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●大和万歳・三河万歳・尾張万歳・越前万歳・加賀萬歳・伊予万歳

2012年08月16日 18時54分45秒 | 色んな情報
●大和万歳・三河万歳・尾張万歳・越前万歳・加賀萬歳・伊予万歳
★越前万歳 │ えちぜんまんざい │   http://p.tl/HCD9
★越前万歳 国指定文化財等データベース http://p.tl/Nvzt
名称: 越前万歳
ふりがな: えちぜんまんざい
種別1: 民俗芸能
保護団体名: 武生市越前万歳保存会
指定年月日: 1995.12.26(平成7.12.26)
都道府県(列記): 福井県
市区町村(列記): 武生市味真野町
代表都道府県: 福井県
備考:
解説文:
 万歳は新春に家々を訪れ祝言を述べる代表的祝福芸で、古くは千秋万歳【せんずまんざい】とよばれる芸能であった。
 越前万歳は野大坪【のおつぼ】万歳ともよばれ、その起源は中世以前に遡るとの伝承もあるが、近世以降は福井、鯖江、勝山、大野といった越前の各藩をはじめ、加賀の金沢や大聖寺までも出かけ、北陸の初春を寿ぐ存在として親しまれ、金沢では、万歳師の宿に前田家の梅鉢の定紋をつけた提灯を立てることを許され、また福井では下駄ばきのまま門から御殿まで行くことを許されるなど、各地で格別の厚遇を受けていた。
 芸能の内容は、扇を持った太夫【たゆう】と太鼓を持った才蔵【さいぞう】のコンビで、祝言【しゆうげん】の言い立てや掛け合い、あるいは祝儀の舞を舞うというものである。現在伝承する演目としては、「舞【ま】い込【こ】み御家万歳【おいえまんざい】」「寿万歳【ことぶきまんざい】(竹馬)」「鳥刺【とりさ】し万歳【まんざい】」「木【き】やり万歳【まんざい】」「三番叟【さんばそう】」「扇尽【おうぎづ】くし」の六段の儀礼曲、「一【いち】ノ谷【たに】」「宇治川【うじがわ】」「聖護院【しようごいん】」といった軍談もの、口説き調の「お早良作」や、尽くしものの「桜尽【さくらづ】くし」「柱尽【はしらづ】くし」「宝尽【たからづ】くし」「七福神」「百人一首」などの余興的な曲がある。通常一回の上演は十二段からなり六段目のあとに中休みをするが、各曲目の間には話【はなし】万歳とよばれる滑稽な笑い主体の掛け合いを挟む。また上演の最後は、かならず「手踊り万歳」で締めくくるのが通例となっている。
 太夫は侍烏帽子【さむらいえぼし】をかぶり、紋付きのうえに麻地紺色に舞鶴の模様の直垂【ひたたれ】を打ち掛け、袴をはき、腰に小刀を差し右手に開いた扇を持つのが基本の姿であるが、「三番叟」の場合は大きな押し絵の「チョウチョウナギナタ帽子」をかぶり五色の鉢巻きを締める。一方才蔵は紋付きに袴をはき、赤い大黒頭巾【だいこくずきん】をかぶるが、「寿万歳」の時には「チョウチョウナギナタ帽子」をかぶり赤い襷【たすき】をかけ、太夫と同じく扇を持ち、尽くしものの演目では、大黒天などめでたい模様の刺繍や押し絵で装飾された長方形のかます帽子をかぶる。また越前万歳の才蔵は、左手には太鼓、右手にはひもで太鼓に結ばれた弓形のばちをもつが、この太鼓は「弓太鼓【ゆみだいこ】」とよばれ、その形状と摺るようにたたく奏法とも、他地域の万歳には見られない独特のものである。
 以上のように越前万歳は、古典万歳を伝えるものとして芸能史上大きな価値を有するとともに、地域的特色を示すものとしても重要である。
★まつりと伝統行事 - 越前市 http://p.tl/VWaD
★民俗芸能のほかの用語一覧
語り物・祝福芸:三河万歳http://p.tl/SBvJ尾張万歳http://p.tl/EB4t題目立http://p.tl/SoPR
福岡県みやま市瀬高町大江に伝わる幸若舞http://p.tl/65_s
越前万歳http://p.tl/Nvzt
★幸若舞ゆかりの地を訪ねて (越前町西田中・敦賀市)http://p.tl/6xwS
★越前幸若舞 http://p.tl/wJpc
『幸若系図』によれば幸若舞曲を創始したのは、源義家から10代後の桃井播磨守直常の孫桃井直詮といわれ、幼名を幸若丸といったことから「幸若舞」の名が出たといわれている。幸若丸は越前国丹生郡西田中村に住んでいたが、父の没後、比叡山の稚児となり、生まれつき歌舞音楽に優れた才があり、草子に節をつけて謡ったのが評判になって「幸若舞」と呼ばれるようになったとのことである。これが越前幸若舞のはじまりである。越前幸若舞は幸若氏(桃井八郎九郎・弥次郎・小八郎)のみに伝承されたが、江戸幕府崩壊と共に廃業した。
・大江幸若舞
初代幸若の子弥次郎の弟子に山本四郎左衛門という人がおり、幸若舞の一流である大頭流をたてた。その弟子の百足屋善兵衛の、そのまた弟子(つまり山本四郎左衛門の孫弟子)の大沢次助幸次という人が、天正10年(1582年)、筑後の山下城主蒲池鎮運に招かれて九州に渡り、柳川城主の蒲池鎮漣などが家臣達にこの舞を教えたと伝えられている。それが大江幸若舞である。明治維新後、禄を離れた各地の幸若舞はその舞を捨ててしまい、この大頭流の大江幸若舞のみが現在に伝わっている。大江の地に受け継がれてから、2009年現在で222年の伝統がある。
★[PDF] 幸 若 舞 幸 若 舞 位牌(敦賀霊山院) http://p.tl/4CwK
★幸若舞上演「日本記」(小学生)・千寿の楽しい歴史 http://p.tl/7QEu
★幸若舞「高館」と徳川家康 http://p.tl/eIr5
★まちのわだい(Web版)福井県越前町から訪問 幸若舞を通して交流がある http://p.tl/Mn5M
★織田信長も愛した幸若舞創始者の故郷をめぐる。http://p.tl/BveA
★幸若舞 奉納上演 福岡県山門郡瀬高町 大江天満神社 舞堂 http://p.tl/-PV7
★幸若舞と権力者 http://p.tl/JqM1
★幸若舞のルーツ http://p.tl/DXZy
★幸若舞の担い手 http://p.tl/uR1f
★江戸の幸若舞  http://p.tl/HXy3
★現在残る幸若舞の物語を読もう
・『入鹿(いるか)』…藤原氏開闢のものがたり
1.鎌足の父御食子(みけこ)、勅勘を蒙り、常陸国に流され、鹿島神宮の四郎禰宜となる。
2.御食子、農業をしつつ、地元の娘と結婚し、一子、鎌足を儲ける。
3.狐がやってきて、嬰児の鎌足の傍に鎌を置いて行く。
4.鎌足成長し、夫役の為上京、そこで才能を見出され、文章生から上級貴族にまで上り詰める。
5.鎌足、帝位を狙う蘇我入鹿を討つように綸言を受ける。
6.鎌足、養女を入鹿に捧げ、隙をねらう。
7.養女、入鹿との子を儲け、鎌足、風邪と偽って、入鹿をおびき寄せる。
8.入鹿、竜王と還王の説話を引き、鎌足の誘いに乗らない。
9.鎌足、春日に参篭し、興福寺金堂と釈迦仏建立を誓う。
10.鎌足、細杖が傍に落ちていたのに気づき、盲目のふりをして入鹿を討てとのことと理解する。
11.鎌足、わが子を火の中に落とし、盲目を嘆き、入鹿、鎌足のことを信じ込む。
12.鎌足、帝の僉議の場で、三年間瞑っていた目を開け、狐に授けられた鎌で入鹿の首を落とす。
13.首を切られた入鹿、それでも剣を抜いて、帝に襲い掛かろうとするが失敗し、北向きに倒れる。
14.入鹿が討たれたことで、国土も豊かに栄えて、民衆のかまどもゆたかになった。
 
