ウィーンで研究留学!

以前はウィーンでの留学生活を綴っておりました。今後はクラッシック音楽を中心に細く長く続けていけたらと思っています。

ライナー・キュッヒル、ダニエル・ゲーテの元ウィーンフィルコンサートマスターのリサイタル二連発!

2022年08月04日 21時31分26秒 | 音楽(クラシック)
しばらく投稿していなかったところ3年間何もしないと編集機能を失うとGoo blogから警告が来てしまいました。
以前からの読者が読んでくれるかどうかわかりませんが、そういうことで3年に一度は投稿したいと思います(笑)。いえいえもっと書きます。

ということで今回は軽井沢の大賀ホールでのコンサートをレビューします。
・2022年7月23日 音楽の都ウィーンの至宝 ライナー・キュッヒル ヴァイオリンリサイタル
・2022年7月29日 ダニエルゲーテ&横山幸雄デュオコンサート

大賀ホールは軽井沢にあるだけあって普段からそれほど演奏会が行われているわけではありませんが、ゴールデンウィークや夏休み期間など軽井沢に人が集まる時期になると途端に賑わいます。
キュッヒルさんは有名人なのでクラシックファンの方はまずご存じだと思いますが、ゲーテさんについて知っている人はあまりいないかもしれません。1966年ハンブルグ生まれ、1994-2000年ウィーンフィルのコンサートマスターを勤めていらっしゃいますが、2013-2016年は読響でもコンマスをされていたということです。読響、あんまり聴く機会がなかったんですよね。毎年軽井沢で開かれている「若い芽のアンサンブルアカデミーin軽井沢」ですでに10年、指導、出演してくださっているそうですが、私は今回初めて演奏を拝聴しました。

同じようなコンサートになるかと思いきや、きわめて対照的でした。ゲーテさんのコンサートは本当に良かった!ウィーンにしばらく住んでいた身としてはこれぞウィーンの音楽!と思わされるきわめて居心地がよくかつ刺激的な音楽で、何よりゲーテさんの演奏姿がかっこいい!次の音楽はこうだよ、というのがすべて体から発散されている感じでした。ピアノの横山さんはショパン奏者の印象が強く室内楽をやられているイメージはないんですが、やはりそれはそんな感じで、あれ?そこヴァイオリンを置いて先に行っちゃうの?というような箇所がたくさんありましたが、そこはゲーテさんはアンサンブルの達人なので素晴らしくフォローされていました。惜しかったのは客席がかなり空いていたことで、こちらのチケットは3000円の全席指定席でしたが、本当にもったいない!値段的にもリーズナブルだしもっともっと多くの方に聴いて欲しいと思いました。毎年来てくださるのでチャンスがある方は来年是非!ちなみに曲目はブラームスのヴァイオリンソナタの2番、シューマンの1番、そして後半はフォーレの1番でした。事前に見ていたポスターでは後半はR.シュトラウスだったはずですが変更になったんですかね?

順番が前後しましたが、キュッヒルさんの方、こちらは軽井沢響きの会の主催、5000円全席自由でした。チケットは残っていましたが、さすがにキュッヒルさんですし、6-7割の入りというところ。調べたところキュッヒルさんは前日は札響でコンマスをされていたとか。ここ数年N響でも客演コンマスをされていて何度か拝聴しましたが、特にモーツァルトなどは音色が全然違ってくるので本当にありがたいことだなあと思いますが、一方でコンマスのソロパートではちょっと音程が怪しいのが常でした。オーケストラならそれはそんなに気にならないですが、リサイタルになるとどうなのか?というところが危惧されて、実はこのコンサートはチケットを買ったのは前日でした。

