熊谷三郎徒然日記(gooブログ版)

シーサーブログから引越したばかりでいいね、応援などをいただいてもリアクションが出来ませんので、悪しからずご了承願います。

2016春の彦根城

2016-05-06 14:07:58 | 旅行
 春の京都嵐山から国宝彦根城に移動しました。9:00少し前に駐車場に到着。まずは「ひこにゃん」とツーショット。
画像


 「ひこにゃん」は彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招きして雷雨から救ったと伝えられる"招き猫”と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編成のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクター(公式サイトより転載)なんだそうです。

 彦根城は徳川家康が秀頼に睨みをきかすため琵琶湖の近くに井伊直政に命じて築城。しかし直政は着工前に亡くなったため、井伊直継(なおつぐ)・直孝(なおたか)によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成。
天守は現存する12天守のうちで一番の豪華さと言われています。唐破風や入母屋破風を組み合わせた豪華なお城です。
画像


画像


 天守も立派ですが、野面積みと呼ばれる石垣も見事です。野面積みとは自然石をそのまま積み上げる方法。加工せずに積み上げただけなので石の形に統一性がなく、石同士がかみ合っていない。そのため隙間や出っ張りができ、敵に登られやすいという欠点があったが排水性に優れており頑丈である。技術的に初期の石積法で、鎌倉時代末期に現れ、本格的に用いられたのは16世紀の戦国時代のことである。
画像


 彦根城に隣接して玄宮園と楽々園とい立派な庭園もあります。
画像

 楽々園の中には地震の間という建物もあり、現在保存整備工事が行われていました。
画像

 玄宮園を回っているときに4人の男性一行が「セカンドワイフもここに住んでいたんだよね」などと噂していました。14男で側室のお富から生まれた井伊直弼の話題だったようですね。

 時間があればお濠を一周する屋形船に乗りたかったのですが、11時にならないと乗れないということなので諦めました。今回は舟には嫌われています。

 彦根城から長浜城に立寄って帰る予定でしたが、帰り車の渋滞に巻き込まれないように早めに引き上げることにしました。
 彦根IC10:50→中央道経由→東松山IC17:10、自宅到着は18時でした。
 二泊三日で約1,200kmの行程でした。