・『大職冠(たいしょかん)』…宝珠を巡る竜と人間との奪い合いと、藤原氏北家繁栄のものがたりhttp://p.tl/5uNM
★こしの都千五百年物語 http://p.tl/UAKq
郷土芸能として親しまれている越前万歳は、古い歴史をもっています。男大迹皇子(後の 継体天皇)が味真野におられた頃、皇子の愛馬が馬草を食べなくなりました。そこで宇津 保の舞を演じたところ、馬の病気が回復したと伝えられています。
★越前万歳(野大坪万歳) http://p.tl/zGA5
★萬歳と万歳と万才と漫才 http://p.tl/-K1W
★越前萬歳(えちぜんまんざい)http://p.tl/cBsV
福井県越前市に伝わる伝統芸能である。1995年12月26日に国の重要無形民俗文化財に指定された。野大坪萬歳とも呼ばれる。
★萬歳または万才(まんざい)http://p.tl/9x6V
日本の伝統芸能の一つである。新年の言祝ぎの話芸として全国で興り、漫才の元になった。地名を冠して区別することが多い。
★漫才(まんざい)http://p.tl/94uB
古来の萬歳を元に、日本の関西地方で独自に発達したとされる、主に2人組で披露される演芸・話芸。
2人の会話の滑稽な掛け合いの妙などで笑いを提供する。
大正末期、映画の弁士によって始められた漫談にちなみ、1933年(昭和8年)頃に吉本興業宣伝部によって漫才と名付けられた。
漫才を行う者を「漫才師」と呼ぶ。
関西圏の漫才を特に上方漫才(かみがたまんざい)という。
★漫談(まんだん)http://p.tl/2dhE
大辻司郎が命名したとされる、大正ごろに創設された演芸である。元来は音声付き映画(トーキー)が主流となったため失業した無声映画の弁士が、巧みな話術を生かして寄席の高座等に出演したのを発端とする。
★大辻 司郎 http://p.tl/FT0E
(おおつじ しろう、1896年8月5日 - 1952年4月9日、本名:大辻四郎)は日本の弁士、漫談家。
漫談という言葉をつくり、自ら漫談家元と名乗った文字通り漫談家の草分け。1952年のもく星号墜落事故犠牲者のひとりとしても知られる。
★主な漫才の種類 http://p.tl/FAHK
主な漫才師 横山エンタツ・花菱アチャコ
★横山 エンタツ http://p.tl/USYx
花菱アチャコとのコンビ(エンタツ・アチャコ)で、それまでの古典的な舞台芸能である「色物萬歳」に代わり、「しゃべくり漫才」へのムーブメントを作った。現在の漫才スタイルの元祖と言える。漫才作家秋田實の良き相談者として上方漫才、喜劇の興隆に大きく貢献した。吉本新喜劇初期の出演者でもある。
★花菱アチャコ http://p.tl/BbQr
大正昭和期の漫才師、俳優である。本名:藤木 徳郎。福井県出身。
★日本映画データベース 花菱アチャコ http://p.tl/tqvm
★幸若舞・舞々・越前万歳 http://p.tl/1iCG http://p.tl/-yap http://p.tl/5ipd http://p.tl/37cs
 http://p.tl/tOUH http://p.tl/aEWk http://p.tl/cKz0 http://p.tl/WQ6m
★町人の娯楽 http://p.tl/wZ1p http://p.tl/qhhY 
★越前万歳奉納・初舞 http://p.tl/KG67
★歴史遺産探訪月間 加賀万歳・越前万歳共演会 2011/10/23 http://p.tl/4NhB
★万歳は、 新年にあたり家々を訪 れ、 祝言を述べ舞いを演じる芸能(Adobe PDF)http://p.tl/iuHN
★越前万歳 - 考福学のススメ http://p.tl/DGN5
★【294】大岡越前万歳!時代劇万歳! http://p.tl/sgjb
★越前万歳   国の重要無形民俗文化財 http://p.tl/m-jr
★「越前万歳について調べよう」1 http://p.tl/FKYG 2 http://p.tl/xXeB 3 http://p.tl/QZCU

