縄文人の反乱 日本を大事に

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●支那事変●「日支事変」さらに「支那事変」「日華事変」年代で変わる呼び名

2012年12月02日 13時45分39秒 | 色んな情報
●支那事変●「日支事変」さらに「支那事変」「日華事変」年代で変わる呼び名
★『支那事変の誤報と真実』 http://amba.to/U8VUik

★しなじへん 【支那事変】
⇒日中戦争(につちゆうせんそう)

★支那事変 日中戦争 http://p.tl/e15k  http://p.tl/Q5pM
1937年(昭和12)7月の盧溝橋(ろこうきょう)事件に始まり、1945年8月日本の降伏で終わった、日本と中国との全面戦争。日中十五年戦争という場合は、1931年9月の満州事変を起点とする。 ...

★ねずさんの ひとりごと 支那事変は支那が起した http://p.tl/BPgq
一般的に、支那事変(日中戦争)は、盧溝橋事件が始まりとされているとされています。
けれど、これは大きな間違いです。
盧溝橋事件というのは、昭和12(1937)年7月7日の真夜中に、北京の南を流れる盧溝河に架かる橋近くで夜間演習をしていた日本軍が、突然発砲を受けた、という事件です。
このとき日本軍は、演習中でしたが、実弾を携行していません。
つまり、日本軍は「銃は持っていたけれど、弾を持っていなかった」のです。
ですから、当然、応戦はできません。
なにせ撃ち返す弾がない。

★実録 支那事変1/4 - YouTube http://p.tl/Ya9a  http://p.tl/qvAK
★侵略意図は全くなかった支那事変  http://p.tl/yRe5

★支那事変  http://p.tl/8rPU
当初は「北支事変」と呼ばれていたが、後に支那事変(日支事変、日華事変)と呼ばれ、近年では反日マスコミ、反日知識人だけでなく彼らに洗脳されたか一般のマスコミ・歴史書まで「日中戦争」と呼んでいて、非常に紛らわしい。

★支那事変 概説1  http://p.tl/QU4v
★シリーズ「中国の処刑文化と支那事変」 http://p.tl/aIDh
★満州事変・支那事変で教えて貰いたいこと http://p.tl/69cd 支那との戦いはテロとの戦いであった。

★満州事変前~満州事変~支那事変まで ◆満州事変までの満州の状況  http://p.tl/5nIA
★捏造された支那事変  近現代史NO43   http://p.tl/3RlH

★日中戦争 - Wikipedia  http://p.tl/81NM
日本側呼称として、武力紛争が勃発した当初に第1次近衛内閣が閣議決定で定めた 公式呼称は支那事変である。
(事変呼称ニ関スル件 昭和12年9月2日 閣議決定)

★昭和13年法律第51号【改正履歴等】(支那事変特別税法について)  http://p.tl/gfFx
★支那事変(日中戦争)の真実   http://p.tl/xtkn

★支那事変国債 | なんだこりゃブログ2012年3月29日  http://p.tl/qH-p
古い100円紙幣と10銭紙幣の他に出てきたのが「支那事変国債」という国債

★支那事変は支那が起した   http://p.tl/paP0  http://p.tl/-_7n
★大東亜戦争の黒幕① 支那事変と共産主義  http://p.tl/U87p
★チビ丸の北支従軍 支那事変 - 科学映像館  http://p.tl/MLkL

★「『日中戦争における中国の犠牲者1000万人』は誇張か」へのコメントに対するご回答 http://p.tl/tamW
・注:日中戦力比
北京周辺に駐屯する第二九軍は7.5万人(「支那事変陸軍作戦<1>」p.138-141)であるが、日本軍の戦闘力は、同数の部隊同士で、3-10倍と言われ(「抗日戦争八年」p.39)、日本軍(盧溝橋事件直後、5600名。北京総攻撃直前2万3千名)も二九軍に脅威を感ずる様子は見られない。
 
なお、北上中の中国軍は、中央軍13万名その他(「支那事変陸軍作戦<1>」p.181)であり、日本は、動員される内地師団も加えて対処する方針であった。
 
また、航空戦力に関して、日本陸海軍は中国軍の5-10倍程度保有しており、北京総攻撃においても日本陸軍航空部隊の爆撃に対し中国軍航空部隊の迎撃は皆無であった。日本軍の完全な制空権下で総攻撃が行われたということになる。

★日華事変(にっかじへん)=支那事変(しなじへん)http://p.tl/L4mK
 日華事変(にっかじへん)=支那事変(しなじへん)とは、千九百三十七年(昭和十二年)七月から始まった日本と中華民国の間で行われた長期間かつ大規模な戦闘である。
ただし当初は、両国とも宣戦布告を行わなかった為に「事変」と称していた。
「支那事変」と言う呼称は、当時の日本政府が定めた公称であるが、現在は「日中戦争」と呼ばれている。

★「平和民族日本」;日本歴史の見直し 第五章 不拡大方針だった支那事変 http://p.tl/2Fyq


★「支那事変」と「日中戦争」 どちらの名称を使うべきだと思いますか? http://p.tl/LT5Y
 
kasika0さん
 
提起された質問の解は、歴史をどう見るか、ということが根本にある問題だと思います。歴史を見る主体(人)の軸足をどこに置くか、ということでもあります。
 
昭和10年代の日本人は、生き抜いた人たちも、戦没された人たちも、支那事変、大東亜戦争を戦ったのであって、日中戦争、太平洋戦争を戦ったのではない、という、そのことです。
 
歴史を、現在から見ることも、大所高所から見ることも大事ですが、そうする時、同時に、歴史の渦中に在る人の視線・心に、できるだけ近づいて、当時を疑似体験するような姿勢も必要で、それによって歴史を、巨視的微視的に把握できるようになるのだと思います。
 
そう考えれば、リアルタイムでの呼称、支那事変を使うことで、昭和戦後も後半期にできた呼称、日中戦争を使うことでは見えなかった、多様で生き生きしたリアルな歴史が見えてくるでしょう。その意味では、支那事変を使うのがベストと考えます。
 


laica3fさん
 
この戦いの名称は実によく変わって、盧溝橋事件の直後は「北支事変」でした。ところが戦線が拡大すると「日支事変」さらに「支那事変」となります。この名称が当時のふつうの呼び方で、大東亜戦争が始まるまで使われました。戦後、私(昭和25年生まれ)が小学校から高校までは「日華事変」と教わりました。つまり昭和40年代半ばまでは「事変」がまだ使われていたのです。だから「日中戦争」という名称を最初に聞いた時、妙に違和感を感じたことを覚えています。私の父は自分自身が支那に出征していましたから「支那事変」と生涯言っていました。父の世代は共産党員や社会党員でさえ「支那事変」と呼んでいたのです。当時広く使われていた言葉はひとつの財産で、後世の人間が恣意的に変えるのは実態を見誤る基になります。「事変」を「戦争」に変えることで、この戦いが宣戦布告の無い戦争であった実態を見失うことになるのではないでしょうか。

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