏だったので、演奏時間も長く、好みが分かれたかもしれません。はじめに思ったのはこの学友協会大ホールはブルックナーが物凄く合っていると言うことで、普段やや残響が多すぎると思われる音響がこの曲にはぴったりでした。オケもとてもやる気でした。ブルックナーは長くて大変だと思うのですが、オケが乗り易いんでしょうか?

私は学生のときに朝比奈さんが東京で振るたびに仲間と聴きに行っていました。いつもクールに演奏するオケもどうしてか朝比奈さんの指揮だと終楽章にもなると身を乗り出して物凄く熱く演奏されるのを、いつも感極まって聴きました。どのコンサートでも、オケが帰った後も拍手が鳴り止まず、朝比奈さんが舞台に出てこられたのを思い出します。後で本で読んだところでは、演奏後、舞台から出たり入ったりされるのは体力的にかなり限界のところでされていたそうです。客席に対してはそんな印象はまったく見せませんでした。そして朝比奈さんのファンは若い人がとても多く、私達は終焉後は舞台裏に回ってハイヤーで帰られる朝比奈さんを拍手でお見送りしていました。

話がそれまくってしまいました。今回のオケの熱さは朝比奈さんの魔法が掛かったようなコンサートとはまた全然違うのですが、この交響楽団からはいつもウィーンフィルからは感じないものが沢山発せられていました。前に黒田恭一氏がNHKの番組でウィーンフィルの影に隠れていつも二番手扱いですが、ウィーン交響楽団はすばらしく能力のあるオーケストラです、といったことを仰っていましたが、私の今回の印象では、よりウィーン的な香りがするのはこちらの交響楽団のほうではないかと思います。ウィーンフィルはやはり余りに注目されるのでドメスティックな性質を失う傾向にあるのではないでしょうか?またそれとは別にオケの根本的な性質の違いも相当ありそうです。まず交響楽団は相当に重いオケに見えました。重いというのはレスポンスですが、指揮者が棒を振り下ろしてからこんなに音がならないの?というくらいです。ヨーロッパのオケは日本の感覚からするととても思いのですが、交響楽団はその中でも間違いなくかなり重いほうです。そして弦の音はより重厚です。ウィーンフィルのような圧倒的な一体感は無いですが、今回の演奏では低弦の力強さはとても逞しく感じられました。
 ということで私はウィーンフィルとも違う魅力をシンフォニカーに見出して、重厚なブルックナーを満喫致しました。確かに立ち見には辛い曲でしたが、いい演奏だったら苦になりません。いつもの演奏会ではもう引退してるんじゃないかという老夫婦が楽しそうに立ち見したりしていますから、辛いとか言ってる場合じゃありません。ただし、慣れないと座って聴くのと精神状態が違うせいで味わえない部分があるのではないかとというのが不安で(実際あると思うのですが)、まあもっと鍛えなければいけません。立ち見の最大の魅力は安いのももちろんなんですが、気安さです。いけるか分からないようなコンサートでもとりあえずチケットを買っておいて、時間がとれたら行くということが出来ますから。

今回は一気に書けなくて内容が一貫していないかもしれません。
そろそろコンサートラッシュも落ち着くのでまじめな話も書こうと思います。

ウィーンフィル x エッシェンバッハ

2006年05月01日 06時06分12秒 | 音楽(クラシック)
いつまでたっても音楽ネタから抜け出せません。
書くことはいくらでもあるんですが。。


Wiener Philharmoniker
Singverein der Gesellschaft der Musikfreunde in Wien
Christoph Eschenbach, Dirigent
Ildikó Raimondi, Sopran
Tamás Varga, Violoncello

Wolfgang Amadeus Mozart: Regina coeli C-Dur, KV 108
Robert Schumann: Cellokonzert a-Moll, op. 129
Robert Schumann: Symphonie Nr. 2 C-Dur, op. 61

ということで土曜日に立ち見で行ってまいりました。
今週末は月曜が休みなので3連休。
かなり観光客が多い感じでした。

既に常連の顔がだいたい分かってきたような感じですが、今回はちょっと異変がありました。
私は早くに行ったことは無いですが、立ち見は1時間くらい前からならんでいいポジションを争っています。ということで、前半にとっていた場所は休憩後に見事に再現されます。一列目は柵にハンカチを結んだりして印をつけてますが、2列目以降は特に何もありません。でもみんなとてもマナーがよくて同じように並ぶんですね。それが今回は、なんとなくずうずうしく休憩の間に前のほうにたたずんでいた人がそのまま並んでしまうような感じでした。観光客が半分以上を占めているような感じだったので、みんな我慢したのでしょうか?それとも前半で帰ってしまったのか?

