雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

まごーん(中の人)が独りでぼちぼち呟く。

安井藤治旧蔵写真一覧

2021年10月31日 01時17分00秒 | ○○関係文書
今回紹介するのは安井藤治(1885-1970)の所蔵していた写真の一覧です。
安井は陸士18期。陸軍中将までのぼり、軍引退後は鈴木貫太郎内閣で国務大臣を務めました。

写真は全39点(枝番あり)で、幼年学校時代から戦後まで幅広く、中には東欧での平和条約実施委員として活動してた頃のも含まれています。
画像はブログでおいおい紹介する予定です。

それでは今月はこれにて。

大判写真

1陸軍幼年学校時代(M36.11.3)

2ブルガリヤ軍人かんとく委員として三年間

3エスタンジールにて

4ブルガリヤ国境確定委員

5陸軍大佐(二葉写真館)

6ロシア語学の先生タチアーナ

7陸軍少将(PORTRAT)

8・「23.Rue Royale Paris」

-1  ヨーロッパ パリー(軍服)

  -2  1921年2月11 於巴里撮影(私服)

  -3 ブルガリヤにて(軍服)

9アルバム(ヨーロッパ歴訪)16頁落丁あり

10冊子(近衛歩兵連隊長写真2)

11近衛第2連隊長(惣嶋写真館)

12レターセット(写真8)

13ヨーロッパ関係(12枚)

14二・二六事件写真(小・香椎とともに)※

15望遠鏡覗き大判写真

16大正12521日の第34次西航汽船ヤロンベリア丸邦人一等舷客氏名表

大正8年渡欧記念写真 三嶋丸甲板上に於て

17軍服立ち(勲二等旭日・茶台紙)

18軍服立(勲二等旭日)

19軍服(着席・勲二等旭日)

20軍服(汚れあり)

21軍服(寺本写真館)18.1.19

22軍服(右側白地)

23顔写真(花形)

24東京市翼賛市政確立講演会

25四谷区翼壮区団世田谷公会堂(17.6.12)

26浅草区団団旗奉戴式(17.12.1)

27翼壮団長写真(腰掛け写真)

28戦時生活展覧会(17.11.4)

29戦時生活展覧会(17.11.4)

30東亜燃料工業の封筒

31新日本奨学会評議員(写真)

32新日本奨学会評議員のお知らせ(書簡)

33東燃丸にて(36.9.25)

34近歩二遺跡記念碑建設除幕式写真

冊子・封筒

35『阿南大将を偲ぶ』(写真3)

36空封筒(塚本健光/18.3.29)

37空封筒(AXONIA)

38空封筒(東京市翼壮年団)

39空封筒(山本写真館)


※香椎研一編『秘録 二・二六事件』永田書房、1980年に同じ写真が掲載されている。


栗田健男元海軍中将旧蔵資料

2019年10月20日 23時24分03秒 | ○○関係文書
こんばんは。先月すっぽかした分の穴埋めです。

今週は10月25日、日本とアメリカの両海軍が激突したレイテ沖海戦75周年でありますので、所縁の深い栗田健男元海軍中将(1889.4〜1977.12)の旧蔵書をここに紹介します。なお本年(2019年)は栗田中将が生まれたから130年という節目でもあります。

栗田健男(「栗田健男」wikiより2019年10月20日閲覧)

簡単に栗田健男について述べますと。彼は茨城県水戸市出身で、旧水戸藩士の出身でした。
海軍兵学校を卒業後、駆逐艦や巡洋艦などの軽快な部隊で経歴を積み、「水雷」畑を歩みました。
日中戦争、アジア・太平洋戦争には将官として参加して、マレー作戦やミッドウェー作戦に従軍しました。
戦局が末期の1944年には、第二艦隊司令長官としてレイテ沖海戦に従軍。海戦中の「謎の反転」が特にいまも注目され続けます。
戦後は西宮市に居住し、同地で亡くなりました。

