熊谷三郎徒然日記(gooブログ版)

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吉野・飛鳥・室生桜巡り3日目

2017-04-26 14:20:57 | 旅行
 今日は飛鳥路のサイクリングの予定ですが、早朝散歩で安倍文珠院まで出かけてきました。
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 今日もいい天気です。
 安倍文珠院は“三人寄れば文殊の知恵”で知られる日本三文殊のひとつ、「大和安倍の文殊さん」として親しまれる「安倍山崇敬寺文殊院」は、645年、大化改新の折に左大臣となった安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)により建立されました。安倍一族の発祥の地であり、奈良時代の遣唐使・安倍仲麻呂や平安時代の陰陽師・安倍晴明が出生した寺院としても知られています。
境内には、国宝・渡海文殊菩薩群像をはじめ、縁結びの神で知られる重要文化財・白山堂、特別史跡・西古墳、安倍晴明が天文観測をして吉凶を占う修業をしたという天文台、陰陽道の秘宝の数々を納めた金閣浮御堂など歴史的にも貴重な見どころにあふれています。
 と近鉄の奈良しあわせ散歩のページに紹介されていました。詳しくお知りになりたい方は下記のリンクをご覧下さい。
http://www.kintetsu.co.jp/nara/report_powerspot/abe.html

 金閣浮御堂は花筏でカメラマンも粘っていました。
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 干支ジャンボ花絵も毎年年賀状にされるほど好評なのだそうです。今年の干支は鳥ですね。
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 過去の花絵はこちら。
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 花絵を見下ろせる展望台に安倍晴明堂があります。
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 余談ですが最近読んだ西村京太郎の推理小説「京都より愛をこめて」に安倍晴明の子孫が出てきます。小野篁の子孫と二人で悪人一味と京都を舞台に活躍するという物語なのですが、肝心の戸津川警部は全く活躍しません。陰陽師の世界の物語を感じさせるスポットです。

 最後に合格祈願の絵馬で溢れる本堂の前を通ってペンションに戻りました。
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 ペンションに戻って朝食をいただき、車で明日香レンタサイクル亀石営業所へ。ここで自転車を借りてサイクリングに出発です。係りの方が自転車の番号をよく覚えておいて下さいというので念のためパチリ。
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 確かに飛鳥寺で修学旅行生の集団と一緒になった時には、みんな同じ自転車なので探すのに一苦労でした。
 さてサイクリングは定番コースで鬼の俎→鬼の雪隠→高松塚古墳→壁画館→亀石→橘寺→二面石→石舞台古墳と巡り昼食。
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 午後から岡寺(徒歩)→飛鳥寺を最後に参拝して終了。これで約5時間です。
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 連れ合いは初めてなので、前回15年前に回れなかったところをメインに回りました。

 ここから長谷寺に立ち寄って最終目的地室生寺に向かいますが、ここまででページを改めます。


吉野・飛鳥・室生桜巡り2日目

2017-04-23 10:42:00 | 旅行
 今回のメインが吉野の桜だったので開花予想を何度もチェックしてスケジュールを調整しました。
最初の予定は4月5日から3泊4日でしたが、今年は例年に比べて開花が遅れたため一週間繰り延べしました。そのお陰で大名行列のスケジュールと重なり、結果は正解でした。
 
 天気は花曇りですが吉野の山を歩くのにはちょうど良いかもしれません。ホテルの朝食は7:00からだったのですが、無理を言って6:45に早めてもらい7時過ぎに吉野に向かいました。平日なので如意輪寺の駐車場まで車で行きそこから歩き始めることにしました。渋滞もなく1時間ほどでついてしまいました。
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 如意輪寺には後醍醐天皇の御陵があります。
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京都に対する願いを表すために、天皇家の墓陵としては唯一北向きとなっており、「北面の御陵」として有名なのだそうです。

 こちらは後醍醐天皇の孫にあたる長慶天皇。その皇子の「世泰親王墓」
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 ここには楠木正成と正行の「桜井の別れ」の像もあります。
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 変わったところでは亀井静香氏の桜も、皆さん方の善意で吉野の桜を維持していくということなのでしょう。
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 ここから中千本公園を通って大名行列が出発する竹林院に向かいます。大名行列の出発時刻10:00少し前に到着しました。もう沿道には外国からの観光客も含めて大勢が陣取っています。この大名行列は蔵王権現のご神木・山桜の満開を御本尊に報告する行事で10万石の格式の行列だそうです。
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 壱千年の歴史を持つ金峯山寺の伝統法会で、奴行列を先頭に金峯山の鬼、お稚児さん、山伏、僧侶、そして行列の最後は管長猊下が乗られた大名籠と続きます。
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 大名行列は蔵王堂までゆっくりと進みますが、我々は竹林院に参拝してから奥千本まで歩くことにしました。
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 歩き始めて上千本の花矢倉展望台まで1時間弱で到着。ここからの眺めも絶景です。
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 次は吉野水分神社です。
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 吉野山観光協会のページには
水を司る天之水分(あめのみくまり)大神を主神とし、"みくまりが"御子守"(みこもり)となまって、俗に子守さんと呼ばれ子宝の神として信仰されています。
社殿は豊富(臣)秀頼が再建したもので、本殿、拝殿、弊殿、楼門、回廊からなる桃山時代の大変美しい建築です。
と紹介されています。

