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ウィーンで研究留学!

以前はウィーンでの留学生活を綴っておりました。今後はクラッシック音楽を中心に細く長く続けていけたらと思っています。

ケンブリッジへ!

2009年10月31日 21時05分03秒 | Weblog
ヨーロッパ内とはいえ引っ越しは本当に大変で、あっという間に時間が経ってしまいました。といってもケンブリッジに移ることを決心したのが8月も下旬に入ったころ。それで10月の頭からには間に合わなかったにしても早かったほうかもしれません。引っ越しの最後はたくさんのつけがたまっていろんな人に迷惑を掛けてしまい、ウィーンに来た時の引っ越しを思い出してしまいました(反省しています)。

ブログのタイトルも変えなければいけませんがまだなかなか余裕がないので例によって月一ペースかもしれないですが、ゆっくり書いていきたいと思います。ウィーンでのようにオペラやコンサートに行ける生活ではなくなり内容もかなり変わってくると思いますが、どうぞよろしく。

ウィーンフィルのブルックナー

2009年02月13日 10時01分51秒 | Weblog
 渋谷駅の公衆電話コーナーでサークル仲間と待ち合わせして休日の朝の十時からせっせとチケットとりのために電話していたのを思い出すと本当に懐かしく、自分にもそんな時代があったなあと思ってしまいますが(第一携帯電話なんて普通にまだ誰も持ってなかったし)、結局つながった時にはS席しか残っておらず、二万八千円を払う決意をしたのは自分だけだったのがその年のウィーフィルの来日公演。小澤征爾指揮のこの年のプログラムはひとつは前半モーツァルト(確か36番だったような)、後半マーラー4番。これは行きたかったのでよく覚えているのですが、自分がチケットを取れたのは前半バルトークの不思議な中国役人・後半ドヴォルザークの新世界という征爾らしいけど一番人気がなかったと思われるプログラム。もう一つは思い出せません。前にも書いたような気がしますがこの演奏会、座席がS席のくせにサントリーホールの前から二列目という不当な配分だったこともありますが、とにかくなにも琴線に触れることがありませんでした。皇太子夫妻がいらしていたことが話題のネタになったのが唯一の収穫というくらいものもの。休憩時間にコーヒーを飲んでいても周りの客層がいつもと違い、本当はクラシックなんか全然興味ないのにステータス的に来ているような雰囲気の人ばかりでげんなりしました。まだ音楽会はバブルを引きずっていたような当時、ウィーンフィルがどれくらい本気で演奏していたのかもやや疑問ですが、こういうときには友人の言っていたことが思い出されるもの。「別に征爾指揮のウィーンフィル大金払って聴きたくないし」「モーツァルトとマーラーならともかくバルトークとドボルザークだったらウィーンフィルじゃなくていいし」ぶしつけな物言いは所詮二十歳そこそこの若造たちなのでおゆるし願いたいですが、まあ普通に日本のクラシックフファンが言いそうなことです。ちなみに付け加えるなら当時は征爾とウィーンフィルの距離が急激に近づいた頃で、ウィーン国立歌劇場の音楽監督になるなんてまだ誰も思いつかない時期でした。征爾とボストン響の組み合わせだったらみんなもっと行きたがったことでしょう。
 例によって前降りが長すぎるのですが、じゃあウィーンフィルでなにが聴きたいかなあとなんとなく考えるともちろんモーツァルトとかブラームスもあがってくるんですが、どうしてウィーンフィルで一度は聴きたいと特に思うのはブルックナーでした。曲がりなりにもウィーンのスタイルの奏法や特殊な楽器を維持しているこのオーケストラの特殊性を考えると、作曲家自身がこのオーケストラで演奏することを想定して書いていたブルックナーの交響曲をこのオーケストラで聴いてみたいということです。もちろん今どきはそんなことを言うならオリジナル楽器のほうがよっぽど適当ではないかと言われるとそれまでですが、ウィーンフィルにはブルックナーの成功傑作を初演した当時の伝統という面もありますし、実際生粋のオーストリア人であるブルックナーは彼らにとっても特別な作曲家であるに違いないでしょう。
 そういうことでウィーンフィルがブルックナーを弾く時は聴きに行こうと思っていたものの意外にプログラムに組み込まれることが少なく今までチャンスがありませんでした。たぶんショスタコービッチイヤーの影響が強かったのではないかと思うのですが、まあそんなに自由にコンサートに行ける時間があるわけではないというのあります。ウィーンに来て3年経とうというときにやっと巡ってきたチャンスが今回で、指揮はメータ。プログラムは前半にシェーンベルグの「浄められた夜」、後半にブルックナーの9番でした。今回手に入れたチケットはウィーンフィルの定期演奏会の公開リハーサルという名目のもので実際ほとんどの奏者が普段着、メータもエンジのポロシャツのようなものを着ていましたのではじめ彼が入ってきたときは指揮者だとは思わず拍手のなんとなく始まったような感じでした。ただ実際にはリハーサル的なことが起こることはほとんどなく(希に全部終わった後に指揮者が気に入らなかったところを繰り返したりすることもあるらしいですが)服装を除けば会場のマネージメントも含めて通常のコンサートとなんらかわりはありません。チケットはかなり割安なので(通常のウィーンフィルのコンサートは来日コンサート程ではないにしてもさすがにかなり高い)とてもお得です。ただしやはり雰囲気はちょっとリラックスした感じがありますし、たぶん批評家などはここで評価することはないでしょうからはやり違いはあるとは思います。かえっていいかもしれませんけど。
 ということで長くなったので次回に続きます。本当はアルバンベルクとかブレンデルとか先に書かなきゃいけない物もあるんですが、なかなか時間がないので書けるときに書いておくということでまたそのうち何とかします。

