終末であって、週末ではありませんが、特別に情報公開します。
人は、やはり愚かな欲望からくる殺人行為を辞める必要があると思います。
題名にて情報公開したことの内容は、「殺人罪には、死刑もあり得ます。従って殺人行為をしないようにしてください。」この言葉はそれまで、その先生(私の中学時代の教師)から教えられてきたどのような内容よりも大きな教えであり、今でも耳(記憶)に残っています。 良心的な教師に出会えたことに対して、私は感謝します。
昨今の日本では余りにも悪い御都合主義者が多くなってきています。
秩序の安定の為には、正しい選択をしないといけないのですが、正反対の間違えた決断をされる人々が多くなってきました。
正当な裁判の結果導き出された極刑判決ではなく、罪の無い産まれてきたばかりのえい児を母親が殺害するなんてもっての他です。 悲しいです。 罪の無い人に迷惑をかけてはいけません。
過去に偉大なキリスト教徒が書き残した書物(赦しの奇跡)のP131の下部には対処法が書かれていた(印字されていた)。感動的でした。 『良かった。』と思いました。 これで、秩序が保たれると思いました。
見方を変えると、過去はともかく、今後似たような問題が発生した時には何らかの行動が必要かもしれない。 関係者がどのような決断をされるかは私には全く持って想像出来ないけどもね。 話しが逆転するようだが、私にも関係者がいる。 その関係者に、何らかの行動を自制してもらっても、その他の関係者がどのような行動を取るかが分からない。 私が何もしなくても社会が悪人を糾弾してしまうこともあるけどもね。
関係者がどのような、状況かについて明言する必要は全く無いので情報公開は控えます。
やはり、悪人は『公共の敵』になるまで、悪事を取り続けるのかもしれない。 泣く迄、喧嘩をやめない子供が、大人になったら極刑判決に至迄、悪事を行うかもしれない。あまりにも酷い行動の場合、社会が責任を求めるので、本人とその関係者が損害を被ります。 実際に、オーノーな健康問題や訴訟で苦しむ人を観てきました。
だから、家族を良い意味で霊的に成長させないといけないと思います。 キリスト教の健全な発展がこういった殺人事件を減少させると思います。 従いまして、伝道活動に対して肯定的でなくてはいけません。 否定的な人は、むなしいです。 背景は行いの無い信仰はむなしいと言われているからです。
我々が神々から赦されるには、依怙贔屓(えこひいき)なく、平等に人を扱い、赦される行動をとらないといけない。 厳しい情報かもしれませんが、厳しいがゆえに優しい心を持てるのです。 この事を矛盾と考えているようでは、人としては失格です。 少なくとも、人は加害者と被害者の区別がついていないといけないのです。
私も弱い男です。 神経性胃炎かなと思う事もあるが、試練を乗り越えないといけない時がございます。
そういえば、過去に私も簡潔であったかもしれないが、楽しくも大きな決断をしてきました。 その結果、正反対の情報公開(実質的な負け惜しみ)をして、見苦しい愚か者には閉口しました。 閉口にも大きな意味が隠されていますね。 御存じだと思われますが、私の場合、実際には怒りを伴う閉口よりも嘲笑を選択しないといけないと考えているし、事実そうでした。
最後になりましたが、皆様、暖かい心を持ちましょう。 子供がいなくて困っている人々がいるなか、罪の無い子供を殺害してはいけません。
子供と接すると自分自身が暖かい生活を保持出来ると思います。 全く逆に冷たい心を持つ人には、懲罰が待ち構えています。
試練も二種類に分かれています。 体験しなくてはいけない辛い試練と体験してはいけない懲罰です。
これらも、区別出来る人にならないといけません。 無分別な人々が増加傾向が私の懸念でもあります。
私自身の、力強さを理解してもらうのが第一の目的では無いが、それでも試練を乗り越える事が出来て良かったと素直に神々に感謝する事もあります。 教義と聖約88章77節を上手に活用しましょう。
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