90年代半ばに阿倍野ワードのファイヤサイドで初めてあってから翌年に渋谷のファイヤサイドが行われてそこで再会した。あいつ、ちょっと頭がキレルから、本当に関心した。「三時間プログラムの始めから参加するんだよね?」とmagi-に電話で言われた。「大阪府から移動しても東京都内のワードの始めから参加しましょうね。」といった具合の圧力でした。始発か、その次の新幹線に乗車することになりました。皆様、これは楽しい犠牲でしょうか?その日、magi-と我々共通の友人であるロングの両者は皮肉ながら遅刻してやってきた。全く。
講演会について会話をしている時でも「アフタートークが面白かった。」といったようなお話があった。では、人はどのような善後策をとるか?magi-は講演会が終わった後は一時的に録音していなかったが、私は前述した内容を踏まえて録音を継続したら、magi-は、驚いていた。
その後、平成十年代に、二回再会した。前者はオフ会で後者はファイヤサイドであった。
平成十年代はハードであった。私は友人のmagi-に幾つかの連絡をしたら、magi-がそれらを掲示板で披露し勘違いされた。私の場合、人は想像を超える位に警戒をさせられる内容を取り扱っているからであろう。掲示板で、イロイロとあり私とmagi-は多種多様な書き込みをしていました。楽しかったですね。当面は、書き込まない。理由は、不躾な人物が怒りを吐露すると傍目から見たら何が悪いか分からなくなる。悪貨が良貨を駆逐してしまうからです。無論、それなりの準備は行える。もう一つは錯乱している発狂犯罪者閲覧者集団の地獄の王国会館に所属している人間がニセモノに成りすますから、否定する為の行いはする。
人間、高い標準を持つ友人を大事にするべきです。悪人が多い今となっては、こういった表現が必要になってきました。 仮に上の人物から叱られても要求が通ったから嬉しいと考えているが家庭が崩壊しているから、相手にしたくない悪人もいます。 放射性物質を半減させるのは長期間必要だが、霊的な人々の参加者を短期間で半減させてはいけない。補助椅子がなくなったから悲しい。
平成20年代になって全く再会はしていないが、圧力が大きいから再会は無理しなくても良いとは考えている。
イロイロとあります。 magi-では無いが、友人達からも教会の状況について同情された。
傲岸不遜と厚顔無恥と不正行為が混在しているからかつての私にキリスト教を教えてくれた人物も困っているのが現状です。
大変、残念ながら単純に霊的に過ごすだけでは「主よ主よ、」だけになりかねません。