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◆しゃしょう しゃしやう 【捨象】

2014年02月14日 08時38分07秒 | 色んな情報

◆しゃしょう しゃしやう  【捨象】
(名)スル
概念を抽象する際に、抽出された諸表象以外の表象を考察の対象から切り捨てること。
→抽象

 
◆抽象化(ちゅうしょうか)
http://p.tl/Ktmz
思考における手法のひとつで、対象から注目すべき要素を重点的に抜き出して他は無視する方法である。
抽象化において無視することについては捨象するという。従って、抽象と捨象は盾の両面といえる。
 

 
◆ひょうしょう へうしやう  【表象】
〔哲〕〔(ドイツ) Vorstellung〕感覚の複合体として心に思い浮かべられる外的対象の像。知覚内容・記憶像など心に生起するもの。直観的な点で概念や理念の非直観作用と異なる。心像。観念。
「表象」に似た言葉»   象徴  エンブレム  表号  旗幟  イメージ
 
◆表象 
http://p.tl/UJFE(ひょうしょう、英: Representation、仏: Représentation)
一般には、知覚したイメージを記憶に保ち、再び心のうちに表れた作用をいう(イメージそのものを含めて呼ぶこともある)が、元来は「なにか(に代わって)他のことを指す」という意味である。
類義語に、記号、イメージ、シンボル(象徴)がある。
 

 
◆観念  
http://p.tl/Ri6y
「イデア」は、何かあるものに関するひとまとまりの意識内容を指し、デカルトによって近世哲学的な意味で再導入された。論者によって厳密にいえば定義は異なる。プラトンのイデアは、客体的で形相的な原型のことであるが、デカルトによって、認識が意識する主観の内的な問題として捉えなおされたため、イデアは、主観の意識内容となり、以降、この意味での用法のものを観念と訳している。

日本では訳語に観念が当てられる。日本語の観念は、元来は仏教用語であり、「イデア」意外の意味を持つ(後述)。

この客観的な外在としてのイデアから、主観的な内在としての観念への移行は、ちょうど、「Object」がそれまでの意識対象・意識内容として主観の内的な何かを意味していたものから、外的な主観の対立物である客観・対象へと移行し、「Subject」が外的な基体・実体(ヒュポケイメノン)から、主観的で内的な主体へと移行した変化に対応している[要出典]。

ロックでは観念と物そのものが区別される。ロックにとって物そのものは観念の対応物でなく観念を引き起こす原因である。ヒュームでは観念と知覚印象が区別される。観念は論者によっては感覚的イメージだけを意味することもあり、また概念的で感覚的ではない観念を含むこともある。バークリーでは観念だけが実在であるとされ、外的な物質の存在は否定される。

仏教では、観念は仏や浄土などを智慧によって対象を正しく見極め、精神を集中して思い考えること。『観仏三昧経』等で勧められている。観想ともいう。転じて、一般には想いをこらして深く考える事に依って正しい結論に思い至ること。
 

 
◆思考(しこう、英: Thinking)
http://p.tl/GrOZ
考えたり思いを巡らせたりする行動であり、結論を導き出すなど何かしら一定の状態に達しようとする過程において、筋道や方法など模索する精神の活動である。広義には人間が持つ知的作用を総称する言葉、狭義では概念・判断・推理を行うことを指す。知的直感を含める場合もあるが、感性や意欲とは区別される。哲学的には思惟(しい、しゆい)と同義[3]だが、大森荘蔵は『知の構築とその呪縛』(p152)にて思考と思惟の差について言及し、思惟とは思考を含みつつ感情なども包括した心の働きと定義している。

論理学分野で研究されてきた思考の定義は定まっておらず、多様な側面を持つ。心理学分野の研究では、思考とは何らかの思想や問題対処法を立ち上げる心の過程や操作を示し、その対象は問題解決、方略、推理、理解、表象(心像、観念、概念など)知識といった現象を取り扱う。

漢字「思考」の「思」は、「田」が頭蓋骨の意味が転じた「頭脳の活動」、「心」が「精神の活動」を指す。「考」は知恵の意味「老」に終わりなく進む「て」が付属したものである。漢字全体では、頭や心で活動し、知恵を巡らせることを意味する[6]。

思考とは何かという疑問は、人類の歴史の中で繰り返し問いかけられてきた。ただし思考だけを独立させて取り扱うのではなく、知能や生命、さらに社会など総体的に人間が生きる側面のひとつとみなし、複雑系を構成する要素として組織的に扱う必要がある。イマヌエル・カントは、近代的な個人の思考とはひとりでは成り立たせることは不可能であり、必ず他者と共同され、公開し、主観を共有する状態からしか生まれないと述べた。そうでないものを「未成年状態」と定め、それを脱却するために啓蒙が必要と説いた。したがって、言論の自由とは意思を発表する権利という点に止まらず、思考の権利でもあると考えた。
 

 
◆思想(しそう、英: thought)
http://p.tl/cVZP
人間が自分自身および自分の周囲について、あるいは自分が感じ思考できるものごとについて抱く、あるまとまった考えのことである。


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