肝炎との闘いは体の中だけのことではない。
あらゆる環境とも闘っているんだ。
環境。
例えば治療費の助成を求める場での闘い。
新薬の投与を厚生省に容認されるための闘い。
なかなか理解されない「肝炎」という言葉が作り出すイメージとの闘い。
こうしたたくさんの闘いが目に見えないところで行われているんだ。
私はできることはする、そう言って生きている。
これからは、
‘今できないことをできるようにするために’できることをする。
そうやって生きて行こうと考えている。
みんなそうしてよ、と言っているわけではない。
私が生きていることの証としてそうしようと決めているだけだ。
だけどね。
だけど、できれば日本人の全員がそうあってほしいと思うんだ。
そうできることが日本人の言う、情緒っていうものだと思う。
今は希薄になっているお隣さんとのお付き合いも、
昔はしゅうゆの貸し借り、田舎からの産直品のおすそわけ、
留守にする時ひと声かける、そういった下町情緒が気質として
あるはずなんだ。
今、それを思い出そうよ。若い人たちに教え伝えようよ。
そう考えなければならない時代になっているのかも知れない。
気がつかないではなく、気にならないという最悪な時代だ。
少しだけ昔に戻って、日本人情緒っていうのをやってみたらどうだろうか。
時間がかかってもいい。全員でなくてもいい。
できる人ができることをするという、当たり前でいいと思う。
そんなふうに生きていけたら、新しいJINSEINGが始まると思うんだ。
その通り、伝わって欲しいです。
当たり前が当たり前に起こる、できるっていうのは、すばらしいことです。
普通がいかにすばらしいか、難病の人は痛感しているはずなのです。
普通でない自分を受け入れることから始まり、
それが普通になり、今度は伝えていくという役目を患者たちは持っているのですね。
だから難しい。
普通が普通でなくなる瞬間を経験せずに、それを理解しろというのは至難のワザ。
何度もトライしなくてはならないことなのです。