前置きが長くなりましたが、曲目はモーツアルトのロンドハ長調K.373,ベートーヴェンのソナタ4番、五番が前半。後半はリストの競争的大二重奏曲R.462、サンサーンスのロマンス、ハバネラ、それに6つの練習曲作品52大6番でした。前半はウィーンプログラムですが後半はリストにサンサーンス。ちょっと不思議だなあと思っていました。始まってみるとモーツァルトは予想を上回ってさらえてない感じ。素人の私ですら音程が不安定すぎて辛かった。ベートーヴェンになって少し改善されましたが、前半は楽しめたとは言えません。後半は自分があまり親しみのない曲だったりする部分と、たぶんしっかり準備されていたようで、だいぶ良かったですがトータルとして満足だったかと言えばそうではなく、軽井沢の聴衆を馬鹿にしないでほしいと思いました。といってもウィーンフィルで何度もコンマスとしての演奏は聴いているキュッヒルさんのソロを聴けるというのはそれはそれで面白い体験でした。キュッヒルさんは日本のオケでコンマスをされるときもなかなか規律に厳しいらしく、自分が入場するまでオケのメンバーは立たせたままで、自分が挨拶して着席してから全員座るとか、やっているそうですし、ウィーンフィルの時も特にヘッツェルさんがなくなってしまって第一コンマスになられた頃などはTVで映像を見ていてもいつも額に青筋が立っていて神経質な印象を受けていました。今回のリサイタルでもなんというかウィーンフィルに対して抱いている繊細な感じというよりはやや憤然とした態度で音楽もひたすらびしっと突き進む感じでした。(それで音程がちゃんとしてればいいのですが)一方でこの日のピアニストの加藤洋之さんはプロフィール的にも室内楽のスペシャリストとのことですが、本当に絶妙にキュッヒルさんに合わせていて、自分がリードするときは素晴らしく体でリズムを表現しされていました。当然ながら後で思ったのはこの加藤さんとゲーテさんだったらどうなっただろうか?ということですが、これはまあ主催者も違うし考えても仕方ありません…

ということでこのようなコンサートが一週間のうちに二度も聴けるという得難い経験をさせていただきました。第七波の中でなかなか混雑しているところに行くのもはばかられれますが、少し余裕がある客席で音響の素晴らしいホールで聴けたのは大変ありがたいことでした。

N響B定期(木)

2019年09月26日 23時58分50秒 | 音楽(クラシック)
学生の頃憧れだったN響サントリー定期会員の2年目。本当は曜日を変えたんですが、初回から都合が悪く振替。なんと前シーズンの席のすぐ近く、二つ右に寄ったところで、右隣だった学生風の青年は同じ席で更新したらしく、私を見てすぐ道を譲ってくれてんですが、その必要はなかったというややこしい状況。
席を(曜日も)変えたのは前の男性がなかなかヤバイ感じで、頭頂の薄い髪はいかにも不潔、風向きに寄って体臭がかなりキツく、しかも演奏中に乗り出すは、突然プログラムを高々と掲げて読み出すは、かなり不愉快だったので。その男性はやはり同じ席にいらして、同じことをされていましたが、今回は体臭からは解放。周りの人は気の毒です。定期会員って隣とか前とかの人が固定なのがなかなか難しいですね。本来の席はどうなのか、来月がドキドキです。
さて今回は音楽監督パーヴォ。ソリストはパユ。
Tüür Searching for Roots (Hommage à Sibelius) (1990)
Nielsen Flute Concerto
Sibelius Symphony No. 6 D Minor Op. 104
Sibelius Symphony No. 7 C Major Op. 105
前半に現代曲というのはやはり厳しく、今日はギリギリでホールに駆け込んだこともあり、かなり寝てしまいました。ニールセンはもうちょっと聴けるかと思ったんですが、一度寝てしまうと立ち直るのは難しい… パユはアンコールでVareseのDenstlity 21.5を吹いてくれました。ここ一年以内にこの曲二度目。流石にプラチナのフルートでは無かったと思いますが、なかなかの熱演でした。これは流石の技量で、なんとか吹いてるレベルではこんな熱い演奏は出来ないでしょう。
休み時間に定番のコーヒーとアイスクリームで後半に備えます。経験的には前半寝ちゃった時は逆に後半の集中力は得られます。
後半期待のシベリウス。6はザンデルリンクの録音で、7はマゼール、ピッツバーグのシャープな録音で昔はかなり聴いていました。6はなかなか難しい曲だと思います。N響もあまり経験がないらしく、今回のゲストコンマスにややついていけてない感じでしたが、熱演だったと思います。休みなく演奏された7は大好きな曲で、マゼールの印象が強すぎ、やや表情が明確でない感じがしましたが、まあマゼールはやややり過ぎなのでパーヴォが間違っているわけではないかも。実演としてはとても良い演奏だったと思います。
しかし昨年から何度もパーヴォ指揮のN響を聴いてきて、やはりなんか冷たいというか、心に響かない感は否めません。去年も一番良かったのはノセダ、パーヴォはいつも良いんですが、なんでですかね。ネーメの方がそういう意味では心に入ってくる音楽でした。

スメタナ「わが祖国」から「シャールカ」

2010年10月09日 00時24分54秒 | 音楽(クラシック)
唐突ですが久しぶりにCDの紹介。

スメタナの「わが祖国」といえば「モルダウ」日本では普通はこれしか演奏されないでしょう。モルダウをプログラムに見つけるとちょっと心惹かれることはあっても「わが祖国」全曲だとなんだか重そうな感じがしてしまう。僕も実際に全曲を生で聴いたことはありません。プラハはウィーンからは近いので一度プラハの春のわが祖国を聴きに行くべきだったかなと今になって思うけれども、プラハは観光にはいい街だと思うけどやっぱりわざわざまた行こうとも思わないんですね。完全に個人的な理由ですが。

