雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

まごーん(中の人)が独りでぼちぼち呟く。

収集品をネット展示してみる~木幡行海軍少将書簡(北京武官・藤森清一朗海軍少将宛)~

2015年11月28日 21時06分37秒 | 書簡・葉書(所蔵品)
こんにちは、まごーんやで。
今日はTwitterのアンケート調査でやった通り、海軍少将の書簡を展示します。

名前は木幡行。海兵37期。海軍少将です。
Wikiはこちら

以下、中身





うーん、少しだけ内容は把握できますが、全貌は…分かりません。
読めるように精進していきたいです。

収集品をネット展示してみる~海兵72期福田英大尉襟章~

2015年11月11日 23時46分59秒 | 収集品
こんばんは、まごーんやで。
今日は前回紹介した福田貞三郎少将の息子、福田英の大尉襟章を紹介します。

こちらが福田英大尉写真はなにわ会の戦没者写真からお借りしました
福田大尉は、海兵72期を経て高雄航空隊、厚木の302航空隊へ所属。雷電に乗り疾風迅雷の活躍を見せ、B29を邀撃しました。
しかし、昭和20年の4月19日、神奈川県の保土ヶ谷において米戦闘機に攻撃され戦死されました。
戦死後、中尉から大尉へ昇進しております。
詳細は同じくなにわ会のサイトに記述されています
、そして、こちらが福田大尉の襟章。中尉から大尉へ桜が追加されているのがわかります。
福田少将の元へ還ってきたものでしょう。

裏です。少尉から逐一昇進のたびに追加していたのがわかります。
父・福田少将は子息の戦死に触れ、正に軍人として本望だったと感じたでしょう。
冥福をお祈り致します。

収集品をネット展示してみる~海軍少将福田貞三郎の少将肩章~

2015年11月09日 23時42分28秒 | 収集品
どうも、まごーんやぇ。
今日はTwitterでアンケートとった通り海軍少将の肩章を紹介します。

福田少将(写真)は海兵40期。山口多聞、宇垣纏らと同期です。
息子は海兵72期で海軍大尉でした。
福田少将の経歴は此方のサイト参照

福田少将とご子息の遺品は例によってばらばらになってました。

こちらは福田少将の襟章(個人蔵)
他にも略綬や弔辞などがありました。
さて、福田少将の肩章です。

こちらがソレ。左肩の部分でしょうか。もとからコレだけでした。

裏はこう。中に軸というか、筋がある硬いタイプの肩章です。

スゴく擦れてますが、恐らく名前だと推測されます。
片方しかないと寂しいですね。
今度は息子さんか、別のものを展示いたします。
それでは、また。

参考文献
福田貞三郎『海軍中尉 福田機還らず』(1971年)。

収集品をネット展示してみる~汪兆銘政権の勲二等同光勲章~

2015年11月06日 22時18分44秒 | 収集品
ども、まごーんや。
今回は。同光勲章を紹介。
同光勲章は汪兆銘政権下の勲章の一つで少なくとも2種類の型があるみたいですね…

(画像はネットから)この型は、栗林忠道が着けてる写真がや有名ですね。
もう一つの型がこちら、今回の展示品。

裏には同光勲章の文字


此方の型は東條英機が着けてます(下から二つ目の右の勲章)

同光勲章についてあまり詳しくないので、よく分かりませんが…何か知ってる方、コメント欄に御一報ください。

2020.1.25追記
小倉駐屯地に収蔵されている杉山元旧蔵の特級同光勲章や、天木(数字)历史博物馆で所蔵されているものを確認すると、真ん中の光線が本物を白いので、こちらで紹介してるのは模造品ということがわかりました。

満洲国国勢調査章証書と同章佩用許可証書(旧所蔵者・海軍大将豊田貞次郎)

2015年11月04日 19時59分50秒 | 収集品
どーも、携帯壊れてにっちもさっちも行かなかったまごーんやで。2週間ほど携帯から解放されてましたわ。
さて、復活の今回は満洲国国勢調査章の証書とその佩用許可証です。

こちらが満洲国国勢調査章(ヤフオクより)
ウチも実物の画像を見たのはこれだけです。
証書も然り。
幸い、その証書を手に入れましたので展示します。

こちらが証書です。保存が悪く、カビが殆どを占め、破れて破損しております。

満洲国の国章と国務院の印です。

そして、それの佩用許可をする日本政府の証書です。
両方揃ってるのは希少ではないでしょうか。
さて、この証書2枚は海軍大将豊田貞次郎のものです。

豊田貞次郎(兵33期首席・大17期首席・海軍大将)

豊田貞次郎のごく簡単な経歴を記します。
1885.8.7 和歌山県和歌山市広瀬通町に生まれる
1911.12.1 英国駐在(1914.7.15帰朝)
1917.12.1 海軍大学校甲種学生
1923.11.10 在英国大使館附武官(1926.12.1帰朝)
1927.4.26 ジュネーブ海軍軍備制限会議全権随員(9.28帰朝)
1929.11.12 ロンドン会議全権随員
1930.12.1 海軍少将
1935.11.15 海軍中将
1937.12.1 佐世保鎮守府長官
1940.9.6 海軍次官
1941.4.4 海軍大将・第二次近衛内閣商工大臣
1941.7.18 第三次近衛内閣外務大臣兼拓務大臣
1945.4.7 鈴木内閣軍需大臣兼運輸通信大臣
1945.10.5 貴族院議員

とまぁ、海軍大将まで上がり、その後は大臣を何度も歴任してます。
こういう人好きですねえ、左近司とか寺島とか。
同期の坂野常善中将も豊田貞次郎は頭脳明晰な人物と評してました(「遺稿」より)

では、今日はここまで。