来訪者とのディスカッション

2008年04月16日 05時15分22秒 | Weblog
来訪者、と書きましたが要するに研究所でのセミナーに招待されたスピーカーのことです。

日本の大学や研究所で余りやらないことでこっちでとてもいいと思うことの一つに、セミナーのスピーカーとのディスカッションを誰でもできるということがあります。誰でも、というのは研究所内のすべての大学院生、ポスドク、グループリーダーを指します。

ちょっとわかりにくかったかもしれないですが、日本だと研究所に有名人が来てセミナーしたとしても、ホストの教授と直接関係のない学生やポスドクがその有名人と直接話をすることが出来るのはセミナーの直後に質問に行くくらいしかなく、あとは本当に内容がわかってるかどうか怪しいホストの先生のラボに行ってしまって食事にでも行ってしまう感じでしょう。今いるところでは、必ずではないにしてもほとんどのスピーカーについて、訪問の数日前に研究所内でアナウンスのメールがあり、希望を出せば30分から45分くらいの間、一対一で話すことが出来ます。多くの場合自分の研究の話を聞いてもらってアドバイスをもらったり、共同研究を申し込んだりします。私のように、要領よく英語で話が出来ないようなポスドクでも興味をもって聞いてくれます。自分の仕事に関連する分野のスペシャリストの意見を聞くことが出来ればそれは論文を出すときにも大いに参考になりますし、そこまで成熟していない仕事だったとしても方向付けをするうえで非常に参考になります。つまりこういう人は論文を出した場合にレフェリーになることも十分ありうるわけで、投げかけられた疑問は、論文を出したときにレフェリーに問われることと非常に近いのです。

もちろん外部の人間に自分の未発表のデータを話すことは危険と考えることも出来ます。実際疑心暗鬼になって、論文にするまで自分の仕事の話は絶対外には漏らしたくない、という人もいます。実際この前話を聞いてもらった人は「すごい面白い。どうもありがとう!もちろんあなたの話は他の人にはしないから大丈夫。私の周りにはあなたの競争相手になるような人は居ないしね。」と言っていましたから、逆に周りにべらべら話してしまう人もいるのでしょう。しかし上記のメリットに加えて、サイエンティストにとって、自分の研究の最新の話を題材にディスカッションすることは最も大きな喜びの一つです。相手が一流の研究者であればなおさらです。もちろん論文にした後にいろんなところで発表することは出来るしやらなければいけないのですが、既に論文になってストーリーが出来上がっている話と、最新のデータに基づいてさまざまな可能性を模索するような話はある意味全く別物です。そういった題材を同じ研究室の仲間としか話し合えないのではどうしたって視野が狭くなります。

日本の大学の研究室だと、学生が面白いデータを出しているのに、その本当の面白さを指導教官が理解することが出来ないなんて状況はいくらでもあるわけですが、日本のシステムだと、隣の研究室の教官とすら生データをもとに話しあうことは難しいでしょう。それどころか学生が別のラボで自分の研究の話をしてアイデアを得てしまったりすると気分を悪くするようなボスもいるような気がします。そんなことを考えると日本には素晴らしい研究が沢山あるけれど、本当にサイエンスをするという土壌がまだ根付いていないような気がします。

