富岡町観光協会ブログ「夢咲くら」

警戒区域となった福島県富岡町の現在…
東日本大震災・原発事故・避難に関する新着情報などをお伝えしています。

3月12日(土)朝の防災無線

2011-04-13 21:50:36 | 地震・津波・原発事故・避難
避難所より帰宅したのは、12日の午前3時でした。
30分ごとに地鳴りが響く余震があって、
そのたびにカバンを手に部屋の出口へ何度も往復。
ほとんど一睡も出来ないまま、ウトウトしていると…7時頃に防災無線が…
「富岡町民の皆さんは、川内村へ避難して下さい。」
「バスを所有の企業の皆さん、避難民を輸送する為のご協力をお願いします」とも。

昨夜のうちに広野町へ帰れなかった同僚を、車の置いてある役場駐車場まで送り、
自宅に戻ろうとすると川内村への道路が大渋滞になっていました。
100メートル進むのに30分!!

仕方なく車を離れた所に駐車して徒歩で自宅へ。
渋滞は12時頃まで延々と続きました。
ガソリンが2目盛りしかなかったので渋滞は避け、すいてから出発しようと、
ひとまず仮眠をしました。
(後日、家族には「かなり大物」と言われましたが、
 渋滞・ガソリン不足を考えれば、昨夜の睡眠不足を解消したかった…)
待っている間、連絡の取れなかった義弟夫婦が合流、
6号国道から夜の森駅近くまで2時間かかったとのこと。
聞くところによると、川内村まで行くのに7時間かかったそうですよ。

渋滞がなくなって20分後、出発しましたが、やはり、
滝川ダムの手前の大橋付近で渋滞の最後尾に…
エンジンを切って10分~20分待機しながら川内村へ避難。
午後1時頃、父の実家のある毛戸地区へ到着。

午後3時頃、福島第一原子力発電所1号機建屋が水蒸気爆発していたことを、
この日の夜8時頃聞いたのでした。

3月11日(金)避難所の少女

2011-04-12 21:31:37 | 地震・津波・原発事故・避難
避難所の一つ富岡第二中学校体育館にて、
行政区ごとに氏名と年齢を記入してもらい、
避難者名簿の作成をしました。

ふと見ると一人の少女が…
「お母さんやお姉さんとはぐれてしまった。」と
自宅には誰もいなかったので避難所に来たらしく、
「名前を書いておくと、見つけてもらえるよ。
 会えるから書いた方がいいよ。」
というと名前を一番最初に書いてくれました。
でも3時間たってもお母さんは現れず、次第に泣き顔に…
私の息子と同級生で顔見知りだったこともあって、
一人で置くのがかわいそうになり、
体育館内にいる私の知り合いの家族の所に彼女を預けました。
6時間後、お母さんが迎えに来て…
泣きながら抱き合って再会を喜んでいたそうです。
彼女の姿が今も脳裏に焼き付いていて、思い出すとたまりません。

実は私の息子も双葉中学校に避難していたらしく、
主人が4時間かけて迎えに行っていました。
(このときは電話が繋がらず、
 そんなことになっていたとは知りませんでした…)

もう一人の少女は、大熊町から夜の森の友人宅に遊びに来ていて、
地震に遭い、中学校体育館に避難してきました。
やはり、彼女にも「大熊町  氏名  年齢」を書いてもらったところ、
お父さんが迎えに来て会うことができました。
その際、名簿に「父迎え済み」と記入。
1時間後には、お母さんが迎えに来たので、
名簿を見せると安心して自宅へ戻っていきました。
電話も携帯も不通だったので、
行き違いにならなくて本当によかったです。

3月11日(金)避難所にて

2011-04-11 21:01:20 | 地震・津波・原発事故・避難
常磐自動車道 常磐富岡IC近くの家老沢ため池が、
決壊の危機にあるとのことで、
下手にある高津戸行政区に避難命令が出されました。

リフレ富岡や富岡第二小学校体育館、
富岡第二中学校体育館などが避難所となり、
避難命令が出された行政区の他、一人暮らしの方、
余震の為に自宅にいることが出来ない町民の多くが
避難所に集まってきました。

強い余震が30分おきに体育館を揺さぶり、
電気も水もない中、約950名が体育館内にひしめきあって
一晩を過ごしました。
校庭にも自家用車内で過ごす町民の方が多数。
午後9時頃になって水とご飯が配布されたのですが、
避難所が何カ所もあり、公平に平等に同時に配布するのに
少し時間がかかってしまったようです。

