雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

まごーん(中の人)が独りでぼちぼち呟く。

汪精衛政権のあの場面の写真を手に入れました

2014年03月27日 21時33分15秒 | 収集品
今日、汪精衛政権の閲兵式の写真を手に入れました。

今まではwikiにあるこの写真しか見たことないのですが、今回は手に入れたのは全体的な写真です。

こちらがその写真。人は小さくなってしまっていますが、かなり全体が見渡せる感じです。
個人的にはwikiの画像には汪精衛氏のすぐ左に張恵恵満州国国務総理がいるのですが、今回手に入れた写真には張恵恵国務総理はおらず、席だけ残っています。途中で席を外したのか…あとから来たのか。あと張恵恵の左は重光葵駐華大使だと思います。杖持ってるし。

ご先祖様の同僚の墓参りしてきました

2014年03月25日 15時38分47秒 | 歴史
最近、運動不足なので散歩も兼ねて墓参りしてきました。
と言っても私と血のつながりがあるわけでもないですが。
行き先は天文17(1548)年、信濃総大将村上義清と甲斐から諏訪まて勢力を伸ばしてきた武田晴信(のちの信玄)が激突した上田原古戦場跡です。

とりあえず、先ずは村上義清方の武将、雨宮刑部正利の墓へ。

案内板

雨宮正利は雨宮渡(あめのみやのわたし)にほど近い唐崎城の城主だったそうです。雨宮摂津守の子、または清野信秀の子ともいわれています。村上義清が信濃から逃れた後は、雨宮氏は武田に降り信玄の家臣となったようです。
次に武田家重臣・板垣信形の墓へ

ここ板垣神社の奥に墓があります。

説明板です。

こちらが墓石。いまもタバコなどが供えてあります。
板垣神社の前を素通りして丁字路にいくと、村上義清方の武将、屋代源吾の墓。奥には小島権兵衛の墓があります。

屋代源吾基綱の墓。

屋代基綱は、屋代(一重山)城主の屋代政国の長子で上田原の戦いにおいて、義清が窮地に陥ったとき、身代わりとなって上田原下之条で討死しました。叔父の額楽寺光氏(がくがんじみつうじ・政国実弟)は、砥石城攻防戦で村上軍の先鋒として奮戦し、武田軍を破ったそうです(砥石崩れ)。額楽寺はあの武田晴信も一目おいた武将であったそうです。額楽寺は天文22(1553)年8月、義清を説得して越後に逃れさせ、村上氏再興を期して武田に降伏。翌年7月23日、義清との密通が露見し、海津城で誅殺されました。
次に屋代基綱の墓の奥にある小島権兵衛の墓へ

小島(児島)氏は屋代、雨宮と同族で村上一族でした。
最後に、石久摩神社裏にある、武田・村上の無名戦士の墓へ参って帰りました。
毎年8月には地域で法要が行われます。

さて、今日の題名、もう一回見てみてください。
「ご先祖様の同僚の墓参りしてきました」
そうです。以上に挙げた武田方の武将たちは私のご先祖様の同僚にあたります。なんともややこしいですが…(汗)
私の先祖は1467年ごろに海野家の家臣となり、その後は主君の海野家と同族になりました。また、かなり以前に一部の一族は甲斐へ渡り、武田家臣侍大将となり、甲斐武田宗家が滅びる天目山の戦いまで共に過ごしました。
…ということで、以上がタイトルの理由です!ほな、またなー!(無理矢理しめ)

艦隊これくしょんアニメ化ですな

2014年03月22日 13時59分04秒 | アニメとか
ども、こんばんは、艦これアニメ化だそうでんな。

その前に織田信奈の野望2期を今か今かと待っているまごーんです。

さて、アニメ化に際していろいろ内容の妄想がネットで出ていますね。
史実根拠やほのぼの系…いろいろありますね。個人的には精神的に追い詰められて泣き叫びながら主砲を放つ艦娘たちの話とかがいいです←

また、主人公の提督についてと某セガールやアドミラル東郷とかでてますねぇ…。

日本海軍の提督は明治建軍以来約2000名輩出しました(兵科や相当官含む)。私も縁戚に提督が3人ほどおりますが、おそらくネットで名前が上がることはないでしょう。

さて、艦これアニメ楽しみにしております。長門のキャラデザはよ(バンバン

対日協力政権銀行券シリーズ第二弾・蒙古聯合自治政府

2014年03月19日 21時00分13秒 | 収集品
今日もこの前に引き続いて対日協力政権の銀行券をあげます。
第二弾は

蒙古聯合自治政府です。
蒙古聯合自治政府(以下蒙疆政権)は1939年から6年続いた対日協力政権の一つです。主席は徳王(デムチュクロンデブ)です。
一応、汪精衛政権誕生後は汪政権下の一つの自治政府として存続していますね。
さて、そんな蒙疆政権の中央銀行は蒙疆銀行といい、紙幣はこちら

上が百圓券、下が拾圓券

こちらが裏面。大きさは百圓券が縦8.5センチ、横16.6センチ。拾圓券が縦:7センチで横16センチです。かなり大きいです。
(追記:裏面の縦文字はモンゴル文字だそうです)
蒙疆政権での貨幣等の流通具合についてはちょっと分かりません…。
ですが、他の対日協力政権同様、満洲よりは上手くいってなかった筈です。

やはり、満州は別格…?

対日協力政権銀行券シリーズ第一弾・満州国

2014年03月17日 21時22分17秒 | 収集品
どうもこんばんは、無事卒業しましたまごーんです。

今日はようやっと集めた対日協力政権の紙幣をぼちぼち公開します。
まず、記念すべき第一弾は満州国の満州中央銀行券(壹圓)です。

これは日本で印刷されたものです。
この満州の通貨(いわゆる満州国圓)は他の対日協力政権と違い、ちゃんと流通していたのが特徴です。これが後日やる臨時政府や南京国民政府などは全然国幣が通用しにくく、法幣に負けます。
この紙幣自体はかなり状態がよく、また中央上にある満州皇帝の紋章がかっこいいですね。