留学する前のラボでは地方にもかからわず結構頻繁に有名な先生方を招いていましたが、ほぼ毎回ラボのメンバーが仕事のプレゼンをさせられましたので、ある意味進んだ考えをもっていたと言えますが、やりたいやりたくないに関わらず強制的だったのと、一対一ではなくてラボのメンバー全員が参加するラボセミナーのような形を取っていたのが大きな違いです。やはり一対一だと自分の言葉で話が出来るし、招かれた先生も比較的にリラックスして率直な意見をくれるのではないかと思いますが、まあそれをさせてもらえないのは信用されていないということなのでしょう。相手が有名な先生だし、日本では普通のやり方でないことをするとかどがたちますからそれも仕方がありません。

高い天井、ものの大きさ

2008年03月27日 06時30分20秒 | Weblog
つい最近、一年半ぶりに日本に帰って一番驚いたことは、実家が小さいちょっとしたミニチュアのように感じだことでした。とにかく天井が低い、扉が小さい。部屋が狭いのはそんなに気にならないのですが上が気になる。これはウィーンでもNeubauと呼んで古い家、Altbauとは区別される、最近建てられた家に住んでいたときは全く感じなかったことでした。同じ高さの建物でもAltbauは5階分しかないのに隣のNeubauは8階あったりするくらい一階あたりの高さが全く違います。いま住んでいる家は典型的なAltbauで100年前くらいに建てられたもの。歴史的な背景は知らないですが、1900年前後に建てられて今でも普通に住居として使われている建物がウィーンには沢山あります。日本ではほとんど考えられないことで、そういった古い建築様式の家に折角だから住みたいと思ってしまった訳ですが、もちろん内装が完全に当時のままではなくて、多くが間取りが変っているし(恐らく昔のままだと一つの住居が8部屋とかあったりして巨大すぎる)、ガス電気などは現代的にやり直してあります。私がいま住んでいるところはつい最近改装したところでそういった意味でのクオリティは全く問題ありません。で、なにが一番違うかというと、話が戻って天井の高さなのです。照明を取り付けようとして唖然としたのですが、普通の足場を使ったのでは全然届かず、テーブルの上に足場を載せてやっと。どうやら3メートル50くらいあるらしい。それに合わせて扉や窓も大きいから日本の標準の扉が小さく思えて当然なのです。扉は娘を肩車して通っても全く怖くないからやっぱり2メートル半はありそうです。今の家に引っ越してすっかり落ち着いてしまったのでしばらく住みたいと思っているのですが、天井が高いのはやはりいいです。しかし暖房効率を考えると圧倒的に悪いし、実際ガス代は大分高くついています。

ウィーンで家を探すときに面白いのは小さい部屋が無いことです。日本のように一人暮らし向きのワンルームなんていうのはあり得ないので安く部屋を借りたい学生は大きい部屋をシェアしています。海外の映画を見ていてどうして全然知らない人とシェアしたりできるんだろうと思っていましたが、シェアしないと部屋がないってことなんですね。でも日本人的には欧米人とシェアしたくないし、日本人同士でもまあ難しいし、やりにくいとは思いますが。

部屋が大きいせいだけじゃないとは思いますが、こっちの製品というのは日本のように省スペース的な感覚に物凄く欠けるところがあって、なにものものびのびと作られている印象があります。文房具とか典型的で、同じA4のファイルで同じような許容量でも大きさが一回り違ったりします。電源プラグにしても日本のようにコンパクトなのは他にはないですよね。

そんなことを考えると、こっちの連中がサンプルの整理もろくに出来なかったり、実験机のうえが物凄く散らかっていても、根本的にスペースの感覚が違うということで諦めもついたりします。でもとてもよく整理できる人もいるし、考えてみたら日本で一緒に働いていた人でとんでもなく整理整頓の出来ない人も居たから、そういう問題ではないかもしれないですが。要はそんなことを気にしても仕方ないってことですね。

年末から特に忙しく、それとは関係なくオペラも沢山行っているし書くことは沢山あるのですが全然追いつきません。今までどおりぼちぼち書いていきます。

ブログに向かない性格?

