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「君達、この日本と言う国の特殊性をどう考える?

2013年09月07日 16時43分55秒 | 色んな情報
「君達、この日本と言う国の特殊性をどう考える?

作成者: 京免 史朗さん


「君達、この日本と言う国の特殊性をどう考える?
 呪術的と言うか、精神文化的な側面から見た特殊性という意味で」

「前に聞いたのですが・・・、建国以来途絶える事無く続く、
 制度的・精神的『中心軸』としての『皇室』の存在ですか?」

「そう、確かにそれもある。
 じゃあ、その『皇室』を中心とした『日本国』或いは『日本民族』を存続させてきた 『力』の根源は何だと思う?
 王朝や帝国は地中海沿岸や中国大陸、エジプトやメソポアミアにもあった。
 日本の皇室以上に呪術的な王朝は数限りなく存在したが、
 なぜ、日本の皇室や日本国だけが存続できたと思う?」

俺も、イサムも答えに困った。
熊倉氏の説明によれば、
それは日本列島を覆う豊かな森林に負う所が大きいと言う事だった。
日本は先進国中ではトップクラスの、世界的に見ても特に森林の豊かな国と言う事だ。
乱開発による伐採によりかなり減少したとは言え、日本の国土の68%が森林であり、バブル期の乱開発の前は実に75%の森林面積を誇っていたのだ。
68%の森林率は、森林国として有名なフィンランドの73%強に続き、
同じく森林国のスウェーデンの67%弱よりも大きい。
因みに世界の陸地の森林率は30%を割っていると言うから、
日本が如何に森林に恵まれた国かが伺われる。
この日本の森林の際立った特徴は、森林蓄積の割合で、自然林は意外に少なく、実にその6割以上が植樹による人工林と言う事らしい。

日本列島には、太平洋の海流エネルギーが集中し、
日本の海域には世界でも最も流線密度の高い暖流が流れている。
流線密度の高い海流が集中する地域は、穏やかな気候に恵まれ雨量も豊富となる。
気候が良く雨量に恵まれれば、その地域に人口が集中し、
大都市が形成されやすく、文化・文明が発達する可能性が高い。
海流流線密度が低い地域は乾燥した気候が多く、
その分遠隔地から真水を引いてこなければならない。
砂漠が広大となれば大都市が発達する可能性は低く、
発達しても都市を支える後背地の自然環境が悪ければ居住環境も劣悪となる。
人口が集中しても文化・文明を発達させる余力に乏しく、貧困やスラムを産むだけだ。

日本列島は元々有利な自然・地理的環境にあったが、そこに住む日本民族自身が、良質な真水を得るために大変なエネルギーを自然に加え続けてきた。
真水を生み出すのは豊富な森林である。
過去、世界で森林を失った国は忽ち砂漠化し、
文化・文明から大きく取り残される事になった。
現代においても、産業や先端技術を支えるのは教育の普及などの
人的側面も大きいが、物的側面として良質な真水の存在が欠かせない。
産業の基礎となる鉱物資源等を入手する事以上に良質の真水を得ることは難しい。
だが、ただ豊かな森林があるだけでは、例えば広大な熱帯雨林があるだけでは高度な文明や文化は発達しない。
自然環境と人的エネルギーの融合が無ければ、
人間の文化・文明を支える良質な背景的自然環境に成り得ないのだ。

日本人は、この自然環境との共生が民族的深層心理のレベルで
最も進んだ民族と言うことだ。
日本の神社には必ず森があり、神木がある。
日本民族古来の自然・宗教的な無意識領域では、
森が無ければ神は天降ってこない事になっているからだ。
日本民族は、この日本列島と言う自然環境に
気の遠くなるようなエネルギーを注ぎ込んできた。
そして、民族的深層心理のレベルで『一体化』を図ってきたのだ。

高麗時代、朝鮮半島にも豊かな森があり、
白磁・青磁に代表されるような高度な文化・文明があった。
森を切り開いても、その跡には植林が施されていたらしい。
蒙古の侵略を受け、軍船の建造や製鉄の為にかなりの森林が失われたが、
それでも植林は行われ森は残った。
高麗の宗教が儒教ではなく、仏教だった事が大きく作用していたようだ。

