熊谷三郎徒然日記(gooブログ版)

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札所巡り四日目後半

2014-07-19 11:35:44 | 札所巡り
 昼食後、県道を少し戻ってまた山道に入り、江戸巡礼古道長尾根みちを歩きます。
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眺望が開けると永源寺跡の石仏群があります。案内板も無いので分かりませんが、永源寺というお寺の跡なのでしょう。
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仔馬がのんびり草を食んでいました。
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暫くはすれ違いがやっと出来るような竹林の道を歩いたり、急な坂道を登ったりで、結構疲れます。
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念仏坂に差し掛かりました。
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念仏坂の案内板には昭和初期まで旧別所村と旧寺尾村を結ぶ重要な生活道路だったとあります。
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少し登ると宝暦13年(1763年)建立の弁財天碑があります。
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やっとミューズパークの駐車場まで来ました。ここで一息入れます。ここは両側が梅林でちょうど漬物に出来るような梅が生っていました。棒を持って来て、取り入れをしているご夫婦もいます。

札所23番松風山音楽寺に到着しました。同行のNさんも口数が少なくなっています。
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納経所の脇には半夏生が咲いています。
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ここは現在ではヒット祈願に訪れる歌手の多いお寺でもありますが、その昔は秩父事件の舞台になった場所でもあります。境内には「われら秩父困民党暴徒と呼ばれ暴動と呼ばれることを拒否しない」という無名戦士の碑もあります。
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明治17年(1884年)田代栄助を総理とする秩父事件の群集は、この鐘を鳴らして秩父町に雪崩れ込んだそうです。
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草の乱の撮影の舞台にもなりました。
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余談ですが、50数年前中学校を卒業して初めて同級生有志で、ハイキングに来た場所はこの音楽寺でした。

音楽寺から5分で十三権者の石仏があります。
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秩父札所は十三権者が巡拝して始めたといいます。熊野権現・蔵王権現・妙見大菩薩・善光寺如来・閻魔大王・倶生神・花山法皇・白河法皇・徳道上人・性空上人・医王上人・良忠僧都・通観法印です。

 暫く歩くと明治巡礼古道中山みちとの分岐になります。ここから江戸巡礼古道と別れ明治巡礼古道を下りますが、倒木があり歩きにくい道です。
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県道に降りて秩父公園橋を渡りますが、真中で休憩あと一つです。今日は4ケ寺だけの巡礼ですが、一番疲れました。
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気を取り直して16番無量山 西光寺に向かいます。
ここには納札を打った釘や釘穴が残った札堂があります。
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秩父の札所で札堂が残っているのは、ここだけだとのこと。他にも四国八十八か所のご利益が得られる回廊堂などがあります。
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これで今回の札所巡りはクタクタになって終了。秩父駅に着くと小雨が降りだしました。全歩行距離は20.5kmでした。
次回はひと月おいて9月5日(金)の予定です。


札所巡り四日目前半

2014-07-06 15:53:28 | 札所巡り
 7月3日(水)今日で札所巡りも四日目になり、前回までに20か所を廻り終えました。
今回は荒川の左岸(対岸)の札所を3か所、右岸が1か所と楽勝の行程だと勝手に思っていました。急行で8:09に影森駅着、ここでガイドのSさんが江戸巡礼古道と長享番付について説明。札所32番に残る室町時代の札所番付によれば、現在の25番→24番→23番→16番は11番→12番→14番→13番となるとのこと。当時の巡礼は芦ヶ久保から横瀬を経て大宮郷、皆野のルートを採ったと考えられるのだそうです。
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 荒川に架かる柳大橋を渡り、札所25番 岩谷山久昌寺に向かいました。
柳大橋という名前のとおり、橋の袂には大きな柳の木が有りました。
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 橋の下を見ると鮎釣りの姿が見えます。秩父の荒川の解禁は6月7日(土)でした。前回は6月5日が札所巡りでしたので、川鵜から守るテグスが見えたのですが、今回は釣り人でした。
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 対岸に渡り暫く歩くとお手判寺の扁額が掛けられた大きな山門が見えて来ました。ここが札所25番 岩谷山久昌寺です。お手判寺の由来は、秩父札所を開いたとされる十三権者のひとり、性空上人が閻魔大王から石造りの手判(印鑑)と証文を授かり、証文は西国24番中山寺へ、手判はこの久昌寺へ納めたのだそうです。石造りのお手判は寺宝とされ金庫に収めてあるとのことです。

