ウィーンで研究留学!

以前はウィーンでの留学生活を綴っておりました。今後はクラッシック音楽を中心に細く長く続けていけたらと思っています。

VISA更新への道2

2007年04月29日 10時06分39秒 | ウィーンの生活
珍しく連日の更新なので話を続けましょう。

もう一度出直してVISAの更新の申請に出かけました。今度はもちろんちゃんと空いていて、すぐに窓口に到達しました。研究者の窓口は2階にあるはずと聞いていたので2階に行ってみました。去年はこっちでの申請でみんなとても親切で英語もとても綺麗に話してくれるしいやな思いは全くしなかったのですが、今年は1階に行くように言われました。1階は沢山の人が順番を待っていて雰囲気が違います。そして案の定はじめの受付から怖い感じ。一応ドイツ語で更新の申し込みしたいんでうすと言って見たところ、どうやら待つように言われました。「同僚が・・・待っていてください」しか聞き取れなかったのですが、まあ多分別の人が呼んでくれるんでしょう。30分ほど待つと呼ばれました。が、スピーカーから聞こえてくる声からは部屋番号が聞き取れませんでした。うろうろしていると別の待っている人がこっちの部屋だよと教えてくれました。入ってみるとこちらへどうぞと呼ばれ、どうぞ座ってくださいといわれたので座ったまでは良好なコミュニケーション。でもここまで。書類に不備があり、いろいろ聞かれると時に不明で、英語で答えるとほぼ完全に無視。でもまあ何とか促されるように記入したりしましたが、次の質問は聞き取れず。「警察に・・・・JaかNeinか書いてください。」内容は想像がつきます。恐らく犯罪を犯していないかで、多分Neinと書いておけば良いんだろうなあと思うのですが、でも文章は逆かも知れません。何度か聞き返すも分からない説明ばかり。すっかり期限を悪くし、「どうしてドイツ語がしゃれれないのにここに来たの!?」と言われる始末。こういうところだけ分かるんですね。もしかしたら「どうして一人で来たの」だったかもしれません。最後は「警察はわかりますか?」{警察で問題をおこしましたか?」「無ければここにNeinと書いてください。」と分かりやすく説明してくれてクリア。怒らずにそういってくれれば分かるのに。そんなやり取りを聞いた横の窓口の人が何か尋ねる。「研究者よ」と答えているのは分かりました。そもそもドイツ語の習得が免除されている研究者がここの窓口にまわされるのがおかしいと思いましたが、そんな余計な事を言うことも出来ないし、言えたとしても足しになりません。まあとりあえず無事書類を受け取ってもらえてめでたし。めでたし。そしてまたもう一度待っているように言われました。それから更に30分以上待たされて別の部屋へ。今度は英語のしゃべれるおばあちゃんでしたが、ここで予想しないことが。ドイツ語は勉強しているの?証明書が必要ですよと言うのです。昨年法律が変って研究者は必要なくなったはず!と言っても、それは同意しかねるわ、とか言っちゃって、結局必要書類にドイツ語のコースを受けた証明書を書かれて返されてしまいました。

どうやらこういうことは良くあるのですが、必要書類なども担当の人次第でどんどん変るのです。よく言えばそれぞれの裁量に任されている訳ですが、まあこれは要するにいい加減で、期限次第とも言えます。VISAの発行にしても早い人は3週くらいでもらえたりしますが、場合によっては2ヶ月以上掛かったりします。これを人は「担当によって3週のときもあれば2ヶ月のときもある」と当然のように言います。まあ基本的に運次第ということですが、まあこんなのと比べれば日本の役所はよくできているものです。人によって扱いが違うなんてことは日本人がもっとも不満を感じることです。まあこれも怒っても仕方ありません。2ヶ月掛かると思って、3週でもらえたら超ラッキーと思うほうが健康的です。

とりあえずVISAの更新は申し込みに必要な書類が足りず停滞しています。後はスムーズに行ってくれるといいのですが。

VISA更新への道

2007年04月28日 06時19分31秒 | ウィーンの生活
なんかいろいろ書き出しそうな気配を感じさせながらまた止まってしまいました。理由は明白で、一年の節目を迎えましたが、本当に節目になったのはついこの先日、一年ごとに回ってくる発表が終わってからです。とにかくずうっと目標にしていたのでまあ一応無事終わってやっと安心。

その発表のことはまた書くとして今日は小ネタで。

一年経ったということはVISAを更新しなければいけないということです。ドイツ語の書類は有り難いことに研究所にそういった世話の担当の人がいてやってくれるのですが、提出は基本的に自分でしなければいけません。来てすぐのはじめの申請の時は英語で対応してくれる窓口でしたが、更新になると様子が変るというのは聞いていたので少しドキドキしながら行ったのですが、、、、