それはともかくわが祖国にはすごい録音があります。数年前にかなりの数の演奏の「シャールカ」を聴き比べたことがあるのですが、演奏の内容ではクーベリック以上のものはあり得ず、中でもこのサントリーホールでのライブは録音の良さも合わせて一番でした。しかしどうやら今現在はこのNHKから出ていたライブ盤のCDは品切れ状態なのでしょうか?アマゾンでは同じライブと思われるDVDは在庫があるみたいですが。

海外のAmazonで調べた限りではこのサントリーホールのライブ盤は出ていなようで、日本国内限りのようですが、なんともったいないことか。そもそもチェコの録音と比べたらいいに違いないわけで。アマゾンのページに熱いライナノートが紹介されていますが、本当にこのライブを聴けた人は羨ましい。

なんで今この録音を紹介するのかというと、たまたまつい最近イギリスのオケのこの曲の録音を聴いて、余りのなまっちょろさに気分が悪くなってこの録音を聴き直して、再び感動し数日間頭の中を「シャールカ」が回っていたのでした。表題がなぜ「シャールカ」なのかというと、この演奏を聴くとこの交響詩のクライマックスはシャールカにあることがわかるからです。

ちなみに良く出回っているCDでボストン響との録音がありますが、奏者の魂が乗り移ったようなチェコフィルのものと比べるとかなり見劣りします。それならば有名なプラハの春のライブが勝ると思います。僕はこれはDVDしか知らないのですが、やはり感動的なライブであることには変わりありません。


スメタナ:連作交響詩「わが祖国」

NHKクラシカル ラファエル・クーベリック チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 1991年日本公演 [DVD]

ブーレーズ指揮・ベルリン国立歌劇場管弦楽団のマーラー交響曲8番「千人の交響曲」

2009年05月01日 07時01分03秒 | 音楽(クラシック)
千人の交響曲は人を集めるだけで大変だと思いますが、それを考えるとかなり頻繁に演奏されているような気がします。が、今まで一度も生で聴いたことが有りませんでした。録音はいろいろ持っているのですが、この曲は余りに音量の幅が大きすぎて基本的に録音では辛いような気もします。実際普通にCDを聴いていても第二部に入った後で必ず寝てしまうような感じです。

去年から今年のシーズンでなぜかブーレーズとバレンボイムが分担してベルリン国立歌劇場のオケとマーラーのサイクルをやっています。やはり結構人気で早めにチケットを買ったのですが、何が入るか分からない日常のため余り沢山買うわけにも行かず、結局6番か8番で迷ったあげく8番を選びました。6番は2度ほど生で聴いたことが有ります。といってもブーレーズのマーラーは5番と6番の録音を聴いた限りバーンスタインの演奏になれた耳には感性が欠如しているような音楽に聞こえるのでそこまでの期待が有ったわけではありません。バレンボイムはまああり得ないし。

ということでキャストは以下のように。これだけでも凄く長い!

Staatskapelle Berlin
Singverein der Gesellschaft der Musikfreunde in Wien
Slowakischer Philharmonischer Chor
Wiener Sängerknaben
Pierre Boulez, Dirigent
Ricarda Merbeth Ricarda Merbeth, Sopran
Camilla Nylund Camilla Nylund, Sopran
Adriane Queiroz Adriane Queiroz, Sopran
Michelle DeYoung Michelle DeYoung, Alt
Jane Henschel Jane Henschel, Alt
Robert Dean Smith Robert Dean Smith, Tenor
Hanno Müller-Brachmann Hanno Müller-Brachmann, Bariton
Robert Holl Robert Holl, Bass

結論から行くと、凄い数でしかもかなり良く訓練されたレベルの高い合唱のパワーで時々びりびり来るような感触は覚えたものの、なんというか全くうねりの無いブーレーズの音楽と、この曲の特殊性でなんというか冷めて聴いてしまうような感じでした。周りを見ているとみんな一生懸命歌詞を追っているのでやっぱりドイツ語が分かって意味を理解しながら聞くと違うんだとは思いますが、やっぱり第二部の途中から20分ほどは寝てしまいました。第一部はなんというかいつもクライマックスのような感じで、全体がつかめないし、第二部は冗長で音楽だけを聴いていると本当に難しい曲です。最後の盛り上がりがオケだけなのも結構謎です。