★【加賀万歳】
前田利家が越前の府中(現在の武生市)を治めていた頃の越前万歳の流れをくみ,利家の金沢入城後,金沢城下にも来るようになったものといわれている。
文化文政(1804~1829)の頃,金屋町の宝生流・能楽者の大石藤五郎がこれをさらに発展させて地万歳(じまんざい)に,すなわち加賀万歳となって定着させた。
★加賀万歳 http://p.tl/WKog
新年の祝福に満ちた「式三番叟」が最初に演じられる加賀万歳は、金沢のお正月に欠かすことのできない風物詩であり、越前万歳の流れをくんだ古典芸能です。
元旦に、真っ赤な大黒頭巾や独特の衣装を身にまとい、家々の年賀に向かう様子は金沢独特のもの ...
★加賀万歳 http://p.tl/lNar
★三曲万歳 http://p.tl/ANtU
大和万歳・三河万歳・尾張万歳・越前万歳・加賀萬歳・伊予万歳のようにそれぞれの国の名を付けて呼ばれるようになり,三宅町一帯には尾張地方から伝わったのではないかと推測されている

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1 コメント

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Sink Hindi (Hindi Sink)
2024-10-16 02:47:09
Oh my God, finally! I’ve been telling you about it fd it blow your mind as much as it did mine
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