エッシャンバッハはピアニストとしてもディースカウの伴奏とモーツァルトのソナタをちょっと聴いたことがあるくらいで、指揮者としてはまったく初めてでした。パリでメジャーなオケの音楽監督になっていたと思うので、かなりの地位を確立していると思うのですが、果たして。

モーツァルトはさすがモーツァルトイヤーという感じでマイナー曲でした。綺麗なだし、何曲目かはすごい転調があったような感じで面白い曲でしたが、そもそも宗教音楽は弱いので。。。

お目当てのシューマンのチェロ協奏曲。そもそもシューマンはなんというかあまりシンフォニックな作曲家ではないと思うのですが、エッシェンバッハは内声部にはあまり興味が無いようで、輪を掛けて旋律ばっかりというか。テンポは小気味良く流れて悪くないのですが。その印象は交響曲でさらに顕著でした。協奏曲のほうはソリストは結構フレーズを歌いたいのに指揮が行ってしまうようなところが1楽章はとても多く、3楽章になると指揮にあわせたんだか、早すぎたようで、細かいフレーズでチェロが全然鳴ってくれず、惜しい演奏でした。交響曲の方も、ウィーンフィルは気持ちよさそうに弾いてるしアンサンブルも揃ってるのですが、なんとも薄く聞こえてしまいました。そんな中でもやはりオーボエ、クラリネットの音色を聞いているとこれだよなあ、としみじみしてしまいましたが。
私などははじめに聴いたCDがことごとくウィーンフィルだったので、特にオーボエの音色は他のオケだとどうしてもなじめません。ベルリンフィルのシェレンベルガーとか大好きなんですけど、やっぱり普通のオーボエなんですよね。(ちなみにパユは大嫌いです。上手ければ言いと言うものではない。なぜ彼がベルリンフィルの主席なのかまったく理解できません。)

ということで、話しが逸れましたが、オケは良く鳴ってるし、客観的にはそんなに悪くないんだけど、全然感性が反応してくれないようなコンサートでした。こんなことはそんなに多くないのですが、ウィーンフィルで二度です。一回目は10年以上昔、小澤征爾とウィーンフィルが日本に来たとき。

マーラーユーゲントオーケストラ・アバド

2006年04月28日 00時21分16秒 | 音楽(クラシック)
演奏会の感想はためないで新鮮なうちに書こうと誓ったにも関わらず既にたまっています。行きすぎです。というか偶発的に行くことになったんですが。

おとといの火曜日は急に行くことになり、後半のマーラー4番だけを聴きました。ついこの前の日曜日に立ち見したばかりだと言うのにまた立ち見とは。。。

Gustav Mahler Jugendorchester
Claudio Abbado, Dirigent
Juliane Banse, Sopran

考えてみたら超意外なことに生のアバドは初めてでした。今気が付きました。と言っても演奏中はほとんど見えず、挨拶に出たり入ったりするときにちょっとみえたくらいでしたが。

しかも良く知らなかったのですが、マーラーユーゲント管は世界中演奏してまわってるし、DVDなんかもバンバン出てるんですね。それほどと思わなかったですが、とりあえず会場はライトアップしまくり、マイクつるすのに線が張り巡らされ、カメラが入り、普通じゃない感じでした。ニューイヤーとかだともっとすごいんでしょうけど。

で、とにかく後半から行ったので立ち見の一番後ろに入り込んで後ろの扉に寄りかかりながら聴いたくらいで舞台の上の様子はまったく分かりませんでした。でも例によって音は良く聞こえてきます。ほとんど眼鏡を外して目をつぶって聴いていたくらいです。(人の背中や後頭部眺めてても仕方がないので)

