小池知事は“東京都は一日4,000件のPCR検査を行うことができる”と述べた。感染拡大の初期段階(1~2月ごろ)と較べると、格段の進歩である。
爺は、初期段階において検査体制が整っていなかった理由は、過去にサーズやマースが世界的に流行したとき、たまたま日本はその災難から免れたために、その必要性を認識していなかったからだと理解していた。そして、このブログでもそのように述べたことがある。しかし、爺の認識は間違っていた。
「文芸春秋」8月号に掲載された柳田邦男氏の論考「安倍首相の言語能力が国を壊した」*から、その要点をかいつまんで引用する。(青字)
*(注)この論考が「安倍首相の言語能力」を論じているのは、全体の1割にも満たず、タイトルは「日本の危機管理」であるべきだった。
2009年に新型インフルエンザが流行したことを踏まえて、時の民主党政権は2012年に新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)を成立させた。「等」を付け加えた理由は、未知のウィルスの発生を想定したものだった。
つまり、その当時から新型コロナのような未知のウィルスは想定されていたのである。
その後、自民党が政権を取り戻し、2013年に特措法に基づく「行動計画」と「ガイドライン」を決めた。そこには、平常時からの医療体制の整備として、必要な特別隔離病床の確保、マスクの供給体制などいくつかの項目があったが、その一つに「PCR検査体制の拡充」が挙げられていた。
また、今回のコロナに関する専門家会議の中心になった尾身副座長は、7年前に「行動計画」を決めた当時、新型インフルエンザ等対策有識者会議の会長として、「行動計画」の内容を熟知していた。
つまり、「PCR検査体制の拡充」の必要性は7年前から十分認識されていたのである。ではなぜ、こうした認識がありながら、実行に移されなかったのか。それは、柳田氏によれば、「PCR検査体制の拡充」をしない、または出来ない場合の逃げ道が「行動計画」と「ガイドライン」に用意されているからである。(赤字)
PCR検査等による診断は患者数が極めて少ない段階で実施するものであり、患者数が増加した段階では、PCR検査等の検査は重症者等に限定して行う。
そして、厚労省は2月17日、「相談・受診の目安」として、「風邪の症状や37.5度以上の発熱が4日以上続く方」、「強いだるさや息苦しさがある方」としていた。そのために、そうした症状がない人はPCR検査を断られた。
上記の「逃げ道」は、「PCR検査体制の拡充」という基本方針を実行しなくても、担当官僚は責任を問われないことを意味し、基本方針を骨抜きにするものである。「逃げ道」を起草したのは官僚だろうが、それを黙認した(または気づかなかった)政治家も責任を痛感すべきだろう。
そして、現実にコロナ感染拡大の初期段階では、上記の「逃げ道」がそのまま実践された。その状況にあっては、懸念があっても検査が受けられなかった人が、他の人にウィルスを感染させた可能性がある。換言すると、PCR検査体制が拡充されていなかったことが、感染被害を増幅させたのである。
このブログで、3月12日に爺は次のように述べている。(赤字)
日本の感染者が異常に少ない。その理由は、国民が予防処置を忠実に実行していることもあろうが、PCR検査体制の拡充が遅れていることもあると推測する。このブログですでに述べたことだが、感染者の定義が日本と他国では違うようだ。
ちなみに当時の感染者数は次のようだった。
中国 87,778
韓国 7,755
米国 1,015
日本 476
初期段階で検査体制の拡充が遅れていたことは明らかだった。その後、感染者数は急増したが、検査件数が増えたことがその大きな理由であることは間違いない。5月8日になって、厚労省はその目安を修正し、「37.5度以上の発熱が4日以上」という条件を削除するなど、検査を受ける目安をかなり修正したが、その修正は遅すぎた感がある。
この投稿のタイトルとして「検査体制が整っていなかったのはなぜか」を掲げたが、その答えはすでに述べたように、官僚と政治家が事案の重要性を認識していなかったことだと考える。