舞台は本当にいっぱいいっぱいで、使えるスペースはとにかく使うような状態。ソリストは第一部では合唱の前に入って、第二部では指揮者の横に来たのですが、第一部では彼らですら狭そうでした。合唱団のおじさん達は肩と肩が接しているような感じ。バルコニーの少年合唱団はまあ余裕が有りそうでしたが。通常の舞台では足りないので舞台を客席側に継ぎ足していて、サークルと呼ばれている席は舞台になってしまっていました。それに舞台と同じ高さのバルコニー席の1番は鍵盤楽器に占拠されていました。バルコニーの2番の席の人は辛いだろうなあとか余計なことを考えてしまいました。打楽器群も近いし。

ブーレーズの指揮はなにかの映像で見たとおり、何の変哲も無く感情表現などまるで無し、かといってテクニックが有るわけでも無いという感じでしたが、まあ基本は作曲家ですからね。全然キューが入らないオケがしっかり入っていたのはさすがという感じです。まめにキューが出ていたのはやはり合唱団に対してで、特に少年合唱団にはとても丁寧に出していました。それでも第一部のはじめの方の複雑なところは合唱団のソプラノが走り気味でオケとだいぶずれていたようにきこえました。まあ本当に規模が大きいので一人の指揮者では大変すぎます。

ブーレーズも初めて生で聴いたわけですが、まあ予想通りというか今度は別の曲で聴きたいところです。彼が指揮者として復活した時のはじめのCD、ストラビンスキーのペトルーシュカと春の祭典、が衝撃的だったのでちょっと期待したのですが


最後に付け加えておくと終了後の観客の盛り上がりはかなりのものでした。やっぱりブーレーズは現代的にはスターなんだなあと思わされました。他のお客さんが盛り上がっていて乗れないのは寂しいものが有りますが、この前は周りが冷めていて叫びたいんだけどちょっと遠慮するようなことも有りました。やっぱりウィーンの聴衆もネームバリューに弱い気がします。

アルバン・ベルク四重奏団2

2008年05月18日 06時06分50秒 | 音楽(クラシック)
アルバンベルク四重奏団の録音をそんなに端から聴いているわけではないが、私の知る彼らのCDの中の演奏はいつも完璧でそして遥かな高みから聞こえてくる音楽のようだった。言い方は悪いが彼らの録音を聴いているとなんというか音楽の生々しさのようなものは感じない。しかしその説得力は圧倒的で、どこにも妥協のない、際立った精神性に基づいた音楽という印象を受ける。

僕が初めて買った彼らのCDはモーツァルトの弦楽五重奏の3番と4番で、これは曲もモーツアルトの室内楽のなかでも最高の部類だと思うが、本当に素晴らしい演奏だ。モーツァルトの短調の曲のCDを選んで聴いていた受験生の時に一番沢山聞いたCDの一つで、どういうわけか合格発表を見に行くときにバスの中でこれを聴いていたのが忘れられない。彼らの演奏はそのゆるぎない格調の高さ故、精神的に不安定なときに聴くのに向いている気がする。このCDではそのト短調の4番も素晴らしいが、3番は本当に得がたい格別な録音だと思う。五重奏なのでヴィオラが一人加わっているから四重奏団としてのオリジナルではないかもしれないが、彼らの名録音の一つであることには変らないだろう。



彼らの録音を最初に聴くときにはその音楽の、なんというか格の高さに常に驚かされる。有名な四重奏で良く知っている曲だったとしても、彼らの演奏は何か他とは絶対に違うように思われる。その印象というのははじめに書いたとおりでいつも変らないのだが。最も印象に残っているのはドビュッシーとラヴェルの弦楽四重奏曲の録音。これはCDがサークルの部室にあって、自分で買うのは別の演奏にしようと思って別のものを買ったが結局最終的に彼らのCDも買うことになった。



これも超有名な四重奏曲でシューベルトの死と乙女、ロザムンデ。いくら書いても同じようなことになってしまうので興味を持った方は是非聞いていただきたい。買って絶対に損することのないクラシックのCDというのはそうはあるものではないが、これは稀なものの一つといっていいと思う