しかし、500年前、李朝になった途端に朝鮮半島の森林は荒廃し始め、
植林も全く行われなくなった。
李朝は、過激なまでに儒教を奨励し、仏教を始め従来の宗教を徹底的に弾圧した。
儒教の教えは人間関係の道徳だけである。
森が無ければ神は降りてこないといった、日本の神道に見られるような、
自らの生存基盤である自然環境と調和しようとする民族的深層心理の醸成に全くと言って良いほどに寄与しない。

画して、李朝時代の朝鮮半島では材木や燃料として木を切り出しても
植林される事は無く、山々から緑は失われた。
やがて、『森を失った李朝』は衰退し、
朝鮮民族は文化・文明的な死に瀕することになる・・・
 
熊倉氏の説明に俺は疑問を感じた。
森の生み出す『真水』の重要性は理解できるが、朝鮮半島には
漢江のような流量の豊かな河川が数多く流れているではないか?
熊倉氏に疑問をぶつけると、彼はニヤリと笑って答えた。

そう、豊かな水が有るだけでは、多くの人口が集まるだけでは
豊穣な文化も高度な文明も生まれない。
そう言ったものが生まれるには、人間のエネルギー、
『気』や『念』と言ったものが集積され昇華されることが必要なのだ。
その源泉となるのが、太陽や大気からの『気』、
或いは土や岩石などの大地からの『気』なのだ。
だが、人間を始めとした動物は、そう言った天地の『気』を
自らの力として直接に使うことは殆ど出来ない。
風水などを用いて『気』の流れに手を加えるのが良い所であり、
肉体や精神に自然界の『気』を取り込むには特殊な技術を要する。
太陽や大気、大地と言った『無生物の気』『環境の気』を直接使える
『生きた気』に変換出来るのは植物・・・つまりは森だけなのだ。
自然環境を破壊して森を失った民族は、
エネルギーの源泉を失い、やがては衰退して行く。
風や太陽、大地などの『無生物の気』は非常に強く、
それに抗う人間という生物の持つ『気』は余りに微弱なのだ。
 
疑問もあったが熊倉氏の話には納得できる点も多々あった。
確かに大気中の二酸化炭素を光合成によって酸素と炭水化物に、
或いは土中から各種の無機物を取り入れ栄養素と出来るのは植物だけである。
これ程までに科学の発展した現代においても、
光合成の完全人工化には未だ成功してはいないのだ。
無生物から生物への気の流れの話は、
『森が無ければ神は降りてこない』という話とも辻褄が合う。
納得仕切る事は出来なかったが、面白い物の見方だと俺は思った。

朝鮮総督府は、朝鮮半島全域で大規模な植林事業を展開した。
禿山に少しでも早く緑をと、生育が早く寒冷な朝鮮半島の気候にも耐えられる
アカシアの木が多く植林された。
だが、日本の支配が終わると、朝鮮民族は後先を考えない無軌道な乱伐で、再度自国の山々を不毛の禿山にしてしまった。
彼らは、乱伐の責任を商品価値の低いアカシアを植林した朝鮮総督府に転嫁しつつ、自ら植林しようとはしなかった。

だが、禿山だった韓国の山々に30年ほど前から緑が復活し始めた。
政府主導で植林事業が強力に推し進められたからだ。
だが、植林の初期には、ある程度育った若木がオンドルの燃料などとして
無断で伐採される事も少なくなかったそうだ。
韓国政府は国有林の無断伐採に懲役刑も含めた重刑を科すことで
森林の育成を推し進めた。

森の復活と共に、やがて韓国はエネルギッシュな経済国として目覚しい発展を遂げた。
同じ民族の国家である北朝鮮とは好対照である。
政治経済が破綻し、国民に餓死者を出す有様の北朝鮮の山々は、
今なお岩肌をむき出した禿山が殆どである。
だが、先進国の一角を占めるようになった韓国の国土面積に占める森林率は実に63%強。
主要国ではスウェーデンに次ぐ森林大国となっている。
批判的に見る向きも多いのだろうが、数百年ぶりに森の戻った韓国の体質は北朝鮮やその他の国々に比べ極めて有利なものと言えるのではないだろうか?
恐らく、朝鮮民族始まって以来最大の繁栄を謳歌している現代の韓国人の姿を見たとき、俺は熊倉氏に聞いた『森の話』を思い起こさずにはいられないのだ。

(興味深い話でした)

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