最近、蒸し暑かったり、雨で寒かったり、体調壊れそうなまごーんやで。
今日は参謀飾緒を紹介します。
実物参謀飾緒は(コレクター的見地から市場価値が高く)、入手はかなり困難でウチもこれだけしか所蔵しておりません。
今回紹介する、その参謀飾緒は、第九艦隊参謀長としてニューギニア島ホーランジアで戦死した海兵41期・海大24期の緒方真記海軍少将(没後中将)が使用していたものです。
生地はいわゆる錦糸(金モール)のような固く重いものではなく、綿で出来た軽いものとなっています。
脇の下によく接触する部分は中の絹が完全に露出しております。
下の太いモール部分も長年の損耗により、中の絹が露出。
使用していた時期は不明ですが、常勤用として服によくあたる脇の部分と下の太いモールが損耗し、かなり使い込まれているのがわかります。
緒方真記少将の略歴を軽く触れます。
明治25年11月4日生まれ
大正2年12月19日 海兵卒業。
大正13年12月1日 海軍大学校甲種学生
昭和5年1月10日 海軍軍令部出仕兼海軍省出仕
昭和5年2月5日 元帥副官(東郷平八郎)
昭和6年10月10日 海軍軍令部出仕兼海軍省出仕
昭和6年12月9日 ジュネーヴ会議随員
昭和11年12月1日 馬公要塞参謀兼台湾軍参謀
昭和13年4月13日 軍令部出仕
昭13年4月20日 第五艦隊司令部附
昭13年9月15日 軍令部出仕
昭13年10月20日 加古艦長
昭14年5月1日 磐手艦長
昭14年12月27日 羽黒艦長
昭15年10月15日 山城艦長
昭16年5月24日青島特根司令官兼第三遣支艦隊参謀長
昭16年8月20日 第三遣支艦隊司令部附兼興亜院青島出張所長
昭16年10月15日 海軍少将
昭17年4月10日 支那方面艦隊司附
昭17年11月1日 軍令部出仕
昭17年12月2日 佐世保鎮守府参謀長
昭18年11月15日 第九艦隊参謀長
昭18年12月10日 兼第二特根司令官兼第八建設部長
昭19年3月25日 免兼職
昭19年5月3日 ニューギニア島ホーランジアにおいて戦死。海軍中将に没後昇進。51歳。
一応、重要と思われる職と参謀官職は明記しました。軍令部出仕も参謀官に入った記憶があります。
参謀飾緒というのは陸軍も海軍も一度使ったらそのまま手元に残すわけではなく、参謀になった後輩などにお下がりさせたりするのですが、この参謀飾緒はもうボロボロだったので手元に残したのかもしれません。
まぁ、拡大解釈したら、南方で動きやすいよう軽い参謀飾緒を持っていったら(前から使用してたのもあり)ボロボロになったので、形見代わりに内地へ送って、最後まで残ったのかもしれません。
今日は参謀飾緒を紹介します。
実物参謀飾緒は(コレクター的見地から市場価値が高く)、入手はかなり困難でウチもこれだけしか所蔵しておりません。
今回紹介する、その参謀飾緒は、第九艦隊参謀長としてニューギニア島ホーランジアで戦死した海兵41期・海大24期の緒方真記海軍少将(没後中将)が使用していたものです。
生地はいわゆる錦糸(金モール)のような固く重いものではなく、綿で出来た軽いものとなっています。
脇の下によく接触する部分は中の絹が完全に露出しております。
下の太いモール部分も長年の損耗により、中の絹が露出。
使用していた時期は不明ですが、常勤用として服によくあたる脇の部分と下の太いモールが損耗し、かなり使い込まれているのがわかります。
緒方真記少将の略歴を軽く触れます。
明治25年11月4日生まれ
大正2年12月19日 海兵卒業。
大正13年12月1日 海軍大学校甲種学生
昭和5年1月10日 海軍軍令部出仕兼海軍省出仕
昭和5年2月5日 元帥副官(東郷平八郎)
昭和6年10月10日 海軍軍令部出仕兼海軍省出仕
昭和6年12月9日 ジュネーヴ会議随員
昭和11年12月1日 馬公要塞参謀兼台湾軍参謀
昭和13年4月13日 軍令部出仕
昭13年4月20日 第五艦隊司令部附
昭13年9月15日 軍令部出仕
昭13年10月20日 加古艦長
昭14年5月1日 磐手艦長
昭14年12月27日 羽黒艦長
昭15年10月15日 山城艦長
昭16年5月24日青島特根司令官兼第三遣支艦隊参謀長
昭16年8月20日 第三遣支艦隊司令部附兼興亜院青島出張所長
昭16年10月15日 海軍少将
昭17年4月10日 支那方面艦隊司附
昭17年11月1日 軍令部出仕
昭17年12月2日 佐世保鎮守府参謀長
昭18年11月15日 第九艦隊参謀長
昭18年12月10日 兼第二特根司令官兼第八建設部長
昭19年3月25日 免兼職
昭19年5月3日 ニューギニア島ホーランジアにおいて戦死。海軍中将に没後昇進。51歳。
一応、重要と思われる職と参謀官職は明記しました。軍令部出仕も参謀官に入った記憶があります。
参謀飾緒というのは陸軍も海軍も一度使ったらそのまま手元に残すわけではなく、参謀になった後輩などにお下がりさせたりするのですが、この参謀飾緒はもうボロボロだったので手元に残したのかもしれません。
まぁ、拡大解釈したら、南方で動きやすいよう軽い参謀飾緒を持っていったら(前から使用してたのもあり)ボロボロになったので、形見代わりに内地へ送って、最後まで残ったのかもしれません。