サンズ・トーク

7月23日は大暑の日

大暑は、24節気のひとつというが、まったく言葉通りで、最高に暑苦しい。
また、お天気もカンカン照りで、熱中症に警戒とテレビでは促している。
昔の真夏はどうだったか、私の小学校時分のことなど、思い出してみる。例によって昔話。すみません。

今、熱中症で救急車で搬送とか、お年寄りが家のなかにいて熱中症とか、酷いと心肺停止など、また、こまめに水分を摂取せよなど、毎日のように報じられている。

昔は、私の小学校のころ、いや、戦争たけなわのときで、国民学校といっていた。そのころも、暑気当たりというのはあったと思う。でも、学校では暑気あたりとは言わなかった。
夏の校庭、朝礼などで全校整列していると、大抵、2~3人、立眩みで失神して、医務室に運ばれたものだった。
朝礼といっても、ときには、校長先生が白い手袋をして、奉書を捧げ持ち、朕思ふに・・・・などと、教育勅語を奉読することもあった。
1年生から6年まで、緊張して全員、直立不動で意味のわからない勅語を拝聴し、かしこまったものであった。
だけど、倒れる子は、格別暑いからだけではなかったみたいだ。そんなに暑くないときにも倒れる子はいたようだ。
そんなのを見ていて、私ら、先生の面白くない訓示がだらだら長すぎるせいだ。と思ったものだった。
1クラス50人ぐらいで6年生まで、各学年5組ぐらいはあったのじゃないかな。だから、全校の朝礼というのは大人数だった。
倒れた子が居ても、先生もうろたえないし、周囲も特に心配することはなかったと思う。
てんかんでひっくり返る子がいたが、この場合は発作が異様なので、周辺はざわついたものだった。
医務室なんて、私は出入りした覚えはなかったが、擦り傷をこさえて、赤チンぐらい塗ってもらったことはあったかもしれない。

昔より今のほうが、気温が高いということはあるかもしれない。また、光科学スモッグなどは、戦後のものだ。

昔は、学校給食なんかもなかった。でも、今では、保健衛生思想は随分発達している。
また、生活環境も昔は扇風機、今はクーラー、冷房病が出てくるほどで、さまがわりに改善されているはずだ。昔は、冷房なんぞ、どこにもなかった。考えもつかなかった。

そのころの夏、小学生の子は、トンボとりをした。戦争ごっこをした。ちゃんばらごっこをした。海や川に泳ぎに行った。プールはなかった。
暑いのに、日が暮れるまで外にいるので、真っ黒に日に焼けて、母親に、ひなたくさいといわれたものだった。
昔の子は、あまり用心するというふうではなかった。
今はともかく、学校は、暑さにたいしても細心の注意を怠らない。
そうでないと、父兄に糾弾されるのだ。先生のほうがおどおどしているのだ。
反面、国歌を歌わない先生がいるというのは、精神基準のない汚点だと思う。

昔の子と、今の子、どっちが幸せかどうか。これは、比較できない。
確かに学校の設備や教育システムは到れりつくせりになった。だけど、ゆとり教育だの、詰め込み教育だの、塾だの、教育ママだの、子の屈託という感じは、今のほうが心に負担になっているかもしれない。

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