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『秩父観音霊験記』によれば、昔、欲深でよこしまな女が山に籠って悪行を重ねた。夫からもうとまれ、村人は思い余って荒川に投げ入れた。しかし女は一命をとりとめ久那の岩屋で女の子を生んだ。子供は親に似ず美しく、成人してから母の菩提を弔うために観音堂の建立を発願し、旅の僧や村人の協力により岩屋の前に観音堂を建立し、観音さまを安置した。これが久昌寺の起源とされる。
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お寺の前には弁天池があり蓮池もあります。知人は弁天池で子供の頃よく釣りをしたそうです。
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 25番の少し先から県道には出ないで久那みちに入ります。
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「江戸巡礼古道久那みち」らしくなります。途中で行き会った方が、雨でぬかるみがあるので気を付けてと注意してくれました。
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 暫く上ると巡礼坂の脇を通って、矢尾商店の酒づくりの森へ到着。
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 時計を見ると10:50です。2時間以上歩いてもまだ札所はひとつしか廻れていません。意外と今日のルートは手強い感じです。でも折角ですから、試飲コーナーにもちょっと立ち寄りました。手が震える人では注ぐのが大変なサイズのカップで試飲です。
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のんびりする間もなく札所24番光智山 法泉寺へ向かいます。少し急いでいましたので、県道に出て116段の階段を登るコースでは無く、直接境内に出るルートを選択しました。
このお寺は養老7年(723)に越前の泰澄大師が毘盧遮那仏の夢のお告げにより、加賀の白山を勧請し、この地に観音像を安置したのが始まりだそうです。
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ここから眺める武甲山も良いですね。
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116段の階段を下りて長尾根に向かいました。
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このお蕎麦屋さんは小生が秩父に住んでいる時にあったので、30年以上のお付き合いです。
以前は道路の反対側にあったのですが、3年前に今の場所に新しいお店を建てたとのこと。
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江戸巡礼古道を歩き疲れて、汗も相当かいたのでビールで乾杯。つまみは舞茸の天ぷらです。全員大盛り蕎麦を注文、美味しくいただきました。
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この日は気温があまり高くなかったので、ビールをいただきましたが、真夏日はビールを飲んで長距離を歩くと、熱中症になる恐れがありますので注意しましょう。
お店も混んで来たので23番松風山 音楽寺に向かって出発です。
大分長くなりましたので午後の部はまた日を改めます。
追伸
今回使っている写真は同行の雄ちゃんが撮った写真がほとんどです。雄ちゃん有難うございます。


gacco3国際安全保障論week3まで終了

2014-07-04 14:45:32 | gacco
 国際安全保障論のweek3は「抑止と安全保障」というテーマで、いよいよ核抑止に入りました。その講義の中にICBM(大陸間弾道ミサイル)ABM(弾道ミサイル迎撃ミサイル)相互確証破壊戦略、瀬戸際外交なども出てきました。今、某国が日本海に向けて打ち上げている、短距離弾道ミサイルも瀬戸際外交のひとつなのでしょう。
 昨日、札所巡り四日目に出掛ける前に理解度確認クイズに挑戦、結果は敗者復活方式に救われ満点でした。

 今日は朝からレポートに挑戦。

課題は核抑止に関して以下の3つの設問に合計800字程度で答えよ。

設問(A):核革命とは何か?つまり、核兵器は従来の軍事力の(政治学的)論理をどのように、またなぜ、変えたのか?通常兵器との違いに言及しつつ答えよ。

設問(B):相互確証破壊は、なぜ、どのようにして米ソ間に「恐怖の均衡」を作り出し、戦略的安定性を確保できたのか説明せよ?

設問(C):ABMは敵国からの核ミサイル攻撃に対する防衛手段である。しかし、米ソは1972年にABM制限条約を制定した。その理由・目的を設問(B)の内容に照らしつつ答えよ。

 
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お陰様で小生のレポートは相互採点の結果9/10点でした。累計得点は61点week4の講義を受ける前に修了条件を満たしてしまいました。