では、私が所蔵している栗田の旧蔵品に移りますが、点数は20点(アルバム1、書簡1、絵葉書セット1、書籍17)です。

書籍の部
1:奥宮正武・淵田美津雄『機動部隊』朝日ソノラマ、1974年初版。帯あり。「栗田」の小印2つあり。193-200頁下、249-253頁は未裁断にてくっつき有り。読書ハガキ、売上伝票あり。
2:高木惣吉『聯合艦隊始末記』文藝春秋新社、奥付なし(落丁カ)、「海戦日本艦隊航跡略図」の地図あり。経年劣化。
3:『文藝春秋 臨時増刊 読本・戦後十年史』23巻第8号、1955年4月、経年劣化。
4:松永市郎『思い出のネイビーブルー』海文堂、1977年2版、松永市郎の謹呈栞あり(破れあり、署名印刷)。
5:白浜芳次郎『零戦空戦記』河出書房、1968年、初版。ビニールカバー付。帯あり。
6:伊藤正徳『連合艦隊の栄光』文藝春秋新社、1962年再版。箱付き(痛みあり)。
7:伊藤正徳『戦艦『三笠』の光栄と悲惨」、文藝春秋愛読者賞論文、1958年4月。抜き刷り冊子。
8:楳本捨三『陸海名将100選』秋田書店、1971年。赤鉛筆で「87 栗田健男」の項目に栗田自身の書き込みあり(246-247頁)。
9:宇垣纏『戦藻録』原書房、1972年3版。箱付き(痛みあり)。
10:紀脩一郎『風塵抄』非売品、1981年1刷、1000部。(付・草蘆抄に収められる井上成美「海軍の思い出」、高木惣吉「井上成美大将の思い出」、「高木惣吉書簡集」)
11:紀脩一郎『第四艦隊事件』非売品、1976年1刷、1000部。紀の謹呈栞(署名印刷)有り。
12:紀脩一郎『草蘆抄』紀脩一郎、1976年。紀の謹呈栞(署名印刷)有り。
13:紀脩一郎『閑雲抄』非売品、1986年1刷、500部。
14:紀脩一郎『旅順の海は青かった』非売品、1987年1刷、500部。紀の謹呈栞(署名印刷)有り。
15:西本正巳ほか編『比島戦跡を偲ぶ』フィリピン戦跡写真集実行委員会、非売品、1970年初版。箱付き。ビニールカバー
16:日本リーダーズ ダイジェスト社『トラ トラ トラ』日本リーダーズ ダイジェスト社、1966年1刷。ビニールカバー。太平洋海域地図、海戦の日米両新聞のプラスチックの板有り。
17:栗田健男追悼会世話人会『栗田健男を偲ぶ』1978年3月、小冊子。

栗田の印が入った『機動部隊』

絵葉書の部
18:絵葉書アルバム。黒革、紐どめ。9枚。

アルバムの部
19:『海軍兵学校入校三十周年 記念写真帖』。奥付なし。海兵38期のもの。箱痛み(破れ、水ふやけ跡)あり。


書簡の部
20:岡崎義男書簡(6月30日)。封筒あり。切手なし。原稿用紙2枚。「海上戦跡慰霊巡拝に参加して」の記事承諾のお礼と、同雑誌を2冊同封しお届けした件につき。
※岡崎義男は海軍兵学校教授、戦後は広島大学教授を歴任した。


これが、栗田旧蔵の一覧となります。一部、栗田の死去した後のものがありますが、この紀脩一郎氏(1901〜?)は水戸中学の出身で、栗田からみたら後輩にあたる人物です。

書籍は1冊を除きほとんど書き込みなどなく、栗田が読んでいたかは、ここからはわかりません。ただ楳本の本には「杜撰極まるものである 仓卷推して知るべし」と書き込みがされています。ほかにも記述の一部に「?」と線引きされています。

最後の書簡にある、「海上戦跡慰霊巡拝に参加して」は、広島の「水交」に載ったあと、小冊子としてまとめられました。コレも栗田の旧蔵書としてありましたが、1冊は誰かの手に渡ったようです。もう1冊は不明です。

私の手元にある岡崎義男「海上戦跡慰霊巡拝に参加して」(古書店で購入)

この冊子に巡拝について載っていまして、1971年4月9日〜23日の日程で行われ、栗田元中将も参加、4月14日13時30分から45分までの15分間に捷一号作戦についてのお話をし、質疑応答も行われました。
また第一航空艦隊司令長官だった寺岡勤平元中将も参加して、昭和14-15年ごろと昭和20年の時の話をしました。

これは栗田元中将がはじめてレイテ沖海戦について話した事例で、新名丈夫「"すべては敵情不明のため"栗田中将は語る」(『決断 Vol3』所収、個人蔵)でも取り上げられました。

以上ですが、これも以前話した東條英機の蔵書とおんなじで、栗田元中将は、こういう蔵書の環境にいた、という僅かな残滓を垣間見える一端となればと思います。

それでは、台風に気をつけて。


なお、本項目作成にあたって、『決断 Vol3』を閲覧させてくださいました個人には厚く御礼申し上げます。

「真田男爵家関係文書」

2018年09月22日 21時22分25秒 | ○○関係文書
みなさん。「三里塚闘争」ってご存知ですか?
三里塚闘争は、1966(昭和41)年から起こった成田空港建設反対運動のことで、一時は同空港管制塔を占拠することもあった運動です。

