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雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

まごーん(中の人)が独りでぼちぼち呟く。

トキ鉄のイベントへ

2025年05月07日 17時06分00秒 | 鉄道
まごーんやで。

今月はトキ鉄の10周年イベントへ行ってきました。
金沢行きの新幹線はギチギチで、10号車デッキまで解放してましたが、通路も人で埋まっていました。


上越妙高で普通列車に乗り換え、復活した475系455形・413系の3両編成です。
直江津D51レールパークは人でかなり賑わってました。


いつもはでてない除雪車の連結部など展示されていました。

しなの鉄道も参加。

実装サボ(真ん中)などを購入して、トキ鉄の急行を撮影するなど、楽しんで帰りました。





さて先月、とうとうgooブログの廃止が発表されてしまいました。
気がつけば細々と10年以上続きました。
引っ越しは今のところ考えてないので11月のサービス終了とともに店じまいを見込んでいます。

きゅんパスを使用して新潟に行きました

2025年02月28日 13時45分00秒 | 旅行
久しぶりです。まごーんです。

この月末、東日本のきゅんパスを使って、新潟へ行ってきました。
新幹線 上越妙高 信越本線 新潟 新幹線 東京 
という経路です


まずは新幹線で上越妙高へ行き、特急しらゆき3号に乗車しました。新潟まで行くのは2回目です。途中、直江津でトキ鉄の455形・413系急行を車窓から拝見。早く治って欲しいものです。
直江津からさき、長岡あたりは積雪がかなりありました。

新潟駅には特急いなほ5号酒田行きが停まっていました。北陸地域色みたいな塗装です。


新潟駅では登れない階段を撮ったり…
建物撮ったりしつつ


目的地へきました。
バスセンターの

カレーです!辛すぎず美味しかったです。

食べた後はばかうけタワーあたりを散歩し、

千葉県警をみたり

あいらぶ神戸じゃないほうをみたり


日本酒くじを買ったり

また登れない階段を撮って新幹線で帰りました。

久しぶりに信越特急に乗りましたが、やはり良いものです。こんどは秋田まで行ってみたいです。
来月は盛岡へ行く予定です.


井上鉄太郎旧蔵証書類

2024年10月08日 09時36分00秒 | 収集品
だいぶ書いてませんでした。

今回は井上鉄太郎(正しくは井上銕太郎)の証書類を載せます。
古本屋で購入したのか、ネットオークションで買ったのかはもう昔のことで忘れました。


史料1:勲三等瑞宝章勲記
史料2:大正大礼記念章章記

史料3:東京高等裁判所長官よりの表彰状
史料4:東京家庭裁判所所長よりの表彰状

井上鉄太郎は、明治10年10月16日、愛知県士族として生まれ、明治31年に明治法律学校(現在の明治大学)を卒業してます(井尻常吉編『歴代顕官録』原書房、1967年、689頁)。

明治33年1月、判事検事登用試験および弁護士試験に及第した(関西大学年史編纂委員会編『関西大学年史紀要5』関西大学学術情報事務局博物館事務室、1984年3月、2頁、原本は『大阪朝日新聞』明治33年1月8日月曜日8面)井上は明治34年7月25日に判事になりました。

大正時代には盛岡地方裁判所所長、昭和2年4月17日から函館地方裁判所所長(北海タイムス社調査部『北海タイムス年鑑 昭和16年版』、北海タイムス社、1940年、284頁を歴任し、昭和11年に勲二等瑞宝章を受章(「内務技監辰馬鎌蔵外千一名叙勲並勲章加授ノ件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A10113181600、叙勲裁可書・昭和十一年・叙勲巻七・内国人七(国立公文書館)4コマ目)、翌年10月30日に司法界を退職し、従三位に叙されています(「退職検事井上鉄太郎外四名特旨叙位ノ件/元朝鮮総督府財務局長林繁蔵」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A11114541800、叙位裁可書・昭和十二年・叙位巻五十一(国立公文書館)6コマ目)。

戦後にはいってからは昭和23年に東京家庭裁判所創設時点から昭和29年まで調停委員や参与員を勤めていることが確認できます。また昭和26年に東京高等裁判所長官賞(史料3)、翌27年には東京家庭裁判所長賞(史料4は26年だが、沿革誌には26年受賞の記述なく間違いカ)を受賞してます(東京家庭裁判所編『東京家庭裁判所沿革誌 創立5周年記念』東京家庭裁判所、1955年10月、215頁)

簡単に井上の経歴を追いました。戦前には閣下と呼ばれる位にまでのぼった井上が、戦後も司法の第一線で活躍していたことが朧げながらわかります。また、長男である井上文夫も、京都大学法律学科を出て、判事となり司法で活躍していたようです(人事興信所編『人事興信録第17版 上』、1953年、22頁)。




ウェスト銀河に乗車してきました。

2024年06月23日 21時47分00秒 | 日記
だいぶご無沙汰してました。
たまたまウェストエクスプレス銀河のクシェットが取れたので、乗ってきました。

東京から新幹線で岡山へ行くと、レールスター(E10編成)が止まっていました。


いまはこだま運用になってしまったとかなんとか。


岡山で新車になった特急やくもに乗車しました。たまたまトップナンバーのY1編成でした。

出雲市駅で銀河到着を待ちます。



15:52。銀河が着いたので乗りこみます。


車内はかつての寝台車を思うような通路になってて個人的にはとても良いです。



泊まったクシェット。指定席券代で乗れるのは嬉しいです。天井が思ったより低い印象でしたが、24系もそんなものだったかもしれません。

グリーン車じゃないほうのプレミアムカーはホテルの様な雰囲気。
乗ってみたくなります。

途中、根雨駅で降車。


大正11年創建以来の建物だそうで、それでも特急停車駅で少し驚きました。
さらに直営でみどりの窓口もやってます。




 
さらに途中、備中高梁駅で芸能鑑賞をしました。図書館が蔦屋図書館なのはいただけませんが…。


もうすぐなくなりそうな115系と銀河を撮影

高梁出発後はクシェットで京都まで爆睡しました。

2回落選してようやく乗れたので、たいへん良く、楽しかったです。

次はグリーン車が取れたらなぁ

小山嘉兵ヱ旧蔵『陸軍大学校卒業式次第』

2024年03月31日 20時01分13秒 | 収集品
こんばんは、まごーんです。
3月は卒業式の月ですが、今回はそれに乗っかっていこうと思います。





陸軍大学校45期の卒業式次第を紹介します。
これは東京の古書店で購入したもので、
45期生の一覧と、歴代の卒業生および職員が掲載されています。
ちなみに45期生には島貫武治、榊原主計、誉田太郎などがいました。

てっきり卒業式の行事進行が掲載されているものとばかり思っていました。

さて中身をぱらぱらめくってみると、
なんと小山の卒業証書が挟まっていました。





小山は陸士33期生で、大平秀雄(大平首相の兄)や、加藤武夫(隼戦闘隊)の同期でした。
陸大45期生としては唯一の輜重兵出身でした。

陸大卒業後は陸軍省兵務局などに勤務しましたが、
病により大佐で止まってしまったようです(『偕行』465号、1989年9月、23頁))

もちろん卒業式のときは小山はそれを知る由は
なかったはずですが。

皆さんもお体には気を付けてください。
それでは