肝心の演奏ですが、感想はマーラーユーゲント管についてよく知らなかった段階の物で、ある意味先入観無く聴くことが出来たかもしれません。で、間違いなくとても上手く、ホルンをはじめ金管の出来はすばらしいものがありました。しかしやっぱり若いのか、出だしフルートのソロはいきなり大きすぎだし、2楽章のコンマスのソロもはじめは力なく弱弱しくて、あらあらと思ってしまいました。でもそれも次第に良くなって、2楽章の後半くらいからは目が覚めるような集中力の高い演奏でした。3楽章は恍惚として聴いていましたが、なんと言うかマーラーにしては純粋すぎると言うか、妖しさが足りないと言うか、(曲が曲というのもあるのですが)不思議な物足りなさを感じました。きっとアバドの指揮姿を見ていたら感想は全然違ったのかもしれません。

ソリストがどんな人かもまったく知らないのですが、なんとなくオケの音色とはやや一致してないところがありました。私が学生のころだったら素直に感動できたのかもしれません。彼らが単なる学生オケとはまったく違うというのは良く分かるのですが、4番は難しい曲ですね。どうやら。やはり若い人なら1・2番あたりで聴きたかったなあと結論したら彼らに失礼かもしれません。

ショスタコービッチ交響曲9番・追記

2006年04月27日 05時29分40秒 | 音楽(クラシック)
ショスタコービッチの9番はやっぱり作風のがらっと変った曲だったようです。

ショスタコは学生時代に一時夢中になりつつも、結局聴いていない曲がたくさんあるんですよね。15番とか聴いてみてもなんのことやらと言う感じで。思うにショスタコは心構えの必要な曲が、特に後期には多いのではないでしょうか?チェロ協奏曲の2番もはじめ聴いたときは?、でしたが、その後少しは分かってきて表面上明るく盛り上がるのがとてつもなく恐ろしく感じられました。

しかしそれにしてもゲルギエフの音楽ってあんなだったかなあ?曲の内容の問題とはまた別問題で、彼のエネルギーが感じられなかったのが心配。今の彼とキーロフの演奏を聴いてみれば答えは出るのかもしれないけど。今でも一緒にやってるんでしょうか?

ウィーンフィル x アーノンクール、ゲルギエフ

2006年04月24日 00時48分48秒 | 音楽(クラシック)

留学が成就した時点で終わってしまったと思われそうですが、久しぶりの更新です。

そもそも留学と言ってもわれわれ研究者の留学は博士をとってから来る場合は立派に働いているわけですから表現自体がおかしいのですが、特にこちらに来てからは完全に一人の科学者として扱われるのでその感が強くなります。

ここで研究環境について書くべきなのですが、そういうことを書くには時間が掛かってしまうので、今回は逃避して音楽ネタに走ります。

こちらに来て3週間経ったわけですが、その間既に二回ウィーンフィルを聴きに行ってしまいました。一回目はアーノンクール、そして二回目は今日ゲルギエフです。アーノンクールはたまたまインタビューに来たときも聴いたのでウィーンで聞いたコンサートのはじめの二回は共にアーノンクールだったことになります。プログラムはモーツァルトの39-40-41。間に二回休憩を挟んでじっくり聴かせていただきました。率直な感想は、そこまでやっていいの?というところで、そして更に驚いたのは聴衆がとても喜んで、惜しみない拍手を送っていたことでした。最後は会場全体でのスタンディングオベーション!(といっても1階の人々はは帰るついでに立ち上がってそのまま拍手していると言う感じで、演奏が終わってすぐ立ち上がっていたのは二階の人々でした。)私はとにかくクラシック音楽マニアだった10数年前の記憶からものを考えるのですが、当時はアーノンクールと言えば鬼才。古楽器演奏から得たノウハウを現代楽器のオーケストラでも実践し、場合によっては受け入れられず80年代のコンセントヘボウとのモーツァルト交響曲全集は途中で破局。とにかく異端児という印象が強かった。その彼がウィーンフィルを振るようになり、ザルツブルグ音楽祭でも主役の活躍をしていると言うのは読んで知っていたものの、ウィーンフィルを相手にモーツァルトでここまでやるのかと。本当に驚きました。専門的なことは分からないので細かいことはかけないですが、私も一モーツァルトファンとして三大交響曲は沢山の録音を聞いていますが、そもそも39番の冒頭から早すぎるし、今まで聴いた事のないところでアクセントをつけてテンポを落とすし。それが個々人にとって受け入れやすいものかどうかはそれぞれですが、これがすべてについてとても音楽的に感じられました。ウィーンフィルがこれにしっかり付いていっていたかと言うと不徹底に感じられるところもありましたが、それもまた新しいことをしている感じを与えていたかもしれません。私にとってはとにかく楽しく、刺激的で、そしてクラシック音楽としてはとんでもない不毛の地から世界で一番良いところに来てしまったということを実感し、聴きながらさまざまな思いが駆け巡りました。頭の中の何か凝り固まったものが次々と溶けていくような感覚を覚えました。