2007年07月20日 06時05分50秒 | Weblog
ご無沙汰しております。
すっかり更新が滞ってしばらくたちますが、家で夜な夜なPCを使ってやる仕事があるせいで記事を書く方向に全く頭が働きませんでした。ちなみに全然怪しいものではないのですが、落ち着いたらそれについては必ず書きます。というかウィーンに留学することを語る上では始めにくる大事なことです。

たまたま友人からある研究者のブログのことを聞いて、サーチしたらすぐに見つかったのでしばらく眺めていたのですが、ああ、こういうスタンスだとどんどん書けるし読む人も面白いなあと思ったのでした。僕の場合、スタンスは余り変らないのですが、妙に生真面目な性格なので、それによるある意味自己満足の方向性があるんですね。たとえば行ったコンサートやオペラの記録は必ず書こうとか。あと、物事の順番もちゃんと書きたいとか。そのせいでかけないで滞っている話があったりして。

多分独身で留学していて家で一人の時間が沢山あったら、自己満足も満たされて、読んで面白い記事が沢山かけるんじゃないかと(ちょっと自信ありすぎですが)思うんですが、今の状況だと中途半端ですね。まあでも状況は変らないので今までどおりのペースで行きます。

とりあえず夏休みシーズンになって国立オペラも休みだし、コンサートも観光客向けばかりなのでそっちは貯まることは無いはずです。

少しは日記らしいことを書くと、ウィーンは今本当に毎日暑いです!しかも街が暑さに対応していないのでトラムとかバスとか地獄!なんだかみんなじっと座って耐えてるけど、かなり辛いです。日本はバスも電車も当然冷房が効いているけど、まあウィーンは本当はこんなに暑くなかったんだろうから仕方がないかあ。研究所はもちろんクーラーが効いていますが、日当たりのいいカフェテリアなどは時間帯によっては大分暑く、クーラーの能力が足りてない感じ。冷房が苦手で日本では夏はトレーナーを手放せない自分ですが、汗だくでは実験は出来ません。。。

オーストリア大使館でのイベント

2006年11月30日 07時26分35秒 | Weblog
なんだか疲れることばかり書いていると読者がいなくなってしまいそうなので気分を変えてたまには昔話を。

久しぶりにピアノを弾く気になってしばらく弾いて、思ったより弾けたのでいい気分でお風呂に浸かっていたら思い出したのですが、まだ学部学生だったこところにオーストリア大使館に行った事がありました。サークルの先輩が招待券を手に入れて、ただでクラシックが聴けるということで連れられて行ったのですが、なんというかオーストリアの宣伝イベントでのんびりした会でした。もちろんウィーンに住むことになるなんて思いもよらないことでしたが、ウィーンで長い間働いていた女性のトークが先ずあり、ウィーンの人がいかに働くことに熱心でないかという内容で、よく覚えている話は、電話受けの職員がフレックスだといって朝の3時から来て昼前には帰ってしまう。確かに仕事時間は十分だけど電話受けなんだからそれじゃ意味無いんですよね。という感じでした。他人事としか思っていませんでしたが、いま考えてみればさらに、その昼前以降を誰もフォローしないからいくら掛けても出ないようなことが良くあるんだなあと妙に納得してしまいます。日本人的にはサービス業の基本がなっていないのですがそんなことを言っても始まりません。

イベントの後半は生演奏。ウィーン音楽大学在学中の日本人女性のピアノで、曲は私の数少ないレパートリーの一つ、モーツァルトの幻想曲ニ短調が最初でした。なんだかテンポが安定しなくて、心もとない印象しか残っていないのですが、当時私はギレリスのやたらと重い録音を聴きまくっていたので、いま聴けば全然ちがうかもしれません。

最後に次のイベントの招待券を貰って、ああ、要するに毎回来ればずうっとただで、お金払ってくる人は居ないんだなあと思ったことを覚えています。

考えてみたら大使館なんてほかにはどこも行ったことは無いので、いまウィーンに住んでいると思うと単なる偶然ですが、不思議なめぐり合わせです。


この一緒にいった先輩は暇な当時ずいぶん一緒にいる時間が長かったですが、私が結婚してからすっかり忙しくなり、最近は音信不通です。どうされているのでしょう?もし読んでたら連絡ください。(さすがに有り得ないかなあ。)

住みたい街

2006年09月03日 09時08分58秒 | Weblog
昔はウィーンだったんですが、次移るとしてどこに住みたいかと言われたらどうでしょう?ウィーンは今のところとても住み心地がいいので今はまだ考えにくいのですが、とりあえずまだ日本には帰りたくありません。そうするとやっぱりドイツでしょうか?ミュンヘン?オケで選んでるだけですねえ。。。研究で言ったらやっぱりEMBLのあるハイデルベルグですが、ハイデルベルグのオケ、知らないですねえ。

