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●「米百俵」小林虎三郎の天命

2014年02月12日 21時41分08秒 | 色んな情報

●映画「米百俵」小林虎三郎の天命
◆http://www.youtube.com/watch?v=pbmqMiR_w1E
 公開日: 2013/09/27   Palm WebMovie
中村嘉津雄 真行寺君枝 尾藤イサオ 三原じゅん子 長谷川明夫
文部省特選
ストーリー: 越後長岡藩が、戊辰戦争で維新政府軍に破れ、その日の糧にも事欠く悲惨な状況にあった­時、分家の三根山藩から米百俵が見舞いとして贈られてきました。しかし、小林虎三郎は­この米を藩士たちに分配せず、学校設立資金として換金しようと決断したのです。「教育­こそ百年の大計、人物を創れ!」怒り狂う藩士たちに向かって死を覚悟で信念を貫き通し­、偉業を成し遂げる物語です。
ハイビジョンアワード1993選定委員長賞受賞
第6回東京国際映画祭出品作品
1993国際エレクトロシネマフェスティバル出品作品
 
◆米百俵 - Wikipedia  
http://p.tl/nK2M
幕末から明治初期にかけて活躍した長岡藩の藩士小林 虎三郎による教育にまつわる故事。後に山本有三による戯曲で有名になった。この逸話 は、現在の辛抱が将来利益となることを象徴する物語としてしばしば引用される。
 
◆米百俵まつり-長岡市 
http://p.tl/1Flj
米百俵まつり. 第12回米百俵まつり. 10月5日(土)は、約9万人の方々にお越しいただき、大盛況のうちに終了することができました。ご来場の皆さま、本当にありがとうございました。
 
◆「米百俵」ってどんな意味なのですか? - Yahoo!知恵袋  
http://p.tl/ZjUo
「米百俵」の精神は、明治のはじめに戊辰戦争で焼け野原になった長岡藩に、三根山藩が見舞いとして百俵の米を送ったのが始まり。
その当時、窮乏を極めていた長岡藩士は、三根山藩から送られた米が自分達に分配されるものと思っていた。
しかし、藩の大参事小林虎三郎は、「国が興るのも町が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ学校を建て、人物を養成するのだ」として、米を売却し、その代金を国漢学校建設の資金につぎ込んだ。
ここに長岡の近代教育の基礎が築かれ、後年、新生日本を背負う多くの人材が輩出されることとなった。
この「米百俵」の故事は、文豪・山本有三の同名の戯曲によって広く知られるようになった。
 
◆北越戊辰戦争 米百俵と小林虎三郎について  
http://p.tl/J8xC
 この群像は、いまも長岡に伝わる「米百俵の精神」を、山本有三の戯曲「米百俵」の一幕から再現したものです。
 北越戊辰戦争で焦土と化した長岡に、支藩の三根山藩(現在の西蒲原郡巻町峰岡)から見舞いの米が百俵送られてきました。食べるものにもこと欠く長岡藩士たちにとっては、のどから手がでるほど欲しい米でした。しかし、時の長岡藩大参事小林虎三郎は「食えないからこそ、教育をするのだ、学校をつくるのだ」と米を売り払い、その代金を国漢学校にそそぎこみました。
 この故事は「目先のことにとらわれず、明日のために行動する」という精神風土を長岡に根づかせ、未来を担う新しい世代を育む思想の源泉となりました。
 群像は「米を分けろ」と迫る人々に虎三郎が切々と説いている場面です。かたわらの少年は、「米百俵の精神」を引き継ぐ新しい世代を象徴しています。
 長岡の誇る「米百俵の精神」が連綿として伝えられることを願って、この群像を建立しました。
   「米百俵の群像」より


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