一番困ったのは、赤ちゃんのオムツとミルク用のお湯でした。
薬は水で飲めますが、ミルクはお湯でないと溶けません…
仕方なく、実家まで歩いていって、
電気ポットに残っていたぬるま湯をお母さんに渡すのが精一杯。
オムツはその後届きました。

中学校体育館に発電機と仮設トイレが届き、
S係長に「何か欲しい物は?」と聞かれたので、
即「お湯、もしくはポット!!」と言いましたら、
な~んと、その係長は役場から電気ポットを持って来てくれました。
そのポットには、「町長室」と書かれていて…
発電機からひかれたコンセントにつなぎ、
「ミルク専用」の紙が貼られたのです。S係長すご~い!






3月11日(金)大津波

2011-04-10 20:50:32 | 地震・津波・原発事故・避難
富岡町の海岸を襲った大津波で、
町長さんの家も流され、毛萱行政区の家々も無くなり、
6号国道の双葉警察署近く、ヨークベニマルまで水が押し寄せました。
富岡第一小学校の生徒さんは、全員3階に避難して無事でした。
(海岸近くの行政区の皆さんは、学びの森、体育館、ドームなどへ避難しました)
残念ながら何人かの方はお亡くなりになってしまいましたが…

災害対策本部が置かれた「学びの森」も、水道の配管が破損し、
2階天井より水が滝のように流れ、ありったけの入れ物で水を受け止め、
それをトイレに使用していました。
発電機があったので電気は大丈夫だったのが救いでした。

明日で、丸一ヶ月がたってしまうのですね。

3月11日(金)地震発生!

2011-04-09 20:21:47 | 地震・津波・原発事故・避難
2011年3月11日(金)午後2時46分
大地震発生!
揺れがいつもより長いなぁと思っていると、
激しい揺れになって何かにつかまっていないと、立っていられませんでした。

続けざまに激しい揺れが続き、
富岡町役場内の天井板と、はめ込み式のエアコンが所々落ちてきて、
重ねてある書類やパソコンが床に投げだされ、
書類棚の中身も飛び出して散らばりました。

3回目の揺れが終了すると同時に、
災害対策本部が設置され、
役場の男性職員の方は、カメラを持って2~3人の班編制で、
町内各地区の災害状況確認に出かけました。

女性職員の方は、災害本部や買い出し、各避難所に配置されました。
買い出しの際、夜の森地区から上手岡を回りましたが、
屋根から瓦が落ちている家が多く、電信柱が傾き、
水道管が破損して道路が陥没している箇所もあった他、
凸凹になった主要道路、段差のついてしまったJRの二橋、
ブロック塀は倒れ、崩れてしまった古い倉がありました。

地震と同時に電気水道ガスは分断され、役場は非常電源がつきましたが、
まもなく、災害対策本部は「学びの森」に移されました。

後で聞いたことですが、木道の家は柱と壁が菱形にねじれるように揺れて、
おばあちゃんと二人で自宅にいた娘は、とっても怖かったそうです。

三陸沖・宮城沖・茨城沖の3連発の地震、マグニチュード9
震度6強…
約10メートルとも14メートルともいわれる大津波が
富岡町の海岸を襲いました。
3回目の津波が一番大きかったとの話もあります。

JR富岡駅は津波で無くなってしましました。
学びの森で富岡駅長さんにお会いしましたが、
「海岸の家の向こう側に津波が見えたので、乗客の皆さんを誘導し、
なんとか逃げることが出来ました。」と言っていました。
津波は、駅前のホテル、「サンライズインとみおか」の下まで来たそうです。


2011夜の森桜まつりは中止です。

2011-04-03 22:12:29 | 夜の森桜まつり
富岡町観光協会よりお知らせです。

すでに発行されている旅行関係雑誌及び新聞等でのPR記事をご覧の皆様、
又、富岡町観光協会HPやポスターをご覧の皆様、
大変申し訳ございませんが、
3月11日(金)午後2時46分の東北地方太平洋沖地震により、
大津波が福島第一原子力発電所を襲い、原発事故が発生…
富岡町は10㎞圏内の為に全町民に避難命令が出ておりますので、
「2011 夜の森桜まつり」は中止となりました。

富岡町観光協会HP「はる・うらら・ドットコム」の更新作業が出来ませんので、
やむを得ずブログ上にてお知らせすることとなりました。
大変申し訳ございませんが、よろしくご理解の程お願い申し上げます。