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雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

まごーん(中の人)が独りでぼちぼち呟く。

きゅんパスを使用して新潟に行きました

2025年02月28日 13時45分00秒 | 旅行
久しぶりです。まごーんです。

この月末、東日本のきゅんパスを使って、新潟へ行ってきました。
新幹線 上越妙高 信越本線 新潟 新幹線 東京 
という経路です


まずは新幹線で上越妙高へ行き、特急しらゆき3号に乗車しました。新潟まで行くのは2回目です。途中、直江津でトキ鉄の455形・413系急行を車窓から拝見。早く治って欲しいものです。
直江津からさき、長岡あたりは積雪がかなりありました。

新潟駅には特急いなほ5号酒田行きが停まっていました。北陸地域色みたいな塗装です。


新潟駅では登れない階段を撮ったり…
建物撮ったりしつつ


目的地へきました。
バスセンターの

カレーです!辛すぎず美味しかったです。

食べた後はばかうけタワーあたりを散歩し、

千葉県警をみたり

あいらぶ神戸じゃないほうをみたり


日本酒くじを買ったり

また登れない階段を撮って新幹線で帰りました。

久しぶりに信越特急に乗りましたが、やはり良いものです。こんどは秋田まで行ってみたいです。
来月は盛岡へ行く予定です.


大阪⇔高山日帰り旅行

2021年12月31日 00時31分00秒 | 旅行
こんばんは。今年最後を飾る記事です。今回は、大阪から飛騨高山に行きました。ワイドビュー愛称が廃止されるとのことで乗り納めしました。
↑大阪駅の「ワイドビューひだ」の案内

↑やってきた大阪発の「ひだ25号」。私が乗るのは4号車なのです。が、来た列車は3両編成で、私が乗る予定の4号車が無い!

どうやら、28日の米原の大雪で増結4号車が大阪に持って来られず3両で運行したとのこと。


その結果、私を含め4号車に乗る予定の人たちは1号車自由席へ案内されました。今回は全席満員で1両分足りないのですから溢れていました。私はデッキでは寒いので1号車に滑り込みました。

また指定席券購入者は特急券の払い戻しを行うとのことで、後日ちゃんと返金されました。
昼に高山駅になんとか着いたので「半兵衛」で高山ラーメンを食べました。


高山陣屋は閉館中でした。

高山城から見た市内の景色です。


高山市内を散策して、行きたかった高山昭和館へ。館内に昭和の雰囲気を再現しており、建物、文物等展示、体験ができる施設となっています。


カラーテレビの看板と食堂。なぜか食堂の2階は怪しい影が…?昔の蕎麦屋か?


最後は国分寺で三重塔を見学。江戸時代の新しいものですが、美しいです。

年末最後の旅行でした。来年もあちこちいけるようになれると良いものです。

それでは皆様良いお年を

眉間寺

2021年06月30日 23時04分00秒 | 旅行
6月は眉間寺跡へ行ってました。
眉間寺は、佐保山に在したお寺で、江戸時代に廃寺となりました。
現在は聖武天皇陵域となっています。


↑旧参道



眉間寺の遺物と思われるものが整理されて置いてありました。







あとこれはこの前手に入れた、眉間寺が出していた藩札(寺社銀札)。

今月は至極簡単に。それでは


生駒陣屋跡(稲荷社)

2021年05月30日 20時26分00秒 | 旅行
たまたま天気が良かったので、生駒陣屋跡に行ってきました。

陣屋は、現在の東生駒駅北に在し、5000石の旗本・松平信重(1632-1714)の代官所として機能していました。

生駒陣屋の写真(https://www.city.ikoma.lg.jp/html/dm/story/story_06.html) 「生駒デジタルミュージアム」より 昭和10年代後半までは、ほぼ完全な形で残っていたようです。

読売新聞大阪本社が纏めた『国境物語』では、1940〜50年代までは陣屋の塀が残っていた証言が記されています。




陣屋跡には東生駒駅から歩いて3分くらいで着きます。ちょっと丘です。





辻町第二公園にある、生駒陣屋(矢野代官所)の石碑と稲荷社です。

稲荷社は陣屋の鎮守として元々あったものと推測されます。陣屋がなくなったあとも跡地に残っている例がよく見られますので、これが唯一の生駒陣屋の遺構になります。

陣屋自体は写真を見る限り平地に建っているので、建物は麓にあったのでしょう。


参考文献
生駒市誌編纂委員会編『生駒市誌 通史編』1971年
読売新聞大阪本社編『国境物語』1975年、149〜155頁



鳥羽城と鳥羽藩主・稲垣長剛の位記

2021年04月30日 20時20分00秒 | 旅行
4月も終わりますが、ブログのほうは完全に忘れかけておりました。







今月は、写真の近鉄特急で鳥羽城へ行きましたので、その写真と第5代鳥羽藩主稲垣長剛の位階状でも出します。



これは近鉄鳥羽駅にある鳥羽城想像図です。

鳥羽城自体が近鉄鳥羽線沿いにあります。


城山公園になっている場所からはよく近鉄電車が見えます。



こちらが本丸跡、かつては小学校の校庭となっていて何もありません。三層の天守閣があったようです。



本丸西側の石垣は綺麗に残っています。




本丸跡には旧鳥羽小学校(登録有形文化財)があります。


こちらは三の丸の石垣。




三の丸跡に、鳥羽城のパンフレットがあります。裏面に歴代藩主が書いてあり、そこに稲垣長剛(藩主:1819〜42)の名前が見えます。



こちらが私の所蔵している、稲垣長剛の位記(写真は一部)です。
巻物で、全部広げると160センチくらいあります。写真に写っている文章のあとに、「二品中務卿韻仁親王 宣」からつらつらと正二位、従三位の公卿たちの名前書いてあって、「制書如右請奉 制附外施謹言」としめられます。

あとは天皇御璽が、文政の年号にかかるように二箇所押されています。

鳥羽藩稲垣家の史料は明治大学だったかに分散してあったと思います。

これを手に入れた頃に読んだ児玉幸多ほか編『物語藩史』(新人物往来社、1966年)で鳥羽藩を読みましたが、そこそこ活動してた気がします。
それでは今月はこの辺で、みなさま体調お気をつけて。

なお、鳥羽市教育委員会編『三重県史跡 九鬼水軍の海城 鳥羽城跡』鳥羽市観光協会、パンフレットを参考に書きました。