アルバン・ベルク四重奏団1

2008年05月18日 00時25分34秒 | 音楽(クラシック)
この世界でもっとも有名といっていい弦楽四重奏団は僕にとっては絶対的な存在だが、それは完全に彼らの録音のみによって形成されたもので、彼らの演奏を生で聞いたことは一度も無かった。今から考えれば本当に惜しいことで、全盛期の演奏を聴くことが出来たのかもしれない。彼らはなんども日本を訪れているしいくらでもチャンスはあって、実際に王子ホールの演奏会のチケットを取ろうと思って電話をしたこともあったのだが、そのときは電話が繋がらず売り切れ、他にサントリーホールなどの演奏会もいくつかあったと思うが、CDで有名なことをいいことに法外に高いチケット代にひるんでしまった記憶がある。僕の中では彼らはオーケストラと同じようにずうっと存在し続けるもののような気がしていて、その気になればいつかは生で聴けるだろうと思っていた。だが考えてみたら成熟に時間が掛かり、メンバーの交代は大きなリスクになる弦楽四重奏団の寿命というのはそんなにながいものであるはずがない。アルバン・ベルク四重奏団が一流の四重奏団として存在し続けた38年間という歳月は十分に長いといえると思う。

解散してしまう、ということをどうして知ったのか良く覚えていないが、ウィーンにいるとニュースも新聞もドイツ語だからわからないし、かといって日本語のウェブサイトでニュースをチェックするわけでもないし、本当に世間から疎くなってしまう。最低限のことはそれでもなんらかの形で知るけれども、世界を騒がせたオーストリアのニュースなどもランチでの会話で知ったくらいで、だれかが教えてくれなければ全く知らずにいただろう。いかに科学者といえどもこれではいけないと思いつつ、なかなかこういうところは変わらない。確か1月にベートーベンの弦楽四重奏の彼らの録音ををたまたま聴いて、ウィーンにいるんだからアルバンベルク四重奏団の演奏会に行かなきゃと思い検索したところ、女性がメンバーに入っていることに気づいて驚き、いろいろ見ていたら解散してしまうことを知ったのだと思う。解散する前に何としても一度は生で聴きたいと思ったが、今回聴きに行ったKonzerthaus(彼らのデビューの地)でのコンサートもその時点で完全に売り切れになっていて(通常にくらべて物凄く早く売り出している)、他にどこか無いのか調べてパリでの演奏会はまだ残っているけれどこれに行こうかどうか迷ったりもした。Konzerthausでは6月にHeinrich SchiffやLeonskajaなどとSchubertを演奏するコンサートが別にあり、これは大ホールなのだがこれを手に入れて一応満足することにした。しかし彼らの解散ツアーのプログラムとは当然別物で、僕にとっては大好きなベートーベンの作品132が入っている今回のプログラムは格段に魅力的だった。彼らのこの曲の録音を何度となく身震いを起こしながら聴いていたのだから。

諦めつつもなんとなく折に触れてKonzerthausのウェブサイトをチェックしていたところ、2週間前になってたまたまチケットがavailableになっているのを発見し、即座に購入した。実は研究所の大きなイベントと重なっていたんだけれども当然こちらが優先である。席は舞台の上。奏者の息遣いまで聞こえて来そうな場所だ。オーケストラの場合、舞台上の席はホルンが口を向けて並んでいたり、ティンパニのすぐ後ろだったり音のバランスが酷いことが多いが、弦楽四重奏ならほとんど問題にならないはずだ。

ウィーン国立歌劇場の酷い「ローエングリン」

2007年07月05日 05時31分55秒 | 音楽(クラシック)
日本での私の数少ないオペラ体験のうちで2つもワーグナーである。これらはもはや10年以上前になってしまうが、その一つがベルリン・ドイツオペラの引越し公演だった。自称ワグネリアンの友人が他にトリスタンも見に行っていて演出が凄かったと興奮して語っていたから多分ワーグナーのシリーズだったのかもしれない。もう一つはマイスタージンガーだったかもしれない。ローエングリンは東京文化会館で演じられて、私は2階のサイドだったため舞台の奥が見えず、ローエングリンの登場の場面で見えないところで延々歌っているローエングリンが前に進んでくるのを待っていたのが辛かったのをおぼえている。このときはいわゆる古典的な演出で、エルザとローエングリンは白、フリードリッヒとオルトルートは黒という分かりやすい色分けだった。そして特に印象的だったのはオルトルートが素晴らしかったことで演じたのはジャニス・マルティン。彼女の名前はこのときあまりに素晴らしかったので覚えてしまい、なぜか忘れない。フリードリッヒが誰だったかは忘れてしまったが彼もとても迫力があった。一方エルザとローエングリンのほうはとても弱弱しく声量が無いので、舞台の内容とは相反して音楽的には悪役に圧倒されていた。こういうのはやはり総合的に好ましくなく、1月のドンジョバンニと同じで、主役が立たないと他がいかに良くても舞台としていいものにはならないと思う。しかし歌手というのはどうやら物凄くコンディションに左右されるので声楽陣をそろえるのはとても難しいのだろう。ザルツブルグ音楽祭の舞台は国立歌劇場とは違ってしっかり準備がされて質が高いと聞くので是非行って見たいのだが、どういうわけか上手く予定が合わず今年も無理そうである。来年こそは行きたいものだ。