ウィーンフィルについてはまた書きたいのですが、この世界最高といわれるオケが上手いのか実は下手なのか(そう断言する人が世の中には結構いるのです)、私は正直良く分かりません。ただし音色が特別なのは誰が聞いても分かることでこれは有名なことですが、彼らは一部の管楽器で扱いにくい古い構造の楽器を使い続けています。今回感じたことは、これもよく言われていることですが、オケの一体感で、特に曲の表情が変わったり、微妙にテンポが速くなっていったりするときの動きの軽さは私には未体験のものでドキッとすることが何度もありました。

そして今日のゲルギエフ。曲はショスタコービッチのヴァイオリン協奏曲1番、モーツアルトのピアノ協奏曲20番(ニ短調)、最後にショスタコービッチの交響曲9番。一曲目のソリストはレーピンでした。彼はものすごく上手いし音も良く響くのですが、私の好みでは無く、なにか音がぶよぶよしている感じで精神的なものを感じませんでした。なぜなのかは分かりません。会場はブラヴォーの声も上がっていましたし拍手喝采でしたが、オケとも合っていた感じがしませんでした。モーツァルトは私の大好きな曲ですしソリストもなかなかよかったですが、好きな曲だけにカデンツァ(オーケストラがすべて休んでソリストだけが演奏する部分。この曲では1楽章と3楽章にあり、使うものによりますが、2分弱くらいでしょうか?)が許せませんでした。モーツァルトが自作のものを書いて残してくれなかったの常に残念に思われます。余計なことを更に書けば私はクララ・ハスキルのものが短いのですが、好きです。ベートーベン作曲のものは一番メジャーですが、モーツァルトの繊細な世界に、ベートーベンの猛々しい和音が入り込んでしまったようではっきり嫌いです。本題から逸れました。今日の演奏はそれに加えて最後にソリストの緊張感がきれていたのか細かいミスが目立ちました。

最後にショスタコービッチの9番ですが、私はこの曲を知っているつもりでしたが勘違いをしていたようで始めて聴いたのか、記憶に残っていないのか。やや評価不能です。9番がこんなに上品な曲だったのでしょうか?はじめは明るいようなテーマがだんだんおかしくなって最後はグロテスクに盛り上がるのがショスタコービッチだと思っていましたが、盛り上がる前に終わってしまうような曲でした。この曲の背景を勉強しなければいけません。ゲルギエフのショスタコービッチはベルリンフィルデビューの時の映像の印象が強く、また私はゲルギエフの多分初来日のキーロフとのストラビンスキー春の祭典・火の鳥を生で聴いて圧倒されてから彼のファンだったのですが、当時のエネルギーがまったく感じられずちょっと残念でした。すっかりトップの指揮者になって忙しすぎるのでしょうか?またウィーンに来たときに聴きに行きたいと思いますが、ウィーンフィルとの相性も?な気がします。

数日前にあったサンクトペテルスブルグ・テルミカーノフの革命は物凄かったそうでそっちに行きたかったですが、せっかくウィーンにいるのでウィーンのオケを先ず聞こうと思います。日本でN響を聴きに行っていた感覚で行けるのですから。ちなみに席はアーノンクールのときは二階、今日は立ち見でした。立ち見は慣れるまでやや辛い感じですが、音は意外に良く聞こえました。基本的に響きすぎるくらいのホールですから、一階の奥の屋根があるところでも音量はまったく問題ありません。サントリーホールがあれだけすばらしい音響なのに一回の屋根がある部分に入るととたんに聞こえないのとは対照的です。とにかくこれが5ユーロで聴けるのですから文句はありません。

