縄文人の反乱 日本を大事に

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●鯖街道

2012年05月25日 00時43分06秒 | 色んな情報
●鯖街道
★若狭国 - Wikipedia http://bit.ly/LsIhXl
律令制で統一国家が成立する前の若狭地方は、若狭国造や角鹿国造の領土 だったと言われており、日本書紀には若狭国造やツヌガアラシトの記述がある。
★小浜市 - Wikipedia http://bit.ly/KtzLdV
福井県南西部(嶺南)の市である。
江戸時代には、浅井三姉妹 の次女・初の夫である京極高次(京極氏)や、酒井氏などが治める小浜藩の城下町だった。
★サバ・鯖(さば) - 語源由来辞典
【意味】 サバとは、スズキ目サバ科のうち、サバ類の海水魚の総称。一般に日本近海ではマサバとゴマサバの二種をさす。背部は青緑色で流紋がある
【サバの語源・由来】
歯が小さいことから、「小歯(さば)」や「狭歯(さば)」の意味、「セバキ(狭)」の略転などの説が有力とされている。
多数で群れをなすことから、多いことを意味する古語「サハ」が濁音化したとする説もあり、意味も濁音化も十分に考えられるため捨てがたい。
他には、盂蘭盆で蓮の葉で包む魚であり葉をくさくさすることから、「サ」は「クサシ」の上下略、「ハ」は「葉」といった説があるが考慮しがたい。
★鯖街道 - Wikipedia http://bit.ly/KSlll7
たもとには「鯖街道口 従是洛中」と書かれた石碑がある。
鯖街道(さばかいどう)は、若狭国などの小浜藩領内(おおむね現在の嶺南に該当)と京都を結ぶ街道の総称。
主に魚介類を京都へ運搬するための物流ルートとなっており、その中でも特に鯖が多かかったためこの名で呼ばれるようになった。

★鯖街道の歴史|鯖街道を訪ねて http://sabakaidou.jp/history.html
鯖街道周辺地図 若狭から京都へ至る多数の街道や峠道には、本来それぞれ固有の 呼び名がありますが、近年運ばれた物資の中で「鯖」が特に注目され有名になったことから、これらの道を総称して「鯖街道」と呼ぶようになりました。

★若狭 鯖街道 熊川宿 http://kumagawa-juku.com/
★鯖街道マップ - 若狭鯖街道熊川宿 http://bit.ly/MtSBBp
★鯖街道歴史研究会 http://bit.ly/KNYo6J
★鯖街道 - AGUA http://bit.ly/JG8XTK
18世紀後期より鯖が多く運ばれたことから「鯖街道」と呼ばれるようになった古道・若狭 街道には古い宿場や古刹が点在する。
そこには水にゆかり深い地が多く、道の脇を 常に清冽な川が沿う道で、小浜に焼き鯖を求めての帰路は「水を訪ねる旅」となった。
★鯖街道とは?/田村長 http://bit.ly/KikICB
★小浜市/さば街道資料館・町並み保存資料館 http://bit.ly/LtR7aK
★西の鯖街道 http://www.sabanet.gr.jp/


★鯖江市 - Wikipedia http://bit.ly/Lj4MP1
福井県嶺北地方の中央部に位置する市である。
多くの世帯が特産 である眼鏡関連の産業、あるいは業務用の漆器生産に関わっている。
鯖江市の正式な「鯖」の文字は旁の下部が「月」ではなく「円」を用いる。

★鯖江藩(さばえはん) [ 日本大百科全書(小学館) ] http://bit.ly/LsHohu
越前(えちぜん)国今立(いまだて)郡鯖江(福井県鯖江市)に本拠を置く5万石の譜代(ふだい)藩。藩主間部(まなべ)氏。藩領域は越前3郡130か村、大部分が今立郡内で105か村、ほかは丹生(にう)郡に14か村と大野郡に11か村あった。
間部氏の元祖詮房(あきふさ)は、能楽師喜多(きた)六太夫の弟子であったが、徳川綱豊(つなとよ)(のち6代将軍家宣(いえのぶ))にみいだされ、のちその側用人(そばようにん)となり、上野(こうずけ)(群馬県)高崎城主となった。家宣・家継(いえつぐ)2代に近侍し、新井白石(あらいはくせき)とともに「正徳の治(しょうとくのち)」を行ったが、1716年(享保1)側用人を免ぜられて越後(えちご)(新潟県)村上に移封された。
20年詮房没して弟詮言(あきとき)が家督を相続したが、領地は越前鯖江へ転封となった。当時の鯖江は、幕府の代官陣屋があったものの家数27戸の寒村にすぎず、城下町として整備されるには8か年を要した。
戸口は、1868年(明治1)の記録によると888戸、3611人であった。
詮言を鯖江の初代とする同藩は、9代、150年間続いた。歴代藩主中でもっとも活躍したのは7代詮勝(あきかつ)であり、1840年(天保11)と58年(安政5)の二度老中の職についている。
後の老中在任中では大老井伊直弼(なおすけ)を助けていわゆる「安政(あんせい)の大獄」を指揮したが、そのことで62年(文久2)領地1万石を削られ、隠居謹慎に処せられた。
71年(明治4)廃藩、鯖江・敦賀(つるが)・石川各県を経て81年福井県に編入。
[ 執筆者:舟澤茂樹 ]

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