Sam'sダイアリー

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列車転覆事故殉難の地・・・(旧国鉄加古川線北条支線)

2011-07-12 19:11:45 | 日記
北条鉄道の各駅巡りをしてきたが「網引駅」と「法華口駅」の間で
昭和20年に列車転覆事故が起き、多数の犠牲者が出たことを知った。
すでに半世紀以上が過ぎている。


  ・・・その事故とは・・・

それは1945年(昭和20年)3月31日のことだった。
静かな田園地帯を揺るがす大惨事が起こったのである。
国鉄加古川線北条支線「北条駅」を15時50分に出発した610列車(天田機関士)が16時12分「網引駅」西方300m付近に差しかかった。
折しも、川西航空機鶉野工場で完成した局地戦闘機「紫電改」(操縦五田栄上飛曹、20歳)が試験飛行をするために鶉野飛行場を離陸し、飛行場周辺を飛行し南より西北に向かって着陸姿勢を取り高度を下げエンジンを絞った。その時エンジンが停止した。
「法華口駅」を5分遅れて出発した列車の目前を飛行機が滑るように降りてきた。そして尾輪が線路を引っ掛けもんどり打って田地に墜落し、線路が1mばかり北に移動して傾いた。
ここで悲劇が起った。列車には途中に停車した駅から乗車した人々で満員であった。列車は脱線し、蒸気機関車は180度転覆、客車は転覆折損し、死者12名(乗客11名と飛行機搭乗員1名)重軽傷者104名を出す惨事となったのである。
救助のため、軍、消防団、地元の人々が活躍した。その日、のどかな春の夜のしじまを破る鎚音が無気味な響きを帯びて鳴り続けたという。夜を徹しての復旧作業が行われたのである。ここに加西市における戦前戦後を通じた最大の交通事故の顛末と、その惨禍を後世に伝え残し、併せて犠牲者への鎮魂の思いを込め、郷土の歴史にその事実の概要を留めとするものである。

  ・・・事故の概要・・・

  事故のあった場所     加西郡九会村網引
                   国鉄加古川線北条支線網引駅西方300m地点
  事故の年月日        昭和20年3月31日 午後4時12分
  事故に遭った機関車    蒸気機関車(C-12・189号車)
  事故の飛行機        日本海軍・局地戦闘機「紫電改」


                                   ・・・全文記載文引用・・・










             記載されている文面から事故現場はこの先300mのところだろう
             今は何事もなかったかのように田んぼには稲が、あぜ道には草が
             青々と茂っている・・・










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