LOHENGRIN

Dirigent: Stefan Soltesz
Heinrich der Vogler: Kwangchul Youn
Lohengrin: Ben Heppner
Elsa von Brabant: Ricarda Merbeth
Friedrich von Telramund: Peter Weber
Ortrud: Janina Baechle
Heerrufer: Boaz Daniel

さて今回の演奏は6月の下旬に観てきたもの。残念ながら私がウィーンで観た舞台ではワースト2であった。ワースト1は書く気が起こらず放置してしまっているが3月の椿姫。そのときと同じくたぶん指揮者が先ずダメだったのだと思う。有名な第一幕への前奏曲、もっとも高揚するところでシンバルが指揮者と全く関係ないタイミングでなったのは凄かった。要所ではみんな一生懸命弾いているもののとにかくこの前奏曲ははじめからアンサンブルがめちゃくちゃで先が思いやられるものだった。舞台が開いて歌手が歌い始めればオケも指揮者を無視できないのでそれなりにあわせた音楽になったが、この指揮者にはメリハリというものが全く感じられず、なんというか自動的にキューを出したりしている感じで、指揮者によって音楽が引っ張られるようなことが全く無い。そして圧巻は一幕の無伴奏のアリアで、主役級4人だけが歌うのだが何が起こっているのか?というくらい全くハーモニーになっておらず耳を疑うほどだった。声楽には音痴が一杯いるとは良く聞く事だが、さすがにこれは指揮者が修正しないとどうしようも無いだろう。それとも諦めた結果なのか。多分ディートリッヒが一番音程が怪しいのだが、声量はあるので他もおかしくなったに違いない。一幕がこれだけ粗雑だったので帰ってもいいくらいだがローエングリンは好きだし、2幕はオルトルートの見せ場もあるしと思い留まった。

2幕のオルトルートは熱演だったがなんというか魔女らしい怪しさが感じられなかった。ジャニス・マルティンと比較してしまうから厳しいのかもしれないが必死で余裕が無いオルトルートというのはちょっと違和感がある。フリードリッヒは音楽的にとても荒っぽく、演技も乱暴なばかりで繊細さが感じられなかった。人前では偉そうなくせにオルトルートには弱く、上手い具合に操られているという役柄を理解できていないのか、私の期待するものがおかしいのか。そしてローエングリンは私に言わせればキャストミスである。

主役級ではエルザはもっとも光っていたと思う。振る舞いも声も高貴さを持っており、やや精神的な異常さをかもし出す演技も十分なものだった。が、音楽的に十分迫力があったとは言えない。3幕のローエングリンとの二人の場面は演出も酷いがなにか迫真に迫るようなものが無く、またローエングリンもおやじでなにか鈍い感じなので悲劇的なものが盛り上がらない。

それから有名な婚礼の合唱は本当に酷かった。ここは幕が下がっていて、手前にエルザとローエングリンが居て、幕の向こうで合唱団が歌う。はじめは幕の向こうに小さなオケが居るようでそっちで伴奏しているのだがこれが伴奏と合唱が物凄くずれている。そしてオケピットからの伴奏が入るのだがこれがまた合わない。これが天下のウィーン国立歌劇場の姿なのか!と耳を疑ってしまう有様だった。幕を途中にたらす演出は言い訳になるはずがない。あまりに酷いのでよっぽど席を立とうと思った。

最後に演出は、まあ国立歌劇場のワーグナーの演出なんてこんなもんだと言う人もいるが、かなりいただけないものだった。そもそもローエングリンが人間臭い太った親父のような人なのがさまにならないが、彼も黒のスーツ、エルザも黒のスーツとくるととても神の力に守られたカップルという感じがしない。更に酷かったのは王様で、アジア人の彼には明らかに寸法が会わないスーツをかぶせられていて、普通に経つとすそからは指の先しか出ておらず滑稽そのものだった。どうして彼に合わせて仕立て直さないのかやる気を疑う。現代的な演出をそれだけで否定するつもりは無いが、こういう基本的なところをないがしろにしてはいけないだろう。

ウィーン国立歌劇場「フィガロの結婚」

2007年03月20日 06時54分44秒 | 音楽(クラシック)
閉鎖したんじゃないかというくらい間が開いてしまいました。
来て一年たってないというのにいろいろあるものです。自宅でのネット環境が変って一度とまるとなかなか回復するのに時間が掛かってしまいます。