では日本に帰るとしてどこかなあ?
Home'sというところのあなたが住みたい街特集では残念ながら8都市の中に選ばれていませんが、私が昔から住んでみたいところはとても古典的で葉山です。育ちは完全に東京ですが、もはやあのストレスフルな通勤や高い家賃には耐えられそうにないのでもう東京には戻りたくないのですが、そうかといってどこが自分が落ち着けるかと言うとやっぱり東京近郊なんですよね。多分。あと必須状況はお魚がおいしいこと。海に近ければまあ大丈夫でしょう。東京はだめですけど。
この8台都市の中から選べと言われると私としては難しいんですよね。金沢?入ってないし。もはや大都市には余り住みたくない思っている以上難しいのですが、この中なら神戸(写真)ですね。といっても一度学会で行っただけですが、独特な地形と美しい町並みに惹かれました。地域にこだわらなければそんなに家賃高そうでもなさそうだし。あーお魚はそんなに望めそうにないですけどねえ。単に良く知らないから印象がいいだけか?

まあしかし本当に帰ることになったらポストがあれば恩の字で実際には自分で街を選んだりは出来ないのですが、そうなる前にイメージを膨らませておくことは大事かもしれませんね。

ドロップショッピング?

2006年09月02日 05時45分53秒 | Weblog
ついに9月になり来週から新学期シーズンスタートです。まあ研究所は関係ないですが、オーストリアは子供の学校は7・8は丸々休み。いいですねえ。でも両親が仕事をしている場合は大変ですよね。

ところで、私のブログでそんなことをしてもお客さんは付かなさそうですがもしもドロップショッピングというのがあるそうです。アフィリエイトというのもやったことのない私には良く分からないのですが、自分で商品を選んで値段を決めて自分のサイトで売る、でも販売に関わることは全部やってくれると言うんですが、そんな簡単な事があるんですね。要はそのサイトがどれだけ価値があるものかということでしょうか?確かにこれは画期的に思われますが、そうすると直接販売サイトに行くのとどう違うんだろうと言うことになってしまいます。よっぽど品揃えがあって、そのなかで自分が良く知っているものを自身を持って薦められれば意味があるんでしょうか?でもそこで自分のマージンをとっていたらやっぱり売れない気がしますね。うーん!興味があるので仕組みが分かったらまた報告します。

でも私が出来るとしたら実験のキットでこれは使える!とか、この抗体は買っちゃいけない!とか。そんなもの商品リストにあるわけないですが。。。

このブログのスタンス

2005年12月31日 03時02分13秒 | Weblog
私がブログに興味を持ったのは将棋の渡辺明竜王のブログがはじめですが、彼の場合は、棋士というファンに注目され、仕事の内容も知られれば知られるほど良い職業で、さらに若くして地位を確立しているので非常に率直な内容で書けるのだと思います。私のような不安定な身の上で、仕事の内容も機密性が必要とされる職業の場合はそれは難しいことです。ということで、特定の個人に絞れてしまいそうな情報までは載せないようにしようと思います。私がもっと自分に自信が持ててさらに責任がもてる、たとえば留学先で独立できるようなことになれば、もっといろいろなことが書けるようになるのかもしれません。

こんなことは継続的に読んでくれるひとが出来てから考えるべきかもしれないですが、少なくとも日本人は誰でも見る可能性があるわけですからね。

ご挨拶

2005年12月24日 20時43分42秒 | Weblog
はじめまして。sandroです。
タイトルのとおり、生命科学研究者です(ちょっと重い表現ですが、一般的にいうとこうなるのかな?)。
現在雪国にいますので雪景色のテンプレにしてみました。

来年4月から留学が決まりましたが、こちらでの仕事がまだ論文になっていないので3月いっぱいまでがんばらなければいけません。準備をしつつ全力投球!が今の状況です。

留学したい、と思っていてもそれを現実化するのにはたくさんのハードルがあるように思います。やりかたもいろいろです。私は思えばもう8年くらい前から留学するつもりでここまで来てしまいました。人生いろいろそれはそれでよかったのですが、これから留学の準備を始める人に参考になるようなブログにできればと思います。本当は一年くらい前から始められたら良かったのですが、追い追い過去の話を書いていこうと思います。それから研究者ではない人にとっても面白いように書いていけたらいいなあと思っています。

どれくらいの人に読んでもらえるか、しばらくは自己満足だとは思いますが、自分のための日記のつもりでなるべく頻繁に書いていきたいと思います。研究生活はなかなか時間の余裕がなく、その場その場のことに追われてどんどん時間が過ぎていってしまいがちですが、日々の自分を振り返りつつ遠い先を見据えるのも大事なことと思っています。
それでは、宜しくお願いします。