休みでした。週の真ん中に休むなよ!といいたくなりますが、ここはオーストリア、そんなことを言っても仕方ありません。まあ天気もいいしトラムに乗ってるだけでも気持ち良いからいいねと開き直ってみたものの、帰りのトラムがやってこない!その駅(バス停、という感じなのですが、トラム停とでもいいましょうか)にやってくる別の路線のトラムが6台も過ぎ去って行ったあとにやっと来ました。こんなことはそうあるわけではないのですが、今までに数回経験しています。でもまあ待てば大体の時は来ます。困るのはアナウンスが入っても分からないことで、今回は一緒に待っていた子連れのおばちゃんが教えてくれたので助かりました。(ドイツ語ですから難しいことは分からないのですが、さらに10分か15分待たなきゃいけないみたいよ、というのは分かりました。)ドイツ語の話はまた別に書こうと思っていますが、私はレッスンは受けるものの予習復習する時間が全くなく、単語が全然頭に入っていないのが大問題です。そうでなくてもアナウンスは聞き取るのがとても困難!

まあそんなこんなで書類を出せなかったのにやたらと時間が掛かってしまいました。日本でこんなことがあったらきっといらいらしまくりで寿命が縮まりそうですが、私もウィーンのペースになれたのでこういったことは全くストレスにならなくなってきました。(それも問題ですが。。)不思議なのは、これから行ってくるねと書類を作成してくれた人に宣言した時にどうして教えてくれなかったのか。でもまあ単に気づかなかっただけなんでしょうね。これも仕方ありません。

留学生活一年目終了

2007年04月02日 00時57分11秒 | 研究
今日から4月(日本時間ではもう二日ですが)になったなあ、急に暖かくなって春なんだなあ、などと思ってからしばらく経って一年が経過したことに気づきました。気づくの遅すぎます。

というのも3月の末にはちょっと気合の入ったプレゼンがあり、年度の最後に旅行があったので最後は物凄くめまぐるしく過ぎていったのです。丁度今日、一ヶ月ぶりくらいに一息ついている感じです。

日本ではもちろん新学期な訳で私も桜を見て毎年心を新たする日本人だったはずなのですが、こっちではそういう実感は全くありません。人の出入りの時期が定まっているわけではないのもあります。私が大学院時代をすごした学部では正直言って博士の審査が甘く、また博士を取ってから会社に就職する人も多く居るのでほとんど皆3年の年限どおりに博士をとって3月に卒業していきましたが、こちらではPhD studentは年限はあるのですが、それぞれの仕事が基本的には完成した段階でPhD defenceと呼ばれる審査会をやって通過すれば出て行くので(厳密にはよくシステムを理解していないのですが、この審査会は私の常識からすると驚くべきものでした。またそのうち書きます。)その時期は季節に依存しません。スタートする時期もまちまちです。日本では履歴書に一日でも穴が空いてはいけないとか良く言われますが、そんなことはこっちの人は全く気にしないようで(もしかしたら書類上は空いてないのかもしれないですが)たとえば大学を卒業してから半年は世界旅行をしてその後研究の世界に入るとか、そんな人がいくらでもいます。研究をするからには個々人で動くわけで確かに時期をあわせる必要は全然ないし、カレンダーに縛られるのはナンセンスだなあとは思いますが、まあ日本は社会全体の中で研究社会もあるわけだからそんな風に変るのは難しいでしょうか。

一年前の自分の記事を読んだりして見るとなんというかとても一年前のことには思えません。当たり前のことですが、海外で生活し、外国人と研究をするということは(書いていていまさら変な言い回しですが)、すべてが刺激的で、こんな刺激的なことばかりなのは自分が中学生とかそれくらい前に遡らないとないんじゃないかと思います。

日本から出てくるときは本当に大変で、教授には最後まで一ヶ月でも半月でも延期するように求められましたし、それを受け入れなかったことで最後まで厳しい追及を受け、最後の日に爆発しそうになりましたが、同僚に迷惑を掛けまくり助けてもらえたお陰で何とか無事に来ることが出来ました。論文がacceptされるまでにはそれから半年以上も必要で、reviceに必要な実験のために一時帰国せざるを得ませんでしたし、思ったよりも大分下のクラスのjournalへの投稿になってしまいましたが、これは運もありますし、いろいろな状況を考えると仕方のないところです。私と一緒にやった仕事を同僚がいいjournalにpublishしてくれるといいのですが、苦しんでいる同僚もおり、遠くにいると何も出来ず歯がゆい思いをすることもあります。

ずいぶんまとまりがなくなってきましたが、日本の仕事を引きずりつつも一年経ちあました。日本から持ち込んだ4年間の過労の疲労からも大分回復しましたし(歳は戻りませんが)、海外生活にもかなり順応し、言葉の問題もそんなに感じなくなってきました。自身で得るものが沢山あった割には研究の方が面白いきっかけを沢山つかみつつも踏み込めていないのが強く反省するところですが、これからが勝負だと思いましょう。とにかく今まで海外での研究生活への順応といいますが、そこら辺についてはほとんど書くことが出来ていないので、年度の代わりを契機にいろいろ書いていこうと思っています。