 さらに上ると金峰神社。
奧千本にあり、杉や桜の老樹におおわれて鎮座する神社。
吉野山の地主神、金山毘古命(かなやまひこのみこと)が祭神。
修験道の行場で藤原道長も祈願したとされています。
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また、 境内から坂道を3分ほど下ると、義経が弁慶らと追っ手から逃れるために隠れた義経隠れ塔があります。
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 ここから西行庵まで30分くらいですが、奥千本はまだ蕾の状態なのでパスして奥千本バス停から中千本までシャトルバスで降りることにしました。バスはピストン輸送中なのですぐに乗れました。竹林院前のバス停で降りて 吉水神社・蔵王堂に参拝、〆は「うまみや」さんの葛切りでした。
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大事な事を書き漏らしました。15年前に大学時代の友人たちと泊まった民宿「新富」さんは吉水神社の前に健在でした。当時を思い出しますね。
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 今夜の宿は桜井駅近くのペンション「サンチェリー」さん。
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 この日の歩数は22,737歩結構歩きました。

 ペンション「サンチェリー」さんの夕食は洋食のコース料理でした。どれも美味しかったです。
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 二日目は吉野の桜と美味しい料理で大満足でした。


吉野・飛鳥・室生桜巡り1日目

2017-04-21 16:02:00 | 旅行
 関東地方は葉桜に変わりましたが、今年の桜は長いこと楽しめましたね。
 15年前に学生時代の仲間たちと吉野に泊まって桜を愛で、翌日飛鳥路をサイクリングして楽しく過ごしたことがありました。連れ合いはその時のことを覚えていて、いつか吉野に連れて行ってと桜の時期になるとリクエストします。
今年はその望みを叶えないと、もういつ行けるか分からないので思い切って計画しました。せっかくだから長谷寺と室生寺出来れば又兵衛桜も見たいというのでチャレンジしてみました。
 去年は京都まで車で行ったので今年も車で行くことにしました。
 熊谷を5時に出発、東松山~鶴ヶ島JCT~海老名JCT~御殿場JCT~豊田JCT~亀山IC~上野ICから一般道に降りて最初に到着したのが室生の大野寺ここまで約500km13時少し前に着きました。
途中雨がひどかったので、湾岸長島のPAに立ち寄って安永餅を頂いたりして一休みしながらのドライブでした。
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大野寺の枝垂桜(樹齢300年以上)は去年上を詰めたので少し見栄えが悪くなっているそうです。
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 もう一つの見どころは宇陀川の対岸に彫られた石仏です。鎌倉時代の初期に彫られたもので、開眼供養に後鳥羽上皇が御幸されたと伝えられています。写真ではちょっと不鮮明ですね。
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 名前の分からないきれいな花もありました。
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 雨も上がったのでナビで調べて談山神社に立ち寄ることにしました。ここは大化の改新で中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を倒す談合を行ったと云われる場所です。立派な十三重塔が建っています。
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以下公式サイトから引用させていただきました。
>父・藤原鎌足の追福のために、長男・定慧と次男・不比等に よって西暦678年に建立されました。 現存の塔は、享禄5年 (1532)の再建で、木造十三重塔としては、世界唯一のものです。
唐の清涼山宝池院の塔 を模して建てられたと伝えられています。 高さは約17メー トルあり、屋根は伝統的な檜皮葺きです。 神仏混淆時代の名残であると同時に、談山神社のシンボル的な存在です。

 ほかにも教科書で有名な絵巻もあります。
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 もう一か所又兵衛桜にも足を延ばしました。
 後藤又兵衛ゆかりの桜だそうです。もう遅いだろうとあまり期待していなかったのですが、開花して四日目ということで満開でした。
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 今日の宿は大和橿原シティホテル、ちょっと駐車場が分かりにくかったのが残念でした。
 でも今井町まで歩いて行ける所にあるのでロケーションは非常に良いところです。早速荷物を置いて出かけてみました。
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 江戸時代の町並みを今に伝えている今井町は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。浄土真宗称念寺の寺内町として戦国時代に発達し、江戸時代になると堺と並ぶ自治特権が与えられた。豪商が軒を連ね、「大和の金は今井に七分」といわれるほどの繁栄をみせた。東西600m、南北300mの範囲に江戸時代以来の伝統的民家や商家が密集し、そのうちの8軒は重要文化財に指定されている。全国屈指の古い町なみとして研究のフィールドになるなど非常に有名。今井まちなみ交流センター華甍では、江戸時代の町並を残す、今井の歴史町並みについての展示コーナー、映像シアターまた情報提供の図書室等があります。

 さて今日は盛沢山でしたが明日が本番の吉野です。