とりあえずこのブログの基本から再開しましょう!(本当は基本は研究留学のはなしなんですが、、、追々本来の基本に立ち返ることも出来ると思っています。)


LE NOZZE DI FIGARO

Dirigent: Adam Fischer
Graf Almaviva: Bo Skovhus
Gräfin Almaviva: Ricarda Merbeth
Susanna: Laura Tatulescu
Figaro: Hanno Müller-Brachmann*
Cherubino: Michaela Selinger
Marcellina: Margareta Hintermeier
Basilio: Michael Roider
Don Curzio: Benedikt Kobel
Bartolo: Janusz Monarcha
Antonio: Marcus Pelz
Barbarina: Caroline Wenborne*^

大分たってしまいましたが、2月にフィガロに行ってきました。多分前々からの予定はケルビーノはグランチャだったはずですが、さすがの不調と3月の薔薇に備えて変更になったようです。といっても12月くらいには変更されていたと思うので代役という感じでもないですね。
そのケルビーノを歌ったMichaela Selingerさんは超美声!才能だけを取ったらグランチャの上を行くんじゃないかと思いました。ただ、恐らく人間的にもあまりに若く、清く正しすぎて(それに多分結構緊張していて)音楽的には面白くないのですが、それでも声があまりに綺麗なので素晴らしいものがありました。この人が人生経験も舞台経験も踏んでいい指導を受けたらとんでもないことになりそうです!どんなに緊張していて隠れようとしても美しい声がはみ出てしまうようなそんな歌いぶりでした。
歌唱陣では圧倒的な存在感を示していたのはスザンナ。これはもうケルビーノの正反対で彼女の存在だけで舞台が生き生きしてくるような演技でした。声はそれほどでもないんですが、重唱の多いなかで常に周りを良く聞いて立ち回っていました。それに比べると伯爵夫人は時々音程も怪しかったような。でも歌いぶりは堂々としていて結構喝采を浴びていました。そういえばケルビーノははじめのところめちゃくちゃ怪しくてスザンナとの掛け合い(だったかな?)では明らかにテンポ外しまくっていました。緊張しまくりという感じでした。

そして指揮、実は何度も見てるAdam Fischerさんだったのですが、この日はなんだかやたらと切れる指揮で物凄いはや振り、それはそれでテクニックはすごいし、かといって振る必要の無いところは全然振らなくてちょっとクライバーを髣髴とさせるなかなか格好いい指揮だったのですが、なんとも歌い手の気持ちを汲まないでどんどん行ってしまうので歌唱陣は大変そうでした。一幕の最後の部分では明らかにオケに無視されてましたね。まあこういうところもこのオケの魅力なんでしょう。

全体的には常に音楽的なテンポでぐいぐい引っ張る指揮者と舞台で大活躍するスザンナのお陰でとても楽しい演奏でした。生の舞台というのは録音とは違っていろんなことが起こるわけで、特にオペラは大変だと思うのですが、それも含めて楽しめるようになりたいですね。同じモーツアルトでもコジのときとは偉い違いで、あらためて指揮者の絶対性を認識させられました。

この後日、椿姫に行きましたが、これは全く逆でStaatsoperでもこんなこともあるのか?という有様でした。これはまた次の記事で。。。

ウィーン国立歌劇場の「ドン・ジョバンニ」

2007年02月17日 06時24分40秒 | 音楽(クラシック)
しばらくどたばたしていてここに来れませんでした。これからも今までと同じように気まぐれに続けていきます。
ということで1月の末に行ったドンジョバンニ、書き掛けで時間が経ってしまったので、当日書いたものを載せることにします。



Wolfgang Amadeus Mozart
Don Giovanni

Dirigent
          Peter Schneider
Don Giovanni
          Bryn Terfel
Donna Anna
          Ricarda Merbeth
Don Ottavio
          Saimir Pirgu
Donna Elvira
          Cellia Costea
Leporello
          Erwin Schrott


ろくにキャストも見ないでドン・ジョバンニだからといきなりとってしまった今日のチケットでしたが、実は声楽陣かなり揃っており素晴らしい舞台でした。そして昨年の夏に行ったアンデアウィーン劇場のドン・ジョバンニとは180度方向性の違う落ち着いた大人のドン・ジョバンニでした。ただし肝心の主役が一番声が出ていなくて迫力がないという大問題がありましたが。。。

