サンズ・トーク

隅田川 橋物語(七) 新大橋

芭蕉の句  初雪や かけかかりたる 橋のうえ
       ありがたや いただいて踏む はしの霜

架橋後、江戸時代は橋脚の地盤沈下などでしばしば落橋、流失、破損したので、渡る時には立ち止まるべからず、商人は橋上でものを売るべからず、荷車渡るべからず、とおふれが出された。

当時の橋は、歌川広重が江戸名所百景 大はしあたけの夕立 という浮世絵に記録され、ジャポニズム(*注)に心酔したゴッホがその絵を模写したとされている。
その 大はし の絵のレプリカが、なんと、ここらあたりの公衆便所に掲げられているそうな。うそかまことか。

明治になって近代工法による橋となり、関東大震災、東京大空襲の際には、隅田川の橋がすべて焼け落ちたが、この橋は落橋せず、人々の避難路となった。人助けの橋といわれる。



橋の東側は、明治一代女の歌にある浜町河岸

  浮いた浮いたと 浜町河岸に
  浮かれ柳の はずかしや
  人目忍んで 小舟を出せば
  すねた夜風が 邪魔をする ♪♪

今では、この一帯には明治座があり、川に面しては中央区立のスポーツ公園がある。
明治座は、近代的なビルとなって、昔の面影はないが、かたわらにお稲荷さんがあってわずかに昔の情緒がしのばれる。



川の護岸を歩くと、目立つのはホームレス、所在なげに爪切りで爪を切っていたりする。その人の爪切りが、折からの斜陽を受けて光っていたので、ベテランではない。リーマンショック以後のご新規さんかと想像される。
あまりじろじろ見ることもはばかられる。
浮いた浮いたと浮かれていては申し訳がないのである。

注:ジャポニズム
浮世絵の版画などがヨーロッパに紹介されると、アート界はその表現の特徴に驚嘆し、世界的な芸術運動の発端に決定的に作用したとされる。
絵では、ゴッホ、ゴーギャン、ルノワール、ドガ、ロートレック、モネなどがジャポニズムの旗手といわれる。オペラではプッチーニが蝶々夫人を発表したりした。

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