サンズ・トーク

東北地方太平洋沖大地震の驚愕

3月11日、午後2時46分。三陸沖を震源として国内観測史上最大、M8.8の大地震が発生しました。

その時、私は千葉、佐倉の家の2階にいたのです。
家内が1階のリビングでTVの国会中継を見ていたとき、緊急地震速報が流れたのです。
家内は、それを私に知らせ、様子を見ると、間を置かずに揺れが来ました。
揺れは収まらず、だんだん激しくなったので、家内と庭に降り、さらに隣りの公園に退避して収まるのを待ちました。
結構3~4分ぐらいは続いたのだろうか、ほぼ横揺れみたいだった。
緊急地震速報というのは機能するのかどうか、疑問視していたのだが、ドンぴしゃりと当たったのには感心しました。

室内に戻ると、棚の上の壷が落下して割れていたり、額や本も落下、仏壇の中味もごちゃごちゃになって、机の引き出しなどもせり出していました。自分のところの被害はなかったが、息子二人の家は電話も携帯も不通になって心配なので、さしずめ長男ところは2人の幼稚園児がいるので車に乗って安否確認に走りました。すると、夫人と子供らが道路へ出て様子をみているところに出会ってほっと胸をなでおろしました。
走行中も余震が起こっていたので、すぐに自宅へもどりました。

テレビの報道を見、さらに翌日、余震が続いているなかで、岩手、宮城、青森、福島、茨城の深刻な被害が次第に明らかになってきました。
私の千葉でも湾岸の製油所の爆発炎上、九十九里の津波による死者なども出ている。
さらに、新潟、長野でも誘発されたように大地震を生じている。
特に、大津波が太平洋岸を襲う映像のすさまじさには本当に言葉もありません。
沖合いから高い津波が押し寄せ、堤防を越えて海水が大きな船を陸に持ち上げ、引き波で家を残らず自動車と一緒に海中に持ち去る。
あとは、繁華な集落が一転して瓦礫の野が残るのみ。
わずかに高台に逃れた人が、家も家族も持ち物も失って、不安と悲嘆に暮れるさまをみると、中途半端なブログでいい加減なことをいってはならないのだと真実そう思いました。
あるいは、原子力発電所の爆発事故とか、放射能被曝の事故も起こっている。

おりから、日本は著しい財政赤字。さらに震災復興のためには、大規模な財政出動は避けられないだろう。
私は、ばらまき政策をやめて財政の健全化をせねばならないと思っていたのですが、被災地域の映像を見ると、復興の作業はぜひとも力を注がねばならない。生半可なことでは、犠牲になった人々が浮かばれない。と強く思ったものでした。

外国も随分方々、援助の手を差し伸べてくれていることをありがたく思いたいのです。

それとか、思いつきですが、海抜10メートル未満の海辺には住居を建てて住んではならないと、法律をつくってはどうでしょうか。
日本中到るところ地震だらけ、住居規制は不幸を作らないために必要ではないでしょうか。
国は、国民の安全な住生活を保障する手立てを考えるべきです。

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