時間が掛かるからといって逃避した割には物凄く沢山書いてしまいました。これからは一回ごとに書くようにします。


バーンスタインの「運命」(続き)

2006年03月04日 06時01分34秒 | 音楽(クラシック)
昨日の続きです。

学生時代は「運命」といえばクライバー。もちろんかなり個性的な演奏で、他にもいいものは沢山あるのですが、それを超えるものはありませんでした。バーンスタインのベートーベンはやはりなにか重たくて妙に引っかかるような印象でした。

そして最近になって一通り聴きなおしたのがブラームス全集。特に私が大好きな3番はあまりにすばらしいものに感じました。彼の音楽は、彼の人生が凝縮されているかのように感じられます。恐らくそれは深すぎて10年前の私には共有できなかったのでしょう。今になって聴いてみると、劇的ともいえる内容に心を打たれます。3番の4楽章はどちらかと言うと円満に穏やかに終わるものだと思っていましたが、バーンスタインの場合、同じ曲なのにはかなく、さびしいけれどもそれが人の道と思って受け入れるような気持ちを感じました。私は3番は沢山の生演奏と録音とを聴いてきましたが、こんな思いになったことはありませんでした。

この10年間と言うのは私にとっては激動の時期で、初めて挫折というものを知ったと思いますし、弱い立場に立たされたものの気持ちを知ることが出来た期間でした。そんな経験が少しは私の許容能力を上げてくれたのだと思います。

更に十年後にはまた全然違う音楽を感じられるようになりたい、辛いことが沢山あってもそういう人生を送れる素敵なことだと思います。

タイトルにしておきながらほとんど触れていなかった「運命」ですが、これこそ本当に違って聴こえるようになった演奏です。これを聴くとバーンスタインはどんな細かなフレーズでも決して流れてしまうことがないことが良く分かります。どんな演奏家でもそうなのかもしれないですが、しかし、多くの演奏では先を急いで見逃しているような聴いたことがなかった表情がそこここにあります。これはDVDですが、カップリングされているレオノーレ3番もすばらしい名演でした。私はこの曲はクーベリックのちょっと凝った映像が好きで良く楽しんでいるのですが、それとはまた違った味わい深い演奏でした。

バーンスタインの「運命」

2006年03月03日 02時10分13秒 | 音楽(クラシック)
バーンスタインの音楽とのはじめの出会いは全然印象がよくなかった。

祖父の遺品のクラシックのCDを受け継いでクラシックを休息に聴くようになったのは高校2年生のころ。受験勉強の本格化とともに買うCDの枚数も増えたと思う。今も大好きなベーム・ウィーンフィルの40番からモーツァルトの交響曲にはまり、集め始め、はじめに買ったのがレヴァインの35・36番。92年の「モーツァルトイヤーに向けて作られた全集ですが、今から考えるとなぜレヴァインが起用されたのか。当時のはやりでオリジナル楽器のホグウッドの35・36も聴いていました。そして38番(「プラハ」です)が欲しくなり買ったのがバーンスタイン・ウィーンフィルの38・35のカップリング。
ホグウッドやレヴァイン、それにベームと比べても濃厚すぎる音楽、テンポの重さなどものすごく違和感あり、こりゃやりすぎだろ。べたべたしすぎ。と、すぐにはずれCDに分類してしまいました。
バーンスタインの定番の録音は沢山ありますから、当時から聴かないはずはなく、ブラームスの1番、エロイカ、他にも数枚持っていたと思いますが、お気に入りになるようなものはありませんでした。

それから後になって鮮烈に印象に残る録音に沢山出会いました。マーラーの復活。小澤ボストンを聴き慣れていた当時、余りのスケールの大きさに唖然としたのを覚えています。そしてショスタコービッチ。ヨーヨーマとの協奏曲は有名な録音ですが、確かバーンスタイン自身が弾いたピアノ協奏曲(思い違いかもしれません)は痛烈でした。

そして10年以上たった今、バーンスタインのベートーベン、ブラームスが心に染み入るように感じるようになりました。やっと題名までたどり着いたのですが、昨晩は1時間半しか寝ていなくて早く寝ないと明日も使い物にならなくなってしまうのでそろそろ寝ます。また。


クラシックねたは書き始めるときりがなさそうですが、気分転換にたまに書こうと思っています。