サンズ・トーク

ユーカリが丘にある遺跡

昨日、当ブログで「我が家の隣地の宅造工事」というのを載せた。
http://blog.goo.ne.jp/san-gblog/e/926a15ed75266e595f68deeb8ea093c2

その開発区域内に 井野長割遺跡 というのがあって、その遺跡を含む区域だけ宅地開発から外され、森林のまま残されるのである。
かたわらに、昭和44年に開校した井野小学校があり、その校地の一部も遺跡だった。
小学校を造るとき、大量の土器がでて、それと判ったらしい。



いまから3、000年ないし3,500年前の遺跡といわれ、縄文後期、晩期の環状盛土遺構というもので、盛り土のマウンドが7つぐるりと環になっているとのことである。
写真のように、見たところやや凹凸があるようではあるが、素人目には雑木林としか思えない。

(環状盛土遺構というのは珍しいようで、埼玉のほうに一例あるそうである。)

出土品の土器4つの写真があったが、日用品ではなく、祭祀用のものらしい。
土器のデザインは、やはり縄の文様になっているようだ。

 注口土器  異形台付き土器  深鉢土器

 土偶片

他にも、住居の遺構がいくつかでてきた。
それと、貝塚があって、汽水域に生息するやまとしじみやはまぐり、ぼら、黒鯛、エイの骨がでているので、ほとんどこのあたりまで海水が入り込む水辺だったのだろうか。

現在では、千葉人は、宅地開発だとか、景気だとか、省エネだとか、政権交代だとか騒いでいる。

3千年も4千年も昔は、縄文人が、まだ、文字もなく、農業も知らずに、別な価値観の集落生活を、ここの同じ地表のうえで繰り広げていたわけである。

そう思って、この林の中に立つと、とても不思議な気がするのである。

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