私がこのオペラの中でも一番だと思っている2幕の地獄落ちの前のドンナ・エルビラのアリアでは、歌い手も思い入れがあるようで、やや早すぎるオケのテンポを自分のテンポに絶妙に引っ張り込み、丁寧にそして劇的に歌いこんでいました。ここら辺も夏のとは全く印象が違い、最大限に激しく感情を込めて歌うのではなくて、決して余分な力を込めずに微妙な感情の移り変わり・矛盾を表現してました。私はこのアリアにはいつも注目して(というか息を呑んで)聴いているのですが、新境地を見た思いがしました。ただ、彼女はやや声量が低く、艶も欠けていたので調子が悪かったのかもしれません。聴衆の拍手は私が受けた感激に比べて大したことがありませんでした。

それにくらべてドン・オッタービオは二番目に喝采を浴びていました。私の見解からするとこの役柄は難しいことを考える必要がなく、描かれているキャラクターとしても正義感は強いけどそんな繊細な感性も持ち合わせていない青年なので、音楽も内容的には単純と思うのですが、今日のオッタービオはその範囲内で素晴らしい演技をしていたと思います。

石像の騎士長が登場する最も有名な場面では、はじめの「どーん、じょばーん、にー」を引っ張りすぎて次の「あーてーなー・・・」と入るのが完全に遅れ一瞬指揮者も焦ったようで棒が乱れたのが見て取れました。こんなところでミスがあるとどうなるかとドキドキしてしまいました。そのあとは何も無かったかのように続きましたが、はじめが締まらないと緊張感がやや失われます。そして夏のドンジョバンニと違って地獄落ちの後には他のキャストが勢ぞろいしての重唱が入りました。これを入れるか入れないかは、この劇自体をどう捕らえるかということになるようなのですが、そういう意味では一貫していたと思います。難しい言い方は良く分かりませんが、劇的な側面を強調するのではなく、シニカルな喜劇としての演出ということなのだと思います。フィガロの結婚と同じく貴族を風刺しているんですね。そういう意味では今回は一貫していて、音楽もあくまでモーツァルト的、感情表現が過剰にならない、ウィーンらしい、大人の音楽でした。そういう意味ではドンジョバンニに対する見方がちょっと変ったかもしれません。

しかし一夜の舞台としてはやはりドンジョバンニとレポレロの力関係が反転しているのが痛恨。恐らくレポレロ役の方は自分の方が全然力量が上だと思っていて、舞台上でもまるでドンジョバンニのように堂々と振舞い、主役をたてる気配はまるでありませんでした。今回のドンジョバンニはこのままでは立場が危ういですね。まあ調子悪かったんでしょうけど、演技でも負けていました。

モーツァルト・レクイエム

2007年01月21日 08時18分41秒 | 音楽(クラシック)
リンクの仕方をやっと覚えたのでこれから私の愛聴盤を折に触れて紹介していきたいと思います。

第一弾はモーツァルトのレクイエムです。

これは以前にコメント欄で触れた事があるのですが、カラヤンとウィーンフィルの録音がはじめに買ったCDでかつ素晴らしい演奏で、その後もレクイエムは沢山買ってみたのですが、なかなかこれを超えるものはありません。カラヤンは目をつぶって指揮するのがありえなくて好きではなく、特にモーツァルトはあとはホルン協奏曲くらいですが、これはそんな先入観を吹き飛ばす素晴らしい演奏です。曲の性格上もあるのかもしれません。これはしかしもはやちょっと古い録音なのでしょう、廉価盤シリーズに入っているようで大分安くなっています。こういう名盤が安くなってくれるのはクラシックのいいところですね。

カラヤン-ウィーンフィルのモーツァルト レクイエム


カラヤンのレクイエムはベルリンフィルとの録音があってこちらもソリストはすごい名前が揃っているのですが、更に安くなっているようです。安いと言うのはそれだけで価値があるとは思います。演奏は一度は聴いたことがあるはずなのですが良くいないので保障は出来ません。



そして最後に是非紹介したいのがブリュッヘンと18世紀オーケストラの来日公演のライブ録音です。これはライブ録音ならではの熱く美しい演奏です。私は基本的にオリジナル楽器の演奏は好きではないのですが(ホグウッド・ガーディナーなど頭でっかちな演奏が多い印象)、これは全く異なります。そんなによく知られていないようですが、ライブ録音であることが気にならない人ならこれが一押しです。(ちなみに私はライブ録音が好きです。)

18世紀オーケストラのモーツァルト・レクイエム


レクイエムは言うまでも無くモーツァルトの絶筆の作品で最高傑作のひとつだと思いますが、ある意味最後にたどり着いた新境地でもあって、いわゆるモーツァルト好きが好むような愉悦感のようなものは微塵も感じさせないシリアスな曲です。この曲だけベートーベンも第九も通り越しているようにすら思えます。そういう意味ではモーツァルトが嫌いな人でも絶対に聴いて欲しい曲です。