この闘争で、三里塚周辺が慌ただしかった時、1969(昭和44)年、明治から続いた一つの牧場が歴史に幕を閉じようとしていました。

それが宮内庁下総御料牧場で、もとは「宮内省下総牧場」とも言いました。

(写真1)

この三里塚の御料牧場に、かつて獣医として勤めていたのが真田幸邦です。

真田幸邦は、名前から分かるように戦国末の武将・真田家の子孫で、祖父は9代目松代藩主真田幸教です。
父は真田幸世といい、男爵で、貴族院議員を4期連続で務めた人でした。

真田男爵家は、初代幸世が創設から消滅まで当主でしたので1代で終わってしまいました。

現在の真田家といえば、松代市で行われる「松代藩 真田10万石祭り」で毎年来られる真田幸俊氏が松代藩真田家(旧真田伯爵家)の当主で有名です。
また真田信繁(幸村)の子孫である仙台真田家は、当主・真田徹氏が、上田市などの講演会やイベントに参加され、知名度があります。

特に真田伯爵家は、真田宝物館に松代藩主の史料があり、近代関係では初代真田幸民子爵(のち伯爵に格上げ)の伯爵大礼服が収蔵されています。
これらに比べると、真田男爵家はまったく注目されていないと言って良いでしょう。
真田宝物館にも、何個か検索をかけましたがヒットしませんでした。



このほかに、学習院大学がまとめた華族史料所在一覧というものがあります。
国文学研究資料館に、真田男爵家の史料として以下のものがあります。

『3 真田家/家政/交際など 真田家家令・家扶』「真田幸世入社申込書」(ね45-2)
『5 真田家/相続』「幸世様御分家御受書一通 御資産御分与御受願書一通] 」(寄684)
『6 真田家/家計/金銭勘定・為替切手 真田家家令・家扶』「埴科郡松代町収入役佐野秀領収書[領収証書] (第1号、明治25年1期分銃猟免許税・遊猟免許 税金10円につき) 」埴科郡松代町収入役佐野秀→真田幸世(は23-2-2)
『72 真田家/家職/真田家会計書類一括』「所得税領収証」松代町収入役大瀬政雄→真田幸世殿(寄1036-34)
『77 真田家/家職/家職諸書類一括』に「納税調書」(寄1038-40)。
『59 真田家/家職/松代滞在』に「男爵様御来松御滞在中日記」(寄323)。
『65 真田家/家職/会計諸帳簿』「明治廿八年御入料精算調」(寄888)。
『51 真田家/家職/諸書状・書類』「協同会選挙投票ニ付御願」花房崎太郎→真田男爵閣下(寄978)

このように、いくつか史料が所蔵されていますが、豊富とはあまり言えない状況でしょう。


今回紹介するのは、その真田男爵家の葉書です。

全部で16点あります。

内容は
・真田幸世宛3点
・真田幸邦宛4点
・真田幸和宛4点
・幸邦/幸和宛1点
・真田家執事宛1点
・真田綾子宛1点
・真田家宛2点

となります。


当史料は、新年の挨拶が3点、絵葉書(文章なし)が4点と半分近くを締めており、そのほかは、中学校へ通う幸邦へ『中学世界』の写しの受取を請うものや、親族の阿部正基が幸邦へ水泳を勧める内容があります。

当主の幸世宛には、アメリカの大日方日生という人物からの葉書や、イタリアの安藤彪雄からの挨拶葉書があり、人的ネットワークの一部が窺いしれるほか、息子の幸邦が父より貰った絵葉書への御礼があり、親子間の交流も垣間見えます。

また、幸世次男の幸和宛に清国総領事の豊田鶴という人物からの葉書もあり、清国へ行った可能性があります。

取り敢えず今回は内容が短いですが以上になります。


参考写真
写真1:成田市御料牧場記念館
(2022.3.1追記 真田幸世男爵の写真を入手したのでこちらで公開しています)

参考文献
小田部雄次『華族』(中公新書、2006年初版、2010年7版)。
華族会館編『華族家庭録』(1937)519頁。
水野慶次編『華族大系』(系譜出版部、1914年)701頁。
筒井住蓮編『大日本華族大鑑』(都通信社、1911年)233頁-234頁。
国文学研究資料館所蔵
『3 真田家/家政/交際など 真田家家令・家扶』70頁。
『5 真田家/相続』
『6 真田家/家計/金銭勘定・為替切手 真田家家令・家扶』 150頁。
『72 真田家/家職/真田家会計書類一括』 394頁。
『77 真田家/家職/家職諸書類一括』 422頁。
国文学研究資料館所蔵「51 真田家/家職/諸書状・書類」、「59 真田家/家職/松代滞在 」、「65 真田家/家職/会計諸帳簿」363-377頁。
参考サイト
真田宝物館
信州松代観光情報